城南事件帳 2
なんだ、あいつら。ふざけんな。誰も見てないと思って。書棚の前でキスしやがって。ムカついてきた。注意してやろうか? それか、せっかくだから、図書館に通報してやろうか。「たった今、そこで、あの二人が立ちながら、お繋がりしてましたよ」って。少し盛ったってかまやしない。悪いのはあっちだ。こっちは正義の味方だ。
だけど、こうも考えた。あっちは、アツアツで、どうせ人たちのこと、周りのことなんて、なんにも気にしちゃいないんだ。それならそれで、逆にそれを利用させてもらうってのはどうだろうか。連中がいちゃついている間、ケツを触るとか、おっぱいを揉むとか、少しぐらいやったって許してくれるんじゃないか?
「な~にぃ、だめだよぉ、エッチ。へんなとこ、触って。トオルったら」
「えっ、オレ、なにも、してないよ」
「えっ、うそ、いま、お尻、つまんだでしょ・・あっ、なにすんのよ!」
「あっ、お前、なんしてんだよ、オレの彼女に」
「いやいやいや、なんにもしてませんよ」
「おしり、触ったでしょ」
「いや、触ったというか。あなたたちだって、なんですか、こんな神聖な、公共の区立図書館内で。私のこと、言えた義理じゃないでしょうが」
ここで、押し黙るバカップル。
「あのね、一つ、教えておきますけどね。ここは、イチャコラする場所じゃないんですよ。犬猫じゃあるまいし。夏の湘南海岸か。あっちのほうがまだ倫理あるんじゃないの。自分の車のなかでやるんだから。こっちは、人の目があるでしょ、人の目が。すぐ後ろでは読書席が設けられているんですよ。見てごらんなさいよ。学生さんたちが受験勉強に、社会人の方々が資格試験勉強にいそしんでらっしゃる。ご高齢の方々も新聞やオール読物などの小説を読んで、各々人生の来し方を振り返ってらっしゃる。それが、なんですか、あなたがたと来たら。人の目を盗んで、接吻なんかしてみて。ちゃんと私、見えてましたよ。そこの、カウンター横の新聞席から」ここまで説教した後、羽生はリュックから水筒を取り出し、薄く入れた、温度だけはキンキンに熱いコーヒーをとくとくとくとコップについでは口に含み、のどを潤した。それから、さらにパワーアップ。
「だいたい、不届きだよ。祝日で、結構気温も上がってきたから、賃貸アパートで、エアコンかけるのも、もったいないんだかなんだか、そもそも、エアコンすらついてない安物件を借りてるんだかその辺はわからないけれど、部屋も手狭で息が詰まりそうだから、外行こうと。それで、どうせ行くなら図書館でも入って涼んで、あわよくば、ラブホテル替わりに使わせてもらって、なんて程度の不届きなものなんだろう。そうじゃなきゃ、いくらなんだって、区立図書館で人目をしのんで、本棚の前でいちゃつきゃしない。根が不道徳なんだよ」そう、捲し立てる。
まあ、これは、あくまでも、羽生のお腹のなかのこと。さすがの羽生も声に出しては言えない。ただ、心に誓った。よし、今度やったら、注意してやる、と。
腹に据えかねた羽生は、読書どころではなくなり、とりあえず、席を立ち、トイレへ向かった。若さゆえだろう、身体がむずむずしてきて、とてもじゃないが、席に落ち着いて座ってなどいられなくなったのだ。トイレで小用を済まし、ドアを開けると、彼らが体をくっつけるようにうぐいす色のソファーに腰かけて、各自雑誌を読んでいた。
まったく。立っていたと思ったら、今度は座っていちゃいちゃか。家でやれよ。ほんとに。業腹な羽生は、そうだ、彼らが今さっき見ていた本棚はどんなもんなのか、と確かめに行ってみた。すると、その書棚は御菓子・裁縫など、女が好きそうなものばかり。ははあ、この二人、新婚さんか。それにしては、女は若そうだし、男は青いTシャツを着て、いけすかない水商売風な優男だし。トイレを出た後、彼らの前を通りすぎるとき、不審がられないようにチラ見すると、どうも、女も男も指輪をしていないようだった。
こいつら、ただの同棲カップル、ただの都会の吹き溜まりの、空き家どうしだな。この世に生を受けて二十九年間、女性と接したことのない刑事は、そう断定した。が、だから、どうだというのだ。せっかくの祝日を人の恋路を羨んでみたところで、一銭にもなりゃしない。くだらない。さすがに、羽生も自分の考えていることやっていることのばかばかしさに嫌気がさし、図書館を後にした。