城南事件帳 2
その間、せっかくだから、本棚を覗いてみた。文学全集が結構揃ってる。法律書や経済書も。だけど、待てよ。法律書なんて、たとえば、民法だって改正が入ったりして、古くなるだろ。だとすると、そんな古本、わざわざ買い求めるのかな。経済書もそう。
ざっと首を回して一通り雰囲気を感じ取る。あんまり面白くないな。別の列に移るか、とお隣のほうを覗くとありました。ありました。どうしたわけか、ビニールに入った代物が、棚の下のほうに集中して並んでいるではないか。ははあ、これか、とひとつ手に取るべく、ビニ―ルに包まれた写真集を引っ張り出そうと試みた。が、結構きつきつになっていて、なかなかおいそれと簡単には取り出せない。ちきしょー、エロ本一つ取り出すのに、こんな難儀だとは。
「すいません、お待たせしました」とここであるじが奥の座敷から戻ってきた。まずい。見てませんよ、とアリバイ作りをする間もなく、店の中央突き当りの席から顔だけ出すと、「あっ、いいですよ。どうかそのままにしておいて構いませんから」
ビニールを4割ほど中途半端に引っ張り出したままだった羽生は、親や先生にエロ本を見てるのをバレた中学生のような気分で、頬がぽっと赤くなった。自分でも耳たぶが真っ赤であるだろうことは容易に想像できた。さすがに、刑事が任意の聞き込みに来たのに売り物の商品を出しっぱなしでいいはずもなく、なんとか、渾身の力を込めて、棚の元の位置に、押し込んだ。
見ると、あるじは、お盆にお茶とお茶菓子を入れて待っているではないか。ちょっとお待ちください、とはそういうことだったのか。わざわざそんな真似しなくてもいいのに。
「さあ、どうぞ、せっかくですから。この和菓子、なかなか、いい味なんですよ。日本橋の高島屋の地下で売ってるんですけどね、名古屋のお菓子屋さんなんです。両口屋是清っていってね、あんこの御菓子で、上品なお味なんです。よく、おふくろが好きでね。買ってこいって言われて、地下鉄で一本でしょ。都営浅草線だから五反田と日本橋と。ものの16分くらいで着きますからね」
まあ、せっかくだから、頂くことにした。奥から持ってきてくれたのか、椅子まで用意してくれて、あるじと差し向かいで、お茶と和菓子で一服することに。
「ああ、おいしい、ほんとに、いいお味ですね」
「でしょ。自分で出しておいて言うのもなんですけど。今、召し上がったのは、『志なの路』です。それもいいんですけど、もうひとつのほう、『旅まくら』のほうが小ぶりだけど、味が凝縮されていて、おいしい、と思うんですよ。どうですか?」
勧められるものだから、もう一つのほうも頂いた。両方ともに、日本の仕事らしく、丁寧に透明なセロファンで一つ一つ包まれている。なるほど、旅まくらのほうがたしかに小さい。が、味はみっちりというのか、しっかりというのか、詰まっているというのが口の中でよくわかる。志なの路は、どっちかというなら、ひよこの御菓子に似ていなくもない。食べた時の感触も。旅まくらはゴマの油がアクセントになっているのだろう、たしかに、いい和菓子をいただいているという満足感がある。
「どうでした?」
「いや、結構なお味で」
「いや、そうじゃなくて。どっちがよかったですか」
「ああ、そうですね。たしかに、ご主人の言われる通り、後から食べたほうが、出来がいいというか」
「出来がいい、ね。面白いですね。たしかに、そうかもしれない。お値段は変わらないんですけどね」
「そうなんですか」べつに、和菓子談義をしに来たわけではないのだが、どうも、あるじの人柄もあるのだろう、雰囲気に引きずられてしまっていた。それから、出された日本茶もおいしい。職場の自動給湯機で出てくるお茶も悪くはないが、それよりも明らかにこくがあった。
「ご主人、この緑茶も、おいしいですね」
すると、今度は相好を崩したあるじがますます饒舌になってくる。
「あっ、そうでしょう。刑事さん、お若いのに、よくお分かりですねえ。ご自宅では結構お茶を召し上がるんですか」
「ええ、父も母も食後にお茶を飲んでいるので、自然と付き合うようになって、なんとなく、渋いだけじゃなくて、その渋さが旨さに変わってきたといったお年頃でしょうか」
「お年頃ですか。こりゃまた、面白い言い方ですね」
なんとなく、あるじと羽生刑事との波長があっているらしかった。羽生は、そもそも、それほど攻撃的な性格ではなく、むしろおっとり系だから、年長者からすれば話やすい質なのだろう。あるじも日がな一日古本屋の店番だけでは退屈極まりない。いくら夕方になれば、呼び込みの男どもとともに、ミニスカートのねーちゃんたちがご出勤で、店の前を通り過ぎていくとはいっても、毎日のことだから、もう慣れっこも慣れっこ、うんざりしている。だいたいが、金で体を売っている女たちだ。いくらきれいだからとは言ったって、それはうわべだけの虚飾にすぎない。こころのきれいな娼婦なんてのはフランスのドュマ・フィスの小説『椿姫』のなかだけのことであって実際の持ち物は、それこそ、使い古して見てくれもわるくなった穴の開いた鍋にすぎない。この刑事はまだこれから人生が始まるのだろう。良い刑事になって、悪い奴らをたくさん捕まえてほしい。あるじは純粋にそんな気持ちになった。




