城南事件帳 2
独り、ぽつんと取り残されたかたちになった羽生は、ちょっと軽いカルチャーショックに陥った。少しでも話をし、笑顔なども互いにあったのだから、「どうもごきげんよう」「お気をつけて」くらいの挨拶が交わされたってよさそうなものだ、と思っていたのだ。生まれも育ちも東京の、この街がごくごく当たり前で育った羽生としては、なんだか、逆に、地方出身者にきつく仕返しをされたような、そんな気になった。
彼女は、話を聞いてみると、面積の大半が湖で奪われている県、もしくは、古い都があった県出身といっていたような。なるほど、美人ではあるが、湖なら近江商人の出、古い都ならいけずの出、なんだな、とある意味納得。見せかけはきれいでも、こころは意地が悪いのね、と勉強になった。
その点、案外、東京の人間のほうが、さっぱりしている、と羽生は思う。そう、自分を落ち着かせようと努めるも、まてよ、とちょっと引っ掛かる点を思い出した。あれっ、ひょっとして、あの言葉がカチンと来たのかな、と。出身が大阪の隣接県と聞いた時、何の気なしに、「それじゃあ、大変ですねえ。東京に出てこられて」と返したのだ。普通に、お愛想程度にちょろっと口から出たつもりだったのだが、案外、「この田舎者が、東京くんだりまで出てきやがって、どうせ、お金と男と二刀流で、いや、それだけでなく、いい服とおいしい食べ物と四刀流、五刀流でがめつく行こうって腹なんじゃねぇのか、このアマがっ!」そんな風に聞こえたのかもしれないな。もし、そうなら、帰り際の、彼女の、まったくガン無視を決め込んだ、石のような冷たい目の意味もわかろうというもの。しかし、それにしても、同じ一期一会でも、コンカフェのビラ配りの女の子とはエラい違いだなあ。なんであんなに愛想がないんだろう。美人だからきっと鼻にかけてるんだな。美人にだって、二通りあるんだぞ。愛嬌のある美人とツンとして感じの悪いのと。完全に後者だったね。三公社五現業だ。
昭和六十年(1985年)と言えば、一月には、アメリカのロナルド・レーガンが二期目に入り、六月には、金の延べ棒詐欺で社会問題化した豊田商事会長のマスコミ陣が自宅前で張っているさなか、暴漢により刺殺されるというショッキングな事件が発生し、7月には映画「バックトゥザフューチャー」がアメリカで封切られ、その影響を受けたと思われる日本のAV業界が、制作年月日はさだかではないが、「ファックトゥーザティーチャー(主演:松本まりな)」というタイトルで売り出したこともあった。パート2の主演は藤本聖名子。藤本は福島県出身で、高校では確か陸上で大会に出場する陸上少女だったと当時の朝日新聞の記事で読み知った読者は結構いたはず。アダルトビデオの黎明期と言っていい時期に、わざわざ藤本聖名子をでかでかと顔写真入りで登場させるという英断に拍手を送った層もいる一方で、「へえ、天下の朝日新聞がねえ・・、へえ、そうなんだぁ~・・。いい大学出てるとか、エリートだ、とか持て囃されても、しょせん、記者連中なんてのは男たちばっかだから、女好きのスケベばっかりなんだな」と眉をしかめつつ、股間を膨らませた購読者層がいたこともまた事実であった。ちなみに、日本人はきっとどこかでみな、遺伝子がつながっているのだろう、30年以上経過した今、東京のとあるテレビ局のアナウンサーによく似た顔を見かけるような気がする。選んだのは同じマスコミ人だろうし、きっと趣味も似てるんだろうなあ、などと、神様は天界でほくそえんでいらしゃることであろう。人間というものは、かくもあさましく、愚かな存在であることよ、と。
しかし、痛ましいニュースもあった。8月には、かの日航機航空墜落事故が御巣鷹尾根で発生した。翌9月にはプラザ合意、200円台から100円台に円が急騰し、海外旅行の増加へと続くのだが、当時のことを思えば今の141円台など、大したことないじゃないか、といえなくもない気もしないでもない。