『黒百合の魔女』 貴族たちに陥れられた男装の騎士、実は不老不死の魔女が「来世で夫婦になりましょう」と婚約を誓ってた英雄の生まれ変わりでした。
「エルシェ・エヴェルス、貴様から騎士の称号を剥奪する」
――大勢の貴族が集った審問所。
そこで彼らに見下ろされながら、僕はあまりにも唐突に判決を命じられた。
僕の名前はエルシェ・エヴェルス。
クラーセン王国の騎士であり、クラーセン王国十二貴族の一席であるエヴェルス家の当主でもある。
エヴェルス家は千年前に〝救国の英雄〟と呼ばれたユリウス・エヴェルスを輩出した伝統ある銘家であり、僕はその英雄の子孫なのだ。
……もっとも、今やエヴェルス家は完全に没落しているけれど。
「なっ……そ、それはあんまりです!」
「先日バウマン公爵の子息との稽古中に、むざむざ真剣を持ち出して子息を怪我させたそうではないか。初めから彼の者を狙っていた、極めて悪質な行為だ」
審問官が言うと、バウマン公爵もそれに合わせてダン!と机を叩いた。
「そうだそうだ! よくもワシのかわいい息子を傷物にしよって! 貴様が真剣など使わなければ、こんなことにはならなかったのだ!」
「バウマン公爵……で、ですから真剣を使うことには反対だと言ったじゃ……」
「ハッ、罪人がなにを言うか! 貴様は進んで真剣を使ったのだ。それともなにか? 違うという証拠でもあるのか? あるなら出してみろ!」
「……」
酷い言いがかりだ。
そんな証拠なんて出せるはずもない。
だが事実、僕はあの時は木剣で稽古すべきと強く主張した。
それなのに、バウマン公爵が真剣を使ってほしいと言って譲らなかったのだ。
そもそも、バウマン公爵が僕なんかに稽古の話を持ち出したこと自体が妙だった。
エヴェルス家とバウマン家はどちらかと言えば政敵の立場だったのに、急に「ぜひ息子に稽古をつけてほしい」と言い出すなんて。
それに僕は相手を傷付けないよう十二分に注意したけど、バウマン公爵の息子が自分から刃に当たってきたのだ。
傍から見ればどう見ても向こう方が悪かったが、それを見たバウマン公爵はここぞとばかりに激怒。
僕の言い分など聞き入れるはずもなく、審問会が開かれる形となったのである。
あれは――間違いなくわざとだ。
つまり、僕は嵌められたのである。
実際、こうして集まっている貴族たちに僕を擁護する者は一人もいない。
皆口裏を合わせたかのように口をつぐんでいる。
大方バウマン公爵が彼らに手を回しているのだろう。
蹴落とし合いが趣味の貴族の中では、よくある話だ。
「……エルシェ・エヴェルス。以前行われた〈決闘〉の模擬試合では、同年代の中でも最弱だったそうではないか。やはり貴様を騎士と呼ぶには、剣術の技量が不足し過ぎているのではないか?」
「そ、それは……」
……否定できない。
確かに、僕の剣術はへっぽこだ。
これまで先輩の騎士はおろか、同期の騎士たちにも満足に勝てたことがない。
それは何故か?
答えは簡単、僕が戦いに向いてないから。
僕は背があまり高くなく、同期の騎士の中で一番低い。
さらに腕力も弱く、この華奢な腕ではどうやっても鍔迫り合いで押し負ける。
あとは性格。
僕は、はっきり言って臆病だ。
自分が争いごとに向いてないと感じることは多い。
今こうして不条理を叩きつけられていても、強く言い返すことができない。
――騎士の世界は〈決闘〉が全て。
強き者が力を示し、それによって意見を通す。
剣に優れる者こそが権力なのだ。
逆を言えば、弱き者に人権はない。
そう、僕のように。
そればかりは追及されても言い逃れができないだろう。
だが――僕の場合は、弱い以外にも理由があるのだ。
「……あなた方は、それほど女の僕が騎士であることが許せないのですか?」
「「「……」」」
静まり返る審問所。
その沈黙は肯定を意味するのだろう。
僕は、騎士団の中でも明確な異分子だ。
本来であれば、騎士には貴族の男子しかなることはできない。
だが僕は例外として、女でありながら〝男装の騎士〟となることで騎士の称号を賜っている。
僕の生家であるエヴェルス家は、僕が生まれてすぐにお父様が他界。
男の世継ぎがいなかったために、当時は他家から婿養子を取るかどうかで揉めに揉めたらしい。
他家から男を入れるとなれば、それはエヴェルス家が乗っ取られることも意味する。
お母様たちが悩んだのも無理はない。
しかし幸いなことにお父様と先代の国王は仲が良かったため、「エルシェを男子として育てるなら家督を継がせ、騎士としてもよい」という言質を貰うことができた。
それにしても、生まれながらに女であることの否定から始まる辺り、我ながら不幸だなとは思う。
そんなワケで僕は男として育てられ、こうして〝男装の騎士〟として過ごしてきたけれど……厳格な騎士団は、そんな僕を受け入れたとは到底言えなかった。
騎士団はルールを重んじる。
いくら男装をしているとはいえ、女である僕は彼らにとってルールを無視した存在。
言わば規律や伝統を乱しかねない者なのだ。
故に、排斥されようとしている。
だが僕は、騎士を辞めるワケにはいかない。
もし僕が騎士を辞めれば、没落したエヴェルス家はいよいよ終わりだ。
エヴェルス家の再興、それを目指して今日まで生きてきたのだから。
「ど、どうか騎士の剥奪までは……。必ず騎士団のお役に立ちますから……!」
「ならん。貴様の存在は異端だと理解しているなら、尚更だ」
「……あ~、審問官殿? ちょっとよろしいかな?」
僕と審問官が応答していると、一人の騎士が割って入ってくる。
流れるような黒髪と爽やかな顔立ち――そしてその奥に潜む性格の悪さが瞳に滲み出る、そんな煌びやかな騎士。
彼の名前はライニール・デ・コルト。
僕の一歳年上の騎士であり――当代最強と謳われる、無敵の騎士だ。
「なにかね、ライニール。質問でも?」
「いえいえ。ただ俺はいい奴なので、まあ、放っておけなくて?」
ライニールは席から立ち上がると、僕の方へと歩いてくる。
「エルシェにチャンスをあげましょうよ。汚名返上のチャンスを」
「なんだと? 勝手な真似は許さんぞ!」
「そんな勝手だなんて……俺のやることに文句があるなら、騎士らしく〈決闘〉でもして決めますか?」
「っ……」
審問官は震え上がり、沈黙する。
彼だけでなく、場にいる貴族たち全員も。
騎士は強さが全て。
彼を黙らせたいなら、彼より強くなくてはならない。
そして、この場でライニールより強い者など誰もいないのだ。
ライニールは僕の傍までやって来て、
「あ、あの……?」
「エルシェ、俺は前からキミのことが気になってたんだ。キミは、とっても顔がいいからね」
さらりと僕の頬に手を振れるライニール。
瞬間、背筋を沿う寒気。
この男、とんでもなく女癖が悪いことで有名だ。
常に侍女を何人も侍らせ、王都の町娘たちにも手を出しまくってるとか……。
とにかく女たらしで傲慢で性格が悪くて、そのくせ強い。
そんななので周囲からの評判は基本的に最悪である。
しかしまさか、男装をしてる僕にまで目を付けていたとは……。
「っ! ぼ、僕は男として育ってきた身です! そんな目で見るのはやめてください!」
「うんうん、臆病なくせに気丈なところもいいね。タヌキみたいだ」
「タ、タヌ……!?」
「さてエルシェ、キミにチャンスをあげよう」
ライニールはかなりわざとらしく、両腕を広げて見せる。
「騎士の称号を剝奪されたくないなら、俺と〈決闘〉して勝ちたまえ。あ、もし負けたら俺の婚約者になってね。可愛がってあげるから」
「なっ――そんな無茶苦茶な――!」
「俺との〈決闘〉が嫌なら――〝黒の魔女〟を討伐してみる、なんてどうかな?」
彼が言った瞬間、周囲の貴族たちがザワッとどよめく。
「〝黒の魔女〟だと……!? あの戻らずの森に住まう化物を……!?」
「これまで何度も討伐隊が派遣され、その全てが失敗に終わったのに……!」
「ライニールの奴め、そんなの処刑と変わらぬぞ……!」
僕も、その名前はよく知っている。
戻らずの森の〝黒の魔女〟。
不老不死で無限の魔力を持ち、千年以上も前から何度も討伐隊が編制され、その度に全滅させてきた世界の脅威。
僕のご先祖様であるユリウス・エヴェルスも、そんな〝黒の魔女〟の挑んだ人物の一人だ。
言い伝えによると、千年前に彼は〝黒の魔女〟と一騎討ちを果たし、そして敗れた。
しかしその時に〝黒の魔女〟は深刻なダメージを負い、それ以降は戻らずの森に籠って人里を襲うことはなくなったとされている。
……確かに。ユリウス・エヴェルスの子孫である僕が〝黒の魔女〟を討伐できれば、それはもう文句を言う人はいなくなるだろうけど――
「そ、そんなの……!」
「無理だよね。知ってる。だからホラ、大人しく〈決闘〉に負けて俺のモノになりなよ。顔がよくて十二貴族の一員なんて良物件、なかなか無いんだからさ~」
「――っ!」
コイツ、全部わかった上で言ってるんだ。
どうせ私が弱くて、婚約者になる以外の道はないって。
そしていずれ、自分がエヴェルス家を乗っ取ることも。
僕は今、あらゆる形で尊厳を踏みにじられたんだ。
こんな……こんな薄情な男に身を売るくらいなら――
「…………わかりました。やります」
「え?」
「ユリウス・エヴェルスの末裔であるこの僕が……〝黒の魔女〟を討伐してみせます! これでいいでしょう!」
「――っ」
再びどよめく貴族たち。
僕の返しがよほど予想外だったのか、ライニールの表情にも動揺が見られる。
「しょ、正気か? キミってそんなにバカだったの?」
「あなたのように薄情な男の女になるより、バカでいる方がずっとマシですので」
「あ、ああそうかい! なら勝手にすればいいさ! 後で後悔して、泣きながら僕に縋りつくのが楽しみだ!」
機嫌を悪くしたライニールは、審問所から出て行ってしまう。
こうして、僕は単身で〝黒の魔女〟を討伐することになったのだった。
★ ★ ★
「こ、ここが戻らずの森かぁ……」
審問所でも一件から数日後、馬に乗った僕は戻らずの森へと踏み入っていた。
鎧をまとって細剣を備えてはいるけれど、心細いことこの上ない。
周囲からはウオーン!とかシャアアア!とかグギャアアア!みたいなモンスターの鳴き声が聞こえてくるし。
戻らずの森に住み着くモンスターは、非常に凶暴で強いことでも知られている。
森の名前だって、知らずに足を踏み入れた人間は絶対に帰ってこないことから名づけられたモノだ。
もし今の僕がモンスターに襲われたら、たぶんすぐに食べられちゃうだろう。
だって僕、弱いし。
ただ不思議なことに――森に入ってからだいぶ経つのだが、一向に襲われる気配がない。
気配は感じるのだけど、なんだか遠巻きに見られているだけみたいな……。
「怖いなぁ……ううん、でもしっかりしなきゃ。やるしかないんだ」
もし僕が死ねば、その時点でエヴェルス家は終わり。
運が良ければ他家が吸収して名前だけは残してくれるかもしれないが、それはもう千年以上続いてきたエヴェルス家じゃない。
とにかく今は〝黒の魔女〟を倒すことだけ考えよう。
……でも、弱い僕がどうやって倒せばいいんだろう?
……。
…………。
うん、やっぱり不意打ちしかない!
隙を突いてグサッと!
ああっ、でもそんなの騎士らしくない……!
やっぱり正面から正々堂々と……!
でもでもそんなの絶対勝てないし……!
などと心の中で葛藤していると――いつの間にか開けた場所に辿り着く。
「あれ? ここは――」
前方を見る。
そして僕の目に映ったのは――一軒の木造家屋。
モンスターが徘徊する場所にはあまりに不釣り合いな、人の住む場所。
しかも家の周囲に柵や罠の類は一切なく、不用心極まりない。
にもかかわらず、家にはしっかりと人の気配が。
「…………あそこに、〝黒の魔女〟が……」
僕は馬から降り、できるだけ物音を立てないように家へと近づいていく。
だが、ある距離まで近づいた瞬間――強烈な視線を感じた。
「――っ!」
わかる。
見られた。
バレたんだ。
僕が来たことが。
僕の頬を冷や汗が伝う。
直後――家のドアが、ガチャリと空いた。
「……あらあら、もう随分と久しぶりね。騎士が私を殺しに来るなんて」
現れたのは――黒いドレスに身を包んだ、長い黒髪の女性。
青白い肌と紫色の唇、そして蛇のように黄色い瞳を持っている。
さらに背が高く、180センチほどはあるだろうか。
僕の身長が165センチくらいなこともあって、殊更長身に感じる。
身体も細く、どこかの国のお后様かと思うほどの美女だ。
同じ女の僕から見ても、魅了されてしまいそうなほど蠱惑的。
しかしその背中からは禍々しい触手が何本も生え、ウネウネと蠢いている。
非常に、非常に不気味だ。
「前に討伐隊が来たのは百年前? それとも二百年前だったかしら?」
「わ……わわ……っ!」
咄嗟に、僕は剣を抜く。
あまりの恐ろしさに手足が震え、とてもではないが戦える状態ではない。
「あの時は大軍で押し寄せてきたのに、今回はたったの一人なんて……。私もすっかり――」
まるで無警戒なまま僕へと歩み寄ってきた〝黒の魔女〟だったが――突然、その足がピタリと止まる。
そして何故か茫然とした表情で僕を見つめ、
「…………待って、あなた……」
「え? な、なんです?」
直後、〝黒の魔女〟は僕の目の前に瞬間移動してくる。
ほぼゼロ距離になった彼女は、両手で僕の顔を掴み上げる。
「ひゅい……!?」
「あ…………あぁ…………やっぱり、やっぱりだわ……間違いない……!」
僕の目を覗き込んだ〝黒の魔女〟は――ボロボロと泣き崩れる。
そう、いきなり大粒の涙を流し始めたのだ。
「ふぇ!? な、なに!? 僕、なにかしましたか!?」
いや、確かになにかしようとはしてたけど!
あなたを倒そうとかしてたけど!
でも、いきなり泣くってどういうことなんです!?
「あぁ……待っていたわ、我が婚約者……! 私と結婚する約束を果たしに来てくれたのね……!」
「――――こ、こここ、婚約者ああぁぁっ!?」
あまりにも、あまりにも唐突に出たその言葉に、僕は大混乱してしまう。
予想外すぎる事態を全く呑み込めずにいたが、
「会いたかったわ、ユリウス……! 千年の間、ずっと会いたかった……!」
「ユリ……ウス……?」
「やっぱりあなたは約束を破ったりしなかった! さあ、今こそ添い遂げましょう……!」
ぎゅっと僕を抱き締める〝黒の魔女〟。
ユリウスって、僕のご先祖様のユリウス・エヴェルス?
どうして僕をご先祖様と勘違いしてるんだろう?
というか、〝黒の魔女〟っユリウス・エヴェルスに追い詰められたんじゃなかったの?
「あ、あの、なにか勘違いされてるようですが……。僕はユリウス・エヴェルスではなく、その子孫のエルシェ・エヴェルスなんです……」
「ぐすっ……ええ、ええ、わかってるわ。あなたには記憶がないものね。でもあなたは間違いなく、彼の生まれ変わりよ。あなたの魂は、あの時となにも変わってないもの」
え?
僕って、ユリウス・エヴェルスの生まれ変わりだったの?
こんなに弱いのに、あの英雄の?
し、信じられないけど……。
もうワケもわからぬまま彼女に抱き締められる僕だったが――そんな僕たちのすぐ傍で、ズシン!と大きな足音が響く。
『ブフゥー……ブフゥー……』
現れたのは、二頭のジャイアント・オーク。
彼らの手には血がべったりと付いた斧が握られており、直前まで他のモンスターと戦っていたことがわかる。
身体中が古傷だらけなことから、二頭とも強力な個体であることも明白だ。
「ま、魔女さん! オーク、オークが!」
「…………人様の逢瀬を邪魔するなんて、空気の読めない畜生共ね」
〝黒の魔女〟はゆっくりと僕から離れると、オークたちの前に立ちはだかる。
「あら、よく見ると覚えのない顔だわ。他の森を追われてきたのかしら?」
『ブフゥー!』
「余所でどれだけ暴れてたか知らないけど――」
巨大な斧を振り被り、一頭のオークが〝黒の魔女〟に襲い掛かる。
そして斧は全力で振り下ろされるが――彼女は人差し指一本で、その斧を受け止めてしまった。
「戻らずの森のルールは、私に逆らわないことよ」
刹那、彼女の背中から生えている触手が一斉にオークの身体を貫く。
串刺しになったオークは文字通り蜂の巣となり、穴だらけになって地面に崩れ落ちた。
『ブ、ブフゥーッ!』
残りの一頭は驚愕した様子だったが、怯まず突撃。
しかし、
「……咲き誇れ、【黒百合】」
〝黒の魔女〟は魔術を使う。
瞬間、オークの胸部を裂いて〝大きな黒百合の華〟が飛び出す。
続けざまに皮膚を突き破って次々と黒い百合が咲き、その様子はまるで黒百合の苗床になっているかのよう。
そして気が付けば、さっきまでオークだった物が黒百合のお花畑と化した。
これが――〝黒の魔女〟の力――。
あまりの恐ろしさに僕は腰を抜かし、その場にへたり込んでしまう。
「う……わ……!」
「さあユリウス、邪魔者は消えたわ。私の家で、存分に千年の空白を埋めましょう♪」
★ ★ ★
「……」
「フフン♪ フフフン♪」
家の中に案内された僕はテーブルに座り、〝黒の魔女〟は上機嫌でお茶の準備を始める。
さっきの恐ろしさはどこへやら。
彼女の後姿は、まるで初めて恋人を迎え入れた乙女みたいだ。
「ユリウス、あなた好きな紅茶はなにかしら? ああ、それとも紅茶自体が嫌い? あなたの好きな物ならなんでも用意するわよ」
「い、いえ、紅茶で結構です……」
僕はカチコチに緊張して身を縮める。
毒でも盛られたらどうしよう……?
いや、〝黒の魔女〟ならそんなことしなくても僕を殺せるよな……。
さっきの力を見る限り、常人では到底勝ち目なんてないんだから……。
――ふと、僕は家の中を見回してみる。
よく掃除され、整理整頓された部屋の中。
明らかに魔術に使われる怪しげな薬や置物はあるけど、それ以外は王都にある民家となにも変わらない。
僕は、〝黒の魔女〟は恐ろしい化物だと思っていた。
理性も心もない、魔術を使う獣だと。
でもこの家を見ると――彼女も僕らと同じ人間なんだと感じる。
「さあユリウス、お茶の用意ができたわ! 召し上がれ♪」
「ど、どうも……」
綺麗な陶器のティーカップに注がれた紅茶と、一緒に添えられた小さなスコーン。
見た感じ怪しいところはない。
むしろ紅茶の香りが素晴らしく、嗅ぐだけでリラックスできる気がする。
恐る恐る紅茶を口に含む僕。
すると、
「あ……これ、すごく美味しい……!」
「ウフフ、そうでしょう? あなたなら気に入ってくれると思ってたわ」
僕が紅茶を飲む姿を楽しそうに見つめる〝黒の魔女〟。
そんな彼女からは、悪意など微塵も感じない。
なんというか、僕は少しずついたたまれなくなってくる。
「あ、あの……さっきも言いましたが、僕はユリウス・エヴェルスじゃないんです……。だから歓迎してくれるのは嬉しいんですけど、人違いで……」
「そうね、あなたは彼じゃない。でも、そうだけどそうじゃないわ。記憶がリセットされただけで、あなたはあなた。私にはわかるのよ」
「はぁ……」
「嬉しいわ。この瞬間をどれだけ待ったか……」
〝黒の魔女〟はうっとりと僕を見て、
「十日間も続いた千年前の戦いで、私たちはお互いに惚れ合った。最後に私の剣があなたの胸を貫いた時、「いつか平和な世でキミのために生まれ変わろう。そして来世では夫婦になろう」って、あなたはそう言ってくれた」
「そ、そうなんですね……」
「そしてあなたは約束通り生まれ変わって、私の下へ戻ってきてくれたわ! さあ、千年の時を超えて結婚式を挙げましょう! 花嫁衣装はどんなのがいいかしら!?」
「あ、あの!」
……言い出し難い。
言い出し難いけど、言うしかないよね……。
「その、すっごく言い難いことなんですけど……僕は魔女さんと結婚できないんです。だって僕、〝女〟なので……」
「おん――な――?」
「これは男装してるだけで、身体は普通に女子なんです……。だから結婚というのは、無理かなぁって……」
クラーセン王国では、同性婚は禁止されている。
いや、仮に禁止されていなくてもする人は少ないだろう。
何故って、同性同士では子供を作れないから。
子供に家督を継がせることがなによりも重んじられるこの時代で、これはあまりに大きな問題だ。
だから申し訳ないけど、魔女さんにも諦めてもらうしか――
「ん……女だったら、どうして結婚できないのかしら?」
「へ?」
「私は別に、あなたの肉体が女でもかまわないわ。大事なのは惹かれ合う魂の方ですもの」
「い、いやでも、女同士じゃ世継ぎも作れないし……!」
「女同士でも赤ちゃんなんて作れるわよ? 魔術でこう、ちょちょいっと」
つ、作れるんだ……!?
魔術ってすごいな……!?
もしかして万能なの!?
なんでもできるの!?
「だから無問題よ。心配いらないわ、ユリウス」
「…………それでも、駄目ですよ。僕には、エヴェルス家を守る責務があるから……」
僕が〝黒の魔女〟と結婚したなんてことになれば、エヴェルス家が断絶するのは疑いようもない。
お母様たちだって極刑にかけられるだろう。
もしそうなってしまったら――僕がこれまで男として生きてきた、その全てが無意味になってしまう。
そんなのは、嫌だ。
俯いてそう言った僕だったが、
「……ねえユリウス」
〝黒の魔女〟は触手を動かし、僕の顔をクイっと上げる。
そして彼女は僕と目線を合わせて、
「あなた、なにか悩みがあるのね。あなたがそんな顔するなんて、私耐えられないわ」
「魔女さん……」
「あなたの悩みは私の悩みよ。どうか話してちょうだい」
「……」
彼女の親身な姿勢に、僕は全て話すことに決めた。
僕が〝黒の魔女〟を倒すなどどうやっても無理だとわかった今では、話したところでなにも問題ないだろうと思ったのだ。
僕から騎士の称号が剥奪されかかっていること、
もしそうなればエヴェルス家の再興は不可能になること、
そしてライニールの婚約者にされそうなことも。
話を全て聞き終えた〝黒の魔女〟は――
「許せない」
「え~っと、魔女さん……?」
「許せない許せない許せない。ユリウスを陥れようとするクソッタレ共め。オマケに私から婚約者を奪おうとする輩までいるなんて……!」
黒い髪と触手がユラユラと蠢き、肌を突き刺すような魔力が全身から放たれる。
たぶん怒髪天を衝くって、こういう姿を指すんだろうなぁ。
本当に髪が逆立ってるの初めて見たかも。
「腐り切った泥濘にも劣る下等生物が……。やはりこの私が根こそぎ滅ぼしてくれようか……!」
「だっ、駄目! 駄目ですよ魔女さん! 僕の母国を滅ぼさないでくださぁい!」
「ハァ……ハァ……ごめんなさいユリウス。ちょっと取り乱したわ……」
呼吸を整えた〝黒の魔女〟は、僕の反対側の席に座る。
そして腕を組み、
「事情はだいたいわかったわ。つまりあなたは、エヴェルス家をなんとかしたいのね?」
「まあ、そうですね……」
「オーケー、それじゃ私に任せて」
「? 任せてって、どういう――」
「なにも心配いらないわ。あなたは王都へ戻って、「〝黒の魔女〟は討伐されました」って言えばいいの」
「でもそれじゃ、魔女さんはまた僕と離ればなれになっちゃうんじゃ……」
〝黒の魔女〟は触手を伸ばし、僕の頬を優しく撫でる。
「大丈夫よ、すぐにまた会える。それに――久しぶりに人間をからかうのも面白そうだものね」
「……?」
不敵な笑みを浮かべてみせる〝黒の魔女〟。
この後僕は戻らずの森の出口まで見送られ、無事王都へ帰還したのだった。
★ ★ ★
「……というワケで、〝黒の魔女〟を討伐して参りまし、た……?」
僕が王都に戻るとすぐに審問会が開かれ、以前と同じように貴族たちに囲まれる。
そして〝黒の魔女〟に言われたように報告したのだが――
「ハッ、嘘をつけ! どうせおめおめと逃げ帰ってきたんだろう!?」
当然のようにライニールが嘘を看破する。
それはそうだよね。
普通に考えれば、僕なんかが彼女を倒せるはずないもんね。
「審問官! 彼女は臆病にも逃げ帰ってきたのだ! 嘘吐きには相応の罰を与えるべきだろう! まあ俺は優しいから!? 地面に這いつくばって俺の女になると誓えば、多少は温情を与えても――」
「…………エルシェ・エヴェルスが〝黒の魔女〟を討伐した事実を認める」
ライニールの言葉を遮るように、審問官が低い声で言った。
「……は? 今なんて……?」
「エルシェは無事〝黒の魔女〟を討伐した。戻らずの森には激戦の跡が確認され、魔女の亡骸と思しきモノもあった。よってエルシェが騎士称号を剥奪されることはない」
「なっ……!? あり得ないだろ! ちゃんと確認したのか!? おい審問官!」
審問官を怒鳴りつけるライニールだったが、審問官は完璧に彼を無視する。
というか、なんだか審問官の顔色が真っ青なような……。
それに手が震えているような気も……?
「こ、この場で異論ある者はいるか……?」
「異論なし……」
「エルシェが騎士であることを認める……」
「ワ、ワワワワシもだ……認めるとも……」
なんと、最初に僕を陥れたバウマン公爵でさえも異論を述べない。
彼も額から滝のように冷や汗を流し、声を震わせながら賛同する。
なんだか喉元に刃物でも突きつけられているみたいだ。
「み、皆……!? 一体どうしたんだ! 様子が――!」
「ハァーイ、審問中に失礼するわよ♪」
そんな軽やかな声と共に、審問所のドアが勢いよく開かれる。
そして姿を現したのは――
「ま、魔女さん!」
「数日振りね、ユリウス。会いたかったわ♪」
背中から伸びていた触手を隠し、ドレスコスチュームに着飾った〝黒の魔女〟だった。
彼女はまるで遠慮する様子を見せず、審問所の中へと踏み入ってくる。
そんな姿を見たライニールは度肝を抜かれ、
「ま、魔女だと!? 貴様、まさか彼らを魔術で操っているのか!?」
「失礼ね、そんな品のない真似しないわ。ただユリウスを苦しめた代償として、この場にいる全員とその一族に呪いをかけてあげただけよ」
「呪い、だと……?」
「ええ、少しでも私の意にそぐわないことをすれば、一族郎党が皆殺しになる素敵な呪い。もう彼らには説明してあるから、いい子でいてくれるの」
「こ、この悪魔め! だが俺の前に現れたのは愚かだな! この剣で成敗して――あれ?」
ライニールが腰の剣に手をかけた瞬間だった。
彼の右目から、黒い百合の華が咲く。
「あ、あれ……なんだ、どうして目から華が……!?」
「…………お前よね、私から大事な婚約者を奪おうとしたのは」
床から触手が伸び、ライニールの手足をガッチリと掴む。
さらに首までも締め上げた。
「がぁ……ッ!?」
「許さない。このまま絞め殺してやろうか? それとも首をへし折ってやろうか? ああ、黒百合の苗床にするのもいい。どれが一番苦しいかしらね?」
「ひ……ぃ……ッ!」
当代最強と謳われたライニールが、まるで子供のように泣きじゃくる。
手も足も出ないとはこのことだろう。
強いとか弱いとか、そんな次元の話ではないのだ。
「だ、駄目ですよ! 魔女さん!」
今にもライニールを殺してしまいそうな彼女を、僕は呼び止める。
「殺しちゃ駄目です。な、なんていうか……私、魔女さんが人を殺すところなんて見たくありません……」
「! ユリウス……」
「そ、そうです! きっとユリウス・エヴェルスも同じことを言ったんじゃないでしょうか!? 僕の魂って彼と同じなんですよね!?」
「……ハァ、相変わらず優しいのね。でもそんなところも好きよ」
〝黒の魔女〟は触手を解き、ライニールを解放する。
彼女は地面に這ってゼェゼェと息をするライニールを見下し、
「よく聞きなさい、人間。ユリウスは私の大事な婚約者なの。もしまたちょっかいを出そうとするなら……今度こそ容赦しないわ。覚えておくことね」
そう言い捨てる。
直後に私の手を取り、
「行きましょう、もうこんな辛気臭いところにいる必要ないわ」
僕を連れて審問所から出て行く。
二人でそのまま外に出ると――今日の天気は快晴だった。
「それじゃあユリウス、ハネムーンと洒落こみましょう! 私、人間の都なんて久しぶりなの!」
さっきまでの雰囲気が嘘のように、無邪気な笑顔を見せてくれる。
僕はそんな彼女を見て、
「……わかりました、それじゃあ王都の中をエスコートしますよ。でも――一つだけお願いを聞いてもらえないでしょうか?」
「あら、なにかしら?」
「魔女さんにとって、ユリウス・エヴェルスが本当に大事な人であることはわかりました。そして僕がその魂を持っていることも。でも――今の僕はエルシェ・エヴェルスなんです」
彼女の手をぎゅっと掴む。
彼女の細く美しい手を。
「だ、だから……まだ女同士っていうのに馴染めないですけど、頑張って魔女さんのことを受け入れられるようになりますから……ぼ、僕をエルシェと呼んでくれませんか!?」
「ユリウス、あなたは――」
〝黒の魔女〟は一瞬驚いたようだったが――すぐに朗らかな笑顔を浮かべてくれた。
「……わかったわ。それじゃエルシェ、エスコートをお願いね」
「! は、はい! 喜んで!」
『ハイファンタジー短編』『百合もの』を何気に初めて書いてみましたが、如何でしたでしょうか?
もしこの小説を読んで「面白い!」「続きを読んでみたい!」と思われましたら、↓の★★★★★を押して応援して頂けると幸いです。
よろしくお願い致します!