姉妹愛
何が駄目でもない、生まれてきたことが罪でした。私はどうしようもなく、どうしようもなかったのです。母の胎を借りて私は育ってしまっいました。それがもし、自然の摂理としても、私という自己を得た時点でそれは決して自然とは言い難く、また形成された己は非常に歪んでおりました。
私は凡人以下でした。何にも熱を入れられず、ただふらふらと、まだ綿毛の方がしっかりしていると思われました。風に流されて右へ、左へ、前へ、後ろへ、上へ、下へ、どこへでも行きました。どこにも辿り着けませんでした。何かから逃げるように言い訳を探し、自分は普通である理由を探しました。しかし私こそ、私を苦しめる元凶で、私こそ、私を罵倒する張本人なのです。
見てください、この醜い体を。まるで怠惰そのものが三次元に現れているようです。私は私が嫌いで、信じることはできないくせに、どこかへ辿り着けば何かになれると思っているのです。醜い体に似合わずなんと強欲な頭でしょうか、私は私のどこも好きになれないのです。縮れた髪はその性格の悪さを表しており、この膨らんだ腹はうちに秘めた毒を溜めているに違いありません。
しかし私は私の妹を愛しておりました。同じ母から生まれた私の妹は非常に明るく、俗に言うカリスマでありました。どんな喧嘩も彼女にかかれば忽ち鎮まり、どんな暴れん坊も彼女にかかれば従うようになるのです。これを天性のものと言わずしてなんと言いましょう、妹は私に無いものを全て持っておりました。
未来を見つめる瞳に、恐ろしくも彼女は私も写しており、彼女は私の生を喜んでいるのです。私を慕い、私の言葉に一喜一憂する様は愛おしくも奇怪で、同じ人間とは思えませんでした。きっと天使か何かで、愛と光を信じているとしか言い表せられない彼女の足取りは、私の知る地上にはありませんでした。しかしそんな彼女を愛していたのです。
私が彼女を愛するようになったのは、彼女が小学校に通うようになってからでした。幼い日の彼女はあまりにも眩しくて、私には辛くて、どうしてこんなのが生きているんだと彼女を嫌悪しておりましたが、その頃もなんとなく可愛がっては嬲ってを繰り返しておりました。泣き喚いても私についてくる妹を鬱陶しく思うと同時に激しい愛情に駆られ、また私は彼女を目一杯抱きしめて、苦しくなるまで、そして、泣かせました。
彼女は踊りが好きでした。小さな頃から歌って踊る、可憐な幼児でした。習い事として始めてみれば、型破りなやり方を好み、いつだって本番で何かしでかしてくれました。私はより一層彼女の虜になりました。彼女の踊りは誰よりも美しかったのです。私の妹は天才でありました、誰からも愛される星の下に生まれたことを、私は誰よりも早くに気付きました。
それからは単純です、私は妹を愛しました。悩みがあれば聞き、答えを求められれば答え、私は彼女の休める場所に徹底しました。そうし始めてたったの十年、彼女は私を絶対的な姉として愛しているようになったのです。とても喜ばしいことです。これは私の復讐でもありました。
私の父と母は私が望む言葉を一度だってくれたことはありませんでした。私が絵を描けば粗を探し指摘して馬鹿にし、私とよその子を比べてはお前は醜いと笑いました。私の失敗ばかり覚えていて、私の成功など興味も持たなかったのです。両親にとって私とはただの役立たずで道化でした。愛していたとは思います。ただ、私が求める姿ではありませんでしたし、私も両親にそれ以上求めようとは思いませんでした。代わりに誰かが与えてくれると思い込むことにしたのです。
私の復讐とは、両親への復讐でした。わたしが求めたことを決して与えない彼らが妹にも与えるはずがないのです。私は、かつて私が欲しかった言葉を妹に送りました。何度も何度も、拙い言葉を繰り返し、敵ではなく姉であると彼女に思い込ませたのです。彼女は今や両親よりも私を信用して、私以上に愛する者を持たないようになりました。
妹が求めれば肉体関係も持ちました。私は喘ぐ妹を見てこれ以上ない幸せを感じ、彼女の髪にキスをしました。朝になると寝ている妹の顔を見て、またキスをしました。
妹が望めばどこへだって連れて行きました。金が無ければ親に頭を下げました。彼女のためならどんな不恰好も光栄に思えました。
妹のためならなんだってできるのです。それは私にとってこの上ない幸福で、希望で、漸く辿り着いた私の役割でした。
先刻、妹を殺しました。
私も共に旅立とうと思います。
首を括ると糞尿を垂れ流すことになるそうですが、妹と天国へ行けるならどうという恥ではありません。
天国へ、二人だけの極楽へ、そこに連れて行くことが、最後の彼女の望みなのですから。