第一話【洞窟の罠】
誰がこの状況を打破できるのだろうか。
自分たちはただの訓練生であり、回復薬は一人分しか支給されていないというのに、引率していたブルジエラ帝国軍の二等兵ともあろう者が我先にと逃げ出して、残るはインペリアル・ガーデンの訓練生のみである。
「なーんで俺たちだけ取り残されてるのかなぁ……」
「ブォォオオオオオオオオオオッッ!!!!」
ボヤいてみたものの、その声は目の前にいる巨大な毛むくじゃらに掻き消されてしまう。
そう、ライト・ルークスは今、とてもまずい状況下にいた。
退路は毛むくじゃらの特殊な糸によって塞がれ、前進するしか方法がないが、目の前には毛むくじゃら。そして訓練生が自分を含めてざっと十人いるが、その殆どが腰が抜けているか、切れない糸を喚きながら攻撃している。まさに八方塞がりである。
「今回は難易度Eって言ってなかったっけか?」
訓練生といえど、実戦を交えた訓練を受けることは日常茶飯事である。モンスター討伐などその過程でしかない。
だが、この状況は日常茶飯事という言葉で済まされる事ではない。所謂、『非常事態』というやつだ。
「ブォォオ!!!ブォオオオオッ!!!」
「あーはいはい、威嚇するのは分かるけど、こっちの戦意は根こそぎシャットダウンしてますよっと」
こちらの動向を伺っているのか、脚を上げて威嚇する毛むくじゃらはその場を動こうとしない。
まぁ、こちらが一歩でも動けば攻撃するぞとでも言わんばかりに、口なのかなんなのか分からないソレからは毒気の強い体液を垂れ流し、地面の岩を溶かしている。
「無事に帰れたらタダじゃ済まされねーぞ二等兵どもが」
ライト・ルークスは先程まで自信満々に引率していた名も知らぬ帝国軍二等兵にボソッと文句を言い、立ち塞がる毛むくじゃらの前に立ち、道中見つけて採取していたある物を取り出した。
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ブルジエラ大帝国は、なんと人口が十五億人を超えており、世界最大人口と言われている。
その中でも大都市インペリアルシティでは、その名の通りブルジエラ大帝国の象徴とも言える都市だ。
ライト・ルークスが所属しているのは、そんな大都市の中心にある『Imperial Garden』というブルジエラ帝国軍兵士養成学校である。
帝国軍兵士養成学校は『世に悪を齎す魔女を討伐するための組織を育成する学校』という肩書きはあるものの、要はモンスター討伐隊みたいな存在であり、帝国内や領地内に生息するモンスターを討伐する組織である、とライトは認識している。
そう認識する理由として、『世に悪を齎す魔女』という存在は今や御伽噺の類になり、存在しないものとして扱われているからである。
「今日の実習は難易度Eでそんなに難しくありません。引率するのはブルジエラ帝国軍の二等兵になります。討伐するモンスターは移動中に二等兵から説明があるので、準備を怠らず定刻通りに出発してください。以上です」
「アリー先生、今回コマンド生はいないんですか?」
「残念ながらコマンド生は帝国の任務にあたっています。それを考慮して帝国軍の二等兵に来てもらっているので、今回は一緒ではありません」
落胆の声が相次ぐ中、アリー先生ーーーもとい、アレクシア・バース教員は、教卓から降りて扉の前で一礼し、去っていった。
コマンド生を口に出していた訓練生は、恐らくそれを目指しているのだろう。
ライトが所属するインペリアル・ガーデンには、訓練生の他にコマンド部隊という組織が存在する。学内でもニ割程度しかいないとされるコマンド部隊は、訓練生誰もが憧れ、そして目指す部隊である。
訓練生は勉強やモンスター討伐が主な役割だが、コマンド部隊に昇格した者は帝国からの任務を遂行することが義務付けられている。
もちろん、任務がない日は訓練生と変わらない日常生活を送っているのだが、帝国の任務という言葉が魅力的なのか、憧れる訓練生が殆どである。
大抵の者はガーデンを卒業すると、帝国軍兵士になるのだが、コマンド生は特別枠なため一般兵とは別の役割を与えられることが多い。
帝国軍兵士とコマンド生では、偉い違いがあるのだ。
「コマンド部隊なんて、帝国の犬だろーに」
周囲がコマンド部隊の話で盛り上がっている中、ライトは呆れた声を上げた。
訓練生になったからにはコマンド部隊を目指すことが一番良いとされる目標ではあるが、彼はそこまで興味を持たなかった。
一般兵になっても帝国の犬となるのは変わらないため、卒業したらどうするかまでは考えていないが、彼は一般兵やコマンド部隊には絶対になるもんかと心の中で息巻いていた。
その確固たる決意の理由は明らかであるがーーー
「貴方たち、噂話はその辺にして、いい加減現地に向かう準備をしないと、帝国軍兵士達に置いて行かれますよ」
いつまで経っても教室から誰も出てこないことに痺れを切らし、アレクシア教員が教室まで戻ってきたことにより、彼は思考を中断させる。
準備をするため自室に戻り、午後の実習、モンスター討伐戦に備えて少しだけ仮眠を取ることにした。
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「ちょっと!いつまで寝てるつもりなの?置いて行くわよ?」
艶やかさのある声が耳に届いた瞬間、額を弾かれ何事かと眼を開いて周囲を確認する。
寝台の横に腰掛けて、気怠そうな態度でこちらを見ている彼女はローザ・リリィ、ライトの級友である。
「えーっと?なんでローザがここに?」
「呆れた!午後から二等兵引率のモンスター討伐戦でしょ?もう集合時間になるけど?」
「あーそういえばそうだったな。わざわざ起こしに来てくれたのか?面倒事は嫌いなんじゃなかったっけ?」
「同じ班の人が寝坊でもしたら、連帯責任でこっちが迷惑被るからよ。ほーら、さっさと戦闘用の制服に着替えて行くわよ!」
そう言って彼女は立ち上がり、スラリとした身体をその場で伸ばすと、背中まである薔薇色の髪の毛をくるくるねじって一つに纏める。女性の髪を結う工程は、どうにも真似できないから綺麗に纏められたそれを見て感心してしまう。
ボーッと眺めているのが目障りだったのか、彼女は彼の額をもう一発指で弾き、再度着替えを促して部屋から出て行った。
彼女に従いガーデンから支給された戦闘用の制服に着替え、立て掛けてある愛剣を背中に固定し、自室を後にした。
「そういえば、その様子だと私とライトが同じ班だってこと、知らなかった?」
訓練場までは軍事移動車を使うため、ガーデンの一層にある駐車スペースまで移動する。着替えるまで待ってくれていたローザとそこへ向かう途中、彼女はそう問いかけてきた。
「まぁ、同じ班の人って言われてもな。この学内に訓練生がどんだけいて、どんだけ駆り出されてんのかって、一々確認するのも面倒じゃん?」
「そう言われると、そうだけれど。今回はそんなに駆り出されてないみたいよ?訓練生は百名で、班分けは十名一組の十班って掲示板に貼ってあったもの」
「そりゃ友達百人できそうでありがてぇや」
「興味なさげな顔で言われても説得力ないわよ」
そんな会話をしつつ、駐車場に到着して軍事移動車に乗り込む。
軍事移動車にはライトとローザの二人を含んだ十人が乗っていて、運転席と助手席にはまだ誰もいない。
「か〜っ!!!緊張するぜぇ!」
二等兵が来るまで勉強なり瞑想なりを個々で行なっている中、緊張感の欠けた声がライトの隣から発せられる。
「な!なっ!実習っていつも緊張しねぇ?」
あろうことかその声の主はライトに話し掛けていたようで、ライトの肩にポンッと手を置き同調を求めてきた。
仕方なくその声の主に首を振り、否定する。
「どぇっ?!すげーな!俺いっつも緊張すんだぜ?!移動車乗る前なんて腹壊してトイレから出れやしないし、間に合うかヒヤヒヤしたぜ……」
静まり返った車内で己のトイレ事情を恥じらいもない声量で言ってのける男に、ライトは呆れたような視線を送る。
自己主張が激しいブロンドの髪にブロックを入れ、いかにもヤンチャしてます俺!みたいな見た目の男とは面識がないライトは、それ以上の会話をする必要がないと判断して前に向き直る。
「それにしてもよー、二等兵遅くね?コマンド生だったらもう出発してる頃だってのによー」
が、会話の意思がないと読み取れなかったのか、その男は平然と話し掛けてきて、ライトは手で額を覆い深く息を吐いた。
その様子を見て男とは反対側の隣に座っていたローザが声を潜めて笑う。
「あれ、ちょー無視?シカト?くーっ!スケコマシかよっ!」
「……スケコマシの意味分かってんのか?」
「お、喋った!俺ウィリアム・エレッド!ウィルって呼んでくれ!あ、ちなみにスケコマシってキザとか無口とかクールって意味だろ?!」
「…………」
「また無視?!スケコマシくん?!おーい?!!」
「……エレッド、黙れ」
「がーん!!!俺ショック、割と本気で傷付いたっ!!」
ウィリアムと名乗った青年は、大袈裟に肩を落として泣き真似をしていた。
会話をしているだけで疲れを感じたライトは、無視を決め込んだようで腕を組んで眼を閉じた。
「あれー、完全なる無視スタイル。スケコマシくん、ねぇねぇ、スケコマシくんってばー」
「黙りたまえきみ!訓練生である身にもかかわらず、移動車で私語など何を考えている!!」
ウィリアムがライトにしつこく言い寄ろうとした矢先、前方から叱責の声が上がる。
「はっ!!!申し訳ありません!!」
弾かれるように前方に顔を向け、表情を強張らせながら謝罪するウィリアム。その眼に映るは、ブルジエラ帝国軍の銅の等級バッチを襟元に付けた二等兵二人だ。
運転席と助手席に腰掛けた二人はまだ納得いかないのか、鋭い眼をウィリアムに向ける。
「これだから学生気分のお子様は困る。今から行く場所はモンスターの生息地だぞ!難易度を何と伝えられたのかは知らんが、戦場と何ら変わらん場所だ!気を引き締めろ!!」
「肝に銘じますっ……!!!」
涙目のウィリアムに同情の視線が集まる中、ライトは二等兵二人を見やる。
三十分も遅刻しておいてよく言えたもんだと思いつつ、その発言をすることで面倒なことになりかねないので密かに溜息を吐いた。
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現地に着いたのは、ガーデンを出発してから一時間程経った頃だった。訓練場所は帝国軍の端の方にある無人の洞窟だ。
世界最大の広さを持つ帝国の端に行くのに、中心部から一時間では到底着かない距離であるが、帝国の途中に設置されている『転移装置』があれば、その移動は容易い。
今回は近隣の村の食物、特に穀物を好物とする『ハッカラータ』というモンスターの討伐を任されている。討伐というよりは、駆除という言い方の方が的を射ているだろう。
ハッカラータはどこの地域にも存在していて、比較的一般人でも駆除しやすい。
だが、今回のように図体が人間より大きい異種が生息している地域もあり、その地域にはこうしてガーデンの訓練生や帝国軍の二等兵が駆り出されることが多い。
今回の討伐はハッカラータの苦手とする粉ーーーガーデンの研究所が作った物ーーーをこの洞窟内に撒き散らしながら残党を殲滅、つまりは一匹残らず駆除するというなんとも途方のない作業なのだ。
とは言っても、ガーデンの研究所は帝国が誇る研究員の集まりであり、歴代の中でも随一であると言われているところからすると、その粉も相当な効力があるはずなので、すぐに終わるかもしれないのだが。
「では、これからハッカラータ討伐作戦に移る!移動車で配った支給品の確認を忘れずにするように!」
今回の作戦は、いくつかの隊で作業内容が異なる。
一から四班はハッカラータを見つけ次第駆除していく討伐隊、五から八班は粉を撒き散らす粉隊、九班と十班は退路確保と負傷者の救出・治療する救護隊だ。
ライトたちの班は討伐隊で、洞窟の最奥を担当する班となる。
「なぁライト、また腹が痛くなってきたんだけど……」
移動車の中で訓練生同士が簡単に自己紹介をした時から、ライトのことを名前で呼ぶウィリアムの距離感に鬱陶しさを感じつつ、顔を前に向けたまま言い放つ。
「お前の腹事情なんて知るか。それより、喋ってたらまた怒られるぞ」
「でもよ〜、黙ってると緊張して余計腹に意識がいって、痛さ倍増なんだよ」
「おい!!!またきみか!訓練生の分際で、いい加減立場を弁えろ!!」
「も、申し訳ありませんっ!!!」
「私たちはお前たちのように暇じゃないのだよ。モンスター駆除なんぞに付き合わさせて、感謝してほしいくらいだがな!」
「はっ!ありがとうございます!!」
二等兵二人の態度は腑に落ちないが、面倒事になるのは避けたいライトは二人から意識を逸らし、洞窟内を観察する。
四つに分岐された道の最奥へ続くルートを進んでいくにつれて『チューチュー』という特徴的な鳴き声、そして洞窟内を駆け回る小さな足音が次第に増えていっている。ハッカラータがここを住処としているのは、音だけでも明白だ。
中には人より大きな図体のハッカラータが数体いるようで、それらは人をも食すと言われている。
一般人が駆除できないのも無理はない。
「……くるわよ」
ライトが足を止めたのと同じタイミングで、数歩後ろを歩いていたローザがそう呟く。
ライトたちの進む道は数人が持っている松明が行き届いていないので真っ暗でよく見えないが、その暗闇から数え切れない数の目が光って見えていた。
「私たちはここで見ている。訓練生諸君の力だけでこのハッカラータを駆除せよ」
そう言って近くの岩に腰掛ける二等兵の二人。
いっそ呆れる程の態度に、誰もが呆れた目を向けつつ、個々各々で戦闘態勢に入る。
「チュゥゥウウウッッ!!」
なんとも可愛らしい鳴き声がしたかと思うと、数十匹のハッカラータがこちらに向かって飛び掛かってくる。
ライトは前に駆け出し、愛剣を背中から抜き取り飛び掛かってくるハッカラータの首と胴体を斬り離す。
次々と飛び掛かってくるハッカラータを、走る速度を保ちつつ斬り裂いていく。
「今日も容赦ないわね」
そんなライトと一定の距離を空けて隣を走るローザは、ライトと同様で容赦ない。
ローザは二本の戦鎌を振り回し、根こそぎハッカラータを排除していく。
「いやそんな細っこい身体でどこにそんなでっけぇ鎌二本も扱う力があんだよ。最強かよ」
「あら、意外と軽いわよ?持ってみる?」
「遠慮しときまーす!」
軽口を叩きつつも手は止めない二人。
その少しあとを他の訓練生が続いていて、ハッカラータの数は確実に減っていく。
「ライトもローザちゃんも、なんか、すんげぇ……俺一生着いていく!!!」
「ローザちゃんって、背中が痒くなっちゃうわ。ローザって呼んでくれる?」
「はい!姐様!」
「いや人の話聞けよ」
二人の少し後ろを走っていたウィリアムは、先程の緊張している発言はどこへやら、手甲鉤を両手に装着し、二人が斬り損ねた残党を無惨に斬り刻む。
ライトもローザも容赦はないが、ウィリアムも負けてはいない。
「数が減ってきたわね。あそこにいる大きい子たちが親玉かしら?」
「奥にはまだいるだろうけど、ここはあいつらみたいだな」
「ほぇ〜、話に聞いてた通り、人間よりでっけぇな」
三人は周りの小さいハッカラータ達を蹴散らしながら前方にいる図体が大きいそれらを見据える。
二メートルは優に超える図体で、人をも食すというのはなるほど納得のいく大きさである。
「とっとと片付けて帰りたいっすねぇ」
「ライトってばいつもそればっかりよね。余裕なんだから」
「そういう姐様も余裕そうに見えるのは俺だけ?」
「姐様じゃなくて、ローザって呼んでって言ったでしょ?」
「はいローザ様!」
「これはダメね」
数え切れなかったハッカラータの数も、今や親玉を含めて数十匹程となり、走り続けていた脚を少し止めて残党を始末する。
「もう下がって良いぞ。ここからは私たちが相手しよう」
数十匹から両手で数えられる数まで来たところで、突然呼び止められる。ライトたちの遥か後方ーーー岩で談笑していた二等兵二人がゆっくりこちらに向かってきていた。
さっきまでこちらを見向きもしなかった二人が、何故今更参戦するのだろうかという疑問はあるが、訓練生は二等兵に従うことを義務付けられているため、大人しく引き下がる。
「君たち、この後監視官殿がお見えになるはずだ。報告は私たちがするから君たちは黙って見ていなさい」
「卑しい奴らだな」
ボソッと呟き、戦闘に興味を失ったライトは愛剣を背中に収める。二等兵が前に躍り出たと同時に数歩後ろへ下がり、端にあった岩に寄りかかる。
要は、この量のハッカラータをすべて自分たちの手柄にするということだろう。最初から気に食わない態度ではあったが、ここにきて彼らへの評価は更に急降下である。
「なーんか、納得いかねーなぁ……」
「ウィルはあれだけ怒られてたものね。ま、それが彼らのやり方ってだけのこと。気にせず待ってましょ」
他の訓練生も言いたいことは同じなのか、二等兵に聞こえないよう文句を言っていた。
そんな周りの反応を何気なく見ていると、ふと壁上方の違和感に気付く。
「あ?あれって確か……」
反対側の壁の上の方に、白い花が見える。岩の洞窟であるため、本来であれば草花が生えることはあまりないので珍しく思いつつ、それに近寄る。
この花は人間程の大きさがある珍しい花で『タイカ』という。だが、タイカは基本的にこの蜜を摂取する『スパイドワスプ』というモンスターの生息地にしか咲かない。
そしてスパイドワスプは本来であれば……
「『インダナメンタ』はここにはいないはずよね?」
「……二等兵の話を聞く限り、ここにはハッカラータ以外はいないはずだ」
ローザも気になっていたのか、ライトに問い掛ける。
そう、スパイドワスプは『インダナメンタ』というモンスターを好んで食して腹を満たし、喉の渇きはタイカの蜜を啜ることによって潤している。
タイカもスパイドワスプもインダナメンタもどれもこれも特定の地域にしか生息せず、こんな岩造りの洞窟内に存在するはずもないのだが……
「念には念を、だ。ローザ、あれ、切り落とせるか?」
「落とせるけど、何をするつもり?」
「タイカの蜜を採取する。この辺じゃタイカの蜜は高く売れるし、上物だろ?」
「そういう事にしておいてあげる。向こうにもあるけど、それも採っておく?」
「おう、そうしてくれるとありがたい」
スパイドワスプやインダナメンタがいるとは限らないので、必要のない不安を煽るようなことはせず、それらしい理由をつけてタイカを切り落とさせ、蜜を採取する。
何もなければ何もないで、大儲けのwin-winだ。
「おーい、ライトにローザ姐さん、もう終わったみたいだぜ」
そう言ってライトたちに声を掛けたのはウィリアムだ。
タイカの蜜を採取し終えた遥か前方に、いつ来たのか監視官とドヤ顔の二等兵二人が話していて、報告が終わったのか監視官はライトたちが来た道を戻っていった。
「では、奥に進むぞ。最奥へは後半分くらい残っているからな!」
すべて自分たちの功績だと偽れて満足したのか、また先頭を歩き始める二等兵に続けて、ライト達も奥へと進んでいった。
その途中、タイカが咲いている箇所がいくつかあり、最後尾へと移動したライトとローザはそのタイカの蜜を、二等兵たちに気付かれないように距離を取りつつ採取していったのだった。
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その後も立ち塞がったハッカラータをーーーもちろん、二等兵は高みの見物を決め込んでいるため、訓練生『だけ』で難なく倒していく。
遭遇しては倒し、遭遇しては倒しの繰り返しで、遭遇するハッカラータの数も目に見えて減っている。
他の班も頑張っている証拠であろう、ライトたちの退路にはすでに粉隊も動き出し、洞窟内の制圧はほぼ終わっていると言えるだろう。
「もう少しで最奥の予定だ。ハッカラータの巣窟もその最奥で最後となる。ここから私たちは一番後ろを着いていくから君たち訓練生が先頭を歩きなさい」
最奥に繋がる道もどんどん狭くなっていき、二等兵は一度脚を止めて説明する。
もう今更何を言われても動じなくなった訓練生は、そんな説明に返事もせず歩き始め、それを見た二等兵は不機嫌な態度を隠さず二人で愚痴大会を広げていた。
「なんか、妙な雰囲気じゃない?」
「ローザも気付いていたのか?俺としちゃ、悪い予感しかしないんだが……」
どんどん奥に進んでいっていたライトとローザは、先程までの洞窟内の雰囲気とは異なることに気付いて眉根を寄せる。
その異変に気付いているのはどうやら二人だけのようで、二等兵二人もまだ呑気に愚痴大会をしていた。
なんともまぁ呑気なものだと思いつつ、二等兵に報告しようと振り返ろうとして、
「……ッッ!!!まて!!それ以上進むな!!!」
前方からの淀んだ空気が一気に濃くなり、ライトは声を張り上げ全員の静止を促した。
それに対し訓練生は全員脚を止めたが、二等兵二人は意味が分からないと言った表情をし、訓練生の前まで進み辺りを見渡す。
「??何を言っておる?何もないぞ」
「怖気付いたのではないか?ほら、私たちも何ともないではないか」
そう言って二人はどんどん進んでいく。
「よせっ!!!それ以上はっ……!!」
「ブォォォオオオオオオッッッ!!!!」
二人を呼び止めようとした刹那、洞窟内に聞き覚えのない鳴き声が響き渡ったかと思うと、二等兵うちの一人が横に吹き飛んだ。
「ぎゃっ……っ!」
もう片方の二等兵が、何事かと吹き飛ばされた二等兵に駆け寄ろうと脚を出したと同時に、その二等兵はその場に崩れ落ちる。
「……え?あ、あぁ、あぁぁあああぁぁああああっっ!!!!」
崩れ落ちた原因を一拍置いて理解した二等兵は、その場に転げ回る。
ーーー片足の膝から下を、"何か"に切断されたのだ。
「ブォォオオオッ!!!ブォオオオォオォォォォオオオオオオオ!!!」
二等兵の脚を切断した"何か"が暗闇からゆっくりと姿を表す。その身体は毛で覆われていて、その毛むくじゃらの胴体からは足が八本生えている。そしてその先には鋭い爪があり、その一つに血が付着していた。
おそらく二等兵の血であろうそれを舐め取り、そいつはこちらを品定めするかのようにギョロリと目を動かす。
「ここここ、こんなの聞いてないぞ!!!」
吹き飛ばされた一人が立ち上がり、毛むくじゃらを指差して喚く。
「はぁぁはははや、はやく、早く助けろ!」
その一人に身体を這わせながら助けを求める片脚を切断された二等兵。なんとも滑稽な姿である。
「皆一旦落ち着け!!あの二人は毛むくじゃらの縄張りに脚を踏み入れて攻撃された。俺たちはまだその範囲にはいない」
「足場をよく見たらあそこから糸が張り巡らされているわ。それを踏まなければとりあえずはまだ大丈夫よ。それでも、威嚇はされているようだけれど」
訓練生らが恐怖するなか、冷静に判断して指示を出すライトとローザ。その二人の言葉に従い、訓練生は恐怖心を抑えながら状況確認をし始める。
「そんなこと言ってる場合か!!!早く私を助けろと言っているんだァァア!!」
自分を助けに来ない訓練生を見て、片脚を切断された方の二等兵が苛立ちながら声を張る。その傍らにはもう一人の二等兵が肩を貸しながらなんとか逃げようとしていた。
それを見逃すはずもなく、毛むくじゃらは攻撃しようと足を振り上げる。
「おいおい動かなきゃ攻撃されないって、のっ!!!」
毛むくじゃらの足を薙ぎ払い間に入ったライトは、すぐに糸の範囲から逃れるため後方へ飛ぶ。
足を薙ぎ払われて毛むくじゃらが体制を崩した隙に、ウィリアムとローザが二等兵二人を糸の範囲外へと連れ出した。
「大丈夫っすか先輩!!」
「止血をしないとまずいわ。ウィル、手伝って」
「了解!」
個人に支給された回復薬や包帯等を惜しみなく使うローザとウィリアム。脚を切断された二等兵の二人を見ている眼が、少し戸惑いの色を帯びていた。
「この洞窟内には、ハッカラータしかいないんじゃないんすか?」
ライトは前方の毛むくじゃらを警戒しつつ、もう一人の呆然と立っている二等兵に話し掛ける。
「……帝国軍も暇ではないため洞窟内すべては調査し切れない。最奥の調査まではされていない」
「なっさけねぇ」
今まで自信満々だった二等兵だが、その自信は見る影もなく、ただただ毛むくじゃらを呆然と見ていた。戦意を失ったようだ。
「できたわ。気休めにしかならないでしょうけど、我慢してくださいね」
「にしてもあのでっけぇ毛玉、なんなんだ?」
「『インダナメンタ』よ。特定の地域にしか生息せず、この地域には本来いない存在のはずなのに」
疑問が残るが、今はこの状況の打開策を練るのが優先だ。
インダナメンタは人を喰らうモンスターであり、その図体の大きさからは計り知れない程の移動速度を誇っている。また、気性が荒く縄張りを荒らされるとどんな獲物だろうと一瞬で息の根を止められるとされており、非常に厄介なモンスターなのである。
さっきの救出劇でライトとローザとウィリアム、そして二等兵の五人はすでに足裏に毛むくじゃらの糸が付いているためここから逃げ出すことは難しいだろう。
インダナメンタの生態の一つとして、少しでも自分の糸が付いている対象はすべて獲物になり、逃げようものなら特殊な糸で繭にされてしまうとされている。
「寝起きかなんかか?すこぶる機嫌悪そう」
「そのおかげで、あの二人が助かったのかもしれないじゃない?」
「そうかもしんねーけど……って、あれ?あの二人は?」
二等兵の話題に無意識に二人を確認しようとし、そこにいるはずの二人がいなくなっていることに気付き、振り返る。
……なんと二人は歩いてきた道を必死に駆け戻っていたのだ。
「あんの野郎ども!まて!!足裏に糸が付いてんのに逃げちまったら……っ!!!」
「ブォォォオオオ!!!」
「ッチィ!!!左右に避けろ!!!!!」
その瞬間、足を上げてこちらを威嚇していたインダナメンタが体をくの字に曲げ、こちらに向けた尻から大量の白い塊を噴射させる。
その白い塊はその二人を追い掛けるように噴射され、退路を塞ぐように張り巡らされた。
「うわぁぁあああっ!!!」
「いってぇぇえ!!クソッ!!!だから引率なんて嫌だったんだ!」
「そんなことどうでもいい!!私たちは助かったみたいだし、とにかく逃げるぞ!」
「でも、訓練生はどうする!中に残ったままだ!」
「そんなの殉職扱いにすれば良いだろう!どうせ助からない!行くぞ!」
間一髪で噴射範囲から逃れたのか、白い糸が張り巡らされた奥で二等兵がやり取りしている会話の内容に、訓練生は凍りつく。
自分たちより仮にも上の立場にいる者が、この状況を放棄して逃げたのだ、当然の反応だろう。
訓練生は見る間に取り乱していき、その場に膝をついて戦意を失う者や退路にある白い糸の塊に向かって攻撃し始める者が出てきた。
「イヤァァ!!死にたくない!!」
「クソッ!なんでこの糸切れないんだよ!!!」
「もうお終いだぁ……」
インダナメンタの糸は斬っても燃やしても何をしても切れないことで有名であり、退路を断たれたも同然。
取り乱した訓練生の体制を立て直すのは難しい。どうしたもんかとライトは考えながら、短く息を吐く。
「なーんで俺たちだけ取り残されてるのかなぁ……」
そして冒頭のライトのボヤキである。
「無事に帰れたらタダじゃ済まされねーぞ二等兵どもが」
ライト・ルークスは先程まで自信満々に引率していた名も知らぬ帝国軍二等兵にボソッと文句を言い、立ち塞がる毛むくじゃらの前に立ち、道中見つけて採取していたある物を取り出した。