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約束と契約  作者: オボロ
44/114

#44 御弥之様


「ずいぶんと暑そうだな。」


「………?」


日本の暑さに滅入っていたマリアは、声を聞いた。

じりじりと照り付ける日差しに目を細め、空を見上げたマリアの瞳に、昨夜、ルイーザの家から戻った後、全く姿を見せなかった凪の姿が映った。


黒石神社でしか着ない、白い袴姿。

どこか厳かで神聖な佇まいに、いつも見ていた凪とは違う印象を受ける。

やはり神使なのだと、マリアは改めて思った。


「凪はずいぶんと涼し気ね。」


恨めし気なマリアの言葉に、凪は鼻で笑い、持っていた扇子でマリアに風を送る。

涼しい風を顔に受け、マリアは気持ち良くて目を閉じた。


「グレース家と繋がっている祠へ案内しよう。ついて来るといい。」

「………?」


凪の言葉を聞いて、マリアは薄く目を開け、凪を見ると、マリアの目の前には、マリアの靴。

凪は、ちゃっかりマリアの靴を持って来ていて、当たり前のように、マリアに靴を差し出していた。


「どうした。早くしろ。」

「あ、うん。わかった。」


マリアは、その靴を受け取り、促されるまま靴を履いて、さっさと歩き出した凪の後ろを追いかけた。




祠は本殿の後ろにあった。

立ち入り禁止の柵で仕切られている森の中の、広く開けた場所。

そこには、しめ縄が貼られた巨木が一本あり、その巨木の根元の傍に、グレース家の裏庭にある祠とそっくりな祠が、ひっそりと存在していた。


「祠の札から聞こえる声は、本殿に御座おわ御弥之みやの様が琴音に聞かせている。」

「御弥之様?御弥之様が、黒石神社の神様?凪が仕えている神様なの?」


黒石神社の神様の話を、マリアは初めて聞いた。

琴音も月城家の人達も、漠然とした神様の存在を話すだけで、神様の名前まで口に出したことはなかった。

初めて聞く黒石神社の神様の話に、マリアは強い関心を持った。

凪は、昔を思い出すように、マリアに話した。


「そう、わたしは御弥之様の神使だ。御弥之様は争いを嫌い、生きるモノ全てが心穏やかに過ごすことを望んでいた。しかし、生きるモノは、全て、争うことを止めなかった。生きる為であったり、まつりごとの為であったりもした。争いが繰り返された末、心を痛めた御弥之様は御隠れになり、現世うつつよの姿を失くしてしまわれた。以来、わたしは御弥之様にお会いすることは出来なくなり、黒石神社の宮司に仕えるようになった。」

「御弥之様は、人や生き物が嫌いになってしまったの?」

「そうではない。争いを止めることが出来ないご自身に、絶望されてしまったのだ。生きるモノ全てが争うモノだと、諦めることが出来なかったのだ。お優しい方だから、傷付き合う姿を、見ていることが出来なかったのだろう。だから、尊力ちからを奇才として宮司に授け、遠くから見守ることにしたのだ。」

「今も見守っている?」

「あぁ、本殿に御座おわし、我らこの世に生きる全てのモノを見守ってくださっている。」


凪は愛しげに本殿を見た。

マリアは不思議に思って聞いた。


「なんで急に御弥之様の話を、わたしに聞かせることにしたの?」

「明日から、わたしと一緒に本殿の清掃を任されたと聞いた。本殿に入るからには、御弥之様のことを知っておく必要がある。いいか?これだけは絶対に忘れるな。」


凪の真剣な目が、マリアを捉えた。


「本殿は神が御座おわす場所。例え、現世うつつよの姿をお失くしになっても、ご神体より此方の世をご覧になっていらっしゃる。だから、神の御前おんまえであることを決して忘れず、失礼が無いよう、心して行動するように。わかったな?」


「………はい。」


これは、凪からの忠告で、警告だ。

失礼があったらどうなるのか、マリアは考えるのも恐ろしい。

神の御前であることを忘れず、失礼が無いよう心して、どう掃除をしたらいいのだろうか?

幾分、先ほどよりも涼しく感じるのは、日陰に居ることだけが理由ではない気がした。



ヒトの姿の凪にあったのは、この日はこれが最後だった。

昼食の時も、夕食の時も、凪は姿を見せなかった。

誰も凪の話を口にしない。

毎年、月城家では、こうだったかもしれない。

グレース家に凪が現れた当初も、同じだった気がした。

ヒトの姿ではない凪の姿が見えるのは、グレース家ではマリアだけで、月城家では琴音だけ。

見えないのだから、話題にすることはないのだろう。

しかし、ここ最近のマリアは、凪と一緒に居ないことの方が少なかったので、近くに居るのに姿が見えないこの状況に、違和感があって落ち着かない。

落ち着かないが、マリアから凪の話をする勇気はなかった。


夕食の後、こっそり家を出て、昼間に案内してもらった祠に向かった。

グレース家では、裏庭の祠の近くに、いつも凪は居た。

少し距離はあるが、きっと祠の近くに凪は居ると、マリアは思った。

凪に案内された通りの道順を辿って、神社に向かった。

本殿の裏手に出ると、思った通り、凪は居た。

柵の中の広い場所で、大きな狐の姿の凪は、丸くなって寛いでいた。


「どうかしたのか?」


凪はマリアの気配に、すぐに気付いた。

瞑っていた目の片方をわずかに開けて、マリアの姿を確認する。

マリアは、柵の中で横たわる凪の身体に抱きついた。


「どうもしない。」


凪のふわふわした感触は、何処に居ても変わらない。

いつもと変わらない凪の毛にくるまって、ようやくマリアの心は安らいだ。


「やっぱり安心する…。」

「……なにかあったのか?」


不思議に思った様子で、凪は聞いた。

マリアは凪の毛に顔の半分を埋めながら、凪を見た。


「何も…。でも、毎日、こうしていたから、一日でもこうしないと、なんか変な感じがして…。でも、もう大丈夫。凪の毛皮、気持ちいい。」

「……わたしはマリアの毛布ではないぞ。」

「毛布だなんて思っていないよ。凪は凪でしょ?どこに居ても、凪が凪のままで良かった。」

「………。」


凪は複雑そうだったが、もう何も言わなかった。

マリアは、安心して気が緩んだことと、夜になり過ごしやすい気温になったことが重なり、誘われるがまま眠りに落ちた。

長旅の疲れや、1人で月城家に来た緊張もあったに違いない。


「スー……スー……」

「………やれやれ。」


マリアが寝てしまったことに気付いた凪は、しばらくはそのままにしてマリアを寝かせて居たが、このままにしておく訳にもいかず、ヒトの姿になってマリアを抱え、マリアをマリアに用意された部屋へと運ぶことにした。


「まったく…、どこが毛布だなんて思っていないだ……」


ぼやく顔が、嬉しそうであったことを、凪は知らない。

マリアを見る目が愛しげであることも、凪は気付いていない。




「なかなか、良い傾向だね。」




密かに様子を見ていた琴音が、嬉しそうに呟いていたことも、凪は気付いていなかった。



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