第七話『月下の逃亡』
――前回のあらすじ
高級なホテルで、国王と話したオミードは、シラズ州が抱える、人体実験の黒い噂を聞き、連続殺人事件と並行して、人体実験の調査も引き受ける。
ホテルで休んでいるオミードたちに暗殺の魔の手が差し伸べられ、ヤムナの機転とオミードの魔法で、ホテルでやられることは避けれたが、それで引き下がる暗殺者集団ではなかった。
小さな石が落ちる音でも鼓膜を激しく刺激するほどの静寂が横たわる。そんな路地裏に、石畳を踏みしめる重い足音と、軽やかだがたどたどしい足音が、建物の壁に反射し、小気味のいいリズムでこだましていた。その後ろから、風を切り裂く鋭利な音を上げ、無数の影が空を征く。
前を走っていた大きな足音の主であるヤムナが、小さな足音の主であるオミードの背後に回り込む。そこまで敵が迫ってきていた。
まだ十分ほどしか走っていないのだが、オミードは横腹を押さえ苦しそうにしていた。天才魔法師とはいえ、身体能力は弱冠十四歳の少女である。大人の体力に対抗できるはずもなかった。
月明かりに浮かぶ影が、肉眼で捉えれるところまで来ていた。
「ハア、ハア……。飛行魔法で逃げたいけど、ヤムナを連れて飛んでたら、どっちにしろ追いつかれるわね……」
「わたしにかまわず、お嬢様はお先にお逃げて下さい!」
息の上がるオミードを、ヤムナが心配そうに見つめる。
「そんな事、できるわけないでしょ!」
額に汗を浮かべながら怒鳴る。だが、このまま走って逃げても追いつかれるのは時間の問題であった。オミードは、何か打開策はないかと考え始めた。――すると、あるものがオミードの目に留まる。
「ヤムナ、少し時間を稼いでくれる!」
「分かりました」
すぐさま立ち止まると、追いかけてきた暗殺者たちと対峙する。それを見た暗殺者たちは、口元に笑みを浮かべる。相手が魔法を使えないと、侮った余裕であった。その油断が、思わぬしっぺ返しとなるとは、この時は思いもしなかっただろう。
ヤムナは老齢を感じさせない素早い動きで、魔法師の懐に入る。ぎょっとした目でヤムナを見つめた魔法師は、慌てて隠語を唱えた。
だが、遅かった――。ヤムナの重く鋭い掌底が、魔法師の顎を貫いた。もろにカウンターを喰らった魔法師は、二転三転と地面を転がる。その様を見ていた仲間の魔法師たちは、急いで魔法の準備に入った。それより早く魔法師の懐に入り、次々と拳を繰り出す。鈍い音と呻き声がするたび、魔法師が地面に転がる。
――あっという間に五人の暗殺者が倒された。その光景に魔法師たちがたじろぐ。ヤムナは臨戦態勢を崩さず、上空を旋回する魔法師たちを睨む。それを横目で見ていたオミードが、我が事のように微笑を浮かべる。そして、街灯に立てかけてあった絨毯を掴む。それを素早く広げると、隠語を唱え、スカートのポケットから『命の水晶』を取り出すと隠語を唱え絨毯に押し当てた。すると、絨毯の中に水晶が飲み込まれていく。完全に水晶が消えてからしばらくすると、絨毯が風に泳ぐよう波打つ。徐々に浮かび上がりはじめた。
ある程度の高さまで来ると、まるで長時間身動きできなかったように、身震いして全身をほぐす仕草を取る。
「――なんやこれ? 浮いてるやんけ!」
絨毯がしゃべった。
「いい、あなたは私の魔法で、心を持ち空を飛べる絨毯にしてあげたの。だから、私の言うことを聞きなさい、いいわね!」
そう言明すると、オミードは絨毯に乗り込んだ。
「あーん? なんや、その一方的な言い方! そんなもん聞けるかッ」
オミードを振り落とそうとメチャクチャな動きをする。慌てて絨毯にしがみつき、「言う事聞きなさい!」と、なんとか制御しようと試みる。
「――お嬢様、早く行きませんとッ!」
暗殺者たちの動きを牽制していたが、そろそろ限界であった。暗殺者たちも絨毯の存在に気づき、逃がすまいと攻撃態勢に入った。
「早く乗って!」
「勝手に決めんなや!」
悪態をつく絨毯の上にヤムナが飛び乗る。
「アホかおっさん! 何乱暴に乗っとんねん」
「……今回は、口の悪い召喚ですな、お嬢様」
ヤムナの言葉に、オミードはうんざりぎみに頷く。
「安い水晶はダメね」
「誰が安物や!?」
ますます絨毯が暴れる。そのせいで、暗殺者も近寄れなかった。だが、制御できないのは不便であると考えたオミードは、強引にでも言う事をきかせようとした。
「大人しく言うこと聞くか、今ここで燃やされるか、好きな方を選びなさい」
手のひらに小さい火の玉を作り出す。その炎の揺らめきが、オミードの顔を悪魔のような恐ろしい形相として浮かび上がらせた。
「……い、行きゃーいいんだろ」
絨毯は、しぶしぶといた様子で従うことにした。そこに、人の頭ほどの火炎弾が投げ込まれた。鼓膜をつんざくような爆発音が轟く。驚いた絨毯が、立ち上がるように動く。
「な、なんや今の……」
「賊に襲われてるのよ。早く逃げないと、あなたまでやられるわよ」
「ちょっと待てぇーッ。そんなん聞いてへんぞ!?」
「そりゃそうでしょ、言ってなかったんだから。それより早く逃げなさい!」
悪びれた様子も見せず顔で言い放つ。その態度に、絨毯は舌打ちをする。
「このガキ、絶対途中で振り落としたる!」
絨毯の呟きを無視して、オミードは辺りを警戒する。
「あーーーーッ、僕の絨毯!?」
男の子の叫び声が聞こえた。そこには、オミードと同じ年頃の男の子が身振り手振りを交えて叫んでいた。どうやら、絨毯の持ち主らしい。
「ごめんなさい、必ず返すから」と少年に謝った。
「ほんまに、返す気あるんか?」
「適当に約束する大人と違って、私は言ったことは必ず守るわ」
「……しゃあない。それやったら、ちょっと付き合ったろうか」
絨毯はスピードを上げた。口は悪いが、持ち主に対する忠誠心は厚いと、オミードは感心する。
――灯があるとはいえ、夜の帳の降りた街は薄暗く、その中を低空で飛行するのは危険であった。何度も壁にぶつかりそうになったが、ヤムナのアドバイスと絨毯の回避能力で、なんとかそれらをかわし暗殺者から逃げる。だんだんコツをつかんできたのか、絨毯が鼻歌を歌いはじめた。まるで、自由に空を飛べることを悦んでいるようであった。
「――浮かれるのも、ほどほどにしなさいよ!」
「大丈夫やって! まかせとき」
安請け合いする絨毯に、オミードは本気で心配する。
そして、それが的中する事となる。
十字路にさしかかった所で、左から魔法師達が現れたのだ。絨毯は慌てて右へ曲がる。
「きゃあっ!?」
振り落とされそうになったオミードが悲鳴をあげる。
「もっと安全に飛べ!」
「アホかおっさん。追われているのに安全に飛べるか!」
悪態をつく絨毯だが、そのとおりでもあった。鼻歌を止め飛行に集中する。そんなオミードたちの前方に、T字路が見えた。その時、三発の火球弾がオミードたちの進路を塞ぐよう飛来する。それをかわす為、絨毯は左へ曲がる。
「お嬢様……」
「分かってるわ……」
「何がわかってるねん?」
前方で別の火球弾が爆発する。またも進路をふさがれた。しかたなく右に曲ると、三人の魔法師が待ち構えていた。慌てて急反転すると、魔法師達は追いかけてこなかった。
「……間違いなく、私達をどこかに誘導しているわね」
「なんやてー、それってその先に、罠があるってことちゃうんか?」
動揺した絨毯が蛇行する。そのせいで、オミードとヤムナは振り落とされそうになった。
「しっかり飛んでなさい! 私がなんとかするから」
オミードの言葉に、絨毯は半信半疑だった。だが、今は従うしかないと飛行を続けた。
「――お、お嬢様、後ろ!」
狼狽した声色でヤムナが叫ぶ。その声色で、今までにない程の危機感を覚えたオミードは、慌てて振り返った。そこには、明らかに他の魔法師と飛行速度や雰囲気の違う魔法師が迫ってくるのが見えた。その魔法師も全身を黒い服で包んでいたが、オミードを見るその眼差しだけが浮世離れした様相で覗いていた。
「あの目、どこかで……」
それを思い出そうと、オミードは記憶の迷路に入り込む。その一瞬の隙をつき、黒ずくめの魔法師が懐から四つの水晶を取り出した。それを宙に投げ隠語を唱えると、四つの水晶は輝き、魔法の発動状態に入った。それと呼応するように、魔法師自身も魔法の発動状態に入った。どうやら、五つの属性を同時にオミードに叩きつけるつもりであった。
「あれ、めっちゃやばいんちゃうんかあああ!!」
波打つほど慌てる絨毯の言う通りであった。いかに、緑の魔法師といえ、五つの属性魔法を同時に防ぐには、一つしかなかった。だが、それを発動するには、オミードが一瞬気を散らした遅れが致命的であった。どれほどすぐれた魔法師でも、属性魔法を発動させるには一つが限度である。だからこそ、詠唱時間を短縮させ、魔法が当たるまでの間に防御魔法をどれだけ唱えれるかがカギとなる。だが、この状況ではせいぜい三つまでであろう。残る二つの属性魔法を防ぐことはできない。絶体絶命の中、絨毯が悲鳴を上げる。それを、オミードは口を真一文字に結び、肉薄する五つの属性魔法を睨む。
爆音が夜空に響き渡る。それと同時に爆煙が起きる。さすがに緑の魔法師でも防ぎきれなかったと判断した黒ずくめの魔法師は、それ以上の追撃を止め、爆煙が収まるのを待つことにした。
しばらくすると、爆発の中心部から煙を引き連れオミード達が下へ逃げ出すのが見えた。黒ずくめの魔法師はすぐに追いかけた。それも織り込み済みであったかのように、火炎弾を作り出すとオミードたちに向け放とうとした――
その刹那、爆煙が晴れ正体が見え驚く。それは、大きな氷塊であった。どうやら、防ぎきれないと判断したオミードは、盾代わりとなる氷塊を作り出し攻撃を防いだのであった。その残骸を囮として使ったのであった。黒ずくめの魔法師は、まんまと引っかかったという事である。
爆発の中心に残っていたオミードが姿を現す。
「やられっぱなしって、目覚めが悪いのよね」
大人一人分の巨大な火炎球を作り出したオミードは、黒ずくめの魔法師に向け投げつけた。
囮に集中し、しかも火炎弾を放とうとしていたので、完全に無防備な状態であった。迫りくる火炎球に対して、黒ずくめの魔法師は囮に放とうとした火炎弾を、無理やり態勢を変えて火炎球にぶつけた。しかし、爆発の衝撃までは防ぎきれず、弾き飛ばされた。闇に飲まれるよう黒ずくめの魔法師が消えていく。それを確認したオミードは、「さっさと逃げるわよ!」と指示を出した。てっきり追い打ちをかけるのかと思っていた絨毯は、意表を突かれ戸惑うが、大人しく指示に従った。そう、敵はまだ大勢いる。今は逃げの一手だと決め、それを実行したにすぎなかった。
黒ずくめの魔法師を撃退したことで、敵の追撃が緩んだように見えた。だが、まだ油断はできなかった。オミードたちを誘導していた目的が、黒ずくめの魔法師と戦わせるためだけとは限らないからである。他に目的があるなら、第二第三の誘導があるはずであった。
警戒しながら二十分ほど飛び回っていたオミードの目に、見覚えのある地形が映る。
「――お嬢様、ここは!」
「ええ……間違いないわね」
オミードたちのいる場所は、王下魔法師のラフシャーンの死体を見たクレーター跡地だった。sれを見た瞬間、何か因縁めいたものを感じて背筋を寒くする。クレーターの上空に差し掛かった瞬間、僅かな違和感を覚えた。絨毯に離れるよう指示を出そうとした時だった。オミードらの前方と左右から、数名の魔法師が現れ、魔法の準備に入っていた。
「どないすんねんこれ!?」
逃げ場を失くした絨毯が、右往左往する。
「止まって衝撃に備えなさい!」
オミードの一喝で、絨毯はビクリと体を震わせ止まる。そして、一瞬の静寂の後、地面を掘るような鈍い音が聞こえた。その直後、地面から土でできた槍が数十本現れた。それが爆音を出し勢いよく打ち上げられた。まっすぐオミード達に向かってくる。それに対してオミードは、風の防御壁を形成して防ごうとした。属性相剋の関係で、土の槍は風の防御壁に阻まれ砕け散った。その瞬間、クレーターの各所で赤い光が点灯する。
「――しまった!」
焦りを含んだ声でオミードが叫ぶ。それと同時に、クレーターの中心部が盛り上がると、そこから直径五十メートル程のマグマの柱が勢いよく吹き上がった。
オミードは咄嗟に火の属性相剋である水系の魔法を唱えた――だが、術は発動しなかった。
「死ぬううううううッ」
絨毯の絶叫ごとオミードたちはマグマに飲み込まれた。
マグマの温度は摂氏千二百度、それをまともに浴びては、どんな生物も無事ではすまない。夜空を切り裂くほどの巨大は火柱となってマグマが次々と噴き出る。
――数分後、マグマの勢いが弱まる。さらに五分後、完全に沈静化した。その後には、赤々と煮えたぎるマグマがクレーターを満たしていた。
暗殺集団はクレーター跡地付近に降り立ち、オミードらの形跡を丹念に探した。だが、死体はおろか、痕跡すら見つけることはできなかった。あれだけのマグマを浴びて、痕跡が残っているとはとても思えなかった。そんな彼らを叱るように、杖が地面を叩く音が響く。
「……どうやら、小娘たちは上手く逃げたようじゃな。緑の魔法師の称号は伊達ではないようじゃ……」
深緑のローブを纏ったシャーヒーンが夜空を見上げ、どこか愉しそうに呟く。
そんなシャーヒーンとは対照的に、魔法師たちはオミードが生きているとは思えなかった。
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