第六話『月下の暗殺者』
――前回のあらすじ
シラズ州総督は、何か隠していると感じたオミードだったが、深く詮索する事はせず、魔法師大会優勝者のハーミと会い、色々話す。そして、総督府を後にする。
オミードが去った総督室に、もう一人の〈緑の魔法師〉シャーヒーンが現れ、オミードの暗殺を企てるのであった。
シラズ州の州都カシャンにも、闇の帳が降りる。それでも街は活気に満ち溢れていた。なにしろ、明日はパルシア王国公認の若い魔法師の登竜門と言われる王国魔法師大会で優勝者したハーミの祝賀パレードが行われるのである。
この大会は若い魔法師にとって将来を左右するといっても過言ではないほど権威と格式の高い大会で、そこでの活躍次第では、希望の職業に就くことすら可能であった。それだけ凄い大会であるだけに、優勝者は勿論、優勝者を出した州も称え、経済効果も期待できるという。それが如実に表れているのが今である。州都には連日人が流れ、それを目当てに出店が多く並んだりと、お祭りの様相を呈していた。
そんな喧騒と賑やかなさとは無縁なほどの仏頂面で、部屋の前に立ち尽くすオミードの姿があった。
「お嬢様、早く中へお入りください」
不機嫌なオミードに気づかないふりをしているのか、それとも、本当に気づいていないのか、ヤムナは嬉々とした様子で扉を開け誘う。
「明日のパレードのせいで、どこも満室でしたが、ようやくお嬢様に適したお部屋を見つけることができました」
高級感と清潔感を備え、二人が泊まるには広すぎる部屋の中には、パルシア王国全土の放送を網羅できる百インチほどある魔法受信装置機があり、中央にあるソファーは総督執務室にあった物に負けないほど肌触りのよさそうな表面に、手首まで埋まるほど柔らかい素材でできていた。さらに、王宮にありそうな豪勢な魔法のシャンデリアがぶら下がり、天蓋付の広々としたベッドが鎮座していた。
「お嬢様、お風呂も広々していて気持ちよさそうですよ」
年甲斐もなくはしゃいでいるヤムナに、オミードは白い目を向ける。それすら気にしていない様子であった。総督との一件で、気分を害していると思い気を使っているのは分かるが、これはやり過ぎであると思った。
「どうですかお嬢様、お部屋はお気に召しましたか?」
「はぁ……、いいヤムナ、今の私は実家にいた時と違うのよ、お嬢様扱いはやめて」
「ですが、お嬢様――」
「私は自分の足で歩きだしたの。だから、実家にいた時の私は忘れて、大人とまでは言わないけど、一人立ちした女の子を、これからも家族のように見守って、お願い」
幼さの残るオミードの外見とは裏腹に、その瞳には固い決意が満ちていた。それを見たヤムナは、かつての主人であるアールマティの姿を思い出した。その人も、まっすぐな目をしていた。
アールマティはオミードの母方の父の姉である。ヤムナは元々アールマティに仕えていたのだが、赤子のオミードを見た瞬間「この子には才がある」と言い、その日のうちにヤムナをオミードの従者として屋敷に置いて行ったのであった。最初は不満であったし、悲しくもあった。何しろ仕えていた主人から、捨てられたも同然の扱いを受けたのだから。だが、十四年間オミードを見続けているうちに心境も変化していき、やがて実の孫のように愛おしくなっていた。今ではすっかり、オミードに心酔しているほどであった。だからこそ、オミードが一人立ちするのは嬉しい反面、淋しくもあった。
「……わかりましたお嬢様」
「ありがとうヤムナ……。それじゃ、国王専用通信石をとって」
鞄から拳ほどの大きさがある緑色の水晶を取り出した。それは、通常の通信塔を介して言葉や映像を送るのではなく、王専用塔を介してのみ連絡でき、他から傍受されない王と直接通信できる水晶であった。
ヤムナから受け渡された通信石をテーブルに置き、隠語を唱える。すぐに緑色の水晶が明滅する。
――待つこと五分、通信石から一人の人物が現れた。
「お待たせ、久しぶりだねオミード」
水晶に映し出されたのは、年の頃は二十代前半で繊細な感じのする青年であった。どこにでもいそうな青年こそ、アルダシール朝パルシア王国三十六代国王カワード一世である。
「お久しぶりね、国王陛下」
オミードは、国王に対しても恭しくする素振りも見せず、ソファーに腰かけたまま応対していた。それに対してカワードも特に何も言わなかった。それだけで、二人の関係が伺えるというものであろう。
「きみから連絡とは珍しいね、何かあったのかい?」
「今、シラズ州にいるのだけど、あなた何を調べているの?」
問い詰めるような口調で話す。
「――お嬢様!」
オミードの態度を諌めようと、ヤムナが口をはさむ。
「気にしなくて良いよヤムナ。オミードとは主従というより友として、これからもいてほしいから」
カワードの言葉も仕草も優しげであった。この優しさが、人によっては軟弱と映るのだが、オミードにとっては、これこそが彼の最大の武器だと考えていた。
「それより、どうなの陛下?」
ヤムナの心配をよそに、オミードはさらに問い詰める。
「……きみは連続殺人事件の捜査中だったから、この件は話さなかったんだ」
国王が少女に言い訳けめいたことを言うことの違和感を覚えたのは、この中でヤムナだけであった。そんなことを気にするそぶりも見せず、オミードは口を真一文字に結び、一歩も引かない覚悟でカワードを見つめる。
それでもまだ話そうとしないカワードに、業を煮やしたオミードは駆け引きの材料を提示した。
「……あなたが送り込んだラフシャーンが、殺されたみたいよ」
「――ほ、本当かいそれは!?」
カワードが動揺の色を浮かべる。その様子で、どうやら知らなかったのだと分かる。
「シラズ州の総督に直接会って、そうらしいと聞いたから」
「ラフシャーンが……」
カワードは目を伏せ、本気で落ち込んでいる様子であった。部下の死を心から痛むカワードは、信頼に値する人物だと改めて思った。だからこそ、全身全霊で王のサポートし、この国を良くして行きたいと思えた。
「シラズ州の総督に会ったけど、何か隠しているようだったわ。一体何があるの、このシラズ州に……?」
オミードの問いに、カワードは迷っている様子であった。
「言いにくそうね。だったら、こっちで勝手に調べさせてもらうわ!」
カワードの態度に焦れたオミードは、突き放すように言い放った。国王に対して不遜な態度を取るオミードに、ヤムナは血の気が失せた顔を震わせる。
「……きみのことだ、止めても調べるんだろうな……。分かった話すよ」
カワードは観念したように苦笑いを浮かべる。
「――かねてから、シラズ州には黒い噂が囁かれていた。それを調べるにしてもシラズ州は三大諸侯の一人、ザルトーシュト候の領地であるうえに、先代の王、私の父バラーシュ一世の保護を受けていた。そのせいで、誰も手出しできなかった。その庇護もなくなり、余が主導してシラズ州の視察の許可を議会から得るための材料を手に入れるため、王下魔法師団でも私の信頼できるラフシャーンを送り込んだのだが……」
ラフシャーンの死を思い出し、カワードは目を伏せる。
「その黒い噂って?」
「……うん」
カワードは言い難そうにしていたが、意を決したように顔を上げる。
「あくまでも噂だが……どうも、人体生成をしているというんだ。あくまでも噂だよ」
「人体生成ですってえぇ!?」
豪華なシャンデリアが揺れる程の大声でオミードが叫ぶ。
「人体生成なんて、そんなバカな事を本気で――彼らは国を滅ぼすつもりなの!?」
「お、お嬢様落ち着いてください」
「落着けですって!? あなた分かって言ってるの!? 人体生成がどれだけ忌まわしく危険な研究か!」
「ぞ、存じています。――が、落ち着いてくださいお嬢様」」
オミードの鬼気迫る姿勢に、ヤムナはただ狼狽えるばかりであった。
「いいえ、分かってないわ!! 生きた人間を実験の道具として、切り刻んだり、合成したり、弄りまくって研究する禁忌の魔法実験なのよ。そのせいで二百年前、一人の狂魔法師がその研究で一つの町を壊滅させて――いえ、壊滅じゃないわ、大量虐殺よ! それ以来、各国はその研究を合同で禁止するまでにいたった忌まわしい研究なのよ! それをあの男達は行っているのよ!! 分かった!?」
興奮のあまり、肩で息をするほど呼吸が荒くなっていた。
「すまないオミード。やはり、きみに話すんじゃなかった」
「何を言ってるの、聞けてよかったわ。私も、その捜査に協力するわ!」
オミードの目は、怒りの炎を宿しギラギラと輝いていた。
「きみは、連続殺人事件の捜査があるじゃないか」
「大丈夫よ。そっちの事件もこのシラズ州と接点がありそうだから、禁忌の魔法研究を調べつつ待つわ」
「しかし、きみにまで何かあったら……」
国王は苦悶の表情を浮かべる。オミードの事を本気で心配しているのが、水晶の映像越しでも窺えた。
「危険は承知で、この緑の魔法師という仕事に就いたのよ。今更危険だからって理由で引けないわ!」
固い決意を瞳に湛え、真っ直ぐに国王を見つめる。少女の純粋な気持ちに触れた大人たちは、半端な説得では彼女を止めることができないとわかった。
長い嘆息の末、カワードは意を決した。
「くれぐれも無理をしないように! 何かあったら、すぐ王都に戻ってくるんだよ。分かったねオミード」
「はいはい。それじゃ、明日から忙しくなるから終わるわね」
カワードをあしらう様な、適当な返事で応える。
「ヤムナ、オミードのことをよろしく頼んだよ!」
「この身に変えても、お嬢様をお守りいたします!」
「それじゃ、おやすみなさい陛下」
心配そうにしている大人たちを、態好くあしらい通信を切る。
「――お嬢様、本当に無理をなさらないでください」
「あの、ダメ総督の化けの皮を剥がしてやるわよ!」
ヤムナの心配をよそに、強く誓うオミードであった。
明日からの捜査に備え、天蓋付きベッドに入り眠りについた。不安で身を焦がすヤムナも、隣の部屋に移りソファーで仮眠をとった。
――深夜、街の喧騒も落ち着き、街灯に照らされた路上には、千鳥足の人がまばらに歩いているだけであった。
その上空を、一塊の黒い集団が静に飛行していた。月光に照らされ浮かび上がる黒い集団は、オミード達が宿泊しているホテルの上空を旋回していた。やがて、二つの黒い塊に分かれ、一方はホテル屋上に降り立ち、手馴れた手つきで屋上の扉を破ると、ホテル内への進入に成功する。もう一つの黒い塊は、そのまま上空を旋回していた。
その頃、柔らかい光が灯る部屋のソファーで眠っていたヤムナが、不穏な空気を感じ目を覚ます。そして、相手に気取られないよう、オミードの眠る寝室にはいる。
天蓋付きのベッドで、小さな寝息を立てて眠るオミードは、まるでどこかのお姫様のように可愛らしい寝顔で眠っていた。
「……お嬢様、起きて下さい」
ヤムナは賊に気づかれないようオミードをゆする。だが、オミードは全く反応を示さなかった。幼少の頃からオミードは目覚めが悪かった。そのことを思い出し、ヤムナは少し焦りを覚えた。
少し考えてから、賊に気づかれても仕方ないと覚悟を決め、少し乱暴にオミードをゆすった。
「――もうすこし眠らせてよ、ヤムナ……」
「お嬢様、賊に囲まれそうです。早く逃げましょう」
「そんなの、あなたがやっつけておいて……」
オミードは布団を頭から被ってしまった。それを見たヤムナは、本気で焦った。その直後、外に面した寝室の壁が、轟音と共に壊された。その瓦礫からオミードを護ろうと、ヤムナは布団ごと抱え寝室から出る。
爆発音を合図に、六人の賊たちが部屋に侵入してきた。賊たちはヤムナを見つけると、短刀を握り襲いかかってきた。切りつけてくる賊たちの攻撃を巧みにかわしながら、二人同時に攻撃させない位置に移動する。賊たちもかなり腕の立つ武芸者で、攻撃のタイミングをずらし襲ってくる。部屋での乱戦ではヤムナに分が悪い。ついに、賊の刃がオミードの包まっている布団を切り付けた。
「お嬢様、早く起きて下さい!!」
「もう、いい加減にしてよ。明日から忙しくなるのよ、ゆっくり眠らせてよ」
オミードは布団の隙間から顔を出し、眠気眼で抗議したあと、また布団の中に潜り込んでしまった。この様子に、ヤムナも困り果ててしまう。
ついに、部屋の出入り口を賊に塞がれてしまった。さらに、破壊された壁からも魔法師達が侵入を試みようとしているのがわかった。このまま魔法師の侵入を許せば、逃げることができないと判断したヤムナは、一か八かの賭けにでた。
「お嬢様、後はお願いしますーーー」
穴の空いた壁に向かって、全速力で走り出す。賊たちは不意を衝かれ、一瞬、追う事を忘れ見守る。その隙に、ヤムナは穴の空いた壁から全力でジャンプした。地上百メートルのホテル最上階から、布団を抱え飛び降りるのを見た魔法師たちは、その行動が理解できず動きが止まる。だが、すぐに気を取り直すとヤムナを追いかけた。
「お、お嬢様ああああああ、下を見てくださいぃぃぃぃぃっ!」
落下で生じる空気を切り裂く轟音に負けないようヤムナが大声で叫ぶ。
「……もう、下って何言ってるのヤムナ?」
あまりの騒がしさに、不機嫌さを前面に出した眠気眼でオミードが布団から顔をだす。その瞬間、痛いほどの風と髪の毛を引っ張られる感覚に、顔を引きつらせる。目の前で起きている事に理解が追い付かず、何度か目を瞬かせてから、「何やってるのよヤムナァァァ!」と現実を受け入れた。
「説明は後でぇぇえすううううう。早くなんとかしてしてくださいぃぃ!」
空中で自由に動けないヤムナは、どうすることもできずに叫ぶだけであった。オミードの目にも、すごい勢いで地面が近づいてくるのが見えた。文句は後だと、すぐに隠語を唱えはじめた。
「――飛ばされないよう、しっかり抱きしめてなさい!」
オミードの指示に従い、ヤムナは強く抱きしめた。背後からは賊の魔法師たちが、眼前には地面が迫ってきていた。
「いくわよヤムナ!」
オミードは溜め込んだ風の力を、目前まで迫った地面に向け解き放った。風の魔法は竜巻のようにうねると、オミード達と魔法師たちを飲み込んだ。竜巻のせいでバランスを失った魔法師達は、壁にぶつかったり、地面に激突したり、近くにいた仲間と絡まって落下したりと、隊列は大いに乱れた。
そんな中、オミード達は風をクッションのようにして、ゆっくりと地面に降り立つ。
「――なんなのよ? この状況!?」
「部屋に賊の侵入を許しました。申し訳ありません」
頭を下げ謝るヤムナを見て、起きなかった自分も悪かったと、恥じ入ったように頭を掻きホテルを見上げる。
残った魔法師達が態勢を整えつつあるのが見えた。
「街中で魔法合戦をやるわけにはいかないし、逃げるのが得策ね!」
オミードらは、街外れへと走って逃げることにした。
次回 第七話『月下の逃亡』