第二十七話『自分の命より』
――前回のあらすじ
王軍に蹂躙されたアルサメス軍は撤退を開始する。
また、スタテイラと戦っていたシャーリヤは舌戦で心を乱され、敗北を喫していた。初戦に勝利したスタテイラとシシュガンビスは次の目的地であるチャハマール州を見つめていた。
アルサメス軍の敗走を知らせようと、シャヒンが部屋の扉を軽く叩く。
返事がないので、そっと扉を開けると椅子に座ったまま眠るオミードの姿を見とめる。シャヒンは起こさないように部屋に入り、タンスから毛布を取り出すと、そっとオミードにかける。寝顔を見ていると、まだ幼さの残るその表情に微笑を浮かべる。そして、ヤムナの容態が安定しているのを確認して、静かに部屋をあとにした。
部屋の前には、黒装束に黒いマントを羽織った男が控えていた。その男がシャヒンに耳打ちをする。
「その報告は下で聞こう」
真剣な眼差しを浮かべシャヒンは黒装束の男を伴い一階に降りる。
事務所に男を招き入れ、扉を固く閉ざす。
「――さて、話を聞こうか」
部屋一面に書物や書類に水晶など、あらゆる資料が所狭しと置かれていた。ソファーの上にも置かれていた水晶をどけてシャヒンが座る。黒装束の男は、立ったまま口を開く。
「アルサメス軍に潜り込ませていた数名は、戦闘で命を落とした模様です」
男は、事務処理をするよう人の命について淡々と話す。それを訊いていたシャヒンも、少し眉をしかめただけで「家族には、それなりの手当てを施してやれ」と、感慨もなく言い放つ。
「それで、アルサメスはどうなった?」
「リュビア城で、スタテイラとシシュガンビスの二人の緑の魔法師に急襲され、敗走とのことです。おそらく、このダアイまで撤退してくると思われます」
「アルサメスの奴は、無事なんだな?」
念を押すように強い口調で問われ、男は頷く。
「そうか、分かった。引き続きアルサメスの動きを見張れ」
男は深々と腰を曲げ命令に従う意を示す。そして、その姿勢のまま部屋から姿を消した。男がいなくなると、シャヒンは大きく息を吐き、椅子に深く腰かけ左頬にある縦に伸びた傷をさわる。
「簡単に、死なせるものか……」
呪詛の如く、薄暗い部屋で虚空を見つめ呟く。
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――窓から差し込む光が、椅子に座ったまま眠るオミードを優しく撫でる。その愛撫でオミードは覚醒する。何度か目を瞬かせると、恨めしそうに光を睨む。
「どんなに辛いことがあっても、日は昇るものね……」
陽の光に対して、恨み節を吐露したオミードは大きく伸びをしようとして驚く。
ヤムナの大きくゴツゴツ手が、オミードの手に寄り添っていたのだった。
「ヤムナ、ヤムナ、ヤムナ……よかった……」
あの世の門をくぐりかけていたヤムナだったが、その直前で引き返してくれたことに、オミードの心に安堵と感謝の気持ちが胸いっぱい広がる。そして、オミードもヤムナの手を強く握り返した。
ヤムナの意識が戻ったと報告を受けたシャヒンは、馴染の医者を呼びにいかせた。
魔法師にもそれぞれ得意分野があり、特に医者は、人の体のメカニズムや容態などを見て、どこまで魔法で治療すればいいか的確な判断を下し、また薬草などにも精通していなければ就けない特別な職業の一つであった。そんな、特別な訓練を受けた医者であるのだが、オミードの前に現れた医者は、到底そんな風には見えない薄汚れた白衣に眠気眼とくたびれた様子の初老の男性であった。その医者を見たオミードは露骨に心配そうな表情を浮かべシャヒンの顔を見る。
「……他にいなかったの?」
「腕は確かです」
力強く発言するので信じるしかないかと、半ば諦めに似た感情でオミードは頷く。それに、戦争の影響で医者が不足している事情が、オミードの持った不安と不満の感情を押し殺させた。
小一時間ほど魔法や薬草などの治療薬も使い治療を施す。
「――ふぅ~。これで、大丈夫だろう」
大きく息を吐く医者と同じく、オミードとシャヒンもつられるように大きく息を吐いた。
「初期治療がよかったようだ。もう、命に別条はないが、最低でも一週間の休養が必要だ」
その言葉に、オミードとシャヒンは顔を見合わせる。二人の脳裏に浮かんだのは、ヤムナが目を覚ますころにはすべて終わっているだろうという予感であった。
診察を終えた医者は、右手をシャヒンの前に突き出す。そして、何かを催促するよう手を上下に動かす。その行動に苦笑いを浮かべたシャヒンは、タンスの上に置いてあった高そうな酒瓶を渡す。すると、その酒瓶を愛おしそうに抱きかかえ、上機嫌で医者は帰っていった。
「よかったですねオミード様」
医者を見送ったシャヒンが、微笑を浮かべオミードを見る。
小さく頷いたオミードだが、それでも心配そうな表情を浮かべ、眠っているヤムナの手を握る。
二人っきりにしてあげようと、シャヒンが部屋を出ようとした時、不意打ちのような質問がオミードの口から飛び出す。
「アルサメス軍は、いつ戻ってくるの?」
「……ご存知でしたのか!?」
目を丸くして驚いていたシャヒンだが、オミードの顔を見て気がつく。
今の言葉は引っ掛けだったのだと――
「別に隠すつもりはなかったのですが……」
オミードの恐ろしさを、骨身に染みているシャヒンは、咄嗟に言い訳を模索しながら言葉を紡ぐ。
「ヤムナ殿がこんなことになっていたので、なるべく親近をお騒がせしたくなかったのです……」
「ありがとう」
オミードの言葉に、シャヒンは胸を撫で下ろす。
「それで、アルサメス軍の動向ですが、ほとんど軍隊の体をなしていないようで、それぞれがチャハマールに向かって撤退している模様です――おそらく、ダアイに帰ってくるのは、二日後以降かと……」
それを聞いたオミードは、気が引き締まる。
そんなオミード達に対して、不吉は何の前触れもなくやってきた。
「大変ですシャヒン様、憲兵隊が家々を調べまわっています。ここにもすぐきます!」
慌てた様子で入ってきた女が、一気に捲し立てるように話す。
その報告に、オミードとシャヒンは顔を強張らせた。憲兵隊を倒すのはわけがないが、ここにいる事が知られれば、大量の兵が押し寄せてくる。それでも、オミードとシャヒンならば十分戦えるが、療養中のヤムナに、もしものことがあるかもしれなかった。
「ヤムナをお願い!」
そう言い残すと、オミードは部屋を飛び出していった。
「オ、オミード様!」
たった一人で出て行ったオミードの事も心配だったが、シャヒンにはもっと心配する事があった。それは、ヤムナに何かあった場合だ。オミードにとってヤムナはかけがえのない人であることは、オルテギハの部屋で見ていたから分かる。そのヤムナに、もしものことがあれば、どんなに許しを請うたとしても、オミードは赦してくれないだろう。どんな惨たらしい殺され方をするか、考えただけで身の毛がよだつ。
シャヒンは全知全能をかけ、ヤムナを守るべく色々な手を打つことにした。
ディーナーの店内で動きがある頃、大通りでは大勢の人が狼狽えていた。
「ここに、赤い髪の小娘と頬に傷のある男がいるはずだ! 探せ!」
豪華な服を着込んだ憲兵隊の隊長らしい男が、大通りに立ち大声で叫ぶ。
反乱首謀者が治める州という事で、いつ、王軍が攻めてくるか分からない緊張状態にある町中で、憲兵隊が現れ家探しをするのだから、人々の不安は極限に達しようとしていた。
家探しをする憲兵隊の中に、水晶人間のソーラブも目を光らせオミードの姿を探していた。その前に、左腕の袖を風に靡かせた少女が姿を現す。
「――探している赤い髪の小娘って、私かしら?」
深紅のくせ毛をかきあげ、憲兵隊の前に躍り出たオミードが啖呵を切る。
その声に、家探しをしていた憲兵隊の手が止まる。
「こいつが城に潜り込み殿下を眠らせた張本人です!」
ソーラブは目を見開き、オミードを睨むと指を差す。
「憲兵隊包囲!」
隊長の合図で、家探しをしていた兵たちは、大通りに現れたオミードを取り囲む。
「この女は、かなりの手練れなので気を付けてください」
ソーラブは、オミードが緑の魔法師だと敢えて言わなかった。それを知れば、憲兵隊はオミードに手を出さないだろう、あまつさえ、見逃しかねない危険もあったので、黙っている事にした。
「赤い髪の小娘、大人しく捕まれ!」
「いつもなら、あなた達ぐらいゆっくり相手してあげるんだけど……私もこれだから」
左袖を靡かせ、腕がない事を教える。
「それに、手加減できるほど機嫌も良くないから、覚悟決めて来なさい!」
大地を踏みしめ突風を起こす。その威力に、全員が上半身を仰け反らせた。
その隙にオミードは上空へと舞い上がり、郊外へと逃げ出した。
あれだけ大見得を切っていたので、正面からやり合うものだとおもった憲兵隊員は、全員意表を突かれ呆然と見送る。
「逃がすか!」
すぐに動いたのは、ソーラブだった。その後を追うように、憲兵隊も飛翔魔法で舞い上がりオミードを追う。
「オルテギハ様にかけた魔法を解け!」
風を切る音に混じり、ソーラブの叫ぶ声が届く。
「それは私じゃなく、シャーリヤよ」
「ウソをつくな!」
「ウソじゃないわよ。ちゃんと確認したんだから」
「そんな戯言に騙されるか!」
オミードがやったと信じきっているソーラブに、何を言っても無駄だと悟ったオミードは、作戦通りチャハマールから撤退したと思わせようと、州境まで急いだ。
左腕がない事で、いつもと飛行する感覚が異なり、バランスを取るのに苦労していた。それでも、徐々に慣れてくると速度が上がる。
本気を出したオミードに、ソーラブは引き離されていく一方だった。
「殿下を、殿下を、殿下を……」
どんどん離れていくオミードを睨みながら、食いしばる歯の隙間から言葉が漏れる。
振り返るオミードの視界には、ソーラブが小さく映るだけであった。そろそろどこかの山に隠れ、夜まで過ごし夜陰に乗じてディーナーに戻ろうと思い始めた時だった。地上から光の矢で狙撃される。それを回転して避けた。
「出たわね」
今回、暗殺者が襲ってくることは想定済みだった。オミードは、光の矢が飛んできたところに拳大の火炎弾を投げ込む。地面に当たると爆発が起きた。
それを見つめるオミードの頭上から、黒装束の男が短剣を握り襲い掛かってきた。
「ワンパターンなのよ!」
くるりと回転して男の攻撃をかわしたオミードは、その反動を利用して蹴りを入れる。蹴り飛ばされた男は、その勢いに逆らうことはせず、ジグザグに動きながら態勢を整える。
「今日こそ決着をつけるわよ」
暗殺者は、ジグザグ飛行をしながらオミードに近づく。奇襲攻撃が通用しなかったので、近接戦闘に切り替えた。それを読んだオミードは、近接戦闘を避け、距離を取りつつ右の人差し指を伸ばし、親指を照準に見立て暗殺者に狙いを定める。そして、指から火炎弾を放つ。激しく動き回る二人の周りで、次々と爆発が起きる。その攻防の間に、ソーラブが戦闘範囲に入ってきた。
「チィッ!」
大きな舌打ちをしたオミードは、少してクスリと笑う。ヤムナが見たら「はしたないですよお嬢様」と叱られただろうな、と思い浮かべていた。
二人の魔法師相手に、オミードは一歩も引かないドッグファイトを繰り広げる。前後左右上下が分からなくなるほど激しい動きを繰り返す。朦々と立ち込める爆発による煙が、蒼穹の空を染みのように染める。永遠に続くかと思われたドッグファイトだったが、ソーラブに埋め込まれた水晶が、激しく明滅をし始めた。
「魔力が尽きかけているわよ。早く地上へ降りなさい」
水晶の明滅に気づいたオミードが、心配して声をかける。それでもソーラブは、瞳孔が開いた状態で、オミードの動きに食らいつく。しかし、いくら死を覚悟したところで、オミードを捕まえる事は出来なかった。やがて、水晶は輝きを失い、それと同時に飛行魔法が解除される。大木が米粒ほどに見える程の高さから、まっさかさまに落ちていく。
「……力及ばず、オルテギハ様の眠りを覚ますことが出来ず、こんな所で死ぬ私をお許しくださいオルテギハ様……」
そう呟き、ソーラブは目を閉じ、無念の表情を浮かべ地上へと落下していく。
「――まったく、手を焼かせないでよね」
落下するソーラブの手を掴んで助ける。敵であるオミードに助けられ、ソーラブは目を丸くして驚く。やがて、怒りが込み上がってきたように叫ぶ。
「私を助けるぐらいなら、オルテギハ様の眠りを解け!」
オミードに掴まれている腕を掴み返す。
「無駄かもしれないけど、最後にもう一度だけ言うわよ――
私がオルテギハを眠らせたんじゃないから!」
まだそんな事を言うのか――と、怒鳴りそうになったが、敵である自分を助けるオミードが、本当にオルテギハを眠らせたのか、この時、初めて疑問が頭をよぎった。
「しっかり掴まって!」
オミードの声が、思考の迷路に迷い込みそうになっていたソーラブの意識を現実へと戻す。それと同時に爆音が鼓膜を激しく揺さぶる。片腕のないオミードは、右手でソーラブを捕まえている事で、動きも鈍っていた。
そのチャンスを暗殺者は見逃さず、攻勢に転じた。機動力を生かし、暗殺者がオミードの頭を押さえながら追撃する。断続的な火炎弾で、オミードを追い込んでいく。
「このままではやられるぞ!」
「分かっているわよ!」
顔を歪めながら飛行するオミードの右腕の力は、失われつつあった。自分を掴むオミードの手の力が弱まっているのを感じ取り、限界が近い事を察する。
そして、覚悟を決めた表情を浮かべ、ソーラブは言葉を紡ぐ
「オルテギハ様を助けると約束するなら、私を見捨ててくれても構わない。だから、頼む、オルテギハ様を助けると言ってくれ!」
このままでは、共倒れは確実のように思われた。それならば、自分の命と引き換えに、オルテギハの命を選択をしたのだった。
そういう思考に至るソーラブとオルテギハの関係に、オミードは少し興味を持った。
「あなたにとって、オルテギハってなんなの?」
「オルテギハ様は、私にとって命より大切な人だ――」
次回 第二十八話『心の灯台』




