引き金をひいてしまった話
「……はぁ」
家の中に入ると、俺は大きくため息をついてしまった。
……佐田の奴……一体どういうつもりで、俺につきまとってくるのか……いや、理由や目的はわかっている。
俺に嫌な思いをさせたいから……シンプルな理由だ。
それにしては、態度や表情に棘がないというか……今までの佐田の行動や俺に対する仕打ちを考えると、むしろ、俺に対して好意的なような……
「……いやいや。ありえないよな」
そう思ってみても……俺はこの前のことを思い出してしまう。
佐田の柔らかい唇の感触、そして、ほのかに香る良い匂い……おおよそ、俺が佐田にイメージしていたものとは全然違うものが、佐田から俺に対して提供された。
それを提供してくれたのが佐田汐美という事実自体……俺には未だに信じられないのだった。
「……でも、明日もアイツ、来るのかな」
そう考えると……ちょっと嫌だった。嫌というか……恥ずかしい。
アイツは恥ずかしくないのか、いや、そもそも恥ずかしくないから俺について学校まで来ているのか。
かといって佐田に付いてくるなと言っても、おそらく効果はないだろうし……放っておくしか無いようである。
俺がそんなことを考えていると、玄関先に設置してある電話から、いきなり呼び出し音が鳴り響く。
こんな時間に……誰だろうか。
俺は受話器を手にとって耳に当てる。
「はい? 岸谷ですけど」
「あ……雅哉君?」
電話先の声は……宮野だった。
「あ、ああ……宮野か。どうしたんだ?」
「あ……ううん。ごめんね。いきなり電話して……大したことじゃないんだけど……」
そう言ってから、宮野は少し間を置いてから、先を続けた。
「……もしかして、今日、汐美ちゃんと会わなかった?」
俺は思わずドキリとしてしまった。まず……どうにも宮野の声の調子が一段下がったのだ。
それに、大したことじゃないと前置きした上で……なんでいきなり佐田の話をしてくるのか。
俺は少し戸惑ったが……佐田と会ったことは言わないで置いたほうが良いと思った。
なんとなくだが、俺の直感がそう告げている……そう思って宮野には応えることにしたのである。
「あ……いや、会ってないけど、それが――」
「嘘でしょ」
俺が話を続けている最中に、宮野ははっきりと聞こえる声でそう言った。
俺は思わずその場で硬直してしまう。
「……なんで嘘をつくのかな? これ、二度目だよね? 私には本当のこと、言いたくないってことなのかな?」
「……え? 宮野……え、えっと……」
「ねぇ? おかしいよね? 私、雅哉くんに許してほしかった……許してほしかったから話しかけた。それで、私は雅哉くんに少しだけ、謝ることができた……私は雅哉くんに……私だけは雅哉くんに本当の気持ちを伝えたのに、雅哉くんは私に嘘を付くの?」
すると、宮野は電話の先で大きくため息を付いた。
「……宮野?」
俺は思わずもう一度呼びかけてしまう。すると、なぜか……電話の先から不気味な笑い声が聞こえてきた。
俺は何も言えず、ただ、その笑い声を聞いていた。自分が今誰と電話しているかも忘れて。
「フフッ……うん。いいよ。雅哉君がそういうことをするのなら……私にも考えがある」
「え……宮野? お前、何言って……」
すると、宮野は引きつったような笑いを続けながら、電話先で俺に話を続けてくる。
「……ねぇ。忘れちゃったの? 汐美ちゃんが雅哉くんにどれだけ酷いことをしてきたのか? あの子がどれだけ性格の悪い面倒な女の子か……それは……キスされたぐらいで忘れちゃうものなの?」
そういって、いきなり電話がガチャリと切れた。俺は呆然として受話器を持ったまま立ち尽くしている。
頭では理解できなかったが……とんでもないことが起きようとして、俺は、その引き金をひいてしまったのだということだけは、俺にも理解できた。




