負けてしまった話
それから、しばらく佐田はずっと俺に抱きついていた。
さすがに5分程立った頃から、そろそろこのままの状態でいるのはどうかと思い始めたが……実際、10分くらいずっとそのままだった気がした。
そして、漸く佐田はゆっくりと俺から離れた。
「……ごめん」
小さくそう言う佐田。俺は何も言わずに佐田を見ている。
佐田は恥ずかしそうに俺から目線を逸しながら、川の方を見ている。
「……えっと……ファミレス……行かない?」
次に佐田の口から出てきたのは……意外過ぎるその言葉だった。
俺は暫く面食らってしまったが……佐田の方を今一度見る。
明らかに不安定そうな表情……それこそ、この前の宮野よりも不安定に見える。
このまま佐田と別れるってのは、あまりにも危険な気がした。
「分かった。行くか」
俺がそう言うと佐田は少し驚いたようだったが、安心したように小さく頷いた。
俺と佐田は並んで歩いた。
チラリと横を見ると、まるで憔悴しきってしまったかのような佐田の表情……かつて俺を地獄に落としてきた女の子と同一人物とは思えなかった。
「……私、負けたんだ」
小さな声で佐田はそう言う。俺は返事をせずに佐田を見る。
「……アンタをイジメていた頃……小学生や中学生の頃は、私が一番偉いと思っていた……実際、女子のグループでも私がリーダーだったし……」
「……今は?」
俺がそう訊ねると佐田は笑いながら首を横に振る。
「違うに決まってんじゃん……私より上の存在なんて沢山いた……で、逆に私は、そういう子たちにとっては……気に食わない存在だったみたいね」
そういって、佐田は立ち止まってしまった。見ると、怯えた表情で俯いているようだった。
「……佐田?」
「……しかもさぁ……私がアンタにしてきたことが可愛く思えるくらいにさぁ……怖いことばっかりされて……」
そう言う佐田の言葉を聞いて、街頭の下の佐田の頬の傷を見る。
「……その傷もか?」
俺が訊ねると佐田はすぐにわかったようだった。そして、ゆっくりと頬を撫でる。
「……アンタが知弦の家に行くようになったってことは……知弦が聞いてた。それから、私も……ちゃんと学校に行くようにしようって……」
「え……お前、まさか……」
俺がそう言うと佐田は恥ずかしそうに苦笑いする。
「あはは……だって、おかしくない? 私だって、知弦と同じような時間にアンタの校門の前にいたんだよ? 普通に学校に行ってたら、いるわけないでしょ」
「でも、お前サボったって……」
俺がそう言おうとしても佐田はそれ以上何も言いそうになかった。
なるほど……宮野と佐田……違うように見えて、状況は全く同じだったということか……
「……学校に戻っても、やっぱりまだあの子達にとっては私は気に食わない存在らしくて……二度と学校に来られないような顔にしてやるって……あはは……ちょっとカッターを頬に当てられただけなのに……怖くて泣いちゃったんだよね……」
「佐田……」
そういって佐田は顔を上げる。
「……ねぇ? どうかな? アンタはいい気味だって思うでしょ? アンタを今まで辛い目に合わせてきてた奴が、ひどい目に合っているって……ね?」
同意を求めるように、佐田はそう言う。
……言えなかった。宮野よりも佐田の状況は……酷い。
きっとここで「そうだ」というのは佐田の望む答えなんだろうけど……さすがにそこまでは言えない。
「……とにかく、ファミレス行くぞ」
俺は回答を先延ばしにするためにも、佐田に背中を向けて歩き出した。
佐田の足音が少し遅れて聞こえてくる。
佐田は嘘をついてはいない……わかるのだ。
佐田の表情は……皮肉にも、かつて佐田にいじめられていた時の俺と、よく似た表情だからだ。




