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「この筋肉達磨!」
「何をぉ!もやしっ子に俺の肉体美がわかってたまるかっ」
筋骨隆々、筋肉質の身体を怒らせて掴みかかろうとする青年の手をひらりと避けて、ニーレイオはべえっと舌をだした。
何が肉体美だ、この脳筋野郎。
売り言葉に買い言葉、さらに噛み付かんと大きく息を吸ったところで、背後から大きな手に口を塞がれた。
「そこまで」
筋肉達磨……基、ケーユクスの方も袖をそっと掴まれて、めっと可愛らしい王女アルキュオネに叱られて、おたおたしている。
(ずるい、俺も叱られるなら姫さんがいい)
そう思いながら顔を上げれば、黒髪に金眼の美男子がニーレイオを見下ろしていた。
うん、相変わらず、嫌味なくらいいい男だ。名をディクティスという。
色男なのに、必要なことしか話さない寡黙な剣士は目だけで圧力をかけてくるから、両手を上げてあっさり降参を示すと、彼は無言のまま、口から手を離して一歩後ろに下がった。
『人々よ、忘れるかなれ。クレオンが疲弊すれば、国は荒れる』
門の鍵たるクレオンの力の源は信仰。故に信仰が失われると、世界を隔てる門は開かれ、魔物たちが来訪するという。
扉に縛られし、神クレオン。その神話は長い時間の経過とともに風化し、信仰は途絶えた。
そうして、子供たちの寝物語は、現実のものとなり。
世界は未曾有の災害にみまわれた。
見たことのない魔物たちが跋扈し、朝も夜もなく緋色に染まった空は太陽を失った。
各々の国の国王たちは腕に覚えのある英傑を揃え魔物退治に送り出したが、誰も帰っては来ない。
人の国は滅びを迎えようとして、信じてもいなかった神話に救いを求めた。
大陸中央の大平原に刺さる、一本の破邪の剣。それを扱えし者は勇者となる。
そんな神話を信じ、ひとりの青年が剣を抜いた。
狩人は森を守るために、魔物と対峙した。
とある国の親衛隊の剣士は王命により魔物討伐に向かい、ただひとり生き延び。
王女は神話を信じ、勇者とともに旅に出た。
そして、魔法使いは残されたたった一人の家族を守るために、魔物と戦った。
世に言う勇者御一行様は、異なる理由で同じ目的を持って、所謂自然派生的に出来た偶然の産物で。
けれど、その偶然出来たまとまりのない集団が世界を隔てる扉の下までたどり着いた頃には、怯え切った人々の心に信仰は戻り、その祈りにクレオンは力を取り戻していた。
神話のとおり破邪の剣の力はいかんなく発揮され、短い時間の中で、強くなることを余儀なくされた彼らは、命懸けで魔物を押し返し、扉を閉じることに成功した。
そうして世界は平和を取り戻し、燦然と太陽が輝く青い空の下、冒頭に戻るというわけだ。
「別れの時くらい喧嘩せずにいられないもんかね?」
剣士の隣に立っていた年長者のキリクスが呆れたような声を出すと、示し合わせたかのようにディクテュス、アルキュオネが頷いた。
キリクスが背負う弓は随分とくたびれて、その戦いが如何に厳しいのもであったのかを物語っている。
光沢のない短い金髪に、無精髭の目立つその頬には一本消えることのない傷が残っている。それも、この戦いがもたらしたものだ。
藍色の目は面白そうにニーレイオを見るから、ぶすくれて鼻を鳴らした。
「しょうがないだろ、相容れない性格なんだから」
王女の前で小さくなっているケーユクスも同意のようだ。
小さく、だが、しっかりと首を縦に振っている。
「まさに犬猿の中…いや、喧嘩するほど仲がいいって方にも見えるけどな」
にやりと人を食ったような顔をするキリクスに、
「「どこが?!」」
ニーレイオと、ケーユクスの声が綺麗に重なった。
「その息ピッタリなところ、ですかしら。妬けてしまいそうです」
ふうと小さくため息をつく姫に、勇者は情けない顔で慌ててその白魚のような手を取った。そして、気障ったらしく彼女の前に膝をつく。
「俺には、君だけだっ、信じてくれ!キュオネ」
目の前で繰り広げられ始めた眩しいラブシーンに、ニーレイオの顔がひきつる。
そういうことは、人の目を避けてやるべきだと思う。
本当にそいつでいいのかと、可愛いキュオネに確認したいところだが、恋人たちにそんなことを言っても、馬に蹴られるだけだってことくらいわかっているから。
ちょっと、残念だけれども、顔の横でひらひらと手を振った。
それから、小さく、音もなく、吐息に詠唱を混ぜる。
「はいはい。とっとと、二人で幸せになりたまえ。……んじゃ、名残を惜しむのは趣味じゃないんで」
ふわりと、足元に生まれた小さな旋風。白く発現する魔方陣。
得意の移動魔法だ。
魔物退治も終わり、国へ凱旋なんて面倒くさい真似、王女と勇者に押し付けてさっさと退散するに限る。
しんみりと別れを惜しむような仲じゃない。
……面白い奴らだったけれど。
さよならは苦手だ。
だから。
とんと、一歩だけ後ろに下がって、にっと笑う。
「ばいばい」
最後の一言を口にして、世界が歪む。
「イオ!」
キュオネの驚いたような声に、ちょっとだけ罪悪感を覚えるけれど、こっそりと詠唱はもう完成しているから。
世界が暗転した。
遠く、妹のいる故郷まで転移する。
そのはずが。
唐突に、手首を掴まれた。
驚いた拍子に転移軸がずれる。
「なっ?」
光が急速に集約して、投げ出されるような感覚にたたらを踏んだ。
水面の波紋が消えるように、周囲の景色が浮かび上がる。
そこは、転送予定の場所じゃない。
……どこだよ?
「オシアンの森、だな」
声にしていない呟きに、何故か答えが返ってきた。
ぐりんと勢いよく振り返り、がるるっと威嚇するように睨みつける。
そこには、金眼の剣士が澄ました顔で佇んでいた。
「……何してくれやがりますか、アンタは」
「丁寧な暴言だな」
「罵倒してるんだよ、一応。俺の手を掴んだところで、転移呪文が止まらないことぐらい知ってただろ?あんたまで移動しちまったじゃん」
あの手首の感触は、ディクティス手だったのだ。
がっくりと首をたれれば、剣士はしれっとして、宣うた。
「わざとだからな」
「……は?」
意味がわからない。
手首を掴んだままの男は、その金色の眼を煌めかせると、ひそり唇を動かした。
……なんだろう、ひどく嫌な予感がする。
剣士である彼が詠唱する姿なんて見たこともない。
けれど、小さすぎて聞き取れないそれは確かに呪文で。ただ、掴まれた手首から腕を何かが這い回るような不快感を覚えて、本能的な忌避感に手を振り払おうする。
だが、余りにも力の差がありすぎて、できない。
「何を……」
驚愕に目を見開く。
互いに知り合い、共にした時間はそれ程長いものではない。高々半年足らずだ。
けれど命を預け合った仲間ではあった。
信頼をしていた。
それが、裏切られようとしている。
聞き取れなかろうと、魔法使いにはわかってしまった。
目に見えない蔦が絡みつく感触。
彼が行おうとしているのは相手を縛る、契約魔法だ。
精霊を必要としない。魂を縛る、禁呪。
「魔物を隷属させてこいと言われて教えられた術だが…こんなふうに使うことになるとは思わなかった」
淡々とした言葉に、詠唱が終わったことを知る。
「……どうして……」
縛られた。
契約はなってしまった。
呆然として、問う声はかすれた。
何の後悔もないまっすぐな眼差しが、ニーレイオを見下ろしている。
強い意思に、なぜか、こちらが怯む。
「お前が自由に飛んでいってしまうからだ。魔法使い。追いかけっこは、断然俺が不利だからな」
「……は?」
「バレていないと思っていたのだろうが、俺の前で無防備に眠ったりしていたお前が悪い」
頤に触れられて、絡みつく金色の視線に、身体が痺れたように動かなくなる。
「なに、を」
「しつこく追いかけるはストーカーというのだろう?お前は逃げ足が早そうだからな。捕まえてしまったほうが早い」
ちょっと待て。
いや、今していることも十分ストーカー行為だ。
あいた口がふさがらない。
唖然として見つめていると、色男は今まで見たこともない、蕩けるような笑みを刷いた。
まずい。
くわん、くわん、と頭の中で大きく警戒音が鳴り響いている。
聞いちゃダメだ。
引きつる顔に、男のそれが近づく。
やばい
やばい、やばい、やばい!!
「ディクテュス!」
必死に押しのけて、仰け反るようにして後ろに避けると、彼は不本意そうな顔をする。
いや、言っておこう。不本意なのはこっちだ!
「ニーレイオ、お前のことを愛している」
男の目にはからかう様な色はない。元から石がつくほどの硬い頭だ。
硬派と言われる天然記念物並に珍しい男が、本心でもなく愛の言葉など口にすることなんて絶対ない。
それくらい知っている。
嘘じゃないのは、わかった。
だが、頂けないのは相手が俺だということ。
耳を塞ぐことも忘れて、聞いちゃったじゃないかっ!
「ひとつ言っておくがお前が女だと気がついていないのは、ケーユクスくらいなものだぞ?」
「……」
しれっとして言われた一言に、物申したい。
知られていないと思っていたから気軽に同室で眠っていたというのに。いつでも、どこでも貞操の危機だったということか!
「そういうことは、もっと先に言え!」
ジタバタと腕の中から逃げ出そうとするのに、さすが魔物を切り裂く豪腕を持つ相手だけあって抜け出せない。
「離せってばっ!いい加減にしろっ」
「離せば逃げるだろう?」
「当たり前だっ!」
「……人道的でなかろうとも、禁呪で縛って正解だな」
「なんで、そこまで執着するんだよっ!」
可憐で優しい姫さんならばともかく。
どうして、がさつで、口の悪い俺を選ぶかな?!
「口では暴言を吐いているくせに、誰よりも気遣い屋だと気がついてしまったからだな」
「……っ」
「絶望的な状況にあっても、あっけらかんとして笑って。やばくなったら、一番先に逃げると言いながら、お前は死にそうになっても逃げやしないじゃないか」
姫を庇って瀕死になったときのことを言っているのだろうか?
あれはどう見たって不可抗力だ。だって、手の届く位置に自分はいたのだから。
優しい姫さんがいつの間にか大切な仲間になっていたんだから。
「目の前でか弱い女の子が危険な目に合っていたら、つい、助けちゃうだろ」
んな、ごちゃごちゃ考えている余裕なんてなかったのだ。
……あったなら、反対に足が竦んで動けなくなっていただろうから、結果オーライだ。
「お前も、女だろう」
「姫さんみたいに守られる人間じゃない」
「そうやって、距離を置くくせに、お前は人の心の中にはずけずけと入ってきて、葛藤も苦悩も全て蹴散らしたんだ」
何のことを言っているのだろう。そう考えて、出会った当時のこの男が、弔い戦と称して死に場所を探していた頃のことを思い出す。
隊の仲間を全て失い、自分だけが生き残った罪悪感に後ろばかりを向いているその姿に腹が立って尻を蹴り飛ばした。
こっちは生きたくて頑張っているっていうのに、本当にふざけてると思わないか?
甲冑のせいで、こっちの足の方が痛かったのは、今でも納得がいかない。
「何が生き残ってしまった、だ。ばーか!生かしてもらったんだ。その命を大事にしないなんて罰当たり、はっ倒すぞ!」
睨みつけて、投げやりな男を引き摺って、そういえばその頃から詠唱中の護衛を任せるようになったんだった。勝手に死ねば、俺まで巻き込む。
詠唱中の魔法使いほど無力なものはないから。
責任感の強いこの男が生きるには何か理由が必要みたいだったから。
ざまーみろ。
勝手に死ねると思うなよ。
本当なら後方で詠唱してたほうが、危険はないんだけど、こいつのせいで前に出ることが多くなってんだった。そういえば。
そんな中で、いつの間にか、その目に精彩が生まれて、後ろめたさも消えていたから、生きる目的みたいなものがきっと見つかったんだと思っていた。
……それが自分だとは思わなかったけど。
「叱られて、蹴られて惚れるだなんて、変態じゃないか」
途方にくれて、困ったように見上げれば、怒ったように騎士が睨みつけてくる。
「どう言われようが構わん。俺の全てを持っていったんだ。お前を奪い取って何が悪い」
寡黙で真面目な騎士の鏡みたいな男だったはずなのに。
自分の感情ダダ漏れにして、自分の欲求のまま、人としてしてはいけない道に走ろうとしているこの男は、いったい誰だ。
「ディクテュスが、壊れた」
「壊したのは、お前だ。責任をとれ」
なんだそれ。
なんだか、もう、獰猛な野獣に伸し掛られているような気分だ。
それでも、唯々諾々と従うのは性に合わない。
「縛られてしまったからには、ご主人様とでも言ったほうかいいのか?」
仕返しにそう言えば、彼はすごく嫌そうな顔をした。
ざまあみろ。
「……嫌がらせか」
「自業自得だろ。口説く努力もない分、筋肉達磨より質が悪い」
じとりと睨み返せば、初めて男が苦い顔をした。
まあ、口説かれていたら、速攻逃げ出してただろうけど。
ニーレイオの性格を一番理解していたのはきっと、この男だったんだろう。
「そんなに俺に逃げられたくなかったのか?」
「お前の傍にしか生きる理由が見つからない」
「それは、ただの依存じゃね?」
顔を顰めれば、男はどろりと昏い焔を瞳に燻らせた。
そっと顔を寄せられて、耳元で囁かれたのは。
あからさまな劣情。
服を着ているはずなのに。
全て剥かれているような気になるくらいに直接的な言葉で、羞恥心を煽られる。
思わず震えてしまった手に指を絡まされて、逃がさないと囁かれ。
……逃げないでくれと、懇願するように抱きしめられてしまえば。
仕方ない。
人の良い魔法使いは、結局ほだされた。
「あーあ、どうしよう。こんなの連れて帰ったら、ニケ驚くだろうなぁ」
でも、いい男は嫌いじゃないから、喜ぶかもしれない。
ニケが喜ぶなら、まあ、いいか。
そう言いながらも、どこか高揚した気分になるのは、離れるのが本当は寂しかったからなのかも知れない。
二人を縛る呪詛は、死ぬまでずっと、継続する。
男の目に、もう、死神は映らないから。
登場人物
ディクテュス(ディク) 剣士 ランキクス国親衛隊剣士
王命により魔物討伐に出るが、仲間は全員死亡する。仲間の屍のおかげで、九死に一生を得てしまったため、どこか死に場所を探していた。
アルキュオネ(キュオネ) 聖女 イオレー国第2王女
王族として破邪の剣を抜く儀式に参加し、剣に選ばれた勇者を補佐するために旅に出た誠実な少女。王族の割にしっかりもの。
ケーユクス(ユクス) 勇者 マレオ国の騎士団に憧れていた若者
ミーハー根性で、破邪の剣を抜きに行ったらうっかり本当に抜いてしまった、ちょっと残念な子。
キリクス(キリク) 弓使い 猟師
自分の住む森が焼かれ、生活を守るために魔物と戦う旅に出た。
ニーレイオ(イオ) 魔法使い
妹と共に親に捨てられ森の魔女に育てられた少女。魔女の森さえも世界の異変に変貌し始めたことから、大切な家族との生活を守るため旅に出た。
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