後ろ髪を掴む
池袋の路地裏には、多くのごみが散乱していた。くたびれた紙パックの切れ端、割れたCD-ROMが大量に詰まった袋、限界まで引き伸ばされ中に液体の入ったコンドーム、脱ぎ捨てられたばかりのカツラ。僕は路の真ん中にあったそのカツラを飛び越える。
その女を一目見たとき、まるで詐欺師のようだと思った。「もしあなたが望むのなら、私はあなたにとって神様になれるわ」と言った。そんな言葉を信じられるわけがなかった。
その女に五回会うと、実は天使なのではないかと思うようになった。「私に何かができるわけではないけれど、ただあなたの話を聞いて、信じてあげることはできるわ」と優しく言った。そのことだけは信じてもいように感じられた。
そして今日、出会ってから十回目の逢引きで、彼女が詐欺師でも天使でもないことにようやく気がついた。
泥棒だったのだ。いつものように、いつも以上に僕が彼女に心情を醜く吐露していると、不意に涙がこぼれてきたので、彼女は僕を抱きしめてくれた。僕が彼女の胸の中で女々しく震えていると、彼女は僕の長い後ろ髪を撫でながら、
「全部吐き出していいのよ。言葉にすることで何があなたにとって大事なのかわかるのだから」と言った。加えて、「その大事なものたちの片鱗を、私に投げかけてくれればいいのよ。本当に大事なものだけを選り分ける手助けをしてあげる」とも言った。その甘い声と、短い髪の香りに僕は安心して、すうっ、と眠った。
目が覚めたのは、支えが失われたことに気がついてだった。彼女は僕を雑にベッドに放り出したようで、その実彼女は慌てていた。彼女は荷物すら持たずに、服だけ急いで身にまとい、サロンを出ようとしていた。彼女が唯一携帯していたのは、長い黒髪だけだった。
長い黒髪? 疑問に思うと、それはすぐに驚きへと変わった。
彼女が持っているその髪は、僕の後頭部のものだったのだ。
よく、「男らしくない」と言われていたその髪も、彼女は誉めたててくれた。「あなたのレーゾン・デートルよ」なんてことも言ってくれた。だから僕はもっと彼女の賛美が欲しくてケアに力を入れた。いつの間にか僕の髪は天使の輪をたたえるほどになっていた。
そんな髪を持つ彼女を呼び止めると、彼女は走り出す。
少しして僕も追いかけ始める。
路地裏はゴミで溢れている。彼女がスピードを上げると、彼女の頭から何かが落ちる。カツラだ。彼女は禿げていた。カツラを僕は拾わずに飛び越える。彼女は走りながら僕の黒髪を後頭部に着ける。その間に僕は彼女を捕まえる。その新しい髪を掴んでねじり倒す。
罰に怯える彼女に向かって僕は言い放つ。
「こんなもんでいいのかよ。全部吐き出していいんじゃないのかよ。この髪の毛を、全部はぎ取ってみろよ」
震える彼女の禿頭が、月光に照らされ光っていた。
僕の後頭部も、光っているのだろうか。