二日目
遅くなってしまいまして申し訳ありません。「山梨より」の続きです。
首が少し痛い。昨日は部屋に戻ってから本を読んだ後、テレビ見ていた。夜は少し天気が変わったのか小雨が降っていた。夜飯を食べて、風呂に入った後、小説は書きたくなかったが、今の心境でも雑記という形で書いておくかとちょっと思い直し、机の上で書いていたが、そのまま寝てしまったらしい。
起き上がって、少し首を曲げてみた。こわばっていたがしばらくしたら治りそうだ。痛みもそのうち消えるだろう。僕は立ち上がると窓辺に行って、窓を開けた。涼しい朝の風が入ってきて、深呼吸をした。昨日の天気は嘘のように青く晴れ上がっていた。チェックのシャツと黒のズボンをボストンバックから取り出して着替えた。そして、昨日読み途中だった本を取り出し、だらだらと読み始めた。何となくお腹が空いてきたなと思い、立ち上がると本を自分の部屋に置いて、階段を降りていった。玄関には何やら人が集まっていて、岩波のおじさん、息子の慎二さんとそれから知らないおじいさんが一人いた。白髪頭にくすんだ青い帽子をかぶっていた。そして、畑仕事の格好をして、手にはかごいっぱいに野菜が入っていた。三人は話し込んでいたが、岩波のおじさんが野菜を受け取るとおじいさんは「じゃあ、また。来ます。」とだけ言い残して去って行った。
「おや、おはよう」とおじさんが気がついて言った。
「おはようございます。」
「おはよう。昨日はどうも。」
隣にいた慎二さんが挨拶した。
「こちらこそ。あの、さっきの方は誰ですか。」
「ああ、さっきの人は近所の農家の山田さんだよ。時々、とれた野菜を分けてくれるんだ。私の家でもとれた野菜とかたまに分けているがね。」
「そうだったんですか。」
「ちょっとすまないね。野菜を置いてくるよ。」
おじさんは厨房へ去って行った。慎二さんと僕は取り残されたが、先に慎二さんが話し始めた。
「昨日はすまなかったね。ちゃんと名乗りもせずに。もうおふくろから聞いてるとは思うけど、俺は岩波慎二だ。よろしく。」
「僕は神山和也です。よろしくお願いします。」
「そういえば、朝食の準備をしているっておふくろが言ってたけど、座敷で君も一緒に食べないか。」
「はい。」
座敷に入ると日の光が差し込んで少し暑い気がした。慎二さんは障子戸を開くと涼しい風が入ってきた。障子の隙間から縁側が見えた。あそこで昼寝でもしたらさぞよく眠れるだろうとのんびり考えながら、座敷のテーブルを前にして畳の上に座った。
慎二さんは立て膝をして向かいに座っていた。
「ところで、今何歳。」
「僕ですか。今、二二歳ですよ。岩波さんは。」
「俺は二六歳だよ。ちょっと思ってたんだが、あんまり俺敬語に慣れて無くて普通にタメ語で話してくれてかまわないよ。敬語だと逆に疲れるんだ。たったの四歳だったらそんなに歳も変わらないだろうし。」
「アバウト過ぎますよ。四歳って結構な歳の差だよ。」
僕は思わず笑ってしまった。
「そうかな。そんなに違わないと思うけど。」
慎二さんもとぼけたように笑いながらそれに応じていた。
「岩波さんの奥さんから聞いたんだけど、カメラマンをやってるって。普段はどんな風景写真撮ってるんだい。」
「この前よく撮れたのは滝の写真だったな。ダイナミックな写真が撮れたんだ。見るかい。」
「はい。」
慎二さんは座敷を出て二階へ上がっていった。しばらくして何やら写真用のフォルダをもって来た。畳の上に座るとフォルダを何枚かページをめくって、広げて見せてくれた。
決して大きな滝では無く、水量もそんなに多いわけではない。しかし、その写真の滝は大きくて立派な滝に見えた。
「大きくて立派だ。ここはどこですか。それにどうやって撮ったんだろう。」
「ここは山梨の九段の滝だ。簡単に言えば、日の光や滝の高さと角度、自分の撮る位置を工夫して撮ってみたんだ。まだ未熟だからそんなにすばらしい写真かって言われるとまだまだだけどね。でも、俺の中では一番よく撮れたんだよ。」
「へえ。そうやって工夫して撮ってるんだね。カメラ音痴の僕にはすばらしい写真に見えるよ。他の写真も見てもいいかい。」
「いいよ。好きなだけ見てくれ。」
他にも山々の連なる写真、一面芝生で覆われた公園に一本の木が植わっていて、それを木が大きく見えるように撮られた写真、小さな四つ葉を撮った写真、夕日の海の写真などなど色々工夫して撮られた写真が多くあった。風景写真でも自然を中心とした写真を撮っているようだった。一通り写真を見終わるとフォルダを慎二さんに返した。
「ありがとう。とても良い写真ばかりだった。」
「いや、こちらこそ。褒めてもらえると嬉しいよ。そういえば、神山は何か趣味とかあるのか。」
「趣味というか、ずっと好きで続けていることで言えば、小説書いてるんだ。」
照れくさそうに神山が話すと、慎二さんはちゃかすことなく真剣な表情で聞いてきた。
「小説か。かっこいいな。文章とかってどうやって構成してるんだ。」
「えっと、まずアイディアが思いついたら、簡単に書き出して、それを元にプロットを書いた後に、本文を書いていくんだよ。」
「そんなに地道な努力をして作ってるのか。俺も本は読むけど結構大変なんだな。今、もしかして作品とかあったりするか。」
「ああ。持ってるけど。」
小説用のノートはスランプ状態に陥った今でも手放せず持ってきていた。
「作品読ませてくれないか。」
「いや、でもそんな上手くないんだけど、それでも良ければ。」
今度は自分自身が立ち上がって座敷を出て、二階の自分の部屋へ行く番だった。部屋のボストンバックから少しぼろぼろのキャンパスノートを取り出すと下へ降りて、座敷へと向かった。そのノートには文芸学科での批評の授業で作った小説があった。知り合った金沢の良い作品と比べてしまって、自分の才能の無さを自覚してしまい、幼稚だと思ってしまった作品だったが、なんだか悔しさと少なからず残った愛着から、捨てきれずに取ってあった。
座敷に入って座ると岩波さんにキャンパスノートを渡した。
「これです。」
「少し借りて良いかい。夜には返すから。」
「はい。どうぞ。」
何か作業でもしてきたのか岩波のおじさんが暑いなと言いながら座敷に入ってきた。格好からして農作業でもしてきたのかもしれない。
「もう少しで飯ができるそうだ。ちょっと待っててくれ。」
おじさんがそう言ってから数分後にはおばさんがお盆にのせて食事をもって来た。岩波慎二さんがおばさんの手伝いをしていた。「僕も手伝います。」と遅くなって名乗りを上げたが、おばさんが「お客さんなんだから座ってて」と言って後は岩波慎二さんと一緒にテーブルに並べていった。今日の朝食はほかほかのご飯と鮭の塩焼き、具が多く入ったお味噌汁、金平ごぼう、そしてお漬け物が付いていた。
「さて、お待たせしてしまいまして、すみません。いただきましょう。」
おばさんがにこやかに言うとそれぞれ「いただきます」を言いながら、食べ始めた。
ふいにおじさんが何かを思い出して話し始めた。
「何だったかな。そうだ。明日なんだが、昨日、息子と二人で山登りに行こうと話していてせっかくだから、神山さんもどうですか。頂上の眺めがとてもきれいなんです。」
「行きます。久しぶりに登ってみたいです。」
「じゃあ、明日の午前七時三〇頃には藤見荘前に来てください。そこからみんなで行きましょう。」
それぞれ世間話をしていたが、食べ終わるとみんな別々の方へ去っていった。神山も自分の部屋に戻った。
夜になると外からカエルの大合唱があちらこちらから聞こえてきた。それに混じって、虫の鳴き声が聞こえた。昨日は夜少し小雨が降っていたせいか、聞こえなかったのだ。窓の外を見ると満点の星空が見えた。長らく見ていなかったような気がする。天の川も見えそうな勢いだ。何て表現すればいいのか、そうだ、星が降るように輝いていて、夜の暗い色が消えそうになっているくらいである。外で見てみようと思い、階段を降りて玄関で靴を履くと外へ出て行った。カメラのシャッター音がして、暗闇の中に岩波さんがいた。
「こんばんは。夜空の写真撮ってるのかい。」
「おや、こんばんは。ああ、うん。星がきれいに写りそうだったから、ちょっと写真の練習材料にと思って撮りに来たんだ。そうだ。小説読んだよ。とても味のある作品だった。」
「本当ですか。ありがとうございます。」
「正直、最初はどこにでもある作品かなって感じだったんだが、そこからの深みのある内容が展開されていて、沢山書いて、自分の世界観を構成している人じゃないとこんな味のある内容や文章は書けないだろうな。素人の俺じゃこの程度の感想しか言えないけど。」
「いや、とても詳しかった。岩波さんはよく小説読むのかい。」
「うん、人並みには読んでるつもりだよ。自分の一生分の経験だけじゃ不十分だから、その分本とか小説とか読んで、疑似体験とかでも良いから色んな経験を積んでみたり、感性を磨いてみようと思って読み始めたのがきっかけなんだ。」
「小説を経験にするなんて、珍しい考え方だと思う。でも、何事にも意味があるって考え方は良いですね。」
「いや、意味を持たせたいだけなんだよ。本当は。だけどその方が安心するし、やる意味の理由付けにもなる。俺も一〇年以上カメラやってるけど、上手くいかないしな。」
「それって結局、した方が良いと思ったことを勝手にやり続けているだけっていうことか。」
「そういうことだろうね。」とのんびり岩波さんの返事が返ってきた。
その返事にがっかりして、僕はカエルの合唱に耳を澄ませて、「ところでカエルの大合唱ってこの時期にはよく聞こえるのか」と質問してやがて世間話に飛んでいった。
しばらくして岩波さんと別れて、風呂に入ると自分の部屋へ戻ってきていた。何となく携帯の時計を確認するともうすぐ午後一〇時を過ぎるところだった。
布団に転がると、一週間前のことを思い出していた。金沢は同い年にして、新人賞を取っていて、才能のある人だった。作品が上手いのもうなずける気がしていた。しかし、あのとき確実に僕の中には嫉妬という悔しさと同時に自分に対する空しさが混在していた。そして、自分の描く世界が狭いと思い落胆したのだが、これまで続けてきたことは無意味だとは思いたくない気持ちもあったのだ。岩波さんの言葉で何か見つかりそうだと期待していたのだが、岩波さんの一言で一気に無くなってしまった。
― 岩波さんは変な人だ。
落胆して、何もする気が起きずに、電気を消して布団で寝てしまった。




