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業火の窓

作者: 有理数

「うちの研究室にね、すっごく嫌な子がいて、というかまあ私の僻みなのかもしれないけど、とにかく苛々する子がいるのよ。とても炎魔法が上手で、教授も天才だ天才だって頻りに褒めてて……教授に直に指導を受けてるんだって。二人きりでよ? 有り得ないでしょ、私ですらそんなことないのに……。本人もなんだか飄々としていて、どう? 私天才でしょ? って威張り散らしたみたいな態度ばかり。腹が立つわよね。それで、三日くらい前にとうとう痺れを切らして、その子にいろいろと文句を言ってやったのよ。何を言ったのかって? それはちょっとあまり言えないけど、でも、結構効いたみたいよ。あの子、研究室に来なくなっちゃったんだもん。ざまあみろって話よね。来なくなってせいせいした。あー、でも話をしてたらまた少しだけ苛々してきたなあ……ねえ、あんた、ちょっと果物取ってきなさいよ」





 僕は横暴な姉の命令に従って、街の南の森までやってきた。姉は朝からとてもうるさかった。普段からうるさかったが、今日は特別うるさかった。僕が姉に、最近研究はどう? と話題を振ってしまったからだろう。姉は魔法大学の炎魔法の研究室に所属している。配属されてそろそろ一年と半年なので、調子はどうか尋ねてみたのだ。しかし、それがどうも引き金になってしまったらしい。姉の研究室に最近入った一年後輩の子が、なんだかすごく天才で、鼻にかけた態度をしているというのだ。姉はその態度が気に食わなくて、それについての愚痴を僕に散々語った。挙句、姉の好物の果物を取ってこいとまで言われてしまった。僕は学校が休みだったのだが、ゆっくりしようと思っていた計画が丸潰れだ。しかし、姉には逆らえない。僕は仕方なく、南の森にある祖父の畑へ向かっていた。

 祖父の畑にあった果物をいくつか収穫して、さっさと帰ろうと森の入口へ向かう。しかし、その途中で女の子が歩いていくのをたまたま見かけた。珍しいこともあるものだ。僕みたいに家が所持している畑があるならともかく……それに歩いていく方向が、畑がある地帯とはまるで違っていて、何か怪しげだった。もちろん態度が変というわけではなかったが、彼女が向かった方向には崖しかないからだ。僕は気付かれないように彼女の後を追った。

 彼女はやはり、木々がもう生えていない、開かれた崖の端に立っていた。僕も一度そこに立ったことはあるが、下は同じようにまた木がたくさん生えていて、落ちてもかろうじて死なないだろうが、そういった木の枝などが刺さったりして大きな怪我は免れないだろうという気はした。そんな崖に彼女は立っている。何かまずい、と僕は茂みの陰から観察した。彼女はしばらく崖の向こう側を見つめて、そしてやっと動き出したと思ったら、右手だけを真っ直ぐ、その崖の外側へすっと向けたのだった。何をするのだろう。落ちるわけじゃないのだろうが、と僕が息を飲んだ瞬間、彼女の右手から凄まじい勢いで炎が噴き上がった。閃光のような煌めきが瞬くと、赤黒い炎が彼女の手のひらから火柱のように一直線に崖の向こう側へ放たれた。異常な勢いだった。並の人間が放つことのできる炎魔法ではない。僕は素直に驚いていた。

「……全然駄目ね」

 彼女は小さく舌打ちをして、手を下ろした。まずい、こちらに来る。僕は即座に体を引こうと思ったが、自分の足元でとても軽快な音がした。木の枝を踏んで、その折れた音が響いてしまったのだ。あっ、と自覚した時にはもう遅かった。顔を上げると、彼女はその瞳をしっかりとこちらに向けていた。バレた。僕は言葉を失った。しかし、彼女はまったく表情を崩さないで、ゆっくりとこちらに近づき、手を差し出した。

「あなた、今のを見ていたわね」

「あ、ああ……」

「なら、少しだけ協力してほしいことがあるの」

「協力?」

「私は、一つ画期的な魔法の技巧を編み出したわ。それを試してみたいの」





 彼女はクインリイと名乗った。しかし、彼女から与えられた情報はそれだけだった。そして、私とここで会ったことは絶対に秘密にしていてほしいと言った。僕は同意した。彼女――クインリイが一体何をしようとしているのか興味があったし、何か彼女を裏切ってはいけないような、そういった不思議な感触を憶えたからだ。何か人を惹きつけるところがあるのかもしれない。僕は彼女が、この崖で一つの魔法実験をしようとしていることを知った。それは、他人の手を握ると、自分の魔力を他人に移すことができるかもしれないというものだ。

「この崖から私の炎魔法でいったいどれくらいの距離、私の炎魔法が噴射されたのかは今の一撃で確認済みだわ。けれど、私の仮説が正しければ、誰かと手を繋いで集中すれば、魔力を他人に移すことができる。例えば、今あなたが私の手を掴んで集中してくれれば、あなたの魔力が私に移る。すると、あなたの魔力が私の魔力にプラスされて、私は先ほどよりも炎の距離を伸ばすことができる。この技巧は、おそらく私しか知らない。私が考え出した唯一の技巧よ」

「なるほど。それで、その炎魔法がどれだけ伸びるか、そして伸ばすことができるのかという実験をするためにこの崖にやってきたんだな」

「そういうこと。街の中では当然できないし、この崖からは街が見えるわ。この崖から街までの距離は測定済みだから、いったいどれくらい炎魔法が噴射できたのか、きちんと測ることができる」

 僕は崖から遠くを見た。下はやはり木々が生い茂っているが、そのさらに向こうを見ると、僕の住んでいる街が見えた。屋根や家々の窓もよく見えていて、おそらくあの窓が僕の家だろうというところまでわかった。僕の家はちょうど街の端っこの崖のところにあるからだ。ああ、今頃姉は家でのんびりしているのだろうなあ。しかし、なぜ僕がこんなところまで果物を取りにこなければならなかったのだ、と悪態ばかりついていたが、こんな風にクインリイと出会うことができたのは、何かしらの縁だと思い、それほど嫌な気持ちはしなかった。それに、魔力を他人に移すことができるというのは初耳だ。僕はとても興味を持った。

「あなたはいったい、どんな属性を扱うの?」

「僕も炎だ。僕の家は代々炎魔法の家系なんだ」

「そうなの。それなら好都合じゃない。炎魔法の使い手にはやはり炎魔法特有の魔力がある。だから、他人に移すのもやっぱり性質同士の魔法使いの方がいいでしょうね。だから、あなたと出会えたのは幸運だったということ。炎魔法同士、実験に協力してくれると嬉しいわ」

「わかった。構わないよ。で、実際はどうすればいいの?」

「私の手を取って集中してくれればいい。そうすれば、あなたの魔力が私の中に入る」

「そうすると、どうなるんだろう」

「どうなるんでしょうね」

 クインリイは小さく微笑んだ。きっと実験結果がとても楽しみなのだろう。僕は進んで協力することにした。

 実験はこうだ。僕は毎日この崖でクインリイと会う。そして、彼女の手を繋いで、彼女に魔力を移す。もちろん、彼女はすぐにそれを放ってしまったりはしない。クインリイ自身の魔力と僕自身の魔力が彼女の中に蓄えられるので、それを彼女はしばらくの間溜め続ける。すぐに放出しても、もしかしたら明確な距離の違いがわからないかもしれないからだ。ある程度彼女に僕の魔力を与え続けて、そして十分に溜まったという時点で初めて彼女はあの崖から魔法を射撃する。僕はそれを、街と崖のちょうど真ん中あたりの平原で観察する。五日間でまず一回計測し、次は十日後、という風にやっていく。

「では、やってみましょうか」

 彼女のそんな言葉を皮切りに、僕はクインリイの手を握って集中する。魔力を練り上げるイメージと、それを相手に受け渡すイメージ。自分の手のひらから炎を放出してはいけない、しかし相手に与えるような感覚でなければならず、そこがなかなか難しかったが、僕と彼女の手が繋がっている周りを赤い光がふわりと光って、波のようになって彼女の腕から肩にかけて伝わっていくような動きを見せた。長くしていると光は消えて、僕は一気に体が重くなった気がした。彼女の手を放して、溜め息を吐く。

「疲れた?」

「ああ、とても体が重い」

「ごめんなさいね」

「構わない。僕も実験には興味があるから」

「ありがとう。では、また明日ここでね」





 家に帰ると、姉がお腹を空かして待っていた。そういえば、果物を取りに行っていたのだ。クインリイのことで頭が一杯だったが、帰宅した僕の手には、しっかりと果物が握られている。

「あんた遅いわよ、何やってたの?」

 いつにまして苛々していたというのに、僕がクインリイと会っていた所為で待たせることとなり、その苛々をさらに助長させてしまったようだ。何やってたの? と言われても、僕は彼女のことを誰にも話さないと約束してしまっていた。それに、僕も彼女の素性をまったく教えてもらわなかったので、詳細に話そうとしても無理だった。結局、途中で寄り道してきたと適当に誤魔化した。魔法の実験のことなどは、研究室所属の姉も興味を持つかもしれないが、もし興味を持たれてその子に会わせなさいと言われるのが嫌だった。秘密にするという約束は守らなければならないのに、姉ならきっと強引に会いに行こうとするのだろう。クインリイのことは話さない方がよいのだ。

「あー、もう……」

「とても機嫌が悪そうだね、姉さん」

「当たり前じゃない」

「そんなに、その、研究室の子が嫌いなんだね」

「嫌いよ。もう来なければいいんだわ」

「そこまでか。でも、あんまりひどいと、その子も姉さんのことを嫌っているかもしれないよ」

「いいわよ。それで来なくなるんなら」

 この調子だと、多分すごく酷いことを言ったんじゃないかと思えてくるが詮索は止めよう。その子は研究室に来なくなったと聞いたけど、もしかしたらそれが原因で来なくなったのか。だとしたら本当に姉のことを嫌いになって来なくなったのかもしれない。文句を言われて次の日から来なくなったのならその可能性は十分にある。やはり自分の家族が嫌われているのかもと思うとそれはそれであまりいい気持ちではないが、この姉が勝手に嫉妬して暴言を吐いただけなのだ。やはり姉に非があると言わざるを得ない。僕は会ったこともないその後輩の子に心の中で謝罪した。

 姉に果物を一房だけ渡すと、思いついたように席を立った。それから、その平原側にある窓とは反対側の窓から身を乗り出して、お隣のベランダに声を掛けた。

「教授ー! 果物入りませんか?」

 姉が呼びかけたのは、姉が所属している魔法大学炎魔法研究室の教授である。すぐ隣に住んでいて、こちらが窓から声を掛ければ結構な確率で反応してくれる。こちらの窓からは教授の机が見える。あそこで作業をしているのか、大量の蔵書が見えた。教授はやれやれと言ったような調子でこちらに気付き、席を立つと、姉と同じように窓から身を乗り出した。

「おはよう。君は朝から元気だな」

 教授は姉より一回り年上だが、若々しい雰囲気を持つお方だった。姉はかなり熱を上げているようで、今もなんとかアプローチを掛けている。なるほど、この教授が後輩の子を天才天才と囃し立てているから嫉妬したんだな。だからその後輩にとても強く当たったんだ。僕は呆れていたが、姉は果物を教授に向かってふわりと投げた。教授は軽々とキャッチする。

「ありがとう、いただくよ」

 それから教授は自分の机に戻り作業を再開したようだった。姉の話によると、教授は大学に来る日と来ない人がある。来る日は大学で研究室の人間の実験の会に出るためで、それが無い日は家に籠り、今僕がこちらから見ているように、机に常に座っているという。教授が何かをがりがりと書いている背中が印象的だ。

「姉さん、教授の邪魔になるから」

「わかってるわよ」

 僕は適当に果物を調理し、皿に盛りつけ、姉の座っている席に置いた。それから、美味しそうに果物を食べる姉を尻目に、平原側の窓から外を見た。先ほどクインリイと話した、あの崖が遠くに見えた。






 次の日の午前中以降、僕は学校が終わってから崖へと向かい、クインリイと会う。彼女も学生らしかったが、あまり素性は話してくれなかった。夕方に会っているのだから彼女の学校が終わってからこちらに来ているのだろう。僕は崖のところで彼女の手を握り、集中する。彼女に魔力を明け渡す。クインリイは自分の手のひらを見つめ、そして崖の向こうの街を見つめた。夕焼けが少しずつ沈んでいくような、紫がかった平原がとても美しかった。

「ねえ、この実験はどのような条件で終了なんだい」

「どういうこと?」

「だって、五日目にまず一撃放つんだろう? そして、次は十日。それはわかる。でも、それで延々と続けても終わらないじゃないか? 僕が毎日君に魔力を渡せば、それだけ距離は伸び続けるだろうけど、でもそれだと切がないと思わないか?」

「距離を伸ばし続けて、あの街に届くくらいになったら終わりにしましょう」

「どれくらい君に魔力を渡せば、あの街に届くんだろう」

「わからないわ。でも、ある程度やれば大丈夫でしょう」

 それから二日、三日とクインリイに魔力を明け渡した。僕は毎日ほぼ全ての魔力を彼女に渡したため、家に帰る頃にはくたくたになっていた。姉に、あんた最近ものすごく疲れているわね? と言われてびっくりしたが、それほどたくさんの魔力を彼女に渡しているのだ。どれくらい距離が伸びるのか楽しみではある。

 そして五日目、最初の放出日がやってきた。僕は一度あの崖でクインリイに魔力を与えると、それから歩いて平原の真ん中あたりに移動した。左の遠方にあの崖が見えて、彼女の姿が小さな点のように見える。一方、右の少し行ったところには街の姿があって、僕の家が普通に見えた。窓が開いているから、おそらく姉はもう家に帰っているだろうと思った。いつものように机に座って何かしているのだろう。――いや、それより実験だ。僕は崖の方に向かって準備ができたと手を振った。

 次の瞬間、あの崖の上の点がきらりと光り、赤く細長い光線のような炎魔法が猛烈な勢いで空を割り裂くように噴射された。僕の頭上あたりを尋常ではない速度で飛び越えて、平原の真ん中など余裕で通り超えていく。炎は街の一番端の建物――僕の家のギリギリ手前――あたりで止まり、魔法は空気に馴染んでいくように霧散した。あの崖から平原の真ん中あたりまでが彼女自身の炎魔法だけで届く距離だったが、今はかなりの距離を伸ばしていた。魔力の受け渡しは成功だったのだ。もしかしたら、僕の家の窓から見えたのかもしれない。姉が目撃している可能性もある。もし話を振られたら、何も知らないと言わなければ。そんなことを考えながら、崖の所へ戻った。

 ようやく崖に戻ってきて、道中考えた報告をしようと彼女の背中に声を掛けようとする。しかし、彼女は何かをぼそぼそと呟いていた。僕には気付いていない――というよりも、何か他のことに気を取られているようだった。その言葉の内容は、まったく意識せずとも僕の耳に届いていた。

「……駄目よ……これでは窓に届かない……」

 窓? 僕は引っ掛かったが、何の気なしに近づいた。

「どうしたの」

 彼女は僕に気付くとはっとして、目を泳がせた。今まで見たことのない、明らかな動揺だった。「なんでもないわ」と、そう答えた。何か後ろめたいことでもあるのかと不審に思ったが、言葉の意味もわからなかったので何も追求できなかった。とりあえず、今は報告をしよう。さっきの平原での光景を思い出しながら彼女に報告する。

「この崖と街のちょうど真ん中が君だけの魔法で届いた距離だったね。でも、さっきのはすごかった。真ん中なんてもんじゃない。もう少しで街に届くところだった」

「そう、そうね……」

「何か気になるのか?」

「いえ。でも、まだまだだわ。実験はもう少しできそう」

「お、おい」

「明日からもまたよろしく。今度は、十日後に放ちましょう」





 僕は家に帰り、机でぐったりしている姉にただいまと声を掛けた。

「最近遅いわね。何をしているの? 今までは学校が終わったらすぐに帰ってきていたのに」

「姉さんこそ、大学はいいのか」

「研究室は週に一回行けばいいし、午前中だけで十分なの。午後はずっとここでお昼寝していたわ」

「姉さんが嫌いなあの子は来てる?」

「来てないわよ、ずっと。最高ね」

 まったく何とも怠惰な姉だ。そのくせ、研究室の後輩は罵倒するとはさすがの僕も擁護できない。姉の席のちょうど真正面にある窓は開いていて、夕方が少しずつ夜に沈んでいくような、柔らかく冷たい風が入り込んできていた。僕はそこに立ち、先ほど彼女と会話した崖を見る。平原の真ん中に立ったところから崖を見つめると、彼女は点のようだった。だから、そのまた遠くのこの地点からは、その崖自体が店のように見えた。さっきの炎魔法は、この少し向こうあたりまで来ていたのか。この窓からは平原の草花のさざめきが見え、そしてずっと向こうにあの崖と森が見える。

「姉さん」

「なに?」

「ずっとこの窓を開けていた?」

「ええ――あっ、そうそう。さっきすごかったわよー、ちょうど目が覚めてぼんやりしていたんだけどね、窓の向こうでぴかっと光ったと思ったら、赤い――あれは炎かしら――が、こっちに向かってきたのよ。まあ、ここまでは当然届かなかったけど」

 ――『これでは窓に届かない』……。

 僕の中に、何かと何かが繋がった。

 まさか。

「姉さん、その、姉さんが嫌いで研究室から追い出してしまった後輩の女の子の名前は?」

「えっ? どうしてそんなこと聞くわけ?」

「いいから」

「クインリイよ」





 五日後。つまり、実験が始まってちょうど十日目。僕とクインリイはいつも通り崖に立ち、やはり群青の平原を見つめていた。彼女はそれじゃあと言って、まずこちらに手を差し出した。いつもなら、僕はすぐに彼女の手を取って、魔力を受け渡すために精神を集中させるはずだった。だが、僕は動かなかった。彼女の白い指先が宙で止まったまま、僕は黙っている。

「どうしたの」

 言うべきか言わないべきか、悩んだ。五日間。しかし、やはり言わなければならないのだ。

「君に話がある」

 僕がそう言うと、彼女は静かに振り向いた。

「何かしら」

 彼女はとても堂々としていた。

「これから僕が話すのは、一つの仮説にすぎない。言ってみればなんてことのない推測だ。できれば、あまり当っていてほしくない推測だから、もし少しでも外れているところがあるのならすぐに反論してくれ。その方が僕としても嬉しい」

「…………」

 クインリイは何も言わないまま、そしていつも以上に真剣な眼差しで僕を見据えている。心当たりがあるのか、それともその内側に何か策を弄しているのか。しかし、それでも僕は自分の中の推理を彼女に話さなければならない。それはぼくのためでもあるし、彼女のためでもある。そう、これは僕の妄想であると祈っているのだ。否定してほしいのだ。だからこそ話すのだ。

「僕の姉は魔法大学の研究室に所属している。その姉から、こんな話を聞いた。『天才と囃し立てられた後輩に文句を言ってやったら、来なくなった。とてもせいせいしている』――……そして、その後輩の名前は、クインリイ。つまり君だ。君は魔法大学の研究室に所属しているんだ。そして、僕の姉の後輩。君は天才と教授に持て囃され、周りから妬まれていた。君が天才なのは、魔力を受け渡すことができるという画期的な技巧を考え付いたことや、そもそもたった一人の魔力でも、崖から平原の真ん中まで炎を噴射できることからも十分に推測できる。君は天才で、あの研究室の人間だった」

 僕は続けた。

「そして姉が数日前に君に暴言を吐いた。僕はその内容を知らないが、随分酷いことを言ったようだね。それを境に、君は研究室に来なくなってしまったと姉は言う。なぜか? 君は、僕の姉に殺意を覚え、実際に殺す計画に出たからだ」

 彼女は何も言わない。

 それは、肯定なのか。

「この崖からあの街が見える。そして、僕の家はその街の端っこの崖の上にあり、この崖からちょうど僕の家が小さいながらも見えるんだ。そして、その窓も。おそらく目を凝らせば、僕の家の窓を通り越して、その中にある机で作業をしている姉の姿が見えるんだろう。君はこの位置から強力な魔法を使って、窓を狙い、姉を炎魔法で焼き殺すつもりだったんだ。窓が小さくたって、そして姉が小さく見えたって確実に炎魔法を撃ちこむことのできる自信が君にはあったんだ。君は天才だから」

 例え、あの窓が見えなくても、そして窓の内側の机で作業している姉が見えなくても、目測を誤らなければ確実にそこに炎魔法を叩き込むことができるのだろう。視力が届かなくとも、天才の所業ならば。彼女は僕の家の間取りを事前に調べていたのだ。あるいは、この時間に姉があの机で作業をしていることを。姉のあの位置は、窓から炎魔法を叩き込めば直撃する。それを知っていたのだ。知っているなら、この遠距離でもその位置を狙えば確実に当たる。その自信があったのだ。彼女の炎魔法は威力こそ強かったが、細長い一本の光線のような魔法だった。それは『窓枠に収まる』ためだったのだ。

 頭の中に、そうなる可能性のあった未来を想像する。彼女と僕が協力して練り上げた炎魔法の一撃が、窓を通ってそのまま姉を焼き殺す。姉は死ぬ。これは、犯罪だったんだ。僕はその犯罪計画の一部に加担していたのだ。

「そして、この遠距離から姉を焼き殺す。王都警察は動くだろうが、まず犯人は特定されないだろう。なぜなら、犯人はかなりの遠距離に存在したからだ。まさかこんな遠距離から炎を撃ちこんで殺しただなんて警察は考えまい。部屋に証拠は存在しない。さらに、もし君が疑われたとしても、アリバイがある。僕だ。僕は君の計画など一切知らない。もし君が疑われても、当然君を庇うだろう。僕は『出会った少女の魔法実験に参加していた』だけなのだし、僕は君に魔力を渡していたのだから。僕がそのように証言すれば、君の無実が証明される。僕は知らず知らずのうちに犯罪計画に加担していたんだ」

 冷たい風が彼女の髪を撫でる。

 静寂。

「何か、反論はあるかい」

 彼女の瞳の内側にあった光が、今はずっと、今までの数日間の物とは違う光に変わっていた気がした。しかし、それは今変わったのではなく、僕の見方が変わったのだ。その光はずっと灯されてきていたが、その意味合いに触れてしまった瞬間、僕の彼女への向き合い方が変わった。だからこそ、その瞳の黒さにおののきそうな気持ちが生まれたのだ。

 彼女は口を開かなかった。しかし、静かに腕を上げる。

 右手を街へと向けた。

「姉さんはいない。そんなことだろうと思って、姉さんは今、噴水のところで僕を待っている」

 時刻に寸分違いはない。まさにちょうど今の時間だ。僕は朝、姉さんにこの時間になったら街の噴水に来るように言ってあるのだ。クインリイが本当に姉さんを殺す気があったのなら、それを防ぐために。姉さんは今、確実に家にいない。約束の時間に来ない僕を噴水のところで待ちわびている。ごめん、姉さん。でも、守るためには仕方ない。そして、彼女を留めるためには仕方がないのだ。

 だが、彼女は不敵に微笑んだ。

「それを聞いて安心したわ」

「どういうこと……」

「私の勝ちということよ」

 次の瞬間。

 彼女は街へ向かって炎を放った。

「なっ――」

 異常な勢いだった。それは僕が彼女に魔力を受け渡したからだったが、一直線の赤黒い光線に、その全方向から螺旋の形をした竜巻のような光がまとわりつくような一撃だった。それが真っ直ぐ、ただ真っ直ぐにあの街を穿つ。間違いなく、僕の家の方角へ向かっていた。炎が緩やかに力を失って、熱だけが空気となって風に変わる。彼女はゆっくりと腕を下した。

 何を……したんだ――。

 僕の家――家の方角――……僕は気付けば走り出していた。森を抜けて、平原を必死に駆けた。今日は彼女に魔力を預けていなかったから、走るだけの力はあった。だが、不安と焦燥感がひたすら自分の呼吸を荒くした。ようやく家に辿り着くが、扉の向こうに……そう考えるだけで、扉を開けることがためらわれた。だが、開けなければならない。僕はゆっくりと開けた。

 何も、なかった。

 誰もいなかった。

 姉はいない……。当たり前だ。僕が逃がしたからだ。平生と変わらない部屋模様が目の前にあることに安堵しつつも、逆に驚いていた。――いや、そうじゃない。先ほどクインリイが放った一撃はここを狙ったはずなのに、なぜ部屋が燃えていない? それに、姉がいないはずなのに、『なぜ撃った』……?

 その瞬間だった。僕の後ろ、扉から姉さんが入ってきた。

「ただいま」

「――――姉さん」

「あんた、何やってんの? 噴水に来なさいよ。待ちくたびれて帰ってきたのよ」

 姉は無事だ。生きている。

 だったら、さっきの一撃は……。

 反対側の窓を見た。

 まさか。

 僕は『もう一つの窓』を見た。

 平原を臨む窓と、姉が使っているテーブルを挟んだ――反対側の窓。

 教授と会話することのできる窓――。

 僕は目を見開いた。

 教授の部屋。

 そこに、黒焦げで机に突っ伏した誰かの姿が見えた。

 僕は戦慄した。

 そうか。

 そうだったのか……。

 僕は完全に思い違いをしていたんだ。この部屋に窓は二つあり、それは平原側とそのちょうど反対側にあるのだ。だから、もし一直線に炎魔法を光線のように撃ちこめば、窓を二枚通って、その先へ行くのだ。この部屋はその空間の真ん中にある、ただの通過点でしかなかった。そして行き着く先は。

 クインリイが殺したかったのは、教授だったのだ!

 あちらの部屋を見ていると、そこに王都警察が現れた。そして、窓を通してこちらを見る。――まずい、と僕が息を飲んだ瞬間、僕たちのいる部屋にも王都警察がやってきて、姉が拘束された。「先ほど通報があった。隣の家で教授が死んでいると。それが可能だったのは、お前だけだ」問答無用で手錠にかけられる姉は動揺で目を白黒させたが、手首ががっちりと動かなくなると、狂ったように違うと否定し始めた。そうだ、違うんだ、姉じゃないんだ。僕はやってきた警察にしがみつき、反抗した。

「待ってください! 意味が分からない。なぜ姉しかいないと断言できるんですか?」

「窓を見ろ」

「窓――」

 僕はこの部屋の窓を見た。教授の部屋側の窓だった。

「ここだ」

 警察が示したのは、窓枠の木の部分だった。黒い線上の痕が付いている。警察はまた、その外側の向こう側にある教授の部屋側の窓枠を指さした。そちらにも、黒い線上の痕跡が残っていた。これは――炎魔法の光線の周りに付随するような、熱が作り出す炎痕。直接物に当らずとも、その近くを炎魔法が通過すれば、その熱で黒い痕が残る。それが、こちらとあちらの窓枠にしっかりとついていた。

「こちらの部屋の窓枠と、教授の部屋の窓枠に同じように黒い線が残っている。それは紛れもなく『この部屋から炎魔法があちらの部屋に向かって放たれた』証拠に他ならない」

「違う、それは違う。では、こっちの窓ではなく、平原側の窓を見てください! こっちにも黒い痕が付いているんです。犯人は姉ではなく、平原側の窓の外からこの部屋を間に挟んで教授に魔法を撃ちこんだんです!」

「何を言ってるんだ? 君の家の平原側の窓の外は崖になっていて『人は立てない』だろう」

 そうだ、僕の家は崖の上にある。だから、平原側の窓の外に人は立てない。

 だけど、違うんだ。僕は秘密とされていた約束を、その人の名を、完全に暴露することにした。やむを得なかった。彼女に対して悪いという気持ちさえなかった。姉が警察の拘束に泣き叫び出している。僕は必死に反抗した。

「でも、そのずっと向こうから――そうです、平原の向こうの、森の崖の所から炎魔法を撃ちこんだ人間がいる! 名前はクインリイ! 魔法大学の研究室にいる人です。僕は彼女が森の崖からここまで魔法を撃ちこんだのを見ていたんですっ」

「馬鹿か? あんな遠いところからここまで炎魔法が届くわけないじゃないか」

 彼女は天才だった。その技巧――他人が他人に魔力を移すこと、そうすることで魔法の威力と距離を伸ばすことができるという技巧は、誰にも教えていないと言っていた。そう、その技巧は彼女しか知らないのだ。だから、あんな遠いところから撃てるなんてことを信じてもらえるはずがない。誰も、もちろん警察も信じない。彼女だけの技巧だからだ。

「でも、どうして姉なんですか! 僕かもしれないじゃないですか!」

「君にはアリバイがあるのよ」

 その言葉は僕の部屋に入ってきた人物によって告げられた。

 クインリイだった。

「クインリイ……!」

「私が通報したわ」

「なぜ」

「決まっている。そこの女が、教授を魔法で撃ち殺したからよ」

「あんた……あんたは……」

 警察に取り押さえられている姉が、怒りに顔を真っ赤にした。クインリイは涼しい顔をして、姉に向かって言った。

「なんて馬鹿な人なの、あなたは。まさか、あの教授が私にばかり構っているからといって嫉妬して、教授を撃ち殺すなんて。警察の方、この女の人は私の研究室の先輩です。私が少しばかり優秀だからあの教授は私ばかり褒めていました。だから、あの教授を慕っているこの方は教授を嫉妬のあまり殺してしてしまったのです。あの窓枠の炎魔法の痕が証拠です。彼女は私と同じ炎魔法の研究室にいますから、彼女は炎魔法が使えます。そしてこちらの男の子も炎魔法の使い手ですが、先ほどまで私と一緒にいたので、彼が犯人ではありえません。そうなると、この部屋にいたのはこの女の人だけになりますから、彼女が犯人なのは明白です」

 僕は唖然とした。

 自分で殺しておいて、そして姉を犯人に仕立て上げておいて、飄々と探偵役がごとき推理で警察を納得させたのだ。僕は何を言えばいいのだ? 彼女の論理に綻びがあるのか? 今、僕はどうやったら彼女が犯人だと証明できるのだ? できやしない。彼女はあの崖から撃ち殺したのだ。この部屋を介して、教授を。それなのに、まさか一番最初に通報して、そしてそのまま姉を犯人とするのか。

 僕が何も言えないまま、姉は絶叫のまま警察に連れて行かれた。部屋には、僕とクインリイだけが残った。完全に何かが、決定的な何かが部屋から失われた、その静寂が自分の感覚を蝕んでいる心地さえした。隣の部屋からやってきた、焦げた匂いが鼻を突く。クインリイは、にやりと妖艶に口元を吊り上げ。

「私の勝ちね――ごめんなさい、あなたがあの人の弟だと知っていて、あなたを誘った。共犯者になってもらったの。そしてアリバイ証明のための人に。動機? あの教授はどうも私を天才天才と煽り過ぎて、研究室の空気を悪くしているわ。それで妬まれるのは私なのに。つまり、あの教授が最も私に嫉妬していた。だから私をそんな風に囃し立てて、皆に疎まれるように仕向けていた。それがとてもうざったかったわ。それに、君は才能があるから直接指導するなどと言って、二人きりになっては、私に交際を申し込んできたのよ。有り得ないわよね。だから殺そうと思った。ああ、あなたのお姉さん? 悪いことをしてしまったわね。けれど、あんなクズのような女でも私の代わりになってくれたわ。あんな自分勝手な人は痛い目を見た方がいい。ええ、あなたのお姉さんは悪くないわよ。彼女が私に酷いことを言ったのは、結局教授が私にご執心だからであって、そうなると全ての元凶はあの教授だから、あの教授を殺し、あなたのお姉さんを犯人にすることにしただけだから」

「…………」

「それより、あなたは私の共犯なんだから、まさか裏切るわけないわよね」

 彼女は平原側の窓際に手を置いて、外を見つめた。彼女の指が、彼女自身の魔法が焦がした黒い痕跡を這った。晴れ晴れとした表情を、薄ら青い夜の色合いが光となって照らしている。彼女の表情の向こうに、彼女自身が魔法を放った、あの森の崖が小さく見えた。





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