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 中途半端な今の季節、夜に薄着で歩くのは涼しいを通り越して気持ち肌寒い。

 薄い月と微かな街灯を頼りに、俺は歩いている。地形を考えれば登っていると言った方が適切なのかもしれないが、綺麗に舗装されたアスファルトの地面が山を登るという感覚を薄れさせている。

 隣町へ向かう曲がりくねって分岐の少ないこの街道は、峠を攻める走り屋にとってはさぞ優良なコースだったのだろう。 だろう、と過去形なのは実際に過去の事だからだ。なぜか今ではさっぱりそういう類いの連中を見かけなくなった。良識ある一般市民の視点から見ればありがたいことだが、……その辺りにもろくでもない理由があるのかもな、と先の事を憂いながら車一台通らない夜道を黙々と歩き、

「……ここだっけ」

 脇へ反れ、山林の中へ足を踏み入れた。

 今度こそ正真正銘の山道である。今自分は山を登っているんだ、と実感できる。

 突き進むこと十分、草木が拓き、視界が開け、たった一棟、虚しく佇んだ廃ビルが見えてきた。

 百人が百人、近寄りたくないと感じるだろう。

 無論、俺も百人の内の一人である。特に俺はこの建物で少なくとも四つの命が消失した現場を目の当たりにしているわけで、不気味さも通常の五割り増しだ。どす黒いオーラさえ感じる。ゴゴゴゴゴと、そんな擬音が聴こえてきそうだ。

 しかし、今の俺に夕方のような怯えはない。

 今では暗くてもう見えないがそこらじゅうに書かれているはずの、死とか、殺とか、攻撃的なアートを思い出し、その文字が持つ現実味リアリティを肌で感じながら躊躇せずドアを押し開けた。

 不気味、それはあくまで感情の問題だ。消失した命は消え失せるだけでこの世に未練を持って彷徨ったりしない。俺はそれを誰よりもよく知っている。

 恐怖、夕方感じたそれは何が起こるかわからないという曖昧な感情に因るものだったが、これから起こることははっきりしている。もうどうしようもなほど明らかだ。救いようがないほど明々白々だ。

 つまり、殺し合い、死なせ合い。

 中は暗く、目を凝らしてもようやく足元が見えるか見えないか。故に室内の全容はわからないが、夕方と一緒の荒れ果てた光景が広がっていることだろう。

 そして、夕方のように一階から探そうと足を踏み出した矢先、 

 ――――クスン。

 上から女のすすり泣くような声が聞こえた来た。

「……ビンゴ」

 非常に残念なことに、俺の勘と推理は見事に的中。そして残業さんはまだ残ってくれていたようだ。とりあえず一番の懸念事項は解決した。

 もう二度と偽名なんか使うものか。心に固く誓いながら手探りで階段を登る。

 ―――ヒック、ヒック、ウゥゥ。

 上がるに従って明確になる声。

 怪奇! 深夜の廃ビルから女の泣き声!? 

 常軌ならBダッシュで逃げ出す怖さだが、俺は何が泣いているのか、なんで泣いてるのか、その理由まで知っている。……くどいようだが、これから起こることも。

 階段の途中の踊り場で二階の薄暗いフロアを見渡す。

 窓(ガラスは例外なく割れているが)から射し込む下界の頼りない明かり。神秘的とまではいかなくても、なかなか幻想的ではある闇と光と廃墟の世界。

 その世界の中央に黒い影があった。

 ――ウゥ、ヒック、ゥゥゥゥ。

 最後の一段に足を置きながら、ようやく闇順応してきた眼を凝らす。

 その影は一人の少女だった。

 夕方、一人の少女が絶命した血だまり、そこで一人の少女が抱えた膝に顔を埋め、咽び泣いている。

 座っているのでいまいちわからないが、背丈は夕方の少女より少し高め。暗いのでよく見えないがジャージだろうか。ラフな格好だ。

 そして、背を向けているのでこちらに気付いていないが、 

「こんばんわ」

 即行で声を掛けた。夕方と違い観察する必要はない。

「――っ!?」

 その挨拶に少女はビクンと肩を揺らして。振り向く――と思ったその前に、

 “液状のモノ”が周りから現れ、その身体を飲み込むように包んだ。そして、俺から一気に距離を取りつつ、身を翻し正対する。

 そんな場慣れした動きを見せる少女が全身に纏った液状のモノは、微かな明かりに七色に輝いている。あれは紛れもなく――“銀“。

「……かっくいいー」

 ってのは建前で、気色悪ぅ。本当に全身銀色だ。ターミネーターの液体金属っていうか俺的には64のメタルマリオを彷彿とさせる。 

「まあ、そう慌てるなって」

「………」

 銀を纏った少女は応えない。

 俺は軽く嘆息して、とりあえず最初に言おうと決めていた科白をのたまう。

「俺の名前は神山弼かみやまたすく。夕方の冴木亮っては偽名だ」

 少女はそれでも応えない、否、気付かないが、ザリ、とその場で足を広げ、腰を落とした臨戦体勢。

「ただ……ただちょっと話しがしたいだけなんだよ」

 あえて選んだ夕方と同じ台詞。

 その台詞で少女はようやく気付いたのだろう。

 正体不明の者を警戒する視線が、仇を忌む凝視に変化する。

 空気から曖昧な不気味さが消え失せ、明確な殺気が充満する。

 そして、八方に散った殺気は一斉に矛先を俺に向け、一点の殺意に昇華する。

「お、――お前はっ」

 僅かな明かりをバックに少女が動く、

「お前はっ!」

 違う、動いたのは少女ではない。少女が纏った銀の粘土がうねうねと蠢く。

「お前はっ! おまえはっ!」

 腹から、腕から、肩から、頭から、触手のように伸びた無数の銀粘土が全て、俺に照準を定め、鋭く硬質化、そして、

「お前はっ! おまえはっ! オマエはあァァァアッ!」

 咆哮と共に、発射された。

 無数の針、夕方と違い、速い。しかし、

「おっと」

 それは身を捻るだけで簡単に回避できた。後ろからは一つの轟音。

 夕方と違い、その攻撃は一点集中だった。全ての針が俺の心臓ちゅうしんを狙って真っ直ぐに飛来。まるで一本の巨大な槍。しかし、それでは簡単に避けられる。これでは無数の意味がない。

 無数の針は憤怒の表れ。一点集中は必殺の表明。今の彼女は効率的な攻撃など考えられないほどに感情的なのだろう。

「死なせ合いなら、おおっと!」

 言いさして、後ろからの気配で咄嗟に伏せる。

 俺の後頭部を巨大な槍が掠めた。それはそのまま高速で少女へ向かって、空中で弾けた。いや、溶けたと言った方が正確かもしれない。液状になったそれは再び少女を覆う銀の鎧へと姿かたちを戻す。

 少女は、ちぃっ、と盛大に舌打ちをして、間髪容れずに再び銀の触手を伸ばした。

「ちょ、おいっ。落ち着けとは言わないが話ぐらい聞け。死なせ合いなら後でしてやるからさ。あんたも聞きたいことあるだろ?」

「………」

 それでも少女は応えないが、銀の触手が動きを止めた。 

 それを無言の肯定と受け取り、

「よし。じゃあ、まずこれ」

 と、ずっと肩に担いでいた赤いランドセルを降ろす。そんなもん背負っていたのか。緊張感のないやつだ、とかは思わないで欲しい。だって手で持って移動するのも結構な重労働だったから。

 ごそごそと中を手探り、銀色の小包を取り出し、少女に向けて放った。

「!」

 その小包に銀の触手は素早く反応。針状に伸びるが、小包の中身を悟ったのだろう。少女は針を引っ込め、自身でキャッチした。

 そして、その顔は敵意剥き出しの般若のようなそれからみるみる変化。口を一文字に結んだ、何かに耐え忍ぶような少女のそれに戻る。

「……うっぅぅぅぅ…ぁあ…ぅぅぅ」

 小包を胸に抱き締め、俯いてうめくような声を上げる少女。

 しかし、それでも少女が纏った銀という殺意は消えない。当然だ。こんな茶番で和解できたらこっちが困る。

「最初に謝っとくけど、その“おにぎり”、一個貰ったから。タラコだった」

 少女は銀の小包を銀の身体で大事そうに抱いたまま、ふるふると頭を振り、

「……なんで?」

「なんでって? おにぎり食った理由? 腹減ってたからだけど、まずかった? ああ、おにぎりはおいしかったけど――」

「違うッ! そこまでわかっているのに、なんでっ、……なんで殺したッ!?」

 泣き顔を憤怒で歪ませる少女。その視線には怒り以上に軽蔑が含まれている気がした。おいおい。怒りはわかるが、軽蔑される謂れはないだろう。

「いや、確信したのはついさっき、ランドセルの中身を見たときだし。ま、あの場でも違和感は感じたけどさ、説得しようとしたとしても、どうせきみは攻撃止めなかっただろ?」

「………」

 無言の肯定か。やはり交渉するに値しない。

「それで、俺からの質問なんだけど」

 ここで無駄にたっぷり間を開ける。今にも爆ぜそうな殺意を惜しげもなく浴びながら。

 俺は口を開く。

「なんで“妹”だけ殺さなかったんだ?」

 唯一訊きたかった質問を、通り魔兼一家惨殺の真犯人にぶつける。

「家族を皆殺したのはあんたなんだろ? その銀の異能が宿ったその場で家族を殺して、外の一般ピープルも屠った。違うか? いや、それは当然だ。異能が宿った瞬間ってのはどうしてもその機能ちからを試したくなるもんさ。それはしょうがない。納得しよう。でも、だ。なんで妹だけは殺さなかった?」

 少女は答えず、殺意だけで人が殺せるなら俺はとっくに五回は死んでいるような眼光を光らせる。しかし構わず続ける。

「うまく言い包めて、もしくは脅して、異能の隠れ蓑として利用したって考えるのが順当だろう。が、異能が宿った瞬間にそこまで殊勝なこと考えられるとは思えないし。何か、異能の毒から醒める程のよっぽどのことでもあったのか? それとも……、まさかだ。まさかとは思うけど、罪悪感とか言わないよな? でも、泣いてたってことは罪悪感の方がその理由なのか?」

 同じ質問のしつこい繰り返しに、ようやく少女は口を開く。しかし、それは、

「家族を殺したのは私。……でも、でもっ、お前に何がわかるっ! ……お前には……お前には関係ないッ」

 俺の質問への答えではなかった。残念無念。

「まあ、そうなんだけどさ。他所様の事情だし、それ言われたら弱い。じゃあもういいや。それで、あんたは? 何か他に聞きたいことない?」

 しばらく沈黙が続き、

「………あの子は」

 殺意と反比例して萎む声。いや、比例してるのか。まあとにかく、そんな消え入るような呟きでも俺は相手の言わんとするところを理解できたのだが。それでも意地悪く聞き取れなかった振りをして、は? と耳に手を添えた。

「……響子は、……どうなった?」

「おかしな事を聞くんだな。見てたんだろ? それにあんたも言ってたじゃん、なぜ殺したって」

「………」

「御覧と周知の通り、死んだよ。今埋めてきた」

「――――」 

 歪む少女、蠢く銀、ちょっとびびる俺。

「……質問はそれだけ? それじゃあ、いっちょ――」

 その科白を皮切りに、最初に動いたのは俺。

「――死なせ合いと洒落込みますかっ」

 ポケットから“今さっき調達してきた武器”を取り出す。

 それに少女は反応、一気に跳び上がった。

 その跳躍は、

「おー。たっかあ……!」

 高過ぎる。天井すれすれの後方への背面跳び。どう見ても人間の限界を超えた運動能力だ。

 見ると、少女の両足の裏からバネのような形状の銀が伸びている。

 変形と変質。

 なるほど。機能を併用すればそんな芸当もできるのか。便利な異能だ。バカみたいに単純でクソみたいに面倒な俺のとは大違い。

 そして、少女はその機能をフルに利用してピンボールよろしく部屋中を跳ね回り、闇へと消えてしまった。俺に向けられていた一点の殺意が部屋中に充満した殺気に戻る。しかし、その濃さは最初のそれとは比べものにならない。暗闇に支配されたこの部屋の闇という闇から刃の切先を突き付けられているような。

 そして、その暗がりの何処(いずこ)ともなく呪詛のような呟きが響く。

「……殺さない……簡単には殺してやらない……苦しめて、苦しめて、殺してくれって頼んでも殺さない……だから、死にたくないって思ってるときに力いっぱい殺してやる……」

 それを聴き、俺は思わず吹き出してしまった。

「おもしれえこと言うじゃん! それは生きたいって思ってるときが、刹那でもこの俺にあればの話だ」

 とかなんとか嘯きながらも俺は、もっと早く武器を出しておけばよかった、と冷静に後悔していた。いや、どのみちこの暗さではダメか。相手が見えなくては、相手に見せなくては、俺の異能は使えない。

 外なら月明かりがある。

 屋上に上がろうか、外に出ようか、悠長に迷っていると、

 ドムドムドムドム、と。

 何かが跳ね回る鈍い音、そして、

「うおっ!」

 左の闇から銀色のバスケットボール大のものが飛び出してきた。

 ドッジボールの要領で右にサイドステップ。それをぎりぎりで躱すが、

「痛っ!」

 俺の真横でそのボールから無数の針が飛び出した。まるでイガグリ。なんとか頸部はガードしたものの、ザグ、と左肩と腹部に裂くような激痛。

 身を捩って見ると、一張羅は引き裂かれ、結構深い引っ掻き傷が二、三本。

「って、待て待て。簡単に殺さないんじゃなかったのか?」

 夕方の小さな針とは違い、今のは太い。まともにくらってたら間違いなく戦闘不能リタイア。いや、戦闘不能だったらいいのか。即死はしない。その後でどうとでもいたぶれる。

 痺れる痛みに泣きそうになりながらも、銀のイガグリを目で追う。

 それはすでに針を収納、再びバスケットボールと化し後ろの壁でバウンド。明らかにおかしな角度に弾み、明らかにおかしな軌道で、また俺に向かってきた。

「……おいおい。マジか」

 向こうは俺が見えてるのか。ホーミング? 違う。宿主との感覚の共有か。

 避けてたんじゃ切がない。どう考えてもこちらが先にへばって串刺しだ。勝つためには止めるしかない。しかし、素手で受け止めるなんて論外だ。何か分厚い物……。

 と、足元に転がったランドセルが目に入った。それを掴み、砲丸投げの要領で振り被り、俺の目前でイガグリに形を変えた銀のボールに向かって、盾のように振り翳した。

 ざくっと、鈍くも小気味好いリアルな手応え。よし、止めた――なんて錯覚し安心するのは愚か過ぎる。そう、これは形を持たない。結果、次に何が起こるか冷静なら容易に予想もできるわけで。

「危ねっと」

 なぜか止まらない手応えを伝播し続けるイガグリの刺さったランドセルを投げ捨てる。寸でのところで、免れた。案の定、即席のランドセルはイガグリから極太の槍に形を変えた銀に貫かれ、無造作に転がる。

 後生大事に抱えたままだったら、あの槍は俺の腹部を貫いていただろう。

 にゅるっとランドセルに刺さっていた槍は液状に変質。生き物のように蠢き、暗がりへ、宿主の元へと消えていった。

「さて。……どうすっかな」

 あれを止めることは不可能。形を持たない武器にはいかなる防御法も回避法も通用しない。宿主である少女を攻撃するか。いや、この攻撃を掻い潜るのは俺には無理だし、そもそもその宿主がどこにいるのかもわからない。それにたとえ奇跡的に攻撃を避け宿主を発見できたとしても、あれは盾にも鎧にもなるだろう。

「………」

 外に出れれば勝機はあるが、彼女がそれを許すとは思えない。いくらシミュレートしても、背を向けた瞬間、自身が貫かれるビジョンしか浮かばない。

 うん。勝てる気がしない。見た目は若干気色悪いが、まったく、なんて使える異能。こんな乱戦になってたら蔡でも危うかったんじゃないか、と思えてしまうほどだ。まさに“銀の悪魔クイックシルバー”と呼ぶに相応しい。

「どうすっかなー……」

 もう一度、呟く。

 この圧倒的不利な戦況を打破するのは不可能に近い。しかし、一つだけある。反則的でかなり卑劣な必勝法……それはズバリ、死んだ振り。わざと軽傷を負って致命傷に見せかける。

 気は進まないが。それしかないか。この方法を使えばおそらくうまくいく。彼女は俺を殺したい以上にいたぶりたいのだ。俺が倒れるのを見れば、ベタな悪役よろしくふふふと不敵に笑いながらのこのこ姿を現すだろう。その時こそ、“こいつ”の出番だ。

 右手に持った武器を握り締める。おっと。と言ってもあまり強すぎないように、ソフトに握る。ここでこいつを殺してしまっては武器として機能しなくなってしまう。危ない危ない。

「……でもなぁ。痛いのは普通にやだなぁ」

 そう。振りをするにしても、サッカーの外国人選手よろしく派手にのたうちまわったとしても、無傷ではどうしたって看破されてしまう。審判に渋い顔されること必死だ。

 そんな風に決行を迷っていると、

「右手……右手……響子と同じように右手から、まずその右手の指を、ぜんぶ削ぐっ……」

 ご丁寧に攻撃の予告をする闇からの囁き。

 右手か。それなら、まあ、いいだろう。と、右手に持った武器を左手に移す。そして、

「へいへいへいへい! かかってこいやクソガキ! やれるもんならやってみやがれ! 妹と同じ目に遭わせてやるぜ!」

 悪役キャラ丸出しの文言を吐き、憤怒の炎を煽ってみた。

 途端、肌を刺すような闇からの殺意が焼くような痛みに変わる。

「殺す……殺す………殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すころすコロスッ!」

 室内が少女の怒声にびりびりと震え、そして、

 ドムドムドムドムドムドムドムドムドム。

 例のバウンドボール攻撃の音。しかし、これは、

 ドムドムドムドムドムドムドムドムドム。

 多過ぎるだろ畜生。

 闇という闇からボールが跳ね回る音。一瞬視界に入りまた闇へと消える球状の銀。その数は三、否、五。

 やばい。煽り過ぎたっぽい……。煽った直火が予想以上に大きくなってしまった。

「あ、あのー。右手から、……なんですよね?」

 そんな俺の切実な質問を挑発と受け取ってしまったのか。

 一斉に五つの銀が闇から飛び出してきた。

 先ほどよりも一回り小さいハンドボール大の銀球。

 左の闇から一つ、右から二つ、正面から二つ――と一人。

 正面からは、少女自身も例のスプリングジャンプで大きく跳躍し、近付いてくる。その身体にはバネが伸びた両足と右手にしか銀を纏っていない。ボールに銀を多く割いているためだろう。

 怒りに我を忘れて防御を怠るなんて致命的なミス。宿主の身体が晒されている今は絶好の反撃チャンス。と言いたいところだが、残念ながら俺にとっては気休めにすらならない。この暗さと彼女の精神状態を考えれば間違いなく俺の異能は不発に終わる。とりあえず致命傷だけを避けるしかない。……できるか?

「――ファック」

 どうやら無理っぽいな。それなりの修羅場を潜ってきたつもりだからこそわかる。この攻撃は効率的且つ憤怒を孕んだ痛恨で会心な極上の一撃。回避は不可能だ。

 そして致命傷を喰らった振りをして彼女を誘き出す、という陳腐な作戦は自らの要らぬ煽りによって失敗した。五メートルに迫った彼女、その振り上げた右手の銀が刀みたいな形になっているのを見れば、殺る気満々なのは自明の理。あれでは致命傷を喰らった振りでは済まない。

「まさに墓穴……。けど、ま――」

 ――いいか。

 実を言うと死ぬのは怖いが嫌じゃない。むしろ生きていく方がずっと怖いし嫌だ。白状すると、死にたくないより生きたくないという気持ちの方が、ずっと強い。そんな生命を授かったものとして最低なモットーを持ち、死んだようにダラダラと生きているこの俺がここで死ぬのは当然、いや、必然なのだろう。

 死ぬべき時節には死ぬがよく候。

 ではないが、彼女の妹は八人殺したと、勘違いされて右手を失い、殺された。

 そして、俺は○○○○○人殺して、おそらく右手を削がれ、左手も千切られ、両足も薙がれ、無論、首も落とされ殺される。それでもまだ罰としてはちょっと物足りないが、まあいいさ。

 妹の仇ってことにされて、潔く殺されてやろうじゃないか。

 一メートルに迫った刃と三十センチに肉迫した銀の球を確認し、俺は眼を閉じた。

 ――バスン

 ドゴッ、と。

 五つの銀球が俺にぶち当たり鈍い音を発する。左脇腹に一発、右肩に一発、右胸に一発、鳩尾みぞおちに一発、左頬に一発。全てが同時。痛みが脳に伝播される。その鈍い激痛に歯を食い縛り――。

 鈍い? 

 なぜかその痛みは槍で刺さされたような鋭いものではなく、単純に鉄球をぶつけられたような鈍いものだった。そして予想していた斬撃はなく、代わりに、圧し掛かられるような重み。

 その不意打ちの重量にバランスを失い、倒されつつ思わず眼を見開く。

「は?」

 俺がまだ死んでない理由、それは上に俺の覆い被さってきた少女が明確に物語っていた。

「―――くぅ……かっふ」

 少女の口から漏れるような声が、喀血と共に吐き出される。俺の胸元に粘り気を含んだ暖かい血液が垂れる。

 ……致命傷を負い、ボールを槍に変化させられなかったのか? でも何に? 

 少女は口一杯に鮮血を蓄えながら、それでも殺意の消えない瞳で俺を捉え、震える右手で刀を振り翳す。が、

 バスン

 またあの音だ。激しく空気が抜けるような音。瞬間、少女の右手は血の軌道を残して後ろに反り返る。その血飛沫を頬に浴びて、

「――!」

 俺の弛緩した意識は緊張に戻る。

 咄嗟に少女の身体を乱暴に押し退け、そのまま転がり距離を取る。一挙動で立ち上がり見ると、少女は激しく震えながら、うつ伏せの身体を起こそうとしていた。しかし、虚しくも自身の血液に右手を滑らせ、仰向けになるだけだった。

 生まれたての小鹿、否、まさしくそれは死にかけの人間。ひゅーひゅーと酸素を求め胸を上下させているが、喉元に穿たれた穴がそれを許さない。それでも必死に空気と血液が漏れるその穴を左手と銀で塞ごうとしている。

「おい。弼」

「!」

 突然、背後から聞き覚えのある渋い声。

 見ると、冴木さんがいた。

 階段を一段いちだん、ゆっくりと、両手保持ウェバースタンスで黒いプラスチックの塊を少女に据えながら、登って来る。

「……な、なんで?」

 冴木さんは階段を登り切り、長い筒の先端と視線を三メートル先に倒れた少女に向けて固定したまま、口を開く。

「説明と説教は後だ。“こいつは”異能で間違いないんだよな?」

「………」

 なぜここに冴木さんがいるのか。確かにそんな質問は後でいい。しかし、俺は答えに迷った。というより躊躇った。彼女こそは間違いなく異能者なのだが、もし肯定したらその瞬間、冴木さんの持つ長い筒が装着された黒いプラスチックの塊、即ち、サプレッサー付きのグロック G17が、音も光りも逡巡もなく、9ミリのFMJ弾を亜音速で吐き出すだろう。……さっきのようにバスンっと。

「いや、その前に、……ちょっといいですか?」

 と少女に近寄ろうとするが、

「よくねえ。全然よくねえよ」

 冴木さんのドスの効いた声に止められた。

「何する気だ? そいつは異能なんだろ? まだ生きてるぞ。速いとこ始末した方がいい」

 グロックのトリガーにかけられた右人差し指、力が篭り、爪の先が白くなる。

「冴木さん!」

 その制止にも冴木さんは俺の方を見もせずに、床に転がる標的に必殺の力を搾り続ける。

 冴木さんのモットーは反省しても後悔するな。それは良い言葉だと思うけど、問題もある。反省するべきことが起こる前提なのだ。そしてそんな言葉がモットーになってしまっているのは反省をしていない、なによりの証拠である。一見前向きなようでいて、深く考えればえらく後ろ向きなその言葉。結果、今の冴木さんには殺すべき敵とグロックの照準しか見えていない。

 しかし、どうしてもここは譲れない。

「お願いします。……冴木さん」

 それでも応えてはくれないが、トリガーに込められた力が緩んだのがわかった。

 無言の許しだ。いや、許したというよりも単純に殺すべき対象が虫の息で止めを刺すに値しないという判断だろうか……。

 無表情の冴木さんに軽く頭を下げて、俺は少女の元に駆け寄り、その傍らにしゃがみ込んだ。

 少女の眼はすでに虚ろで、もう何も映していないようだった。にっくき仇がすぐ側にいるのにも気付かずに、何かを探すように瞳だけがきょろきょろと震えるように忙しなく動いている。出血多量による視力の損失。鎖骨中央に穿たれた一センチほどの穴からは湧き水のように血液が溢れ、その上に力なく載せているだけの左手は止血の意味を成していない。

「……ごぷ……こぷごぼぼ……ぅぁぅ……」

 行き所を失い気管に向かってしまった自分の血液に溺れる少女。その口からは喘ぎ声とも呻き声とも言えない奇怪な音と小さな赤い気泡が漏れている。見事に肘を撃ち抜かれた右手はピクリとも動かず、もはや形だけのもの。

 銀の異能は形すら保っていない。細かく千切れ、うねうねとミミズのように少女の身体を這っている。もう操るほどの意思も、意識も残っていないのだろう。

「………」

 そんな普通の死体ぶったいへ変化しようとしている異能の少女にんげんに、最後に言うと決めていた台詞を、吐く。

「冥土の土産に一つ、意地の悪いことを教えてやる。あんたの妹は最後まで“ねえ。ごめんなさい”って謝り続けてたよ」

 ねえ、即ち、姉。

 少女は蒼白になった顔を、最初に泣いていた時と同じ、悲痛のそれに戻して、ゆっくりと口を動かす。

「ぁぁぅ、ご……ごめんね、……響、子、ご、めんね、ごめんねごめんねごめんねきょぅ…ぅ……」

 そこでよくやく、夕方の妹とこの姉の姿が被った。初めて似ていると、姉妹なんだと、認識できた。

 そして、悲痛な顔で必死に姉妹の片割れに謝り続けて、俺の目の前で、姉が、妹のように、死んだ。

「………」

 開いた瞳孔、固まった身体。今度こそ完璧に誰かに移った銀の異能。

 無表情のままで冴木さんが銃口を下げたのを見て、俺は嘗て少女だった物体の瞳を閉じてやる。

 なぜだろう。

 そのまましばらくその物体を見詰めていたい気持ちに駆られた。

 本当になぜだろう。自分でもさっぱり意味がわからない。

 自嘲気味に頭を振りながら、立ち上がる。

「……冴木さん」

「ん?」

「煙草、一本くれますか?」

「おう、説教付きでくれてやるが、とりあえず外に行こう」

 冴木さんは銃をズボンのベルトに差し込んで、階段に向かう。途中で足を止め、ちらりと背後を、俺の足元を一瞥して、酷くつまらなそうに付け足した。

「ここは空気が最悪だ」




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