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一獅子市紫白町。
俺がおぎゃあと生まれ落ちてから今に至るまで、ずっとお世話になり続けている、実になめた街だ。
山に囲まれ、その山を徐々に侵食していく工事現場から発展途上ということが丸見え。
山中にある大学と乱立したアパート群から学生の街って感じが丸出し。
北には上流階級のブルジョア達が住まう高地、南には中流階級の一般ピープルが住む盆地。まるでそれを線引きするように街の東から西に鉄道が敷かれている。
こんな名前以外は極々平凡な街には極めて異常な特産物がある。
それは“異能”と呼ばれる奇怪な力。
元来人間には有るはずもない不思議な能力。
その存在を知っているのは、当事者である異能が宿ってしまった人間、即ち“異能者”と、極一部の普通の人間だけだろう。
超能力と呼べば聞こえはいいが、そんなに良いモノではない。
まず、異能の特徴。
異能の能力は千差万別、唯一無二。
一つ一つがまったく異なる奇妙な能力を有する。その異常な能力に常識や物理法則は通用しない。
異能は人から人へ転移する。
感染ではない。転移だ。一人の異能者が死んだとする、するとそいつが持っていた異能は違う誰かに移る。人間が異能に覚醒するのではない、異能が人間に移るのだ。そんな循環システムで異能は人から人へ廻っている。その転移はまったくの無差別、無作為だが、唯一のルールはこの街にいる人間にのみに移るということ。つまり一獅子市の外にいる人間には絶対異能は移らない。逆を言えば内にいる人間なら誰でも移る可能性があるのだ。
そして、最大にして最悪の特徴。
異能には毒がある。
毒と言っても致死性の毒ではない。異能が宿った瞬間、人間はそれが自身に宿ったことを自然と悟り、そしてその機能を無性に試したくなるのだ。当然と言えば当然の話だが、その衝動は今まで人として培った倫理や理性を一瞬で狂わせるほどの猛毒だ。つまり、微塵の気兼ねもなく犯罪に手を染める。
更にもう一つの毒の作用。
異能者同士は殺し合う。
これは説明するのが非常に難しい。異能が宿った瞬間、人間は理解する。自分は他の異能を殺さなければならない、自分達はそういうモノだ、と。まるで空腹になれば食べ物を探すように本能的に、まるで眩しければ目を細めるように反射的に。そうは言っても、一目見ただけで他の異能者を看破できるわけではなく、その殺意が芽生えるのは相手に宿った異能の存在を確信してからだ。
結論。まったくの正体不明。
いつから現れたのかもわからないし、どこから来たかもわからない。新種の病なのかもしれないし、人間が進化して得た能力かもしれない。それこそ神から授けられた力なのかもしれない。
なんにせよ、異能について語るにはまだまだ謎が多過ぎる。
そして、そんなふざけた能力が蔓延るこの街の中央の駅、紫白駅前に位置したとあるファミリーレストラン。そこの一番奥、窓際のテーブルに俺達は陣取っていた。
正面のソファーには朝霧楓彌さん。年齢不詳、おそらく二十代後半。俺の上司、ってか親分に当たる人物だ。
脱色したショートカットが映える、すらっとした背の高い美人だが、いつも男みたいな格好をしている所為でその美貌は半減だ。ちなみに今も白いTシャツにジーパンだけという味も素っ気もない服装。
時折、ふん、と意味も無く鼻を鳴らすところを見ると、案の定不機嫌なようだ。
俺の隣には冴木亮さん。年齢三十四歳。俺の同僚になるのかな? がっちりとした体付きと精悍な顔立ちはまさに陸自の三等陸曹(元)。今の姿は妖怪草男改めミリタリー風マッチョメン。黒いポロシャツに迷彩のズボン。さすがにギリースーツと迷彩フェイスペイントのまま店内に入るわけにはいかず、文字通り顔を洗って出直して来たわけだ。
「それで」
と楓彌さんがジョッキのビールをぐびぐび凄い勢いで減らし、ぷはー、言葉を続ける。
「どうなったんだ?」
「………」
俺はその問いに無言でシャツの袖を捲くり、腕を見せる。そこには直径五ミリほどの小さな穴が三箇所ほど開いていた。さっきの銀を喰らったときの傷だ。
「はぁ? だから? 何が言いたい?」
「………」
今度は襟を捲り、肩を晒す。そこには腕と同じような穴が二箇所ほど。同上の負傷。
固まった血が細い筋を作っている。洗い流す時間はあったのだが、わざとそのままにしている。ささやかな可哀想アピールだったのだが。
楓彌さんは軽く嘆息、そして、俺に向けられたのは怪我の心配や労いの言葉などではなく、
「おバカ野郎っ!」
怒りの鉄拳だった。まあ、わかってたけど、しかし、
「いぃっ!」
その拳の先は顔面や腹ではなく、肩の穴へのピンポイント攻撃だった。楓彌さんの中指第二関節が傷口を抉る。さすがにこれは予想外。悶絶する俺を尻目に中指に付着した俺の血液をペロッと舐め、美味そうにビールを飲む楓彌さん。……人の生き血を肴に酒を飲まないで欲しい。
そして飲み干し、ギロリと睨んでくる。
「その傷、あのガキが異能だったってことだろ。なんであんたら二人なんだ? ガキはどうした?」
……わかったから殴ったくせに。
横目で冴木さんを窺うと、言いにくそうに目線を逸らし煙草を銜え火を点けた。どうやら説明は俺に任せるつもりらしい。こういうところでは割と薄情なんだよなあこの人も。
「えーと、なんて言いましょうかぁ。非常に残念な結果に」
「ガキは、何処だ」
テーブルから身を乗り出して、顔を近付けてくる楓彌さん。軽く酔っているらしく高揚した頬が実に色っぽい。常軌ならうっと息が詰るような展開だが、残念ながらそんな呑気なシチュエーションじゃない。
「えっと、あれ、霊柩車ってあるじゃないですか。あれ見たら親指隠さないと親に死に目に会えないっていう迷信ありますよね。そういう迷信は奥床しい日本人ならではの……」
どうにかソフトに伝えようと、迷信やら宗教論やらを持ち出しつつ、ついつい窓の外をチラ見してしまう。道路を挟んで向かい駐車場。そこにはごつい黒塗りの霊柩車、もといオフロードのジープが停まっている。冴木さんの車だ。
「言っとくけど、あたしは霊柩車見たら親指を下に立てて、中指を上に立てるほどの迷信嫌いだよ。それに回りくどいのも大嫌いだ」
えらいバチ当たりがここに居た。まあ俺も信じてないけど。諦めて素直に告げることにする。
「冴木さんの車のトランクの中で……安らかに永眠してます」
「ふーん、ああそぅ」
そうなんだぁ、と目を細め、おもむろにぺろっと自分の拳を舐める楓彌さん。その扇情的に濡れた拳にテーブルに置かれた塩を振りかけ始めた。あ、何されるかわかっちゃった。しかし、わかっても避けられない恐怖の攻撃、避けると後が怖いし。
「ビチグソ野郎っ!」
案の定、塩を纏った拳を肩の傷に打ち込まれた。
「ぃあぁー」
傷口に塩を塗られる。実際に経験したのは初めてだが、滲みるというより殴られたわけで普通に痛みの方が強い。
なぜ俺がこんな仕打ちを受けているのかというと、“今回も”仕事が失敗したからである。異能だと疑わしい人物と接触し、陰性か陽性か判断。陽性だった場合は交渉してあわよくば仲間に引き込もう、ダメでもお願いして異能の悪用をやめてもらおう、というのが“建前上”では俺の主な仕事になっている。
なぜ建前上なのかというと、その仕事は今まで一回も成功した試しがないからで、大体陰性の空振りか、陽性でも交渉の予断なく襲い掛かってくるのだ。
そして交渉が失敗した場合、そこからは言わずもがなで、つまり殺られる前にヤるしかない。今回、冴木さんがヤったように、ズドオォン、と。
「まった殺しやがって! あんたはあれかっ! 殺すの大好きか! それともまだ異能の毒に中てられてんのか!? さてはおバカ野郎とビチグソ野郎の称号だけじゃ飽き足らず、少女を殺してGに耽るド変態野郎の称号まで物にしたいんだなっ! そうなのか!? そうなんだなっ!」
身を乗り出して殴る、蹴る、そして殴るの大暴行。もう毒舌とか暴言とかそういうレベルじゃないし。
「いや、ちょ、落ち着いてください。実際に手に掛けたのは冴木さんですよぅっ」
「お前が失敗したから冴木が撃ったんだろっ!」
確かにその通りだ。しかし、あの攻撃は伏せ以外では避けられなかったんですよ、と軽く状況の説明をした。
「ツェッペリンさんみたいに空中で仰向けになればよかったんだっ! さもなきゃ素直に全部喰らえばいいんだよっ! 痛みを伴う交渉こそが相手に誠意を伝えるってもんだ」
ツェッペリンさんとやらは知らないが俺にはそんな芸当できないし、仮にできたとしてもそんな奇行に走ったら、やっぱり冴木さんは撃っただろう。それに全部喰らったら痛みを伴って死ぬだけである。まさに傍若無人な無理難題。
暴力の嵐をただ傍観していた冴木さんは周りを見渡して、ふぅー、と煙を吐き出す。
「おい、見られてるぞ。その辺にしとけ」
現在午後七時、外食の王道的時間帯。名前の通りファミリーで混んだ店内。見ると周りのテーブルから奇異の視線が集中していた。美人がでかい声で殺すとかビチグソとかツェッペリンさんとか叫んでいれば当然だ。
それに気付いたというよりも、単純に苛め疲れたのだろう。楓彌さんは腰を下ろして心配そうにこちらを窺っている店員に、無言で空のジョッキを掲げておかわりを要求した。ファミレスではありえない注文の仕方だが、この人に常識は通用しない。しかし店員も然る者、達の悪い常連への対応は心得ているらしく、ビールを取りに奥へと引っ込んで行った。
「そういえば」
と冴木さんが煙草を灰皿に押し付けながら、
「お前、電話でたぶんって言ったよな。あのガキから何か感じたんじゃないのか?」
「………」
空気の読めないことを訊いてきた。悪気が無いのが更に悪い。
ほらぁ、ソファーにふんぞり返った楓彌さんの目がキラーンって光っちゃったじゃないですかぁ……。
「おやおやおやおやぁ? 弼くんはお姉さんにまだ何かやましい事があるのかなぁ?」
「い、いえ、そんなやましいだなんて、畏れ多い。ただちょっとおかしいなぁって感じただけです。俺の気のせいですよ。はい」
「あんたの気のせいは気になるんだよ。そこを買って雇ってやってるんだ。具体的には?」
「……あの少女は本当に異能者だったのかなぁ? なぁんて……」
唇をへの字にひん曲げて、睨んでくる楓彌さん。
「あ、いや、確かに明らかに異能の力使ってましたよ。使ってましたけど、なんかこう、引っかかるというか……」
「あんたさぁ、具体的にって言葉の意味、知ってる?」
「す、すいません。でも具体的に説明できないんですよ。勘みたいなものですから」
勘ねぇ、と意味ありげに呟く楓彌さん。
「じゃあ何かい。あんた達が殺してきて、今まさにあのトランクの中で腐りゆく少女は、無関係の一般ピープルだったって、そう言うのかい?」
「無関係とは言いませんが、もしかしたら異能者ではないのかもしれなかったりするのかもしれないなぁ、と」
「………」
俺の思いっきり回りくどい台詞に顔をしかめて無言の二人。悩んでいるのか、怒っているのか、たぶんどっちも正解だろう。
「でも、やっぱり気のせいですよ。俺を殺す気だったのは事実ですし、通り魔事件の犯人だって自白してましたよ。それに……家族を皆殺した、とも言ってました」
一般人A、B、祖父、祖母、姉、父、それに妊娠中の母で合計八人。まさに小学生でもできる簡単な足し算である。
楓彌さんはそれを聞いて心底面倒くさそうに頭を掻いて、冴木さんは怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「おいおい。家族って……本当か? それはまだ報道されてないだろう? 一家が惨殺されてるのに、何で誰も気付かないんだ?」
俺は答えようとするが、楓彌さんが先に口を開いた。
「異能が宿ると人間はどうしようもなくその機能を試してみたくなるのさ。だから簡単に人を殺す。ってことは異能が宿った瞬間、狂行に走ったと見るのが自然。つまりガキが一家惨殺と通り魔をしてからまだ三日しか経ってないって事だ。家庭ってのはある意味閉ざされた空間だからな。家族しか本当の内部事情は知り得ない。三日間じゃあ精々近所の奥様方が最近あそこの家の人見ないわねぇ、程度さ。まぁ、さすがに一週間も経てばバレるだろうがね」
そんなもんか、と言う冴木さんに、そんなもんだ、と返した楓彌さんはカウンターの方を窺った。どうやらビールを欲しているようだ。そして店員の仕事の遅さに舌打ちをしてから、それにしても、と言葉を続ける。
「また家族皆殺しか。前回といい、揃いも揃ってクソガキめ、余計な仕事増やしやがってからに。まあ、殺っちまったもんはしょうがない。んで、今回の異能について詳しく教えろ」
「……えっと」
無意識に腕の傷を撫でつつ、少女の銀色粘土を説明する。
銀に輝く謎の物体X。
形や状態を変形、変質させ、宿主(少女)の意思通りに動く。
液体のように流れたり、金属のように硬質化したり。
見た目のイメージとしては某名作ゲームに登場した経験値をやたらくれる液状生物、はぐれの方。
おそらく、あの猫は液状化した物体Xが混じった牛乳を飲まされたのだろう。そして、その物体Xが猫の胃袋で丸ノコのような形状に硬質変化、結果はあのバツンビチャビチャ、という嫌な音である。小学生が考えそうな残酷な所業だ。更に、廃ビルの内部にあった無数の疵。冴木さんが言うにはどれも最近のもので、鋭利な物体で斬ったり刺したりしてできた痕らしい。やはり、少女はあの廃ビルで人知れず異能の訓練に勤しんでいたのだ。
「銀か。……『クイックシルバー』に似てるな」
「クイックシルバー? どんな異能だったんですか?」
「『銀の悪魔』、クイックシルバー。少し前、蔡が片付けた異能だ。身体中を銀色の膜でガードできる異能でな。見た目は某ハリウッドSF映画の二作目に登場した人型液体金属まんまだ」
「へぇー、片付けたってことは?」
「ああ、宿主は交渉に応じず蔡に襲い掛かってきた。蔡はブチギレ、宿主は即死。その異能は誰かに渡ったんだろうな。しかし、今回のは別物だろう。そのガキ自体は銀色じゃなかったんだろ? さしずめ『銀の狂気』、シルバーウェポンってとこか」
狂気と書いてウェポンと読む、イカスだろ? と楓彌さん。確かに的を射ている。実際に喰らった俺が推すのだから間違いない。
新発見の異能に名前を付けるのは楓彌さんの趣味なのだ。そして、
「適当に行方不明ってことにしとくから、ガキの死体は任せたぞ」
異能事件の隠匿は彼女の異能だ。
「了です」
俺もこのバイトで死んだら行方不明者の一人として誰にも怪しまれず消えて無くなってしまうのだろうか。まあ、死に方としては最低だけど、死んだ後のことを考えれば最高か……。
そこで少し怯えた店員がようやくビールのおかわりを持って来た。それを受け取る楓彌さんに追い払われるように、俺と冴木さんはジープに戻る。
後ろには普通の人間に戻れた物体を積んで、
行き先はこの街では不自由しない山林のどこか。