silver bond.1
オレンジ色に染まった世界。空気までオレンジに染まっていて、深呼吸すればミカン味がするんじゃなかろうか、と錯覚しそうな見事な景色。
春というには暑すぎて、夏というには熱すぎない。そんな中途半端な仕事を終えた太陽がようやく山に引っ込もうとしている。まったく、だらけた公務員みたいな仕事ぶりでのうのうとデカイ顔して生きていけるなんて、羨ましい限りだ。早く爆発して太陽系を終わらせろ。
「おい、弼」
野太い声につまらない思考を中断された。
「ぼーっとしてんなよ。奴さん、いつ現れるかわかんねぇんだぞ」
視線を夕日から隣の妖怪草男に移した。遠目で見たら自然の一部、近くで見ても草の塊にしか見えない見事なギリースーツを身に纏った冴木さんは、つまらなそうに顔をしかめて煙草をふかしている。
まあ、もともとゴッホの自画像のような迷惑面なのだが、顔の迷彩メイクも相まってか、今日はいつにも増して不機嫌そうに見える。
「動くのは夜になってからだと思いますよ。なんたって通り魔でしょ? こんな明るいうちから動かないですって」
「どうだかな。話によると犯人はまだ年端もいかないガキだって言うじゃねぇか。夜に動くガキは怪しまれるが、この時間帯だったら下校中の道草に丁度いい」
ガキか。キッズ。チルドレン。どうやら冴木さんが不機嫌な理由はその辺りにありそうだ。
「子供なんですか。俺は授業中にいきなり呼び出しくらったもんで、詳しい話は聞いてないんですよね」
冴木さんは呆れたような嘆息と一緒に紫煙を吐き出す。
「まだ大学行ってんのか? いい加減、こっちの仕事に本腰入れろよ」
「嫌ですよ、こんな恐い仕事。俺は普通のリーマンになりたいんです」
「ふんっ、蔡と楓彌が許すと思うか?」
「……思えませんね。そのときは力尽くで」
「楓彌はともかく、蔡に力で敵うと思うか?」
「……思えませんね。そのときは……どうしましょ?」
将来の職種。学生なら誰もが悩む事だ。しかし、俺の場合は少し特殊で第三者によって未来は強制的に敷かれてしまっている。つまり、このレールを惰性で進んでわけのわからん連中に殺されるか。俺のレールを勝手に敷いた連中に刃向かって殺されるか。この二者択一。どちらに進んでも脱線確実な将来。ああ、いと可哀想な俺。
「それで、今回の仕事について詳しく教えてくださいよ」
「ああ、例の通り魔事件、楓彌によるとその犯行は“異能者”の仕業らしい」
「……へぇ」
例の通り魔。
三日前に起きた殺人事件だ。被害者は今のところたった二人。異能殺人でこの数字は驚くほど少ない。害者同士の繋がりは皆無だが同じ日の夜、同じ路上で百メートル間隔に殺されていた。どちらの害者も鋭利な刃物によってズタズタにされ出血多量。警察は通り魔と仮定し目下調査中。そこまでは楓彌さんから電話で聞いた。
「そして、その犯人とおぼしきガキが、そこの廃ビルに潜伏しているらしい」
顎で前方を示す冴木さん。その先を窺うと、一棟の建物。
郊外も郊外、山に囲まれたこの町の隣町へ向かう曲がりくねった街道、そこから脇にずっと入った所に飄々と佇む誰も気に留めない廃墟。何に使われていたかは知らないが今では雑草茂り放題、壁ひび割れ放題、落書きされ放題のドMな建造物。しかし、そこから感じる雰囲気は足を踏み入れる者は皆呪うってほどのドSな感じ。
「……で、俺の仕事は?」
「いつも通りの判断と交渉ってやつだ。そのガキと接触して異能かどうか判断しろ。もし陽性だったら俺の携帯にワンギリして交渉に入れ、そして、もし交渉が決裂したらもう一回ワンギリだ。……そのときは俺のユキが喘ぐ」
俺のユキ。
バーレット M95。ボルトアクションライフル。.50口径の実に剣呑な対物ライフルであり冴木さんの彼女でもある。その豊満な銃身を草木というヴェールで覆い隠して、冴木さんの前に鎮座なさってる。
以前、勝手に触ったらマジで殴られた。自衛隊では自分の銃に名前を付け、彼女のように大切にするというは本当らしい。
「いつもと一緒、ですか……。いつもと一緒で一番危険な仕事ですよねそれって……。楓彌さんは俺のことどう思ってるんですかね?」
「異能に慣れたお前か蔡じゃないと判断の部分ができないしな。お前のことは死んでもいい手下、精々捨て駒の歩ぐらいに思ってるんじゃないか」
「……歩ですか」
さらっと酷いことを仰る元自衛隊員。残念な事にその通りだから困ったものだ。しかし、歩も敵陣に入ればト金に成ることを忘れてもらっちゃ困る。
「ま、いいですけどね。俺なんて生きててもしょうがない人間ですし。……ははは」
悲痛な笑顔でいじけて見せる。我ながら中々の演技だと思うのだが、冴木さんはお気に召さない様子だ。渋い顔を更にしぶくさせた。
「否定はしないが、俺に可哀想アピールしても仕方ねぇだろ」
「否定はしないんだ……。いや、まあ、その通りなんですけどね」
以前、蔡と楓彌さんの前で同じようにいじけたら俺の戒名トークで盛り上がってやがりましたよ。
――萌エ萌エ大臣秋葉ビュンビュン丸。
たしかカタカナをふんだんに使った斬新なそれに決定したはずだ。思い出してしまい陰鬱な気分になりながら溜め息を吐き出していると、
「おいっ。誰か来たぞ」
煙草を地面に圧し付け、静かに伏せてユキを構える冴木さん。それは銃を構えると言うより二脚で固定されたユキに合わせて身体を構える感じだ。
そのいかにも熟練スナイパーな動きに感心しながら、俺もその横に伏せて廃ビルを窺う。
俺達が陣取った林の先、とことこと山を登ってくる一人の少女。
白い柄物の子供っぽいシャツに緑のロングスカート。大人しそうな子だ。伏目がちで、肩にくい込んだ赤いランドセルを両手で引っ張っているのが微笑ましい。
「……アレですか? 廃ビルの中に居るんじゃなかったんですか?」
「わからんが、たぶんアレだ」
言いながらスコープやら何やらをちまちま弄る冴木さんに大尉クラスのノリで、
「よしっ。射撃を許可する。冴木軍曹」
「了解っ。ってアホかっ」
結果、ノリ突っ込みされた。
「だって楽して帰りたいじゃないですかぁ。アレがそうなら、ここで殺しちまえばみんな笑顔で帰れる。そうでしょ? 旦那」
「お前が無傷で帰ったら絶対楓彌にバレるぞ」
「……ですね」
酷すぎる話だが事実なので仕方がない。
そんなやり取りをしている内に少女は廃ビルの中へ消えていった。
普通の少女がこんな山の中にある廃ビルにたった一人で入るだろうか? いや、入らない。そんな少女は普通じゃない。即ち“異常”。
「……さて、お前の出番だ」
「みたいですね。……しょうがいないか」
本当にしょうがない。このバイトの稼ぎがあるから俺は気楽なキャンパスライフを満喫していられるのだ。
立ち上がり、腹を叩いて土を払い、ついでに覚悟も決めておく。
「できれば屋外に誘い出せ。ダメでも熱源視認スコープがあるから心配するな」
熱源視認スコープ。ユキの上に載っているやたらとでかい照準眼鏡。温度の差を視認できる装置を兵器運用したものだ。高性能なものになれば壁のちょっと向こうまでの熱源なら視認できる。
「くどいようだが――」
「ワン切り一回で判断ポジティブ、二回で交渉ネガティブでしょ? わかってますよ」
冴木さんの老婆心をポケットから携帯電話を取り出して遮る。このちっぽけなケータイのいたずら機能に俺の命が懸っているのだ。まったく俺の上司ときたら、高性能スコープ付きの対物ライフルを買う金があるなら無線機の一つでも買って欲しい。
「わかってるならいい。それじゃあ、状況開始だ」
ダークグリーンのギリースーツはそれっきり動きを止めた。途端、冴木さんの存在が希薄になり自然の一部と化してしまう。この距離でも一度視線を切ったらもう何処にいるのかわからなくなるほどだ。
では、と冴木さんであろう草木に片手を挙げて、廃ビル(せんじょう)へ向かう。隠れたり回り込んだりまどろっこしいことはせず正面から堂々と。
「……ふぅん」
その廃ビルは近くで見ると中々の大きさだった。三階建てで縦より横にでかいその建造物はイメージ的にビルと呼んでいいのか微妙だが、そんなことより、そこから発せられる空気は暗く淀んでいた。これから何が起こるかわからないという恐怖もあるが、それを差し引いてもやはりこの中には入りたくない。
なかなか入らずうろうろする俺。冴木さんの舌打ちが聞こえてきそうだ。
「入りますよ」
そこらじゅうに書かれた、死とか、殺とか、攻撃的なアートを一瞥して両開きのドアを静かに押し開けた。
予想通り薄暗い内部は荒れに荒れていた。もう大荒れ。床、壁、天井、全ての面に無数の疵が付いていて、赤く錆びた鉄骨がむき出し。いかにも廃屋。
すぐ左には上階へ伸びる螺旋階段があり、拓けて見通しの良いロビーからこうなる以前は商業的な目的で使われていたことが窺える。
まずは一階から、と足を進めようとしたとき、
――――にゃぁー。
「っ!」
謎の奇声が上方から聞こえてきた。思わず仰け反り、天井を仰ぐ。
なんだこの猫のような声は。っていうか間違いなく猫の声だ。
―――にゃあ、にゃーん。
猫の声は上階から響いてくる。
俺の頭に浮かんだのは野良猫と戯れる赤いランドセルの少女の姿。
次に浮かんだのは野良猫を切り刻む少女の姿。
――にゃー、にゃー。
この平和的な声からして前者だよな。誰かが言った。動物を愛せる人は優しい人です。まあ人間だって動物だし。俺はなんの根拠もないその言葉を信じて、声が響いてくる上階目指し階段に足を置く。
一段一段、上がるにしたがって大きくなる猫のささやかな合唱。
二階まで登り、見渡す。
一階と同じ開けた広いフロア、その中央に、さっきの少女が居た。
背中を丸めて屈んみこんでいる。その周りにはいかにも野良らしい汚れた猫が三匹。
少女はこちらに気付いていない。
しばらくその様子を観察していると少女がおもむろにランドセルを下ろし、中から白い液体で満たされたペットボトルと底の深い皿を取り出した。自然な流れで少女はその皿に白い液体を注ぎ、床に置いた。群がる猫。
うん、実に平和的な光景だ。親に見つからないように牛乳をペットボトルに移してきた辺りなんか最高にそれっぽい。
何が異能者だ。少女が学校帰りにこっそり猫とじゃれてるだけじゃないか。彼女は陰性。今回は空振り。
うし、帰ろう。
――っと思ったが……気付いてしまった。小さな違和感。
俺の気のせいであってくれと願いながらも、ジャケットのポケットに手を入れ、中の携帯電話を確認、すでに冴木さんの番号は表示済み。後はワンプッシュするだけでユキの安全装置が解除される。
やれやれだ。ワンプッシュ、もしかしたらツープッシュすることになっちまうかもしれない。
近い未来を憂いながら、
「やあ」
少女の背中に声を掛けた。
その声に少女はビクッと肩を揺らし、振り返った。
「………」
近くで見てもやはり大人しそうな小学生にしか見えない。
「こんなところで何してるんだい?」
不審なぐらい温和な声で優しいお兄さんを装う。
やあ、とか、だい? とか、歯が浮くようなこっぱずかしい科白だが、自分で胡散臭いと感じるぐらいが演技には丁度よかったりするものだ。
俺のキモい声に心を許したのか、少女は少し怯えたような顔でゆっくり口を開く。
「……ね、猫にミルクをあげてたんです」
「うん、だろうね。見てたからわかるよ」
しばらくの沈黙。
「あ、あなたは?」
「うん? ああ、俺? えーと、俺は……冴木亮っていうんだ」
怯える少女にささやかな嘘。ごめん冴木さん。特に意味はないけど名前借ります。強いて言うならそのちょっとカッコいい名前を名乗ってみたかったんです。
「あ、あの、冴木さんは、ここで何してるんですか?」
「いや、そんなことよりさ。外に出て話さない?」
「え? えっと……」
少女は俯いて、しばらくしてから小さく首を横に振った。
当然だろう。我ながら警戒されて当たり前な誘い方だ。もっとも、この状況で警戒されない誘い方なんて想像できやしないが。まあ、これはあくまで出来ればって課題だ。必須じゃないし、幼女と世間話する趣味はないし、面倒だし、帰りたいし、ゲームしたいし、お腹すいたし、面倒だし、眠いし、ダルイし、早目に切り込むか。
「その猫、可愛いかい?」
俺の問いに首を傾げ、足元で皿に群がる猫に目をやる少女。
「は、はい。ここでこっそり飼ってるんです。あ、あのっ、誰にも言わないでくださいっ! お母さんに見つかったら怒られちゃうっ」
「……ああ、言わないよ。それで名前は?」
「え? あの、山田響子って言います」
「もしかして、それ君の名前? 違う違う、猫の名前を聞いたんだよ」
その問いに少女は顔を曇らせた。予想通りの反応だ。
「飼ってるんだろ? 名前ぐらいあるんじゃないのかい?」
「……えっと、あの、まだ名前は付けてないです」
我輩は猫である。名前はまだないって感じですか。そうですか。でも、
「本当に? どのくらい飼ってるのか知らないけど、名前ぐらい付けてもよさそうなものだけどね」
そこで牛乳らしきものを飲み終えた名も無き猫が少女の足にじゃれる。おかわりを要求しているのだ。元々は飼い猫だったのだろう。人間にじゃれれば餌がもらえると思い込んでいる。
少女はその猫達を酷く冷たい“無表情”で一瞥した。
なぜか気まずくなる雰囲気。普通だったらその空気に耐え兼ねて逃げ出しそうなものだが、やはり少女はその場から動こうとしない。
確定だ。……一気に畳み掛けるか。
「その猫さ、可愛いんだろ? さっきから見てたけど、なんで一度も撫でてやらない」
故意に声に凄みを持たせる。俺の声色の豹変に驚いたのか、それともこちらの意図に気が付いたのか、困惑した風な少女。
「それに飼ってるんなら少しは手入れしてやってもいいだろ。なんでその猫、そんなに汚いんだ」
「………」
そこで少女はろくでもない覚悟を決めたようだ。放たれる雰囲気があどけないそれから変貌していく。
「その顔、ミルクとやらをあげてる時も、猫にじゃれられた時も、一度も笑ってなかった。本当は飼ってもいないし可愛いくもないんだろ」
そう、飼ってもいない猫に餌をやりにわざわざ山を登ってくるとは考えにくい。ならば別の目的がある。あくまで俺の推測だが、その行為は異能と関係している。もっとも、猫の餌付けがどう関係しているか皆目見当もつかないが。
無言の少女に自然と俺は足を開く、何が来ても動けるような構え。その態度は年下の女性に対する優しげなものではない。正体不明な敵と対峙するときのそれだ。
そして、刹那の静寂、
――フギャアァァーー!
その重苦しい静謐を破ったのは猫だった。
突然、三匹が同時に少女の足元で転がり、足をバタつかせ、のたうちまわり出す。俺には猫の感情を読み取るスキルが無いが、それでもわかる。その表情は疑問、苦痛、悶絶。
そして、
――猫の胴体から“何かが生えた”。
バツン、ビチャビチャ、と水風船が弾けるような瑞々しい音を発し、猫の胴体は、真っ二つに裂けた。
動かなくなった猫の断面から胃液で変色した牛乳と赤い血肉が広がり、ピンクに混ざる。
カツン、カランカラン、金属が落ちて転がる音。
ピンクの水滴が滴る“何か”、銀色で極薄の、丸ノコのような形状の“何か”が猫の周囲をぐわんぐわんと転がっている。どう見ても猫の胴回りより大きい。……こいつが中から裂いたのか?
猫の水分に純白だったソックスを紅く染めた少女は、
「お兄ちゃんさぁ、何者?」
挑発的に言葉を紡いだ。その声からは大人しさまで消え失せていた。
ビンゴ!
ポケットの携帯、コールボタンをワンプッシュ、冴木さんの携帯が鳴ったであろう頃に取り消しボタンを連打、そしてすぐにまた冴木さんの番号を表示。人知れず訓練しただけあって俺のワン切りスキルは中々のものだ。
「ねぇ? 聞いてるんだよ? お兄ちゃんはさぁ、なんなの?」
転がっていた三つの銀色円盤が液状に形を変え、生き物のように少女の足元に集まる。そして、そのまま少女の右足を這い上がり右手に移動。少女がゆっくり右手を握ると細長い銀色の、ナイフのような物がそこから生えてきた。
「あっ、ちょい待ち。敵じゃないって。ただちょっと話しがしたいだけなんだよ」
さっとポケットから手を抜き、両手を挙げて無抵抗、無敵意を示すが、少女から放たれる敵意は消えない。かっこつけて探偵みたいな威圧的態度をとったことをちょっぴり後悔しつつ、交渉に入る。
「あのさ、三日前の通り魔の犯人って、……もしかして君だったりする?」
その問いに、少女はこちらを窺うような顔で小首を傾げる。
「お兄ちゃん刑事さんなの? ううん、違うよね。そんな風には見えないし、……でも答えてあげる。そうだよ」
ですよねぇ。その刀っぽいのは人をズタズタにするのに具合よさそうですもん。
これは交渉には関係ない。単純な好奇心からのわかりきった質問だが、
「なんで殺したの?」
「うーん、そうだね。特に意味はないけどぉ……。目障りだったから、かな」
「へぇー」
倫理感の欠如。やっぱりと言うべきか。まったく最近の子供は、道徳をもっと学んで欲しい。まあそんな“力”を持っちまったら大人も子供も道徳も関係ないか。
「お兄ちゃんは私のタイプだからこっそり教えちゃおうかなぁ」
とか、ませたことを言いながら上目遣いで見つめてくる。右手の凶器のせいで全然萌えない。ヤンデレ小学生め。
「テレビじゃ被害者は二人って言ってたけど、間違いなんだよ」
「……というと?」
「外では二人しかやってないけど、“うちでは五人もやったんだぁ”」
うち? 内……否、“家”。
「えっと、家族ってこと?」
恐る恐るな俺の問いに少女は、うん、と元気よく肯定した。
「お姉ちゃんとお母さんとお父さんとおばあちゃんとおじいちゃん。あ、おかあさんは“にんしん”してたから六人だね」
少女は語った。爛々と、郎々と、迷いもなく、躊躇いもなく、極々あっさりと。
「………」
おそらく異能が宿った瞬間、家族を殺したのだろう、そして家族では飽き足らずに一般人まで手に掛けた。異能の“特性”を考えれば、まぁ自然だ。
思わずポケットに手を入れ携帯を握る。処刑開始の合図を送ろうか迷ったが、まだだ。
「ちょっとムカっとしちゃってさ。えいっえいって」
少女は手を振る動作で説明して見せる。
「………?」
その言葉に俺は微かな違和感を覚えた。
ムカっとした? あれ。なんだろう。
「すっごいすっきりしたよ。なんでみんなやらないんだろ?」
すっきりした? 何かが違う気がする。
「だから猫のことは言い触らしてもいいよ。お母さんいなくなっちゃったからもう私のこと怒れないし」
怒れない? この少女は家族に憎しみを抱いていたのか? それで殺した?
極めて短絡的で理に適った異常性、この少女は、本当に異能者か?
「ああ、でも言い触らせないか。お兄ちゃんも、これからいなくなっちゃうもんね」
「――ッ!」
次の瞬間、少女の持つ刀が蠢く。ぐにゃぐにゃと粘土のように不規則な形を造り、こっちに向けて触手のようなものを伸ばし、
「待っ――」
ヒュン
俺の制止を聞きもせず、そこから針が飛び出した。
高速で飛来する割り箸大の銀針。
不意打ちとはいっても覚悟はしていたし、俺の動体視力も悪くはない。よってその針は決して速くはないが、
一本、二本、三本、四本、五本六本七本八本……。その数は無数に近い。
多過ぎる。避けきれない。
右に跳んでも、左に跳んでも、この扇状の鳥撃ち用散弾みたいな攻撃じゃあどっちかの半身がハリネズミにされる。後ろの階段に逃げるか。いや、速くないといってもそんな余裕があるほど温くはない。
というわけで、顔を両腕でガードして伏せる。
そもそも相手が避けることを前提としたからこその散弾攻撃だ。一撃必殺ではなく数撃ちゃ当たる。避けることを考えるよりも被害を最小限に止める方が殊勝だろう。
トスットスッ、と。
軽い音と同時に両腕、両肩に異物が侵入してくる感覚。
何本もらったかはわからないが、俺の判断は間違っていなかった。被害は最小限で済んだ。そして、次に備えて素早く立ち上がろうとして、
「あ」
しまった……。
自分の浅はかさに気付いた。
伏せるという判断はある意味間違っていた。そう、なんだかんだ言っても、冴木さんは優しい人なのだ。
「待ってください!」
今度こそ叫んだ。しかし、遅過ぎるし遠過ぎる。引き金を引いてから止められるわけもないし、壁越しで八十メートルじゃあ聞こえるわけもない。
少女の後ろの壁が硬い音を立てて吹き飛び、そして、それとほぼ同時、
少女の右肩が、飛び散った。
壁の破片、少女の肉片、小さな右手、その全てが一緒くたに宙を舞う。
少女の身体は着弾の衝撃で派手に鮮血を撒き散らしながら俺の足元まで転がってくる。
―――ォオォォン――
ユキの喘ぎ声の残響。
「………あちゃー」
周囲に立ち込める粉塵、壁に穿たれた二十センチ程の新品の大穴、引き千切ったようにばっくりと抉れた肩の断面、衣服と皮を無造作に垂らして転がる右腕、それらが本来対人用ではない、対人用に使ってはいけない.50口径の殺傷力、もとい破壊力をまざまざと物語っている。
ビクンッ、と数回痙攣する小さな身体。
「……?」
見ると例の銀色の粘土がいつの間にか少女の肩の傷口を覆っていた。針と化し俺を襲った分も液状に形を変え、床を這い、その傷口に向かっている。
止血しようとしているのか?
「……ぁぁ、ぃゃぁ」
小さな悲鳴を上げる少女。
ショック死しなかった生命力には驚嘆するが、ダメだ。もう助からない。血を失い過ぎている。
うつ伏せのまま、震える左手を伸ばしてくる。自分の死を悟ったのか、混乱しているだけなのか、その手は何かを探すように虚しく空を切り続ける。
「………」
少し迷ったがその手を掴み、少女を起こして俺の膝に頭を置いてやる。
その瞳は何かを探すようにキョロキョロと忙しなく動き。真っ青な顔を悲しそうに歪ませ、最初のようにゆっくりと口を動かす。
「…ぁ…ぁぁ、ご…ごめんなさい。……ねぇ、ご、めんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんねぇ」
定まらない瞳で懸命に何かを探し続け、悲痛な表情で必死に誰かに謝り続けて、俺の膝の上で少女が一人、死んだ。
肩の傷口から宿主を失った銀の粘土が液状に流れ出していく。それに混じるように大量の赤黒い血が零れ落ち、床に奇妙な色の小さな池を作った。
「………」
優しく少女を床に横たえて、開いた瞳を閉じてやった。
立ち上がり、今だ粉塵が消えない壁の大穴に近付く、その穴から目を凝らして外界を見る。冴木さんの姿は見えない。当然だ。すっかり暗くなってるし、あのギリースーツじゃあ五メートル先に居ても動かない限り露見されない。
電話を取り出しそのままワンプッシュ、今度はワン切りではない。普通に通話。
二回呼び出し音が鳴り、
『おいっ! 大丈夫かっ!? 何があったんだ!』
捲くし立てる冴木さん。
焦る気持ちを抑えて俺からの電話を待ち、スコープを覗き続けていたのだろう。流石はプロだ。
『お前が倒れたから撃っちまったぞ。そのガキは異能者で間違いないんだよなっ?』
やはりサーマルスコープ越しでは大きな方の熱源(俺)が突然倒れたように見えたのだ。それで合図を待たずに処刑を開始。当然の判断である。
「わかりませんが、たぶんそうでしょう」
『たぶん、か……。お前が起き上がるの見て咄嗟に銃口振ったんだが、遅かったみたいだな』
なるほど、だからこそ少女は即死しなかったのだろう。中心ではなく右肩に射線がずれたのだ。
確かに遅かったが、それでも咄嗟に違和感を感じ取った冴木さんはやっぱり流石だ。
『まあいい。そっちに向かう。詳しい話は後だ』
諒解、と電話を切って、後ろを見渡す。
三匹と一人の血で満たされた薄暗いフロア、名も無き猫と異常だった少女の死体で彩られた悪趣味な空間。
「……マジで最悪だな。こりゃ」
俺は素直な感想を自嘲気味に漏らした。