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夏の楔  作者: 夏路殻巣
3/21

一卵性双生児


 「——ただいまぁっ」


息を切らせて玄関に飛び込んできた悠は、大声でそう言うと、はるかは学校から持ち帰った大荷物を乱暴に床に投げ下ろした。

「お帰りぃ。あ、ちょっとぉ、何か壊れたらどうするのよ」

「うあ——あっちかったぁ……ッ大丈夫だって。それより何か冷たいもん……っ」

汗で濡れた前髪をかきあげながら、どたどたと駆け込む様にキッチンに入って来た悠は、真っ先に冷蔵庫を開けた。

「コーラが入ってるでしょ。飲んでいいわよ」

「うん。あ、あった」

見つけたコーラのペットボトルを片手で鷲掴みにすると、悠は豪快にノドに流し込んだ。

冷たい炭酸の刺激が狭い食道を通り、空腹の胃に流れ落ちて行く。

終業式を終えた真夏の帰り道、太陽に焼かれた、水に飢えた身体が一気に潤おう。

「……っはぁ——っ」

体温が下がる感覚と、重力に引き込まれるような脱力感が心地いい。

ひと息付いた悠はペットボトルを冷蔵庫に仕舞うと、冷凍庫を開け、何かを探し始めた。

「外暑かったでしょう。きゃ——38度だって」

ダイニングテーブルに座り、頬杖を尽きながらテレビを見ていた母親が、眉をひそめながらそう言った。

「ほーんと学生って偉いと思うわぁ。……私だったら夏の昼間なんか絶対に出ない。」

「だろー?本当に暑かったもん。じゃぁアイス食べていい?」

「いいわよ——。奥の方にガリガリ君あるでしょ」

「あ、これこれ。部屋で食べて来ていい?」

「いいわよ。——あ」

 二階のソファーの上で横になって食べようと、アイスを持って階段に足を掛けたその時だった。

母親の声に足を止めた悠は、面倒臭そうに身体だけ傾けて、椅子に座る母親の顔を見た。

「何?」

「近所の松原さん所の上のお兄ちゃんいるでしょ。桂一郎君。……なんか、明日駅前のデパートの屋上でヒーローショーがあるんだって。チケットくれたんだけど……悠行く?」

「えっ何のヒーロー?」

明日から夏休みだ。サプライズ的なタイミングに悠の瞳が一瞬で輝いた。

昇りかけていた階段から、すぐに踵を返した悠は、再びキッチンの母親の元へ駆け戻った。

「……何だかわからないけど、悠が好きなヤツよ。一枚で4人までOKだって。お隣の隆弘君も誘ったら?」

「やったっ。誘って来るっ誘って来るっ。行って来ていい?」

母親が差し出した黄色いチケットを、悠は嬉しそうに受け取ると、手の中で半分に折り、ズボンのポケットに仕舞い込んだ。

「いいわよ。でもアイス食べてからね」

「うんっ」

「あと、ちゃんと桂一郎君に会ったらお礼言うのよ」

「わかったぁ」

 喜び諌んで二階に駆け上がった悠は、ソファーに飛び乗るとごろりと横になり、急いでアイスを食べた。

 夏休みと行っても、何の予定がある訳ではない。

母子家庭の斉藤家にとって夏は稼ぎ時で、旅行など贅沢な事は言ってられなかった。

毎年、夏はとにかくプールだった。

夜中に働いている母親の昼寝の邪魔をしない様に、悠はなるべく家にいない様にしていた。

小三ともなれば、門限さえ守ればほとんど自由だった。

と言っても、幼馴染みの海瀬隆弘の家にいる事がほとんどで、友人を誘ってイベントに行くほどの行動力はない。隆弘の家でゲームをしたり、宿題をしたり、一緒にプールに行ったり。

そんな事で毎年同じ様に夏は終わっていた。

(——やったぁっきっと隆弘も喜ぶよな)

悠は、うきうきと身体を揺らしながら、最後の一口を食べ終えると、がばっと飛び起き、階段を駆け下りた。

「じゃぁ隆弘んとこ行って来るね!」

「——はいはい」

 勢い良く玄関から飛び出した悠の身体に、じりじりと待ち構えていた白い太陽の光が、一斉に襲い掛かる。

再び体温が一気に上昇する。そして眩しさに目を細めた時、悠は目の前に人がいる事に気が付いた。

「——あっ」

「あ……っごめん」

ぶつかる寸前で立ち止まった悠は、慌てて顔を見た。

そこには近所に住む、あのチケットをくれた松原桂一郎が立っていた。

「あ、丁度良かった。桂兄ちゃんにお礼言おうと思ってたんだ」

「……お礼?」

「うん。ヒーローショーのチケットくれたでしょ。ありがとうっ」

目をきらきらさせながら、ポケットから黄色いチケットを取り出し、桂一郎の前に広げて見せた悠だったが、何故か反応が鈍い。不思議に思った悠が首をかしげた時だった。『桂一郎』は小さく口を押さえて笑った。

「……違うよ。悠、僕は宗一郎だよ」

「——あ、」

——そう言えば。

その瞬間に悠は思い出した。

そうだった。近所に住む、幼い頃からよく遊んでくれた十歳違いのお兄さん。

松原桂一郎と松原宗一郎。一卵生双生児で、見た目はまったく見分けが付かない。

近所で交流はあるが、同じ顔をしているので、どちらがどちらかなんて意識した事はなかった。

「……ごめんなさい、間違えちゃって……」

恥ずかしそうにそう言いながら、広げたチケットを仕舞い込むと、悠は気まずそうに頭を下げた。

近所の幼い頃から良く知る人物だと言っても、十も離れた体格の差は明らかだった。

見上げるような背の高さと、筋肉を感じさせる体付きは、優し気な宗一郎の声に反して威圧感さえ感じさせた。

「——いいんだ。僕の方こそ……」

そう言うと、宗一郎は悠の背の高さまでしゃがみ込んだ。

「見下ろして……怖かったかい?」

「え……っ」

「そっくりだから間違えるのは仕方ないよ。……でも見分ける方法が一つだけあるんだ。教えてあげる」

宗一郎はそう言うと、右手の手首の内側を見せた。

そこには、うっすらと火傷の痕があった。

「……小さい頃火傷をしてね。ここくらいしか明らかな違いがないから僕も困っているんだ」

そう言って笑った宗一郎は、大きな手で悠の頭を優しく撫でると、ゆっくりと立ち上がった。

「……でも桂もいい所があるんだな。最近はずっと部屋に籠りっきりだったから心配してたんだけど——」

「そ、そうなの?」

(——お礼を言わなくちゃいけないのに)

そんな困ったような悠の表情に気付いたのか、宗一郎は再びしゃがみ込むと、にっこりと微笑んで言った。

「桂に言っておくよ。凄く喜んでたって。……じゃぁ僕は行くね」

「……どこに?——あ」

そう口走った瞬間、悠は恥ずかしさに口籠った。

(そんな事を聞いてどうするんだ。——なんで余計な事を聞いてしまったんだろう)

「……ちょっとね。桂がノドが乾いたって言うから買い物に」

「ジュース?」

「うん。……じゃぁね」

そう言うと、宗一郎は軽く頭を下げて歩いて行ってしまった。

 小学校に入ってからめっきり会わなくなっていた宗一郎に、まるで初対面のような人見知りをしてしまった悠だったが、思ったよりもずっと優し気だった感触にほっと胸をなで下ろした。

幼い頃、そう言えばよく隆弘と一緒に遊んでもらった。

同じ顔をした二人の優しいお兄さん。

しばらく会わないうちに随分と男らしく、カッコ良く変貌していた。

(……ヒーローショーに喜んでいるようじゃまだまだかな……)


そんな少し悔しい思いを胸に仕舞いながら、悠は隣の隆弘の家の呼び鈴を鳴らした。



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