一卵性双生児
「——ただいまぁっ」
息を切らせて玄関に飛び込んできた悠は、大声でそう言うと、悠は学校から持ち帰った大荷物を乱暴に床に投げ下ろした。
「お帰りぃ。あ、ちょっとぉ、何か壊れたらどうするのよ」
「うあ——あっちかったぁ……ッ大丈夫だって。それより何か冷たいもん……っ」
汗で濡れた前髪をかきあげながら、どたどたと駆け込む様にキッチンに入って来た悠は、真っ先に冷蔵庫を開けた。
「コーラが入ってるでしょ。飲んでいいわよ」
「うん。あ、あった」
見つけたコーラのペットボトルを片手で鷲掴みにすると、悠は豪快にノドに流し込んだ。
冷たい炭酸の刺激が狭い食道を通り、空腹の胃に流れ落ちて行く。
終業式を終えた真夏の帰り道、太陽に焼かれた、水に飢えた身体が一気に潤おう。
「……っはぁ——っ」
体温が下がる感覚と、重力に引き込まれるような脱力感が心地いい。
ひと息付いた悠はペットボトルを冷蔵庫に仕舞うと、冷凍庫を開け、何かを探し始めた。
「外暑かったでしょう。きゃ——38度だって」
ダイニングテーブルに座り、頬杖を尽きながらテレビを見ていた母親が、眉をひそめながらそう言った。
「ほーんと学生って偉いと思うわぁ。……私だったら夏の昼間なんか絶対に出ない。」
「だろー?本当に暑かったもん。じゃぁアイス食べていい?」
「いいわよ——。奥の方にガリガリ君あるでしょ」
「あ、これこれ。部屋で食べて来ていい?」
「いいわよ。——あ」
二階のソファーの上で横になって食べようと、アイスを持って階段に足を掛けたその時だった。
母親の声に足を止めた悠は、面倒臭そうに身体だけ傾けて、椅子に座る母親の顔を見た。
「何?」
「近所の松原さん所の上のお兄ちゃんいるでしょ。桂一郎君。……なんか、明日駅前のデパートの屋上でヒーローショーがあるんだって。チケットくれたんだけど……悠行く?」
「えっ何のヒーロー?」
明日から夏休みだ。サプライズ的なタイミングに悠の瞳が一瞬で輝いた。
昇りかけていた階段から、すぐに踵を返した悠は、再びキッチンの母親の元へ駆け戻った。
「……何だかわからないけど、悠が好きなヤツよ。一枚で4人までOKだって。お隣の隆弘君も誘ったら?」
「やったっ。誘って来るっ誘って来るっ。行って来ていい?」
母親が差し出した黄色いチケットを、悠は嬉しそうに受け取ると、手の中で半分に折り、ズボンのポケットに仕舞い込んだ。
「いいわよ。でもアイス食べてからね」
「うんっ」
「あと、ちゃんと桂一郎君に会ったらお礼言うのよ」
「わかったぁ」
喜び諌んで二階に駆け上がった悠は、ソファーに飛び乗るとごろりと横になり、急いでアイスを食べた。
夏休みと行っても、何の予定がある訳ではない。
母子家庭の斉藤家にとって夏は稼ぎ時で、旅行など贅沢な事は言ってられなかった。
毎年、夏はとにかくプールだった。
夜中に働いている母親の昼寝の邪魔をしない様に、悠はなるべく家にいない様にしていた。
小三ともなれば、門限さえ守ればほとんど自由だった。
と言っても、幼馴染みの海瀬隆弘の家にいる事がほとんどで、友人を誘ってイベントに行くほどの行動力はない。隆弘の家でゲームをしたり、宿題をしたり、一緒にプールに行ったり。
そんな事で毎年同じ様に夏は終わっていた。
(——やったぁっきっと隆弘も喜ぶよな)
悠は、うきうきと身体を揺らしながら、最後の一口を食べ終えると、がばっと飛び起き、階段を駆け下りた。
「じゃぁ隆弘んとこ行って来るね!」
「——はいはい」
勢い良く玄関から飛び出した悠の身体に、じりじりと待ち構えていた白い太陽の光が、一斉に襲い掛かる。
再び体温が一気に上昇する。そして眩しさに目を細めた時、悠は目の前に人がいる事に気が付いた。
「——あっ」
「あ……っごめん」
ぶつかる寸前で立ち止まった悠は、慌てて顔を見た。
そこには近所に住む、あのチケットをくれた松原桂一郎が立っていた。
「あ、丁度良かった。桂兄ちゃんにお礼言おうと思ってたんだ」
「……お礼?」
「うん。ヒーローショーのチケットくれたでしょ。ありがとうっ」
目をきらきらさせながら、ポケットから黄色いチケットを取り出し、桂一郎の前に広げて見せた悠だったが、何故か反応が鈍い。不思議に思った悠が首をかしげた時だった。『桂一郎』は小さく口を押さえて笑った。
「……違うよ。悠、僕は宗一郎だよ」
「——あ、」
——そう言えば。
その瞬間に悠は思い出した。
そうだった。近所に住む、幼い頃からよく遊んでくれた十歳違いのお兄さん。
松原桂一郎と松原宗一郎。一卵生双生児で、見た目はまったく見分けが付かない。
近所で交流はあるが、同じ顔をしているので、どちらがどちらかなんて意識した事はなかった。
「……ごめんなさい、間違えちゃって……」
恥ずかしそうにそう言いながら、広げたチケットを仕舞い込むと、悠は気まずそうに頭を下げた。
近所の幼い頃から良く知る人物だと言っても、十も離れた体格の差は明らかだった。
見上げるような背の高さと、筋肉を感じさせる体付きは、優し気な宗一郎の声に反して威圧感さえ感じさせた。
「——いいんだ。僕の方こそ……」
そう言うと、宗一郎は悠の背の高さまでしゃがみ込んだ。
「見下ろして……怖かったかい?」
「え……っ」
「そっくりだから間違えるのは仕方ないよ。……でも見分ける方法が一つだけあるんだ。教えてあげる」
宗一郎はそう言うと、右手の手首の内側を見せた。
そこには、うっすらと火傷の痕があった。
「……小さい頃火傷をしてね。ここくらいしか明らかな違いがないから僕も困っているんだ」
そう言って笑った宗一郎は、大きな手で悠の頭を優しく撫でると、ゆっくりと立ち上がった。
「……でも桂もいい所があるんだな。最近はずっと部屋に籠りっきりだったから心配してたんだけど——」
「そ、そうなの?」
(——お礼を言わなくちゃいけないのに)
そんな困ったような悠の表情に気付いたのか、宗一郎は再びしゃがみ込むと、にっこりと微笑んで言った。
「桂に言っておくよ。凄く喜んでたって。……じゃぁ僕は行くね」
「……どこに?——あ」
そう口走った瞬間、悠は恥ずかしさに口籠った。
(そんな事を聞いてどうするんだ。——なんで余計な事を聞いてしまったんだろう)
「……ちょっとね。桂がノドが乾いたって言うから買い物に」
「ジュース?」
「うん。……じゃぁね」
そう言うと、宗一郎は軽く頭を下げて歩いて行ってしまった。
小学校に入ってからめっきり会わなくなっていた宗一郎に、まるで初対面のような人見知りをしてしまった悠だったが、思ったよりもずっと優し気だった感触にほっと胸をなで下ろした。
幼い頃、そう言えばよく隆弘と一緒に遊んでもらった。
同じ顔をした二人の優しいお兄さん。
しばらく会わないうちに随分と男らしく、カッコ良く変貌していた。
(……ヒーローショーに喜んでいるようじゃまだまだかな……)
そんな少し悔しい思いを胸に仕舞いながら、悠は隣の隆弘の家の呼び鈴を鳴らした。