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夏の楔  作者: 夏路殻巣
21/21

変化

宗一郎と桂一郎の口論から知らなかった事実の片鱗を知った母親。

そして隆弘は宗一郎の部屋で悠の写真を見つけた事で、宗一郎に対して今までとは違う感覚を持つようになる。

写真があった理由を突き止めるよりも、この得体の知れない不安から悠を守りたかった。そして思い詰めた隆弘は思わず悠を抱き寄せ、その身体の実感を求めた。

悠は肌を直に感じながら隆弘の想いに満たされてゆく。

『このままいたい』そう願った悠だったが、隆弘の元を離れ、家に戻った悠には新たな変化が待っていた。



 『どうして電気を消すの?…怖いよ』

 『大丈夫だよ。僕がいるから怖くないだろう?それに——』

 

 『星は真っ暗な方がよく見えるんだ』

  

  星が 降って来る。

  互いの顔も見えないような闇の空に

 

 『怖いなら手をつないでいてあげるよ。

  知っているかい。

  魚座はね、お互いの身体が離れないように

  リボンで身体を結び合った形をしているんだ」

 

  

 

 隆弘の家を出ると陽はすっかり落ち、空は暗くなっていた。


人の肌というのは眠気を誘うものなのだろうか。

幼い頃から知っている匂い。

隆弘の肌の匂いは心地よくて

気がつくと眠っていた。

蒸し暑い部屋の中で汗に湿る肌を感じながら

隆弘も同じように眠っていた。

何か幼い頃の夢を見ていたような気がする。

だがそれも、隆弘の母親が夕食に呼ぶ声に目を覚ました瞬間に全て忘れてしまった。


 「今日は…あの…何か…俺」

見送りに玄関先まで出てきてくれた隆弘は、照れくさそうに口籠った。

隆弘が口籠ってしまう気持ちは悠も同じだった。

まだ身体に触れ合った感触がわずかに残っている。

思っていたよりも太かった隆弘の腕。がっしりとした肩———。


「…うん」

ぎこちない雰囲気のまま、悠の視線はずっと隆弘の落ち着きなく動く手ばかり眺めていた。今目を合わせたら考えている事が全て伝わってしまう気がした。

「…あっ…あのさ…」

もどかしい沈黙に耐えかねて話題を先に変えたのは隆弘の方だった。


「…本当にうちでご飯食べて行かなくていいのかよ。…どうせ帰ってもおばさん仕事でいないんだろ?」


「あ…それは」

そう返事をしながら悠は、隆弘の家に行く前に母親に言われた事を思い出した。

「今日はいるんだ。それに今日はお客さんが来るから夕食には帰ってこいって言われて」

いつもより念入りに掃除をしながら上機嫌でそう言っていた。

「あ…そっか…」

そう言った隆弘の少し寂しそうな声に、悠は初めて顔を上げて隆弘を見た。

いつもならこのまま夕食を共にし、そのまま泊まるか、夕食後に家に帰るのがいつものパターンだった。

「…でも良かったじゃないか。一緒に晩ご飯食べるの久しぶりなんだろ」

緊張したような隆弘の口元がぎこちなく笑った。

「うん…まぁ…ね」

久しぶり。本当に。

夕食を共にするのはいつ以来だろう。いや、今夜は眠るのも朝を迎えるのも一緒なのだ。そう考えると少し嬉しかった。

「じゃぁ帰るよ。おばさんにご飯食べられなくてごめんって言っといて」

「うんわかった。じゃぁまた明日な」

大丈夫。ちゃんと隆弘の顔が見れた。

普通に挨拶してわかれる事が出来た。

この事が切っ掛けで変わってしまう、そう怯えていた心がゆっくりと安らぐ。

『明日も』これまでと同じように隆弘と日々を送れる。


「うん…バイバイ」

軽く手を振って背を向けた。数歩歩いたところに自分の家が見えた。

家の中には明かりがついていた。


 

 「…ただいま」

玄関を少し開けると悠は小さな声でそう言った。

まだ胸がじん、としている。

先ほどまで眠っていたからだろうか。まだ夢心地な気がした。

(しっかりしなきゃ。いつも通り帰ればいいんだから)

何度もそう思ったが、どうしても表情を固めることが出来ない。

『家』というリアルを意識すればするほど、数時間前の肌の記憶が生々しく蘇ってくるような気がした。

きっと顔に出てしまう。別に何か悪い事をした訳ではないのだから堂々としてればいいのだろうが、どうしても気恥ずかしくて、俯いた視線を前に向ける事が出来ない。


(そうだ。そっと家に入ってすぐ部屋に上がってしまえば)

今はなるべく母親と顔を合わさずにいたかった。

悠は軽く深呼吸をすると覚悟を決めてそっと玄関を開けて家の中を覗き込んだ。


(…あれ?)

家の中は不思議と静かだった。

いつもついているテレビの音が聞こえてこない。

(あ…)

その時ふと視線の先にきちんと揃えられた黒い革靴に目が止まった。

見慣れない靴。大きな男性用の革靴だった。

(…もう来ているのか)


母が言っていた『お客さん』は『男』


そう思った瞬間、悠は自分の中で何かがすぅっと冷めてゆくのを感じた。

『人見知り』それは自分が一番自覚している性格だったが、冷めてゆく感覚はそれだけではなかった。

幼い頃に父が死んで以来ずっと、悠にとって『母』は守るべき人で、守るべき人間は自分しかいないと思ってきた。

おそらくそのせいなのだろう。いつの頃からか自分が知る以外の男性が母親に近づく事に嫌悪感を感じるようになっていた。

母の口ぶりでは、晩ご飯はこの靴の持ち主と一緒にする予定のようだったが、初対面の人とにこやかに食事など出来るだろうか。もしかしたらあからさまに嫌な表情を出してしまうかもしれない。


『お客さんって誰が来るの?』

何気なく聞いた質問に、母は『秘密よ』と笑って答えてはくれなかった。

(どうして教えてくれなかったんだろう)

——教えていてくれたならこんな不安にはならずに済んだのに。

そんな事を思いながら、悠はのろのろとその大きな革靴の横に靴を脱いだ。


「ただいま」

テレビの音がない分いつもよりも静かに感じる家の中に、悠はもう一度声をかけた。

さっきよりは大きく声を出したつもりだった。だがまた返事はなかった。

「…お母さん?」

いると言っていたのに。どうして返事がないんだろう。

もしかしたら部屋で何かあったのかもしれない。

少し不安になりながらキッチンへ向かおうとしたその時だった。

リビングの方から母親の声がした。

「———きっと大丈夫よ。悠もわかってくれると思う」

「…お母さん?」

誰かと話をしているようだった。

声に誘われるままにリビングに近づくと、開けたままの部屋の入り口から人影が見えた。それはソファーに座った、大きな、まるで格闘家のような身体つきの男。

短く刈り込んだ髪。見た事のない男だった。

「ああ、悠帰ってきたのね。おかえり」

悠に気づいた母親はソファーから立ち上がると、微笑みながら手招きをした。

「悠、ちょっとこっちに来て。紹介したい人がいるのよ」

そう言った母親は、随分と着飾って見えた。

仕事先の姿を見た事はなかったが、仕事の時はきっとこういう格好をしているのかもしれない。家では見ないようなシャンとした格好だった。

「……誰?」

薄雲のように沸き上がる不安を感じながら言われるままに母親のそばに歩み寄ると、母の隣に座っていた男はおもむろに立ち上がり、軽く頭を下げた。

「こんばんわ。初めまして。悠…君だよね」

「え…は…はい」

(どうして僕の名前を知っているのだろう)

見上げるような大男だった。多分桂兄や宗兄よりも大きいかも知れない。

にこやかに笑う男が親しげに右手を差し出してきたが、悠はとてもその手を取ることは出来なかった。

対応に困って母親に視線を送ると、母は仕方がなさそうに首を傾げ助け舟を出してくれた。

「ごめんなさい。この子人見知りするから。…慣れるには時間がかかるかも」

「…まぁ仕方がないよ。僕の方こそいきなり握手だなんて少し馴れ馴れし過ぎたかな」

男は差し出した手で頭をかきながら恥ずかしそうに笑った。


不思議な違和感があった。自分の頭上で交わされる二人の会話。

それは自分と母が会話をしている雰囲気と似ているように思えた。

「———ごめんな。悠君」

男は優しくそう言うと、急に大きな身体をかがめて悠の頭を軽く撫でた。

大きなずっしりと重みを感じる手のひら。

「や…やめて…下さい」

精一杯の抵抗。

でもそう言った声は自分が思ったよりもずっと小さかった。

「おっと…嫌われちゃったかな」

男は悠から返ってきた反応に嬉しそうに笑うと、その様子を微笑ましく眺めていた母親の耳元に何か囁いた。

何を言ったのかは聞こえなかったが母親の口元が『そうね』と言った事はわかった。


何だろう。気持ち悪い。

自分に話しかけるように男に話しかける母親の声も。


「悠…そんな顔しないのよ。大丈夫、ちゃんと紹介するから」


そう言って悠の鼻先に顔を近づけた母親の指先が優しく悠の頬に触れた。

母が言った『顔』。今自分がどんな顔で男の顔を見ているか。だいたいは想像できる。多分それは一切を隠さない嫌悪の表情。

自分の眉間が中央に寄り、唇の奥で歯が軋む。

その時ぞくりと毛穴が震えた。


「こちら高岡昭輔さん。今…お母さんがお付き合いしている人よ」


すい、と悠から離れた母親は高岡のそばに寄り添うように立つと、恥ずかしそうに小さな声でそう言った。

「………お母さんね、この人と結婚しようと思っているの」

「け…っこん?」


『——いやだ』

真っ先に浮かんだのはその言葉だった。

『何が?』

自分の中の冷静なもう一人が聞く。


『——変わってしまう』


 

 「…悠君…急な話で驚いたと思うけど、そんなに不安にならなくても大丈夫だよ。お母さんは必ず僕が幸せにするから」

声もなく唇を噛み締めたまま立ち尽くしている悠を見た高岡が心配げに声をかけたが、悠は黙ったまま視線をそらした。

「部屋に…戻りたい」

届いたか不安になるほど、悠の声は出なかった。

「……ええ。いいわよ。……外に食べに行くから着替えたら降りてきてね」

母の声は優しかった。

悠は高岡に軽く頭を下げると、ふらりと部屋を出た。

冷房のついていない廊下は少し蒸し暑かった。


階段を上る足が重い。

階段の途中で足を止め、悠はその場に座り込んだ。

頭を抱えて深く瞳を閉じる。

いろいろな事が起きて整理がつかない。

(…結…婚?…お母さんが…?)

息苦しい。

突然起きた事態を整理する為に総動員された酸素が、脳ばかりに集まって呼吸する事を忘れてしまっているみたいだ。


「…なぁもしかして君、まだ悠君にあの事も話していないのかい?」


その時、リビングから高岡の声が聞こえた。


「……だって…言い出しにくくて…。急すぎるじゃない夏休みが明けたらなんて」

『夏』…口籠る母親の声。

「…確かに僕の仕事の都合だしかわいそうだとは思うよ。…だけど…早く伝えた方が」

『仕事の都合』…?困惑したような高岡の声。

「………あの子が悲しむのはわかってるもの。お願い…昭輔さんから言ってよ」

『悲しむ』…?お母さんは僕に何を伝えようと言うの。


何の事を話しているのかわからなかった。

ただ耳につくキーワードに嫌な予感しかしなかった。


「…わかった。……僕も彼の父親としてきちんと話すよ」


しばらく沈黙が続いたあと、深いため息をついた高岡がそう言った。


「…そうだな。引っ越す前にどこか旅行にでも行こう。最高の夏休みにして一番いい思い出にしてあげなきゃな」


(——ひ…っこす?)

抱え込んでいた頭を上げた悠は、暗がりの中で目を開いた。

(い…嫌だ)

そう思った瞬間、悠は玄関の扉を開いていた。

靴も履かず、コンクリートの石畳を蹴った。


「悠っ?何処行くの…っ」

母親のその声を突き放すように、大きな音を立てて玄関の扉が閉まった。

日中太陽に焼かれたアスファルトはまだほのかに暖かかった。

そして悠は隆弘の家の前で足を止めた。

もしかしたら母親やあの男が飛び出した自分を追って来るかも知れない。そう考えた悠は、隆弘の家の裏手に回ると、自分の背丈ほどの塀によじのぼった。


そうだ。今なら。

昔隆弘が言っていた事が出来るかも知れない。


『嫌な事があったら家出してこいよ。俺考えてる事があるんだ』


図書館で冒険ものの紙芝居を見たその翌日の事だった。


自信満々な顔をしてにやりとそう言った隆弘は、悠の耳元のそっと囁いた。

『うちの横の塀って、もう少し背が伸びればよじ上れると思うんだ。あの塀を上っちゃえばすぐ上が俺の部屋だろ。背伸びをすれば屋根にも手が届くと思うし、そうしたらいつでも俺の部屋に来れるじゃないか』

『へぇすごいじゃん。何か秘密基地が出来たみたいで』

『だろ?だから早く大きくなれよ悠』


コンクリートの塀はざらざらしていて、剥き出しの足に少し擦り傷を作った。

でもあの頃より成長した悠の身体は難なく塀の上に上る事が出来、目の前に見えた隆弘の家の青い屋根は、手を伸ばせば簡単に触れる事が出来た。

屋根に上った悠は、身体を小さくかがめてそっと隆弘の部屋の窓に近づいた。

思わず家を飛び出してきてしまったが、自分がしている事がどんなに大胆な事かはわかっているつもりだった。

心臓の音と呼吸する音が、耳なりのように響いている。

震えるように息をしながら、悠は隆弘の部屋を覗き込んだ。

暗い部屋の中に隆弘の姿は見えなかった。だが幸運な事に窓は小さく開いたままだった。

(良かった…)

そっと窓の隙間に手を差し込むと、窓はからりと音を立てて開いた。

(隆弘…)

悠は開いた窓からゆっくりと上半身を入れ込んだ。

窓が開いていて安心したからなのか、身体は土のように重く感じる。

腰の辺りまで入れ込んだ悠の身体は、そのまま力なくずるりと部屋の床の上に崩れ落ちた。


(いやだよ隆弘…離れたくない)


見慣れたはずの天井の風景が何故か悲しくて 涙があふれた。


久しぶりの投稿です。

あまりに久しぶりでちょっと内容忘れていましたが、悠と隆弘の友情と愛情を強く結んだ所でそろそろ山に入ります。

遅筆ですが、よろしくお願いします。

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