お互い
校舎を出た途端、襲い掛かって来た熱気に隆弘は思わず息を詰めた。
「———熱……っ」
刺すような熱線に目が眩む。
それはまるで現実に戻される感覚だった。
さっきまで握っていた悠の細い指の感触がまだ残っている。
抱き締めた時に感じた——悠の華奢な身体の感触と髪の匂いも。
隆弘は思わず自分の右手を見つめた。
『お前が悠の事好きなの知ってたし』
琢磨が口走ったあの言葉が、頭を離れない。
そんな話をした事はなかった。
でもあの時、そう言われて動揺を隠せなかった。
琢磨があの一言を言わなければ、こんな気持ちに気付く事はなかった。
「隆弘っ裏門が開いてる。こっちから出よう」
校門の様子を見に行った悠が、白い光を浴びながら戻って来た。
「あ……っああ」
悠の姿に隆弘は慌てて右手を握り、太陽の下で手招きをする悠の元に走った。
視線の先で、悠の黒髪がきらきらと光っている。
意識した事の無い意識が、過敏に反応してしまう。
幼い頃から見慣れたはずの姿なのに——どうしてだろう。
悠の足音や呼吸、微妙な近さで感じる体温さえも、切なくて仕方がない。
「——よし、脱出成功」
暑さのせいだろうか。校門を出た通りに人影はなかった。
「さ、早く行こう——……」
そう言って差し出した悠の手を、隆弘は掴む事が出来なかった。
「……隆弘?」
顔が見れなかった。
(『昔の様に戻りたい』そう望んで悠に詰め寄ったのは俺の方じゃないか)
なのに——戻れなくなったのは……
黙り込んで下を向いた隆弘を、悠は問いつめなかった。
悠は黙ったまま差し出した手を引っ込めると、行き場を失ったその手でシャツの裾を掴んだ。
遠くの雑木林から蝉の声が煩いくらいに聞こえて来る。
何故かその沈黙を悠は心地よく感じた。
不意にそよいだ風に、悠は雲一つない青空を見上げた。
『なぁ、頼むから教えてくれよっ俺どんな事聞いても、もうお前を避けたりしないから……っ』
真直ぐで、必死な目をしていた。
隆弘の目の前で倒れた時、本当はもう、このまま永遠に嘘を突き通そうと思った。
今までの関係を続けられるならそれでもいいと思っていた。
なのに——隆弘はそれをこじ開けて、痛みを分けろと言って来た。
少しの沈黙のあと、悠は小さく息を付いた。
「……———ありがとう」
「え……」
思わぬ言葉だった。隆弘が顔をあげると、悠は照れた様に横を向いて立っていた。
「あの事は……絶対、言わないつもりだったんだ。誰にも言わないで我慢すればいいと思ってた」
「——あ」
その時初めて、隆弘は悠があの和室での話をしている事に気が付いた。
「でも……言えて何だかすっきりした。ほんと……ありがとな」
そう笑った悠の顔に、隆弘は思わず涙が溢れそうになった。
(——良かった。悠の笑顔が戻った)
「俺も……良かった。悠が元気になってくれて」
ああ、もう『元』には戻れないかもしれない。隆弘はそう思った。
でもこのままがいい。この何かが繋がったような安心感が続くなら。
「……うん」
そう言った悠の瞳が、汗に濡れた前髪の下で微笑んでいた。
「——そうだ、暑いからこの先の公園で休んで行こうよ」
学校を出てしばらく歩いていると、悠が突然思い付いた様に言った。
「え……ああ、あの公園?」
それは家のすぐ近くにある、木の鬱蒼とした公園だった。
遊具も少なく、子供連れはほとんど来ない。
ただその公園を突っ切った方が家への近道だったので、母親には止められていたが、遅刻しそうな時などは良く利用していた。
「あそこの公園木が多いから結構涼しいんだ。……それに良く考えたらこんな時間に帰ったらヤバいんじゃないかな。隆弘んち、おばさん家にいるんだろ」
言われてみればその通りだった。このまま家に帰って学校に問い合わせられでもしたら面倒な事になる。
「そ……そうだよな。俺何にも考えてなかった」
「じゃぁ行こうよ。あそこには水飲み場もあるしさ」
木陰と水飲み場。その言葉は物凄く魅力的に響いた。
このまま頭の真上から照りつける太陽に耐えながら、時間まで外で待つ事など考えられない。
「早く行こう。咽がからからだ」
「うん」
蜃気楼が立ちそうなアスファルトの上を、駆け出す隆弘の背中はいつの間にか自分より大きくなっていた。腕も、抱き締められた時の筋肉の感触も。
身長も体重も——いつの間にか違ってしまった。
(……来年中学になるんだもんな……)
隆弘の背中を追いながら、悠は少し寂しさような感覚を覚えていた。