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夏の楔  作者: 夏路殻巣
12/21

言葉


 「……悠」


目の前に突然現れた悠の瞳には、静かな怒りが込み上げていた。

強く握りしめた拳が小さく震えている。

隆弘は時が止まってしまったかの様に、目を見開いて動かなかった。

「何も…何も知らない癖に…っ俺のいない所で勝手な事言うな……っ」

悠はそう叫ぶと、突然飛びかかるように隆弘の襟首に掴みかかった。

「ちょ……っおいっ——悠っ?」

普段とは別人の様に血相を変えた悠の様子に、琢磨は慌てて悠の肩を掴んだが、悠はそこに琢磨の存在が見えないかの様に、かまわずに隆弘に強く詰め寄った。

「……お前しつこいんだよっ……もう放っておいてくれって言ったじゃないか……っ」

声を詰まらせながら悠はそう言うと、勢いのまま畳を背に倒れ込んだ隆弘の上に、泣きそうな顔でのしかかって来た。

「はる……っか……っ」

喉元を押される息苦しさはあったが、髪を乱して自分に掴み掛かって来ている目の前の悠の姿に、隆弘は小さな喜びを感じていた。

こんなに直接、感情をぶつけて来た悠を見るのは久し振りだった。

悠が突然現れた事は予想外だったが、切っ掛けがどうであれ、悠と面と向かって話せるこの機会がやって来たのだ。しかも今、こんなに近くで視線を交わしている。

「……っどけよ……っ」

隆弘はそう言うと、襟首を掴んだ悠の拳を左手で力一杯払い除けた。

「……っ」

よろけた悠を琢磨が後ろから支えたが、悠は背後に立つ琢磨を見る事なく、その視線は真直ぐに強く隆弘を睨んでいた。

「放っといてくれって……じゃぁ自分だけが納得すればそれでいいのかよ……っ俺だって責任感じてるって言っただろう……っ」

ゆっくりと身体を起こしながら、隆弘は吐き捨てる様に言った。

(自己完結なんて冗談じゃない。俺はあの時、悠のトラウマの現場にいられなかった事をずっと後悔しているんだ……っ)

何かを頑に隠し通そうとする悠の態度に、隆弘は苛立ちを感じていた。

(悠のあんな顔見たくなかった。何があったのかそれさえ教えてくれれば——)

待ち合わせに間に合わなかった自分の知らない時間。

痛みを分け合えなかった責任。


「お前には悪かったと思うよ……っだけど誰にも言いたくない事だってあるんだ……っ」

そう言ったその唇は悔しそうに噛み締めるだけで、それ以上の真実は出て来なかった。

「またそうやって本当の事言わないのかよ……っ」

「……っ」


 (何で?何でそんなに———)


悠の胸に込み上げる痛みは、口と言う放出口に背を向け、逆流した叫びは瞳と言う剥き出しの粘膜に集中した。

でも瞳は話さない。いくら睨んでも、隆弘は口から聞く言葉を待っているのだ。

隆弘は苛立った視線を向け、じっと言葉を待っている。

でもどうしても言葉は出て来ない。

口の奥で、必死に誰かが引き止めている。(殺人の告白をしろというのか)と。


(何で僕を苦しめるんだ。あの日、一人の男の子が死んだ原因は僕にあると、告白することで何が……誰が救われると——)

 まるで断がい絶壁に詰め寄られている気分だった。

あと一歩後ろに下がれば真っ逆さま。地中の深くでしょうた君が手招きしている。


(あの日、しょうた君を殺したのは僕だ)


突き刺さったままの変わらない事実が、浴びせられる言葉に揺れる。

ぎしぎしときしみを上げながら、揺れるその楔は突き刺さった傷口を深くえぐる。

全身の毛穴から冷や汗が浮かび、細胞が必死に逃げようと駆け回る。


纏わり付くような暑さ。

白く焼きつける太陽の日射し。

小さな手に渡した風船。

『ここで待っていて』とそこに置き去りにしたのは僕だ。

子供を見失った母親の不安な瞳が、自分の言葉に一瞬に安堵した。

でも———その安堵を僕は突き落とした。

悲鳴。振り放された手。悲鳴。悲鳴。悲鳴。———


(僕が殺したんだ)


「……おい……っ隆弘ちょっと……っ」


二人の様子を見ていた琢磨が、悠の異変に気付いて声をかけた。

睨み付けていた悠の視線が、ゆっくり項垂れて行き、同時に呼吸が不規則に揺れ始めた。

「大丈夫かよ悠。……具合悪そうだし、もう止めた方がいいんじゃねぇの」

「……わかってるよ」

隆弘は止めに入った琢磨に悔しそうにそう呟いた。

小刻みに震えながら、とうとう床の上に座り込んでしまった悠の姿は、間違いなくあの時と同じだった。あの通学路で倒れた時と同じ———

あの後と同じ様に、またこれを切っ掛けに距離が開いてしまうのか。そんな思いが頭を過った。

一番大事な事をトラウマと言う爆弾と一緒にまた閉ざしてしまうのか。

また何も聞けないまま?


そんな思いは隆弘の苛立ちを昂らせた。

(———繰り返すのは嫌だ!)

「悠……っ」

感情的に、その瞬間無意識に身体が動いていた。

琢磨の存在を気にしてなのだろう、悠は組んだ両腕の中に顔を埋め、その苦しい表情を隠す様に座り込んでいたが、隆弘はその両肩を掴み上げ、無理矢理顔を上げさせるとこう叫んだ。

「逃げんな……っこっち見ろよ悠っお前一人で逃げてんじゃねぇよ……っ」

「……た……か」

血の気のない細い顎をぐったりと向けながら、悠は途絶えそうになる意識を必死に起こした。

「なぁ、頼むから教えてくれよっ俺どんな事聞いても、もうお前を避けたりしないから……っ」


それは隆弘の心にずっと残っていたものだった。

伝えるタイミングを見失ったまま四年経ってしまった、謝罪。

だがあの『醜態』のあとの隆弘の態度は『仕方の無い事』だと諦めていた悠にとって、隆弘の言葉は全くの予想外だった。

「何……言って」

「俺だって……お前避けるの凄く辛かったんだ……っまたお前が心を閉ざして……繰り返すのはもう嫌なんだ……っ」

『離れるのはもう嫌だ』

まるで丸裸にでもなった気分だった。でも何もかも曝け出さないとまた、きっと繰り返してしまう。

追い立てられるような感情のまま、隆弘は思わず強く掴んだ悠の両肩をぐいっと目の前にまで引き寄せた。

「……何……」

息がかかるような近さに、悠は思わず乱れる呼吸の中で唾を飲んだ。

真直ぐに見つめる隆弘の瞳は、今まで見た事がないくらい真剣だった。

昔の二人なら『何マジになってるんだよっ』と突っ込む所だが、今の二人の間にはそんな茶化すような隙間は何処にもなかった。


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