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巻き戻しビデオ

作者: ゆきのん

『生きていること』と『息をしていること』は違う。

生死の定義なんかを煎じ詰める時にはよく言われることだ。

実際、それはその通りなのだろう。

行きも帰りも、ただ人混みの中を歩くだけ。

辿り着いた先では定められたことをきっちりと行うだけ。

そんな生活は、恐らく『生きていること』からかけ離れたものなのだ。

少し前までは、あんなにも『生きて』いたはずなのに。


きっかけは些細なこと……だったのだろう。

覚えてもいないくらいなのだから。

ぶつかり合って、喧嘩をして。

そしてそのまま、別れを迎えてしまった。

何がいけなかったのか、なんて分かるはずもない。

思いつく限りのことはやった。

でも、ダメだった。

ならばそれは、運命だったと言うしかない。

諦めろ。

すれ違った人に言われた気がして、僕は振り向いた。


「……あれ?」


振り返った先に見知らぬ建物を見つけた。

毎日毎日通る道なのに見知らぬ建物なんてあるはずがない。

ここ最近はぼんやりと歩いていたからその間にできたものなのかもしれないけれど、その前の記憶の中にも建設工事をしている映像はなかった。

そもそもそんなに新しい建物のようには見えない。

いつの時もそこにあったのに、誰の目にも止まらないように存在していた。

その建物の印象を表現するなら、おおよそそんなところだろうか。

よくよく見れば看板も出ている。

今時珍しい手書きの看板。

そこには『しあわせの雑貨屋さん』と書かれていた。

……店名、だと思う。

正直なところ、ネーミングセンスに難があるとしか思えない。

きっと、どこかの誰かが道楽でやっている小さなお店なんだろう。

どうせすることもないし、僕はその店の扉を開けた。


「いらっしゃい。おや、タクと夏姫ちゃん以外のお客は久しぶりだ。嬉しいねぇ、何かお探しで?」


店長……いや、オーナーと言うべきなのかな、とにかく怪しげな格好をした人が愛想良く迎えてくれた。

タクと夏姫ちゃんというのは誰のことだか分からないけれど、この店の常連なんだろう。

僕は愛想笑いを浮かべて、買い物に来たわけではないと告げた。

考えてみれば、堂々と冷やかしに来たと宣言したわけだから実に失礼な客だけれど、オーナーさんは笑っていた。

ごゆっくり、なんて言って奥のカウンターに引っ込む。

客商売にしてはだらしない服装だったけれど、案外と人間はできているのかもしれない。


「雑貨屋……なんだよな」


見て回る、というほど広い店内ではなかったけれど、陳列されている商品を見ていると、ここが何屋なのかわからなくなってくる。

何を以て雑貨屋の定義とするのか僕は知らないけれど、僕が思うに雑貨屋は何でもかんでも節操なく取り扱っている店という意味ではないような気がする。

鳥籠はペットショップとか用品店に置くべきだし、すごろくは玩具屋にあるべきだ。

それに、それぞれの商品に名札のようなものがくっついているのは何故なんだろう。

値札なら分かるけれど、名札がついている店はついぞお目に掛かったことがない。

そもそもそこに書かれている名前からして普通じゃないし。

何なんだろう、暇潰し読本って。

立ち読みできないように加工されていなかったので少し読んでみたけれど、中身はまったく意味がわからなかった。


「まともなもの、置いてないのかな……」


オーナーさんに聞こえないよう、こっそり呟く。

見ている分には楽しいかもしれないけれど、あんまり長くここにいると自分の常識がひとつひとつ叩き壊されていくような気がする。

長居せずにさっさと帰ろうかなと思った時、妙なものを見つけた。

妙なもの、というのはおかしいかもしれない。

それは至って普通のビデオテープだったから。

強いて言えば包装も何もされず、剥き出しの状態で置かれているのが変と言えば変だけれど、それ以外は特に変わったところはない。

何でそれを妙だと思ったのか分からない。

けれど、何故だか手を取らずにいられなかった。


「何か、後悔してることでもあるんですか?」


ふと気がつけばすぐ傍にオーナーさんが立っていた。

驚いてビデオを取り落とす。

全然気配がしなかった……。


「お、脅かさないでください……」


「いや、失礼しました。巻き戻しビデオなんかお手にとってるもので、気になりましてね」


巻き戻し……ビデオ?

何だろう、再生できないビデオなんだろうか。

それじゃまったく意味がない気がするんだけど。

不思議そうに見ているのが分かったのか、オーナーさんはそのビデオの説明をしてくれた。


「このビデオはですね、その人の人生を巻き戻してくれるんですよ。もちろん、本当に巻き戻るわけじゃありませんがね。その人がやり直したいと思っているところまで巻き戻して、当時は選ばなかった選択肢を選んだ自分ってのを見せてくれるんです」


つまり、パラレルワールドを映し出すビデオ、ということだろうか。

オーナーさんに聞いてみると、まあそういうことですね、と笑った。

僕もつられて笑い出す。

いくらなんでも荒唐無稽だ。

そんなビデオがあるわけがない。

でも。

もしもそれが本当だったなら。

あの人と僕に、今も続く未来があったのなら。

少しだけ、見てみたいと思う。

それが何の慰めにもならないことは分かっている。

でも、あの人と出会って過ごした時間のすべてが別れに繋がっていたわけではないと知るのは決して無意味なことではない……と思う。


「そのビデオ、ください」


気付けば、僕はビデオを買っていた。

信じたわけではない。

たぶん、縋っているのだと思う。

代金を支払って、ビデオを受け取る。

僕はそのまま急ぎ足で家へ向かった。



帰宅するなり、僕は居間のテレビをつけた。

ビデオを買う時は考えなかったけれど、ビデオデッキはまだ動くんだろうか。

そもそもこの時代にまだビデオデッキなんて持ってる僕の方が珍しい気もする。

ともあれ、デッキは問題なく動いた。

買ったばかりのビデオは飲み込まれ、再生される。

唖然とした。

テレビに映し出されたのは、懐かしい風景。

僕とあの人がまだ仲睦まじくしていた頃。

僕達は幸せそうに寄り添っていた。

場面が変わる。

僕は仕事場に居た。

特に変わったところのない、いつも通りの様子。

ちょっとだけ違うのは、僕がちらちらと時計を気にしていることくらいか。

だんだんと思い出してきた。

たぶんこれは、僕とあの人が喧嘩をした日の映像なんだろう。

終業間際に押しつけられた仕事が原因で残業になって、約束に間に合わなかった。

それであの人が怒って……。


「え?」


記憶の中ではそろそろ仕事を押しつけられるところで、画面の中の僕が席を立った。

どこへ行くのかは分からない。

場面は変わることなくオフィスの風景を移している。

やがて上司がやってきて、きょろきょろと僕を探し始めた。

同僚の一人に問いかけ、僕が席を立ったことを聞かされると上司はその同僚に仕事を振った。

戻ってきた僕は手に缶コーヒーを持っている。

単に喉が渇いたから飲物を買いに出た、それだけのことだったんだろう。

たったそれだけのことで、僕は恙なくあの人のもとへ行けた。

ビデオの中の僕達は喧嘩なんてしていない。

あの頃と変わらず、僕達は寄り添っていた。

ビデオはなおも続いていく。

何度も場面が変わり、僕達はとうとう結婚した。

それを機に僕は精力的に仕事に取り組めるようになり、全ては順風満帆。

やがて僕達の間には子どもが産まれ、絵に描いたように幸福な家庭を築いている。

知らず、僕は泣いていた。

悔しかったわけではない、と思う。

こんなバカバカしい理由で、僕は心のすべてを占めていた人を失ったのかと思うと腹は立つけれど。

僕が泣いていたのはそうじゃなくて。

僕とあの人に、こんな幸せな未来があったことが嬉しくて。

ここにいる僕は枯らしてしまったけれど。

僕達の過ごしてきた時間には、素敵な未来の種でもあった。

どう育てても花を咲かせることのない、死んだ種ではなかった。

それが分かった途端、霧が晴れたかのように世界が澄んで見えた。

後から後からこぼれてくる涙を拭うと、いつの間にか時計の針がずいぶんと進んでいた。


「そろそろ風呂に入るか…」


そうしたら気持ちも切り替えられるだろう。

明日からは、『生きる』ことができるかもしれない。

僕は寝間着を用意して浴室へ向かった。





主人の消えた部屋で、止めれたはずのビデオが再生される。

映し出されるのはその後の風景。

幸福に満ちた世界。

彼が居て、彼女が居て、彼らの子が居る。

彼は毎日働いて。

彼女は疲れた夫を出迎え。

子どもは安穏と育ち。

そうして幾年かが過ぎた。

画面が唐突に暗転する。

音だけが流れる。

けたたましいブレーキ音。

生々しい衝突音。

誰かの悲鳴。

遠い救急車のサイレン。

人々のどよめき。

彼女の嗚咽。

重々しい医者の宣告。

暗転した画面が砂嵐に変わる。

音も途切れた。

砂嵐は続く。

やがて、それも途絶えた。

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