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精霊道の案内人  作者: 奈美
第一章 
5/8

 


 目覚める寸前に触れた何かを見ようと、ジョゼは勢いよくまぶたを開いた。そこには、いつものごとく何もない。ジョゼは今日も駄目だったと、ため息をついた。


 毎朝ジョゼの頬にかすめるように何かが触れる。それは、必ずジョゼの起きる少し前に起きるのだ。まるで、自分を起こしに来るかのように何かは触れた。


 けれど、その何かのおかげでジョゼは毎日寝坊せずに夜明け前に起きることが出来ているのだ。だからその何かを、不思議に思うことはあっても、恐れたり邪魔に思ったりすることはなかった。最近ではあれはアルダが何かしているのでは、と疑っている。


 ジョゼはアルダに呼ばれる前に起きなければと、ベッドから這い出し机の引きだしを開けた。そして、鉛筆つき手帳を取り出し部屋を出て、倉庫に向かう。そして倉庫から籠を持って一階に下りた。その先にアルダが待っていた。


 アルダと外に出て、二人で籠を開けた。中には緑に光る丸い精霊が砂糖によって動かなくなっていた。ジョゼはその精霊を皮手袋をはめた手でつかむと、地面に下ろしてあげた。


 今日は前から予定していた精霊を逃がす日だった。精霊は10~20日の間に逃がしてあげなければならなかい。それは精霊が植物から長い時間離れていると弱ってしまうからだ。そのためこうやって精霊を捕まえた場所に逃がしてあげているのだ。精霊を逃がすのも今日で二回目となった。


「砂糖だけでは、精霊ももたない。だから、逃がしてやるんだ。丁寧に触れよ」


 アルダの言葉が地面に精霊を置くジョゼの頭の上からかけられる。


 緑に光るそれはジョゼに離されてからしばらくして、ゆっくりと表面の細かい毛を動かし始めた。そして、ふわふわと浮かび、南の草はらの方へ上下に揺れながら飛んでいいってしまった。

 

 朝の祈りを終えて、ジョゼはアルダに新しい料理を教えられながら朝食を作った。テーブルには焦げていない肉に、きちんと味のある食事。初めてジョゼがアルダに作った料理からは想像が出来ないほどの出来栄えの料理がのっていた。


「まぁまぁだな」


 最近になってアルダはジョゼの料理を少し認めてくれるようになっていた。アルダはあまり褒めることをしない。だから、ジョゼにとってそれが例えぶっきらぼうな褒め言葉であっても、とても嬉しいものだった。


 ジョゼは、アルダに教えられるようになってから、初めてアルダの前に出した料理が、実はただの焼いただけ切っただけの、料理とは言えないものだということが分かるようになって、今までの自分が恥ずかしくなった。ジョゼの村ではジョゼの料理に文句を言う人は誰もいなかったのだ。


 ジョゼは食器を桶で洗い、午前中のいつもの洗濯を行い、また軽い部屋の掃除をしてから自分を待つアルダのもとに向かう。アルダは毎日、ジョゼが家事をしているときは結界が壊れていないか、また壊れている際の修理を行っている。

 

 アルダとはお昼まで、晴れた日は外で実際の精霊を見ながら授業をして、午後と雨の日は家の書斎での授業を行っていた。


「今日は、浮遊精霊を教える。見なさい。この草原に浮いている精霊たちを」


 南の草はらでは、様々な精霊がそれぞれの動きをして浮いていた。アルダの示すずっと先の森まで、浮遊する精霊たちが見える。


 ジョゼは自分の側までやってくる精霊に触れようと皮手袋で手を出してみた。体に害のある精霊かもしれないので、ジョゼはいつも精霊を触る時は皮手袋越しにしている。


「浮遊精霊は、このように常に浮いている。この種は長期間空を浮遊して旅する精霊もいて、他の種よりも長く植物との接触をなくしても死ぬということはない」


 旅をする精霊と聞いて、ジョゼは自分の故郷にもこんな精霊が飛んでいなかっただろうかと、もう帰れない村の空を思い浮かべた。


「師匠、精霊はどのくらいの距離を旅することが出来るのですか?」


「そうだな、今のところ分かっている精霊の中では『夕陽渡り』が最も長く飛んで、ペペアックからアバセラールまで旅したという記録がある」


 アルダは顎に手を当てて、考えるようにして答える。その仕草は彼がよく何かを思い出すときにやる格好だった。


 ジョゼは手帳にまだ不慣れなアグカカの言葉ではなく、村で使っていた言葉で師匠が言った単語を書きとめる。書く時、ぺぺアック行国は北方を遊牧する民の国で、アバセラール共和国は西の海洋国だと、ジョゼは頭に地図を思い浮かべた。


「記録はどうやってとったんですか?」

 

「この精霊の場合だが、『夕陽渡り』はある程度のまとまりで行動する。また姿が茜色をしているため、空を覆う『夕陽渡り』を本物の夕陽と間違えたという話があり、その群れの中で精霊の一つの色を茜から紺に変えてやる。そうすると、群れの中で一つだけ紺の『夕陽渡り』がいるので、どこまで旅をしたか見つけやすい。そして、その『夕陽渡り』を追い掛けていけば距離を測ることが出来るというわけだ。また、この精霊は夜はじっとして動かず、昼間だけ活動するから注意して観察していれば見逃すということはない」


「紺色に変えるなんて、案内人に出来るんですか?」


 精霊の本来の色を変えるということは、その精霊を使役する事にはならないのだろうか。ジョゼは精霊使いと精霊道の案内人のことについて、まだあまり教えられていなかった。


「ああ、紺色に変えると言ったが、詳しくは変えるのとは少し違うな。我々は精霊使いのように精霊に命令するなんてことは出来ない。だから、案内人はその精霊を騙し、勘違いさせてその姿や色を変えてもらうのだ。『夕陽渡り』は夜になると姿が茜から深い紺に色を変える。その性質を利用して、昼間からずっと夜だと思わせるのだ」


 ジョゼはまた一つ疑問がわいた。聞きたいことをそのままに出来なくて、師匠の言葉が終わると同時に聞いた。


「色や姿を変えた精霊を使って他にどんなことをしたんですか?」


 アルダはジョゼの質問に、軽く息をはいた。


「ジョゼ、疑問を持つことは良いことだが、質問ばかりしないで自分でも調べたらどうだ。書斎の本も二階の本も好きに見ていいのだから。……だが、質問してはいけないということではない。疑問はオレの話を全て聞いてから聞きなさい。いいな」


「あ、すみません。ちゃんと聞きます」


 慌ててジョゼは自分が師匠の授業を中断していたことに心の中で反省する。


 アルダは、ジョゼに一つ頷いて再び話はじめた。それからはジョゼはアルダの言葉にいちいち質問をすることもなく、滑らかに浮遊精霊の授業が進んだ。細い緑の草が広がる地面を教室に二人だけの学校がお昼まで続いたのだった。


 お昼を食べて、さぁ午後の授業の準備をしなければとジョゼが食器を片づけた後、二階に上がろうとすると、アルダがテーブルで手招きをしていた。アルダの手に呼ばれて行ってみれば彼は、自分に座るよう促がす。ジョゼは師匠の言葉を聞き洩らすまいとじっと、彼の口が開くのを待った。


「今日は、午後の授業はしないから準備をしなくてもいい。そのかわり、オレとジョゼは街に行く。そこでオレが用事を済ませている間、ジョゼには他のことを頼みたい」


「街、ですか?」


 ジョゼはアルダと出会ってから、丘の下の野っぱらとその先の森までしか出歩いたことがなかった。丘の上からは森の少し行ったところに大きな街がある。ジョゼは丘を下りて草原を通り、森の中を歩くまでの道行きを思い出した。


「ああ、街に行く。街まで時間がかかるから、すぐに準備に入る。持っていくものはオレが用意するからお前は、服装のことだけ考えろ」


「はい」


 服はアルダに初めに渡された分以外、あとから何着か用意してもらっていた。もちろん自分から服を欲しいなんて言ったわけではない。服はアルダが一つだと不便だろうと、街に食材を買いだしに行くさい、ジョゼの服も一緒に手に入れてきてくれるのだ。


 ジョゼはアルダに急かされるように二階に行き、四日も着ている服から新しいものに変え、ついでに手帳を持って下りた。ジョゼの所有物は今のところ、この手帳と部屋の箪笥にかけられた服だけだ。


 一階に下りると、アルダは準備をすでに終えているようだった。二つの膨らんだ肩掛け鞄がテーブルに置かれている。そして、アルダが外出するときに常に持ち歩く彼の頭を越すほどの長い棒も壁に立てかけられていた。


「お前はこっちの鞄を持て」


 ジョゼはアルダに言われる通り肩から斜めに鞄をかけると、師匠が重そうに持つ鞄に比べて自分の鞄が軽いことに驚いた。


 ――弟子の僕がこんなに軽い荷物を持ってていいのかな。


 自分の荷物だけでなく、アルダの荷物も持った方がいいのではないかともジョゼは考えた。しかし、これまでのアルダとの暮らしで、アルダが自分のものをジョゼに渡したり任せたりすることはなく、むしろジョゼに自分のものを任せるのは良いことだと思っていないようだった。


 


 丘を下り、広い草原をまっすぐ森まで突っ切って、二人は草木の茂る森に入っていった。


 低く生える草花が、木々から漏れる日を受けてつややかに光る。地面を柔らかく包む落ち葉は、ジョゼの足に優しい弾力を与えた。


 アグカカでは今の季節が一番、植物に力がある。緑が伸び伸びと芽をだし、太陽の光を浴びようと高く広く育っていく。


 ジョゼはアルダの後ろを黙々と歩いた。アルダの背中を見ながら、ジョゼは奴隷としての初めての出会いから彼の家までの旅の二日間を思い出していた。

 

 


 森はジョゼの思っていたよりも小さなものだった。林に近い感じだ。


 森を抜けるとすぐに人の道となり、しばらくして遠くの方に横に長い白い線が見えるようになってきた。線は遠くにあるにも関わらず、ずいぶんと大きいことが分かる。長さもその全体が分からないほど距離があり、近づくごとに縦に大きくなる線は次第に白い石で造られていることが分かってきた。


「あれは、城壁ですか?」


 こんなにでかい城壁があるものかとジョゼは思わず驚きの声をあげていた。大人八人が全員でまっすぐ肩車しても届かないくらいに高い壁。


 目の前に広がる城壁にはぐるりと深い堀が沿ってあるようで、壁から吊るされた橋がなければ街に入ることも出来ない。橋にはひっきりなしに人が通り、その橋に立つ兵士たちがいちいち通行人を止める姿が見える。


「ああ、オウダルの街を守る壁だ」

 

 オウダルとは、確かアグカカの第二の都市の名前だったと、ジョゼは読んだばかりの書斎の本の中身を思い出す。首都のような貴族や王族のための街ではなく、商人により造られた都市。だから、街では身分による規則や他国からの旅行者への制限が少ないため、平民にとっては過ごしやすい街なのだ。


 ジョゼが本を読めるようになったのはつい最近のことだ。ジョゼはアルダが朝から買い出しに出かけている日に、一日授業の代わりに文字の勉強をしていた。そのせいもあって、師匠の書斎にあるアグカカの言葉をジョゼの故郷セザ公国の言葉で説明された辞書を使いながら、ゆっくりだが挿絵のついた本だったら多少は読むことが出来るようになったのだ。しかし、ジョゼはまだアグカカの言葉を自由に書くことは出来ない。


 二人は多くの人が通る橋を渡った。それほど長くはない橋の源に、白い城壁がある。壁には戦場をかける男たちの姿が彫られていた。その細かな彫刻がただ白い石に濃く、または薄く影を作り、それが黒と白だけの絵画のようにさせている。道行く人はアルダとジョゼのような身軽な格好の者もいれば、重い荷車を手押しで奴隷に押させる人や、馬を使って荷物を運ぶ商人の服装をした者、野菜を入れた籠や薪を背負う農夫など様々な人がいる。橋の長さに対して道幅は馬が横に五頭は並んでも楽に通れるほど広いのだ。

 

 ジョゼ達は城壁の入り口で左右に立つ兵士に通行証を見せてその間を通り、巨大な石の門の下を通り抜けた。


 門の先には、豊かな色が溢れていた。商店の一つ一つに縞模様の旗が掲げられ、通りの上には灰色の建物と建物をつなぐ紐にも派手な色の布が掛けられている。馬車が楽にすれ違えるくらい大きな通りを真中に、門から左右に建物が密集している小道があり、街の建物は全て灰色の石で出来ていた。


 ジョゼは今まで、こんなに栄えた街を見たことがなかった。歩く人々の服装も建物から暖簾と一緒にはみ出た店の商品も、皆様々な色を持っている。また、街の中では商売人の呼び込みや、客との交渉、友人、親子、恋人同士の会話、異国の言葉を話す人々と多種多様な声が飛び交っていた。


「ジョゼ」


 アルダの低い声が街の喧騒の中に紛れる。


 目眩がするような人の多さと活気のある声に気を取られ、ジョゼは少し反応が遅れた。


「……あ、はい」


「ジョゼ、お前にはこれからオレの代理として行ってもらう。一応地図を渡すが……大丈夫か?」


 アルダが心配するようにジョゼを覗きこむ。


 ジョゼは師匠の言葉に集中出来なかった。街の賑やかさについ耳が声を拾ってしまう。


「だ、大丈夫です。聞いてます、続けてください」


「そうか、ならいい。お前に行ってもらうところは『漂いの木』という店だ。精霊と関わる仕事を持つ者たちが利用し、精霊を扱うための道具を置いている。『漂いの木』に行ったら、オレの弟子だと言って注文していた物をもらってきてほしい」


 アルダは言い終わると、鞄から地図を出す。そして、地図を広げた。


「見ろ。今オレたちのいる門はアンガ門だ。門から出てすぐにある中央の通りが、ウガル通りで、商店が多く並ぶ地域だ。そこをまっすぐ『舟屋』の服屋まで行き、左の小道から『鼻の穴』裏通りへ入り、そこから右へ行って次の角で曲がる。その曲がった先から右側に三軒目、そこに『漂いの木』がある。分からなかったら、人に聞け」


 地図を指でなぞりながら丁寧にアルダが説明する。その説明にいちいちジョゼは頷き、必死に道を覚えようと彼の指先を目で追っていく。


「あと、これは注文したものの代金だ。アグカカのお金の単位は分かるな? 残りはお前が好きに使っていい」


 アルダから渡された赤と青の刺繍が施された財布にはずっしりと重さがある。ジョゼは、まさか自分にお金を預けるだけじゃなく、自由に使えるお金まであるとは思っていなかった。ジョゼは何度も師匠の顔と財布を見てしまった。


「いい、んですか? その、僕に、お金を渡しても」


 ジョゼは財布の重さに不安になりながら、おずおずと師匠に尋ねる。


「何だ? 何をお前は気にしているんだ?」


「え? あの、例えば、お金を持ち逃げされたりとか……」


「お前は持ち逃げするつもりなのか?」


「い、いいえ。そんなつもり絶対ありません。でも、その、僕、奴隷だし……」


 ジョゼの言葉に途端、アルダは眉間にしわを寄せ、不機嫌な声を出した。


「ジョゼ。お前、オレが初めに言った言葉を忘れたのか? いいか、お前はもう奴隷ではない。オレの弟子なんだ。わかったな」


 師匠のその言葉に、ジョゼは衝撃を受けた。今まで、ジョゼは彼に弟子だと言われてもすんなり信じているわけではなかった。どうせ、弟子とは名ばかりで、いざ何かあればすぐに自分は奴隷と呼ばれるようになるのだと。だから、彼の「奴隷ではない」の一言には、余計に驚き、胸に色々な熱い気持ちが湧きあがってきたのだった。


「おい、わかったなら、返事をしろ」


 何も言えずに目を見開き見つめ返すジョゼに怒ったように、彼は答えるよう言った。


「は、はい。ぼ、僕は、師匠の弟子です」


「よし、それでいい。では、オレは他に用事がある。お前はさっき行った店に行け。終わったらアンガ門で待ち合わせだからな。あまり道草するなよ」


 満足そうに頷いて、早口で用件を言うとアルダはさっさとジョゼを置いて足早に左の小道へ入って行ってしまった。


 ジョゼはしばらく師匠の後ろ姿を呆けるように見つめていた。そして、彼が角を曲がり見えなくなるころやっと、自分が頼まれた用事を思い出した。


 ジョゼはもらった地図を片手に大通りを歩き、目印の服屋を探した。


 左には服、煙管、香、薬、紙、絨毯、金物、宝石、ランプ、髪飾り、本と日常で使われる物や嗜好品などが売られている。反対には野菜、海産物、パン、肉、香辛料、菓子、出来あいの料理など主に食料品の店が並ぶ。その全ての店には縞模様の旗が掲げられているのだが、どうやら店での商品によって縞の色が違うようだった。例えば、二軒あるパン屋は二つとも旗の色が黄土色と白の縞模様で、海産物を取り扱う店が一番多く5軒あり、そのどの店も青と黒の縞模様の旗だ。


 灰色の建物はほとんどが五階建て以上で、建物の窓から紐が反対の窓までのびている。初めジョゼはその紐にかけられた布が店の旗と同じものであるのだと思っていたが、よく見てみるとその布は袖があったり、襟があったり、二つの穴があったりと変わった形をしている。これは建物に住む住民の服を干しているようだ。


「ここはウガル通りと言いまして、街の東に並ぶ二つの山、カカセ山とアグカセ山から採れるウガル石を運ぶために広げられた道だったのでウガル通りと呼ばれるようになりました。また、このウガル石はこの街のほとんどの建物の材料となってまして……見えますでしょうか? 灰色の建物が全てウガル石でございます」


 ジョゼの歩く隣で、街の解説をする若い男の声が聞こえた。そういえば、アンガ門の前で「街の観光案内をいたします」という言葉を聞いた。この男のようにこの街では、観光案内でも商売になるのかと、ジョゼは驚きをもってちらりと街の説明をする若者を盗み見た。

 

「ほう、この灰色全てがウガル石か」


「すごいわぁ」


 上等な服を着た中年の男女から、感嘆の声があがった。この二人はたぶん貴族の夫婦ではないだろうか。二人の後ろに従者らしき者が二人ついてくる。

 

「街から東に見える二つの山には逸話があるのですが、昔、カカセとアグカセという双子の巨人がどちらが一番大きな岩を持ってこれるか競いました。双子はそれぞれ巨大な岩を運び、アルゼーエアの平野に二つの山をつくったのだそうです」


 男の穏やかなよく通る声が楽しげに話している。ジョゼは聞くつもりはなかったのだが、いつの間にか彼の話に聞き入ってしまっていた。

 

 ――丘から毎日見えるあの山にはそんな話があったんだ。面白いなぁ。


 興味深げに聞いていたジョゼはそろそろ自分の目的地が見えてきて、少し残念に思いながらも立ち止まって話す彼らから離れた。


 アグカカの言葉で『舟屋』と読める木の看板が、赤と若草色の縞模様が入った旗の隣に縦にぶら下がっている。


 ジョゼはこの店の左のわき道を通り、『鼻の穴』裏通りに入った。店と店の間がやっと一人通れるくらいの隙間しかないので、あまり太っている人は通れない。

 

 『鼻の穴』は表通りと違い歩く人も少なければ、道も狭い。迷路のように別れる道がたくさんある。建物が密集しているのだ。そのせいか日の当たりも悪く、昼間であるのに薄暗い。店からの呼び込みの声もなく、活気までなくなってしまったようだった。

 

 ――えっと、ここから右へ行って、次の角で曲がる。


 記憶の中のアルダの説明に沿うように地図で道を確認しながら、ジョゼは進む。地図に記された道具屋の角を曲がって、右側三軒目を目指した。


 一軒目は民家、二軒目も民家、そして三軒目に『漂いの木』の布の看板がひらひらと揺れているのを見つける。


 『漂いの木』は灰色のこの街の中では珍しく、木の家で出来ていた。木製の扉は黒に近い色をしていて、両隣りの建物に挟まれて扉だけしか見えない。


 ジョゼは木製の扉を一応こぶしで叩き、扉を恐る恐る開けた。軋んだ音を立てながら開くと、中は以外にも明るい。外からは窓などないように思えた。

 

「こんにちは」


 ジョゼの緊張でかすれた声が店内に響いた。見たところ店主らしき人影はない。

 

 店にゆっくりと入っていき、ジョゼは店内を見回した。天井ふきんまでみっしりと棚に何かが置かれ、すぐ足もとにも物が置かれている。物が詰まった棚や箱の積み重なりのせいで、店の奥まで見渡すことが出来ない。また、置かれている道具も今までジョゼが見たことがないものばかりで、何に使うのかさっぱり分からなかった。

 

 ジョゼは何となくといった感じで棚の物を持ちあげてみた。四角い白い箱で、とても軽い。石のようにひんやりとして、滑らかな触り心地。振ってみても何の音もしない。


これには開け口はあるのだろうかと、探ってみてもなんの継ぎ目もないのだ。また、その箱のようなものをもとに戻して、他の品物に手を出してみた。今度は深い緑をしたガラス瓶を取ってみる。棚に立てられたその細い瓶は自分の手のひらに収まってしまえるほどの長さしかなく、花を生けるにしても小さな一輪の花ぐらいしか入れそうにない。


 疑問を感じながらもジョゼはそっとそれを戻し、慎重に店の道具に目を向けながら歩いていった。


 ふと、自分の真上からより強い明るさを感じて、見上げてみた。すると、天井に張り付く円状の平べったい光るランプがあった。そのランプは大きなたらいを透明にして底を貼りつけたかのような形をしていて、昼間の太陽のように煌々と輝いている。そして、その輝く円の中ではしきりに何かが動きまわっていた。その動きをジョゼは前に師匠と暮らす、あの家で見たことがある。


 ――あ! 『明かり回し』だ。だからこんなに明るいんだ。

 

 『明かり回し』という精霊は光をより明るくさせようとする性質がある。炎だったらその炎を強くするのではなく、炎の輝きを増やそうとするのだ。ジョゼが初めてアルダの弟子となった日、家の中でランプと暖炉に入れた火の周りに群がっていた精霊だった。まだアグカカの字もほとんど読めなかった頃、アルダにどんな精霊か質問したことがあるのでよく覚えている。


 先程の自分の声が小さかったのだろうか。もっと大きな声でもう一度言ってみようか。そう思い立ちジョゼがまた、挨拶をしようとしたときだった。


 ドン、ガラガラガラ。


 奥から何か重いものが崩れるような音がする。


「あぁ、くそ! 全部やっちまった!」


 そして、酷くいらだった嗄れ声の悪態が聞こえてきた。


 ガタガタと物を動かす音がしたかと思うと今度は、悲鳴があがった。


「わあああ! 半分になってる!」


 ジョゼはいいかげん声をかけて手伝いを申し出た方がいいのではないかと、声の主に近付いていった。店の奥に行くのに天井に接する棚や道具箱や液体の入った瓶を避け、天井より高いであろう丸い握りの棒を跨いで、障害物になるべく触れないように進んだ。


「あ、あの、大丈夫ですか? 何か手伝いましょうか?」


「あ? 何だ?」


 ジョゼの胸まである台から男が顔を出した。不審げにジョゼを見る男は、常に小難しい表情をしているような顔をしていた。


「お! いつからいた!?」


 深く眉間にしわを寄せて男はジョゼにまるでかみつくかのごとく怒鳴った。


 ジョゼは彼の声の大きさに驚いて一瞬びくつき、答えられなかった。彼は小太りで頭の禿げた小さな男だった。台の影に隠れて大きさが分からないが多分彼は、何かの上に乗っているのだろう。背の小ささは腕の短さや狭い肩から推測できる。


「おいっ! いつからだって聞いてんだ。耳悪いんか?」


 ジョゼが何も言えず硬直していると、しびれを切らした男が再び怒ったように尋ねた。


 怒ったようにではなく、本当に怒っているのかもしれないと思いながら勇気を出して答えた。


「あ、え、えっと、ついさっきです。あなたが、その、大変な目に合う少し前です」


「あぁ? それじゃ、おめぇ、俺がこんな苦労してるってぇ時に、ただ見てたっつうことか?」


 虫の居所が悪かったのかずいぶんとけんか腰に男はジョゼに言葉を投げかける。


「え? そ、そんなつもりはなかったんです。それに、あの、最初から手伝う気で声かけたんですが……」


 ジョゼはこの怖い男の機嫌を一刻も早く戻さなければと、どもりながらも自分の気持ちを話した。


「ん? 手伝う気だって? そういやぁ、おめぇ何しに来たんだ? 客か?」


 男はジョゼの姿を上から下まで眺めて、自分の立場を思い出した様にすっかりおびえて青ざめてしまった顔に目線をもっていった。


 ジョゼがおどおどと頷くと、


「ふーん? 客か、あんた。じゃあ、まぁ、なんだ? 何が欲しいんだ?」


 と全く悪びれもせず男はジョゼを客と認めたのだった。


「え? えっと、アルダ・パレバの弟子、ジョゼ・マカルダと言います。師匠の言いつけで注文の品を受け取りに来ました」


 彼の態度に少し戸惑いながらも、ジョゼは自分のここに来た本来の役目を居住まいを正して話す。


「アルダの弟子! お前、それを早く言えや。俺はてっきり、興味本位で入ってきた、ただのガキかと思ったぜ」


「あ、すみません」


「いや、謝らんでくれ。俺もいきなり悪かった。じゃ、ちょっとアルダに頼まれてたやつ持ってくらぁ。待ってな」


 そう言って、ばつの悪そうに頭皮の見える頭をかきながら、台の後ろ、整然と並ぶ棚の奥に引っ込んでいった。そのさい、彼はやはり足台に乗っていたようで、降りたら予想通り背が低かった。


 ガサゴソとかきわけたかと思うと男は「ああ、これだこれだ」と納得した声を出してまた台まで戻ってきた。手に持つのはアルダが外出するときに持つ彫り物がされた長い棒だった。

 

「ほれ、ちょっと持ってみな。どうだ? 重くないか? 握り心地は?」


「あ、はい。いいです。とても軽くて、驚いています」


「おお、そりゃあよかった。ま、あとで何か不満があったらちゃんと直してやるから。なんせ精霊道の案内人には、かかせねぇもんだからな」


「かかせない? あの、ところでこれって一体どういったものなんですか? 師匠がいつも外に出るときに持って行くんですけど」


「ん? まだ、教えてもらってねぇのか。まだ弟子になって日が浅いな。そりゃあ、精霊導司だってみんなに知らしめるためのもんさ。でも、それだけじゃないんだが、まぁ俺みたいなただの道具作りに教えてもらうより、師匠にきちんと教えてもらった方がいいわな。あとで、師匠に聞きな」


 ――精霊導司って何だろう? 精霊道の案内人のことかな? 何だか知ってるのが当たり前みたいに言うな。


 彼に注文の品の代金を渡しながら、ジョゼはあとで師匠に会ったら精霊導司とは何か尋ねてみようと思った。


「ああ、そういえばまだ名乗ってなかったな。俺はホゼチエーダ・ガンツォって言うが、大抵俺を知ってるやつは、名前で呼ばねぇでコブって呼ぶな」


「コブさんですか? 何でコブなんですか?」


「見えるか? 俺の右肩にでっかいコブがあるからよ。それに、さんはいらねぇよ。呼ぶなら、名前かコブで呼べよ」


「じゃ、じゃあ、ホゼって呼びます。あ、そういえば何か崩れたものがあるみたいでしたけど、大丈夫なんですか? 手伝いますよ」


「そうだ、途中だった。まぁ、気にしねぇでくれ。本当はそんなに大したことないんだ。これがあればすぐ戻せるからよ。ああ、あとよ、俺に丁寧に話すのはやめてくれよ」


「え? あ、はい。いや、うん」


 ジョゼは戸惑った。だが、親しくしてほしいと言われているようなものなのにここで断ることは出来ない。


 ホゼが手のひらに収まる小さな小枝を出した。こげ茶色に柔らかそうな小枝だった。


「それはな、何?」


 まだ自分の故郷の人々以外と対等に喋ることに慣れていない。ジョゼは自分の奴隷根性に少し、嫌になった。


「お前さんまだ習ってねぇんだな。じゃあ、ちょっとついて来な」


 ホゼにものの崩れた音の出どころまで通してもらうと、山のように盛られた箱やお椀が狭い工房に粉々に壊れてあった。彼はその壊れた周辺を粉のついた枝で線を引いて囲み、粉がついている枝の先を折った。すると、その囲われた場所にあったもの全てが空中に浮かび、壊れたお椀、箱は破片がくっつき元の形に戻りながら高く箱と椀が積まれていった。それはまるで、一度も壊れたことなんかないかのようにそこに置いてある。


「す、すごい!」


「『振り返り』ってい言ってな。物の時を遡らせる力があるんだ。便利だけど、加減を間違えっと原料にまで戻っちまうから気をつけねぇといけねぇんだけどな」


「それは、精霊を使役しているのとは違うの?」


「使ってるのは事実だが、精霊使いとは違うぜ。第一これはよ、お前の師匠が貸してくれたんだ。使役なわけねぇよ」


「じゃあ、その精霊は何日で自然に帰されるの?」


「五日前に借りたから、あと十日したらアルダが回収しにくるな。この精霊ももって十五日だな。中にはもっと長く持つやつもいるが下位精霊だから、そんぐらいだろうな」


 ――また分からない単語が出た。下位精霊って僕習ったっけ?


 ジョゼはまたもや出てきた覚えのない言葉に思わず首をかしげていた。ジョゼの仕草にホゼが察して解説しだす。


「なんだ、それも教わってないんか? 下位精霊っつうのは人が精霊に力や知能で分けて階級をつけた精霊の中で、自分が使われてるのも気づかない知能と、日常生活であまり危険のない力の精霊なんかを言うんだ。まぁ、あとはアルダに聞いてくれ。なんせ俺はその筋の専門家じゃねぇからよ」


 ジョゼは専門家ではないと言いながらもわざわざ、分かるように教えてくれるホゼに意外に世話焼きなのかもしれないと感じた。少し前の怖いホゼという印象から今では意外に良い人なのではないかと思い始めている。


「ホゼ、色々説明してくれてありがとう。僕、もう師匠が待ってるかもしれないから行くね。道草せずに早くアンガ門に来いって言われてるから」


「ん。じゃ、気ぃつけてな。あ、そうだ。これ持ってけ。お前、この街初めてだろ? 迷子になったらこれ使いな。精霊の『導き』が閉じ込められた琥珀だよ。これを持って行きたい所や人を思い浮かべな。会いたい人か場所まで案内してくれるから」


 突然放ってよこした琥珀をジョゼは慌てて受け取る。琥珀の中には黒く変色した鳥の羽のような姿をした精霊が、じっと動かずにいた。これは動かないのだろうか。そう思いながら、店内の『明かり回し』の入った天井の光るランプにかざす。よく見ると中では羽の毛一本一本が、かすかに揺れていた。


「ああ、精霊道の案内人が精霊使いのものを使うのはあまり気分のいいもんじゃねぇらしいけど、便利なもんは使うもんだぜ。どうせ、精霊使いに使役されるために変えられたらもう元には戻らねぇんだから、使ってやった方がその精霊のためにもなるってもんだ」


 言い方はぶっきらぼうだが、彼がジョゼに気を使ってくれていることが分かる。自然と笑顔になっていった。

 

「ありがとう。迷子になったら、使うよ。じゃ、えっと、また街に来たら今度は師匠と一緒に来るよ」


 ジョゼは弾んだ気持ちで『漂いの木』の扉を開けて出て行った。


 今のジョゼは、来た時の心細い気持ちとは違う。まるで自分に味方ができたみたいに感じるのだった。




 読んでくれてありがとうございました。


 誤字脱字等がありましたら、教えてください。お願いします。

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