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07 陳友諒の挽歌(ばんか)

 陳友諒の艦隊は炎上した。

 そして艦隊を結ぶ鎖は、炎と炎を繋げる。

「燃える……」

 陳友諒の表情は呆然そのものである。

 自慢の巨艦艦隊が、紅の艦隊が、その塗られた丹漆以上に赤々とした炎になめ尽くされていた。

「逃げろ、兄者!」

 陳友仁と張定辺の判断は早かった。

 張定辺は急ぎ陳友諒の家族の元へと走り、陳友仁は体を張って兄の陳友諒を守った。

 そうこうしている間にも、艦隊の艦船に火は燃え広がり、結果として数百にもわたる艦船が焼き払われた。

 抵抗する者は首を刎(は)ねられ、そうでなくとも溺死か焼死という運命が待っていた。

「つづけ!」

 兪通海率いる艦隊が陳友諒艦隊の深くに侵入する。

「通すな!」

 陳友仁は必死になって兪通海の前に船を出そうとするが、火を恐れてか、誰も操船にあたろうとしない。

「くそ!」

 陳友仁はだが、最後の策を使った。

「来い! われこそは陳友諒、大漢帝国皇帝なり!」

 陳友仁は陳友諒の弟である。

 似ていて当然である。

「あれを討て!」

 兪通海の号令一下、湖賊たちが襲いかかる。

「兄者!」

 陳友仁。

 兄の陳友諒に従って世に出て、その勇将ぶりを謳(うた)われた男だったが、兄への忠誠を尽くし、最後には討たれてしまった。

 一方の張定辺は、陳友諒の嫡子である陳善(ちんぜん)を目の前で捕らえられてしまった。それでも次男の陳理(ちんり)を救い出し、陳友諒との合流を急いだ。


*


 陳友諒は残った艦隊を糾合し、かろうじて命脈を保っており、鄱陽湖からの脱出を企てた。

 しかし。

「康茂才が網を張っているだと?」

 これこそが、かつて劉基が康茂才に指示していた行動である。

 康茂才はいち早く鄱陽湖にたどり着き、現地民の協力を得て、鄱陽湖の上流である湖口、つまり武昌への出入り口を抑え、水陸両方とも柵で封鎖していた。

 そして朱元璋はそれを兪通海から聞き、手勢から選りすぐりの兵たちを選抜して鄱陽湖に先行させ、康茂才に合流させた。

「これでは武昌に戻れぬ!」

 下流は、朱元璋の勢力圏である。向かうことはできない。

 ならば変装して脱することも考えたが、康茂才は陳友諒の旧知であり、つい最近も江東橋の戦いの前に会ったばかりである。

「ばれたら終わりだ」

 万策尽きたことを悟った陳友諒は、最後の賭けに出た。

「包囲を突破せよ!」

 陳友仁は亡(な)く、張定辺とははぐれたままだ。

 それでも。

「征け! 戻れば……がはあっ」

 陳友諒の眉間(みけん)に矢が突き立った。

 それは、徐達や常遇春といった名のある武将によるものではなく、無名の兵士による流れ矢であった。

「…………」

「ああっ、陛下!」

 ここで張定辺がようやく陳友諒の艦隊と合流を遂げたが、すでに陳友諒は亡くなっていた。

「陳理さまを守り参らせよ!」

 失意の張定辺だが、それでも陳友諒の遺骸と陳理を守り抜き、夜陰に乗じて包囲網を潜(くぐ)り抜け、逃げおおせた。


 一三六三年八月、鄱陽湖の戦い、終結。

 こうして朱元璋は陳友諒を討ち、敵対する勢力は、元をのぞいて張士誠を残すのみとなった。

 こののち、呉王を称し、その張士誠を十一ヶ月にわたる包囲戦の末、撃破。


 その後、応天府にて皇帝に即位した。


 明の始まりである。




【了】

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― 新着の感想 ―
羅貫中が三国志演義の赤壁の戦いのモデルにしたとも言われている鄱陽湖の戦い。 朱元璋と陳友諒、二人の梟雄の息詰まる駆け引きに引き込まれました。 元末明初もなかなか興味深い時代ですね。
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