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螺旋語の真実と、観測者の影

時野ひまりの研究室は、時間軸の歪みが凝縮されたかのような場所だった。

埃、古文書、そしてカップ麺の空き容器。しかしその中心で、ひまりは、祖父・賢治が遺した羊皮紙を広げ、極めて冷静に分析を始めた。

「この図形は、古代クレタ文明の文字体系、特に**『線文字A』の初期形に、バビロニアの『占星術記号』**が組み合わされたものです」

ひまりは、丸眼鏡の奥の鋭い眼差しで、羊皮紙を指さした。

「祖父がこれらを**『螺旋語スパイラル・ランゲージ』**と呼んでいたのは、この図形が全て、時間軸の『回転』と『周期』、そして『分岐』を示すからです」

刹那は、隣で彼女の解説を聞きながら、祖父の常軌を逸した知識量に改めて戦慄していた。

「この図形全体が、単なる設計図ではなく、『時間制御装置クロノス・コア』の『起動パスワード』を象徴している。パスワードは、あなたの『螺旋の懐中時計』が発する特定の振動数と、この古代語の**『発音(音階)』**を組み合わせることで、初めて完成する」

「特定の振動数……?」

刹那は胸ポケットの懐中時計を握りしめた。これを持った時に感じる、あの胃の底がねじれるような感覚こそが、時計の**「振動」**だったのかもしれない。

ひまりは静かに頷いた。

「祖父の研究によると、『クロノス・コア』の真の目的は、時間を過去に戻すことではありません。それは、『時間軸の外側』、つまり未来や過去から飛来する**『異質な干渉オービター』を感知し、その干渉そのものを無効化するための『防衛システム』**だった」

刹那の全身に電流が走った。彼は、黒コートの男が言った**「史上最悪の遺産」**という言葉を思い出した。

「つまり、コアは時間兵器ではなく、時間軸を守るための盾だった、と?」

「盾です。そして、オービターがなぜこのコアを恐れ、躍起になって破壊しようとしているのか、これで説明がつきます」

ひまりは、刹那が奪ってきたオービターの通信端末に目を向けた。端末は依然、青白い光を放っている。

「オービターは、自分たちの**『確定された未来』を維持するために、歴史の『確定事項』を監視している。しかし、クレタ文明のコアが起動すれば、彼らの干渉は全て遮断される。彼らにとって、コアは未来の崩壊を意味する『脅威』**なのです」

刹那は端末を強く握った。この端末が、オービターの通信範囲と干渉頻度、そして次に狙う場所を暴く鍵になる。

「解読を急ごう、時野。奴らが次に動く前に、俺がコアを起動させる」

「私の名前は、ひまりです。そして、この暗号解読は、数日かかる。焦りは禁物です、刹那。時間の流れに逆らうには、冷静さが必要です」

その言葉は、まるで祖父の口から出たかのように、刹那の心に響いた。

三秒間のループ

その頃、風見 律は、刹那の自宅アパートのドアを叩き続けていた。彼は、今朝から**連続した『デジャヴ(既視感)』**に襲われ、まともに授業を受けられる状態ではなかった。

「刹那! 開けろよ! お前、一体何を隠してるんだ!」

律の脳内で、刹那がロッカーを突き飛ばす五秒前の光景が、再びフラッシュバックした。

『ガタン!』

ロッカーが倒れる音。

『窓の外の銀杏の枝が、折れて飛んでくる』という、律が実際には体験しなかった、別の時間軸の記憶。

律は、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

「違う。俺は、窓ガラスが割れる瞬間を見た。だが、その直前に、刹那が俺の唐揚げを全部食った。……いや、最初に食ったのは俺で、刹那は俺を突き飛ばした……」

彼の記憶は、昼休みの出来事に関する**複数の『事実』によって、完全に混乱していた。まるで、刹那の『クロノス・シフト』が、律の「時間感覚の軸」**そのものを狂わせてしまったようだ。

律の目の前に、ある確信が閃いた。

(刹那は、時間を巻き戻している。俺たちには見えない、数秒間のループを、奴は繰り返しているんだ)

その確信を得た瞬間、律の視界が一瞬だけ青白く輝いた。

彼の脳は、刹那の**『クロノス・シフト』の影響を強く受け、「時間の残響」を視認する能力を無意識に獲得**し始めていたのだ。

その時、律の背後に、見慣れない人影が立った。

「君、ここで何を?」

律が振り返ると、そこにいたのは、刹那や律より一つ年上の、知的な雰囲気を持つ女性だった。清潔感のあるスーツ姿で、手に持ったブリーフケースが、彼女が**「仕事」**を持っていることを示唆していた。

女性は、律の疲労困憊した様子を見て、心配そうに尋ねた。

「あの、時永くんのお宅ですか? 私は佐藤さとう あずさと申します。時永くんのお父様から、頼まれて……」

「父から? 刹那の父は海外にいるはずですが……」

律は警戒しつつも、彼女の**「佐藤梓」**という名前に、どこかで聞き覚えがあるような気がした。

女性は優しく微笑んだ。

「ええ、海外の**『国際科学連盟』で、緊急の『古代技術の回収』プロジェクトに参加されています。その件で、刹那くんにメッセージ**を預かっているのです」

彼女の言葉には、「国際科学連盟」、**「古代技術」といった、刹那が今、最も関わっている『キーワード』**が散りばめられていた。

律は、女性の言葉を信じていいのか迷った。しかし、刹那の父からの伝言という**「常識的な情報」**は、律の混乱した思考を一時的に落ち着かせた。

「刹那は今、家にいません。ですが、俺が伝えます。一体、どんなメッセージを?」

佐藤梓は、律に向かって一歩近づき、その距離は親密な会話に相応しいものになった。そして、彼女の瞳が一瞬、冷たい青い光を放った。

「メッセージは一つ。『螺旋の懐中時計を、直ちに提出すること』」

刹那の部屋の窓越しに、佐藤梓と律のやり取りを見ていた一羽の黒いカラスが、静かに飛び立った。

そのカラスの目は、佐藤梓の目の色と同じ、冷徹な青色をしていた。

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