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螺旋の懐中時計と未来の干渉者

刹那は、校庭の騒ぎが落ち着く前に、誰にも声をかけず、教室を抜け出した。彼の目当ては、学校の裏手にある、普段は誰も寄り付かない古びた物置だ。

あの黒コートの男、**「追跡者」が彼の存在を感知し、抹殺に来た。しかし、あの男は自分が起こした「小さな時間軸のノイズ」を追っているに過ぎない。刹那が起こす『クロノス・シフト』の「揺れ」は、彼が過去に戻るたびに、周囲の世界にわずかな「違和感」**として残る。

(もし、奴が俺のノイズを追って、未来からこの時点に戻ってきたなら、俺はノイズの発生源を消すしかない)

ノイズの発生源。それは、一年前の交通事故で亡くなった祖父、**時永ときなが 賢治けんじ**が遺した、ただ一つの形見だった。

刹那は物置の扉を蹴破るように開け、錆びたロッカーの奥から、年代物の木箱を取り出した。中には、埃を被った古い金属製の懐中時計が入っている。

それは、一般的な時計とは異なっていた。文字盤はなく、全体が黒曜石のような光沢を放つ金属でできており、表面には、紀元前の遺跡から発掘されたかのような、**複雑な「螺旋状の文様」**が深く刻み込まれていた。

刹那の『クロノス・シフト』は、この時計を握る、あるいは身に着けている時に最も頻繁に、そして強力に発動する。これは、時計が彼の**時間跳躍能力を「増幅」**している証拠だった。

刹那は時計を握りしめた。冷たい金属が掌に吸い付くような感触。

「じいちゃん……まさか、これ、本当に時間兵器の鍵だったのか」

祖父・賢治は、生前、古代文明の「時間」にまつわる研究に没頭していた風変わりな学者だった。常に「時間は一本の流れではない」「過去は常に書き換えられている」と口にしていた。刹那はそれを老人の戯言だと思っていた。

だが、あの黒コートの男が言った**『クロノス・コア』。そして、男が手にしていた光の円盤**。それは、祖父が遺したメモにあった、古代クレタ文明の伝説と酷似している。

刹那は、木箱の底に敷かれていた、古い羊皮紙のようなものを見つけた。それは祖父の筆跡で、複雑な古代語の羅列と、詳細な幾何学的な図形が描かれていた。

「これが、設計図の暗号……」

それは、螺旋の懐中時計の文様を**「鍵」**として、特定の周波数で振動させることで解読される、二重のセキュリティがかけられた暗号文だった。

刹那が指で羊皮紙の図形をなぞった瞬間、異変が起きた。

物置の扉の外に、**「異質な影」**が差し込んだ。

「ノイズ源発見。処理を開始する」

廊下でのチェイスの時に、直接脳内に響いたあの声だ。黒コートの男は、刹那が**「ノイズの発生源」**を手に取る瞬間を予測し、追いついたのだ。

刹那は咄嗟に懐中時計を胸ポケットにしまい込み、羊皮紙を手に物置の奥へと身を隠した。

ズン……

物置の木製ドアが、内側から熱で溶解され、高温の蒸気を上げながら崩れ落ちた。そこに立っていたのは、やはりあの黒コートの男だった。

「時永刹那。無駄な抵抗だ。お前の時間跳躍は、我々『オービター(時間監視機構)』にとっては**「時空の癌細胞」に等しい。紀元前の技術など、未来の我々には赤子の遊び**だ」

男はそう言って、再び手のひらサイズの金属球体を取り出した。

「お前の『クロノス・シフト』は、極めて**ローカル(局所的)な現象に過ぎない。しかし、その根源である『螺旋のコア』は、全時間軸を混乱させる危険性がある。それを回収し、お前を時間軸から『隔離アイソレート』**するのが、私の任務だ」

男は刹那へ向かって、ゆっくりと歩を進めた。その歩行音は一切なく、まるで床の上を滑っているようだ。

「……未来? お前、本当に未来から来たのか?」刹那は、震える声で尋ねた。

「未来、というよりは、**『時間軸の外側』だ。我々の任務は、歴史の『確定事項コンスティテューテッド・ファクト』を守ること。お前のような干渉者インターベンター**を放置すれば、未来の我々の存在基盤が崩壊する」

男は、懐中時計が収められた刹那の胸ポケットに正確に視線を向けた。

「渡せ。それがお前の祖父が作り出した**「史上最悪の遺産」**だ」

「断る!」

刹那は、ロッカーの扉を男に向かって思い切り突き飛ばした。男はそれを避けることもなく、右手を一瞬、翳した。

ガキン!

時速数百キロで飛んできたロッカーの扉が、男の前に到達した瞬間、空中に張り付いたように静止した。まるで、重力が瞬間的に千倍になったかのように。

「**時間制御タイム・コントロール**は、何も過去に戻るだけではない。極微細な時間単位の遅延、加速、そして、静止」

男の指先から、高周波の振動が発せられた。振動は空気を伝わり、静止したロッカーの扉を一瞬にして粉々に砕いた。

粉砕された金属片が刹那目掛けて飛来する!

「チッ!」

刹那は目を瞑り、再び『クロノス・シフト』を発動させる。今度戻るのは、五秒前。男がロッカーを静止させた、その直前だ。

五秒前。

刹那が、ロッカーの扉を男に向かって突き飛ばした瞬間に戻った。

刹那の脳は、**「男は右手を翳し、ロッカーを静止させる」**という未来の情報を既に持っている。

「――っ!」

刹那は、ロッカーが静止する一瞬の「間」を狙った。ロッカーが男に触れる直前、刹那は、懐中時計を握りしめた左手を、ロッカーの隙間から滑り込ませた。

刹那の左手は、男の右胸ポケット目掛けて、時速ゼロで静止しているロッカーの影を縫うように、一気に突き刺さった。

男は、ロッカーの静止に全神経を集中させている。刹那の奇襲は、男の計算外だった。

刹那が狙ったのは、胸ポケットに入っていた黒いマフラーの端。刹那はそれを掴むと、全力で引き抜いた。

ビュッ!

マフラーが男の首元から引き抜かれ、刹那の手に残ったのは、マフラーではなく、マフラーの中に隠されていた小さな通信端末だった。

男の表情に、初めての動揺が走った。

「貴様……!」

男は、ロッカーの静止を解除し、猛烈な勢いで刹那に向かって飛びかかった。しかし、刹那は既に物置の窓を破り、外の藪の中へと逃げ込んでいた。

男は通信端末を見て舌打ちした。『オービター』のメンバー同士が、時間軸を超えて互いの位置を特定し、連携を取るための唯一のアイテムだ。これを奪われたことは、刹那を見失うことを意味する。

物置に残されたのは、螺旋の文様が刻まれた懐中時計の空箱と、砕けたロッカー、そして、時を超えて交錯した二つの時間軸の痕跡だけだった。

藪の中を駆ける刹那は、握りしめた通信端末を見た。

(この端末があれば、奴らが次にどこへ、いつ、干渉しようとしているか、分かるかもしれない……!)

追跡者のアイテムを手に入れた刹那は、「追われる者」から「追う者」へと、その立場を僅かながら変えた。彼の時空を超えた逃亡と冒険は、今、まさに幕を開けたのだ。

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