錨(アンカー)の揺らぎと、無力感という名の傷跡
古文書研究室。刹那の母の記憶の修復に成功した後、三人は、心の戦いの激化に備えていた。
律の時間センサーの瞳は、研究室の外側に、**微細な、しかし粘着質な『感情の歪み』**が集中しているのを捉えていた。
「来るぞ。今回は、俺の記憶だ」律は、顔を硬くして言った。「波紋が、俺の過去に繋がっている……刹那の力が目覚め始めた頃の、俺の無力感に」
律にとって最も深い傷とは、超常の力を持つ刹那と、平凡な自分との間にできた、埋めようのない距離感だった。
ひまりは、すぐにコアのデータをチェックした。
「気を付けて、律くん! 『聴取者』と、佐藤梓が、遠隔であなたの心を操作している。あなたの友情こそが、コアの防衛壁を支える**『基盤』なのよ。その基盤が揺らげば、コアのバリアは一瞬で崩壊**する!」
無力感の幻聴
刹那がコアのマイクロ・シフトで防御態勢に入るよりも早く、歪みの攻撃は始まった。
律の脳内に、彼の過去のクラスメイトの声が、囁きとなって響き始めた。
『なあ、律。お前、時永刹那の隣にいて、意味あんのか?』
『アイツは特別な時間を生きている。お前はただの肉体労働者だろ。足手まといじゃん』
幻聴は、次第に律自身の声へと変わっていった。
『そうだ……俺は、単なる人間だ。能力も、知識もない。俺がいなくても、刹那とひまりがいれば、この戦いは成立する。俺は、**この戦いの『余分な要素』**なんだ』
律は、頭を抱え、床に膝をついた。彼の内なる無力感が、時間操作によって増幅され、現実として彼の心と肉体を蝕み始めたのだ。
律の周囲に、暗く、重い時間流が発生し始めた。彼の時間センサーの瞳の光が、瞬きを繰り返す。
「律! 自分を見失うな!」刹那が叫ぶ。
「うるさいっ……!」律は、反射的に刹那を睨んだ。「お前には、俺の苦しみは分からない! お前が力を手に入れた時から、俺たちの時間は、もう交わっていなかったんだ!」
律の心の揺らぎが、物理的な影響を及ぼし始めた。研究室全体を包んでいた黄金色のバリアが、激しく点滅し、亀裂が走る。
律の魂へのシフト
「ダメだ! バリアが持たない!」ひまりが叫んだ。
佐藤梓の声が、律の脳内で勝利を確信したように響いた。
『ご名答、風見律くん。あなたは**『時間の戦い』の異物**。さあ、友の負担になる前に、自らアンカーを断ち切りなさい。それが、唯一の救済よ』
刹那は、迷うことなく、行動を選択した。
「ひまり! 修復モードを最大出力に! 俺は、律の心に入る!」
「正気なの、刹那!?」
「律の魂の揺らぎを、コアの力で**『定着』させるしかない! 俺は、律の友情という名の真実を、彼自身の時間軸に上書き**する!」
刹那は、マイクロ・シフトを起動させ、自分の魂の周波数を、律の揺らぐ時間流へと強引に同調させた。
グンッ!
刹那の意識は、一瞬で律の最も暗い過去の記憶へと飛び込んだ。
そこは、力が目覚め始めた刹那を、羨望の眼差しで見つめる幼い律の姿だった。
「余計なことすんな!」律の内なる声が、刹那を拒絶した。「俺の惨めさを、見るんじゃねえ!」
アンカーの真実
刹那は、律の心の中の過去の自分に向かって、強い意志を伝えた。
「律! お前は、余分な要素なんかじゃない! お前こそが、俺の『時間』の……最も重要な存在だ!」
刹那は、コアの修復エネルギーを、律の無力感の傷跡に、黄金色の光として注ぎ込んだ。
「俺は、時間軸を**『跳ぶ』ことしかできない。だが、お前は、この現実に、俺を『留める』ことができる! お前がいなければ、俺のシフトは暴走し、俺は時間の迷子**になる!」
刹那は、コアの力を使って、律の脳内に、彼自身の真実の役割を刻み込んだ。それは、**「時間跳躍者の錨」**という、誰にも代替できない、唯一無二の存在証明だった。
刹那の熱い友情が、律の心の闇を焼き尽くす。
律の内なる声が、反論のエネルギーを発した。
「そうか……! 俺は、ブレーキであり、ガイドであり……**お前の『時間』**を、**この世界に繋ぎ止める『杭』**なんだ……!」
律の時間センサーの瞳が、激しく、しかし安定した光を取り戻した。彼の自己肯定感が、修復エネルギーによって完全に固定された。
研究室の黄金色のバリアは、律の強い意志と共に、一気に安定を取り戻した。
**『観測者』**の視界に、悔しさに満ちた佐藤梓の幻影が映った。
『馬鹿な……! 友情の力が、時間軸の歪みを修復した……? 三人の絆が、**一つの『永遠の螺旋』**となっている!』
聴取者の感情の歪みは、律の強固な自己認識によって、跡形もなく消滅した。
律は、頭を上げ、研究室を見渡した。彼の体からは重い時間流が消え、力強い生命力が戻っていた。
「俺は……**錨**だ。**お前たちの『時間』**を、絶対に見失わない」
彼は、三人の役割の重要性を、心から理解した。修復者、航海士、そして観測者(錨)。
刹那は、マイクロ・シフトを解除し、律の肩を叩いた。
「よく耐えたな、律。これで分かっただろ。**お前こそが、俺たちの戦いの『基盤』**だ」
彼らは、オービターの最後の心理的攻撃を打ち破り、三人の絆こそが時間軸を守る最高のバートナーシップであることを証明した。




