魂の代償と、時間軸の勧誘者
古文書研究室は、起動した**『クロノス・コア』の力によって、青白いバリアに包まれていた。それは、周囲の時間流を常時『反転』させ、オービターのいかなる時間干渉**も自動的に弾き返す、**絶対的な防衛壁**だった。
しかし、その防衛壁には巨大な代償が伴っていた。
律は、研究室の片隅で、静かに横たわる刹那を見つめていた。刹那の肌は血色が失せ、浅い呼吸を繰り返している。彼の左手首の螺旋の懐中時計は、以前のような熱ではなく、氷のような冷たさを放っていた。
ひまりは、古文書の横に医療機器を並べ、刹那の生体データを測定していた。彼女の表情は険しい。
「時間軸疲弊……コアの維持に、刹那の**『存在エネルギー』が吸い取られている。この防衛壁は、彼自身の命**と引き換えに、守りを維持しているのよ」
「そんな……」律は絶句した。「コアを、止めればいいのか?」
「ダメよ。コアを止めれば、防衛壁が消滅する。その瞬間に、オービターの時間遅延が一気に押し寄せ、私たち全員が時間軸の塵になる」
律は、奥歯を噛み締めた。刹那は、自分たちの**『錨』となっただけでなく、『エネルギー炉』**にまでなってしまったのだ。
「俺が、何かできることはないのか……! 俺の身体に、そのエネルギーを分け与えるとか……!」
「律くん。あなたの肉体は、時間軸の歪みに**『慣れた』だけで、時間流そのものを生成できない。今の刹那は、『時間跳躍者の魂』**そのものをコアに捧げている状態なの」
「苦痛の回転」の真実
ひまりは、焦燥感を押し殺し、コアの起動パスワードの最後のピースであった**『苦痛の回転』**の暗号図形に、再び向き合った。
「なぜ、祖父は**『苦痛』**を最終起動の条件にしたのか……」
彼女は、古文書に記された**古代クレタ文明の『時間哲学』**の記述を辿った。
『時間とは、万物を傷つけ、癒す螺旋である。傷ついた魂の叫びは、螺旋の逆回転を起こす究極のエネルギー源となる』
ひまりは、恐ろしい真実に辿り着いた。
「このコアは、単なる防衛システムじゃない。これは、時間流の『傷』を癒すための装置なのよ!」
つまり、時間軸が傷ついた時、その傷を**『跳躍者の極限の苦痛』という強力なエネルギー**で、**強制的に『修復』**するためのシステムなのだ。
そして、刹那が限界を超えたシフトで肉体に負った傷こそが、コアが求める**『燃料』**だった。
「私たちは、コアを**『盾』として起動したけど、本来のコアの目的は、『時間修復』よ。このコアを『防衛』から『修復』のモードへと切り替えられれば、刹那の命はコアの維持**から解放されるはず!」
ひまりは、刹那の魂を救うという、新たな、そしてより困難な解読に挑まなければならなかった。
オービターの新たな手札
その頃、『時間軸の外側』のオービター本部では、佐藤梓と封鎖者が、屈辱的な敗北報告をしていた。
『報告します。コアの完全起動を確認。第二監視班による物理的制圧は、不可能です』
佐藤梓の表情は、怒りよりも冷徹な計算に満ちていた。
「解析しなさい。コアの防衛壁の**『弱点』**を。物理的な破壊が不可能なら、内部からの崩壊を狙う」
封鎖者が、研究室周辺の時間流の乱れを再解析したデータを提示した。
『弱点あり。防衛壁の内側に、一人の非能力者がいます。彼は、跳躍者のシフトの残響により、時間流の歪みを視認できる**『覚醒したアンカー』**です』
「風見 律ね。あの、図々しくも私たちの時間操作を押し返した少年……」
佐藤梓の口元に、狡猾な笑みが浮かんだ。
「素晴らしい。時間の力を持たない者が、時間軸のセンサーとなった。それは、コアの防衛壁にとって、**唯一の『ノイズ』**となり得るわ」
彼女は、直ちに新たな戦略を決定した。
「作戦変更。直接的な抹殺は一時停止。彼の**『覚醒した時間感覚』を我々の味方にする。オービターは、彼にとって『脅威』ではない。『救世主』**となる」
「勧誘ですか?」
「ええ。時永刹那は、コアの維持で自己を犠牲にしている。それを見て、友人を助けたいと焦っている律の**『感情の隙』を突く。彼に接触し、『我々だけが、コアから刹那を解放できる』と吹き込むのよ。彼は、コアのバリアで安全が確保された今、最も『裏切りやすい』**状態にある」
佐藤梓は、律の友情と能力への渇望を、コア破壊の鍵として利用することを決意した。
新たな歪みと、律の危険
研究室。ひまりは、修復モードへの切り替え方法を探るため、古代語の解読に没頭していた。律は、何もできない無力感に苛まれながら、窓の外を見つめていた。
クロノス・コアのバリアのおかげで、街は平和を取り戻したようだ。
その時、律の時間センサーの瞳が、微かな、しかし決定的な異変を捉えた。
大学の正門付近。**青い波紋(遅延)**でも、赤い波紋(加速)でもない、見たことのない色の歪み。
それは、まるで血のように濁った灰色と、裏切りのような淡い紫色が混ざった、**新しい種類の『リップル(波紋)』**だった。
『待て……この歪みは……』
律は、その歪みが、時間操作によるものではなく、**『精神的な干渉』**によるものだと、本能的に理解した。
歪みは、ゆっくりと、静かに、しかし確実に、研究室のある建物の方向へと、浸透してきていた。それは、佐藤梓が仕掛けた、新たなエージェントによる**接触**のサインだった。
「ひまり! 新しい歪みだ! 来てるぞ……! これは、物理的な攻撃じゃない……!」
律は、時間軸の戦いが、肉弾戦から心理戦へと、フェーズを移行したことを悟った。そして、新たなオービターの標的が、自分自身であることを知った。




