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日常(アンカー)への帰還と、青い波紋の檻

時永 刹那が、千堂高校の正門前に辿り着いたのは、夜が明けきらぬ午前六時だった。

空は薄い灰色に染まり、生徒たちの喧騒が始まるには、まだ早い時間だ。しかし、刹那の心臓は、まるで警報のように激しく脈打っていた。彼の左手首に装着された螺旋の懐中時計は、周囲の時間の異常を感知し、微かに熱を帯びていた。

彼は、昨日まで慣れ親しんでいたはずの学校の風景に、得体の知れない重圧を感じていた。

その重圧の正体を知る唯一の人物、風見 律は、電話越しに緊迫した声を送ってきた。

『刹那、聞こえるか! 俺の目には、学校全体が**青い波紋リップル**で覆われている! 特に、校舎の屋上と、体育館の裏。あの二点から、時間隔離のフィールドが展開され始めている!』

律は、ひまりの研究室で、時間軸のセンサーとして覚醒した目を酷使していた。青い波紋は、時間流が極限まで遅延させられている、すなわち**「隔離」**が始まっているサインだ。

「了解だ、律。隔離が完了する前に、フィールドの発生源を叩く」

刹那は、フェンスを乗り越え、校庭に足を踏み入れた。足元の芝生さえ、粘りつくような感覚がある。それは、オービターが仕掛けた時間遅延の残響だ。

『待て、刹那! 校舎に入るな! 正面玄関の三階が、一番濃い青色だ! そこに、佐藤梓がいる! 罠だ!』

律の警告に、刹那は立ち止まった。彼は、未来の知識を持つオービターが、自分が**「発生源を叩く」**という単純な行動を予測していないはずがないと、冷静に判断した。

(奴らは、俺が隔離を阻止しようと動くことを読んで、俺を校舎の中に閉じ込めるつもりだ!)

刹那は、自身のスマホに向かって、低い声で指示を出した。

「律。俺の行く場所を指示してくれ。青い波紋が『最も薄い』、**奴らの予測の『外側』**を突く!」

『分かった! 正門から左へ曲がれ! 旧プールの横だ! そこはまだ、隔離フィールドの**『接続点』**になっていない!』

刹那は、律の指示通り、誰も使わなくなった廃墟のようなプールサイドへ向かって走り出した。親友の目が、今や彼の命綱となっていた。

隔離アイソレートの宣告

プールサイドの隅に身を潜めた刹那の前に、青白い光と共に、**『操作者マニピュレーター』**の佐藤梓が姿を現した。

彼女は、学校の制服のようなブレザー姿で、手にはブリーフケースの代わりに、一本の白い杖を持っていた。その姿は、まるで冷徹な教師のようだった。

「ご苦労様、時永くん。わざわざ、隔離フィールドの中心まで来てくれて」

佐藤梓は、静かに笑った。彼女の瞳は、獲物を捕らえた狩人のそれだった。

封鎖者ブロッカーは、あなたの時間加速の反動で、一時的に戦線離脱している。今回は、私一人で、あなたの**『日常』を解体**するわ」

刹那は、彼女の言葉に、激しい怒りを感じた。

「ふざけるな! 俺の学校と、ここにいるみんなの時間を、お前の勝手で弄ぶな!」

「勝手? いいえ。これは**『歴史の衛生管理』よ。あなたという癌細胞がこの時間軸で育ちすぎる前に、その温床を摘出する。あなたの高校生活三年間の記憶は、別の、無害な時間軸へと完全にコピーされ、この世界から切り離される**」

佐藤梓は、白い杖を地面に静かに突き立てた。

ズン……

刹那の全身に、強烈な時間遅延の圧力が襲いかかった。彼の主観的な時間が、通常の十分の一に引き延ばされた。

彼の動き、呼吸、思考、全てがスローモーションになる。

「さあ、抵抗なさい。あなたには、三秒だけ時間を与えるわ。三秒後には、この学校は時間の箱庭となり、私たちの管理下に置かれる。その箱庭から、あなたは永遠に出られない」

刹那の耳に、律の悲鳴のような声が届いた。

『刹那、やばい! 波紋が青一色になった! 隔離が、90パーセントを超えた!』

クロノス・シフト vs 隔離フィールド

刹那の思考は、遅延された時間の中で、極限まで加速されていた。

(三秒! 奴がフィールドを完成させるまでの三秒だ!)

彼は、懐中時計を装着した左手に、全精神力を集中させた。

「シフト……!」

刹那は、時間を過去に戻すのではない。自分の周囲の『遅延させられた時間』を、『通常』へと無理やり引き戻すという、極めて高度な操作を試みた。

ドォォン!!

刹那の周囲の空気だけが、強烈な振動と共に弾けた。彼は、時間遅延の鎖から、一瞬だけ逃れた。

彼は、佐藤梓の**白い杖(隔離フィールドの制御装置)**目掛けて、全速力で飛びかかる。

「遅い!」

佐藤梓は、刹那の動きを事前に予測していた。彼女は杖を動かすことなく、微笑んだだけで、新たな時間遅延を刹那の足元に仕掛けた。

刹那の右足だけが、再び時間の檻に囚われた。

(くそっ! 局所的な時間操作だと!?)

刹那は、右足の動きが止まったまま、全身を無理やり回転させた。それは、肉体に対する暴力的な行為だ。激痛が全身を貫く。

彼は、回転の勢いを使い、懐中時計を装着した左手を、地面に突き刺さった白い杖に叩きつけた。

ガキン!

螺旋の懐中時計の金属と、白い杖の制御装置が激しく接触した。

刹那の**『クロノス・シフト』の共鳴周波数が、隔離フィールドの『制御周波数』**に、直接干渉したのだ。

キィィィィン!

二つの時間の力が衝突し、白い杖から、火花と青い光の渦が噴き出した。

佐藤梓の表情から、初めて余裕の色が消えた。

「馬鹿な……! コアの起動キーが、フィールドの制御を乱している!?」

『刹那! フィールドの青い色が、揺らいでいる! 隔離が不安定になった! 続行しろ!』

律の叫びが、刹那の耳に届く。

刹那は、自分の時間が残り少ないことを知っていた。この**「時間軸の綱引き」は、彼の精神力を全て焼き尽くす**。

「これが、俺の**『日常アンカー』**だ! 誰にも奪わせない!」

刹那は、左手の力を最大限に込め、懐中時計を白い杖に押し付け続けた。彼の全身から、時間流の過負荷による血の汗が吹き出す。

キィィィィィィィィィィィン!!

周囲の青い波紋が、激しく乱れ、白く逆巻いた。隔離フィールドの制御が、崩壊寸前に達した。

佐藤梓は、敗北を悟った。このままフィールドを維持すれば、コアの反動で、学校全体が『予期せぬ時間軸』へと弾き飛ばされる。それは、彼女の任務の最悪の失敗だった。

「ちっ……! 今回は撤退よ!」

佐藤梓は、白い杖を掴み、光と共にその場から姿を消した。

刹那は、孤立無援の戦いに勝利した。しかし、彼の身体は、完全に限界を迎えていた。彼は、白い杖が刺さっていた地面に、力尽きて倒れ込んだ。

彼の瞳に映る空は、夜明けの希望の光を帯びていた。そして、律の安堵の声が、彼の意識の隅に届いた。

『やったぞ、刹那! 波紋が消えた! お前が、学校を守ったんだ!』

刹那の唇が、かすかな笑みを浮かべた。彼は、この勝利の代償が、自分の肉体の限界であることを知っていた。

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