N2_BABY STEP
初夏の風は、すでにじっとりとした暑さをはらんでいた。
六月になってもなかなか雨が降らず、今年は空梅雨なのだろうと高を括っていたのだが、昨夜になって突然、たらいをひっくり返したような豪雨が降った。そのせいで、高校へ向かう道のあちこちに水たまりが残っている。
アスファルトは朝のうちから日差しを照り返し、じわじわと地面を温めていた。気化熱で涼しくなるどころか、半分蒸されたような空気がまとわりつく。
「あっつ……」
シャツの胸元を少し持ち上げ、ひらひらと風を送る。うだるような、というほどではないにせよ、この時期にしては身体の奥まで染み込んでくる暑さだ。耐えかねているのは僕だけではないらしく、あちらこちらから「今日、暑くない?」「湿気ウザい」といった声が聞こえてくる。
高校までの道のりは決して長くない。それでも、だ。
水たまりを避け、できるだけ木陰に入るよう道の右側を歩いていると、視界の端に見慣れた車が停まっているのが目に入った。
黒塗りの高級車。セダンだったか、フェラーリだったか、ランボルギーニだったか——正直、車種には詳しくない。ただ、マフィア映画からそのまま抜け出してきたような佇まいで、高校近くのコンビニ前にはあまりにも不釣り合いな存在だ。
けれど、二年も経てば人は慣れる。誰もが一瞬だけ視線を向け、それ以上気に留めることなく通り過ぎていった。
運転席から、これまた洋画に出てきそうな白髪の老紳士が降りてくる。相変わらず、スーツを寸分の隙もなく着こなし、手には白い手袋まで嵌めている。
頭髪はどこを見ても雪のように白いのに、背筋はまっすぐ伸び、還暦を過ぎて五年は経っているはずの年齢を微塵も感じさせない。
優雅な足取りで後部座席の前に立ち、扉を開く。
ひょっこりと、小さな脚が姿を現した。
「いってらっしゃいませ。お嬢様」
ローファーに収まった脚が、ふわりと地面に降り立つ。小柄な身体を包む白衣の裾が、車の扉をかすめながら風に揺れた。
明るい栗色のボブショート。どこにも売っていない、『セロトニン』の構造を模した髪飾り。膝丈のスカートは三年生を示す青いチェック柄で、同じ色のリボンが胸元で揺れている。
立ち上がると、すねのあたりまで届くほど大きな白衣。その胸ポケットには、ユニコーンを模した多色ボールペンが差さっていた。
彼女は老紳士を見上げ、にこりと笑う。
十年前から少しも変わらない、幼さの残るその笑顔で。
「いつもありがとう、服部さん! いってきます!」




