第二章:「きみの体温で、わたしは戦える」
わたしは、ひとりじゃない。
そう思えるだけで、息ができる。
それが“恋”ってやつなのかどうか、わたしにはまだわからない。
だけど――彼の手のぬくもりだけは、嘘じゃなかった。
夜が明けはじめていた。
でも、まだ明るくはない。
ぬかるんだ地面と、もやのかかった森。
湿った空気の中に、“あれ”らの気配が残ってる。
わたしたちは、洞窟を抜けて高台へと向かった。
ボートがあるのは、反対側の浜辺。そこまでたどり着ければ、助かるかもしれない。
でも、その途中――
「……っ、いった……」
隼人くんが倒れ込んだ。
「どうしたの?」
「さっき、転んだとき……多分、足やった」
見ると、ふくらはぎから血がにじんでいた。
切創と打撲。骨は大丈夫そうだけど、動ける状態じゃない。
「だめ、無理しないで。ここで……休もう」
あおいらしくもないと思った。
でもそのときのわたしには、彼を置いて進むなんて考えられなかった。
木陰に身を寄せ、応急手当をする。
消毒液がしみて、彼がわずかに眉をひそめた。
「痛いの、我慢しないで」
「……いや、泣きそうなんじゃなくて、感動してた」
「は?」
「……君がさ、アイドルなのに、サバイバル能力高すぎて」
「べつにアイドルだからって、弱いとは限らないでしょ」
「いや、なんか……安心する」
わたしの指先を見つめる彼の目が、やわらかく揺れていた。
「君がいて、ほんとによかった」
心臓が、跳ねた。
ふたりで身を寄せた廃屋の中。
壁も床も湿ってて、でも風を避けられるだけで、天国に思えた。
「熱……ある?」
わたしは、隼人くんのおでこにそっと手を当てた。
あったかい。いや、熱い。
でもこれは、発熱じゃない。
おそらく、緊張と疲労と――わたしと同じ、気持ちのせい。
「君は?」
「平気。でも……冷たいかも」
「うん。手が、すごく冷たい。ほら、こうして……」
彼が、わたしの指を両手で包み込んだ。
あたたかい。
心臓の音が、手のひら越しに伝わってくる。
「さっきの夜、洞窟でさ。ほんとは、怖くて、泣きそうだったんだ」
「……うん、わたしも。あのまま死ぬんじゃないかって」
「でも、生きてた。君がそばにいてくれたから」
目が合う。
その瞬間、わたしは――たぶん、恋をした。
ちゃんと、はっきりと、自分の意思で。
「隼人くん……」
名前を呼んだ瞬間、彼の唇が近づいた。
でもわたしは、逃げなかった。
逆に、そっと目を閉じた。
そして、キスをした。
初めてだった。
なのに、不思議と自然で、
怖くなくて、くすぐったくて、
身体がふわっと浮かんでいくみたいだった。
唇が離れても、しばらく呼吸が戻らなかった。
「ごめん、いきなり……」
「……嫌じゃなかった。
ていうか、たぶん……したかったの、わたしも」
もう、隠さなくていいと思った。
だって、わたしたちはこの島で、
お互いを“生き延びる理由”にしてる。
だから、ほんの少しだけ、
彼の首に腕をまわして、そっと顔を寄せた。
その先にあるものが何か、わからなかったけど――
怖くなかった。
彼の身体は、熱かった。
でもそれは“命”の熱で、わたしの冷えた心を溶かしていく。
わたしたちは、互いの体温を確かめるように、何度も唇を重ねた。
額をくっつけて、手を握って、
ゆっくりと身体を重ねていく。
服の上からでも、鼓動がわかる。
手をつないだだけで、涙が出そうになる。
彼の指が、わたしの髪にふれて、首筋に触れたとき、
わたしの肌はぴくっと跳ねた。
でも、逃げなかった。
「こわくない」って、そう言ってるように、
彼の目が、ちゃんとわたしを見ていたから。
夜の終わりが近づくころ、
わたしたちは、ぎゅっと抱き合っていた。
外から、雨音が聞こえる。
――これはきっと、祝福の雨。
「ありがとう……生きててくれて」
「君が、生かしてくれたんだよ」
それだけで、全部が報われる。
わたしは、もう怖くない。
だって、彼の体温を知ってしまったから。
心の奥で結ばれた、その確かさが、
わたしのすべてを強くしてくれる。
生きて、もう一度朝を迎える。
わたしたち、ふたりで。
夜が明ける。
雨にぬれた廃屋の屋根に、朝日がにじんでいた。