20人日:ルナの告白
翌朝。尚也とグレイスはルナの家で一泊させてもらった。朝の陽射しが窓から差し込む中、ルナが寝ている尚也を起しにいく。そっとドアを開けると、尚也は靴下を顔面に載せて大いびきをかいていた。その様子を見たルナは、くすくすと笑いを堪えながら、まずは尚也の顔面から靴下をほおり投げた。そして、寝返りした尚也の上にぴょんと飛び乗る。
「うーん、まだ寝てる」
ルナは尚也の背中の上でぴょんぷょん跳ねたり、肩をゆすったりして一生懸命起こそうとした。時には頬を軽くぺたぺたと叩いてみたりと、あの手この手で起こそうと試みる。
「おじちゃん、朝だよ!ご飯だよ、起きて起きて!」
ルナの可愛らしい声と執拗な起こし方に、ようやく尚也がうっすらと目を開けた。
「うーん……何だ……ルナか……」
「やっと起きた!おじちゃん、寝相悪いよー」
ルナは満足そうに笑いながら、尚也の手を引っ張って起き上がらせた。尚也がルナと一緒にリビングまで階段を降りると、グレイスとルナの母親が既に朝食の準備を終えていた。テーブルには炊きたての白いご飯と温かい味噌汁、そして地元で採れた新鮮な野菜のサラダが並んでいる。
「おはようございます。よく寝むれましたか?」
グレイスが振り返りながら尋ねる。ルナと降りてくる尚也の姿を見て、その表情には、昨夜の出来事を思い出したような微かな照れが残っていた。
「いや……臭い靴下を口と鼻の穴に突っ込まれて、小さな妖精に延々と背中を踏まれながら、顔面が水虫に侵される夢を見た……」
尚也はまだ寝ぼけ眼で答える。グレイスは不思議そうな顔をしたが、ルナだけは舌を出して笑った。
「夢じゃないよー、おじちゃん!」
皆がテーブルにそろったところで朝食を始める。ルナの母親が手作りの梅干しを出してくれ、温かい家庭の雰囲気に包まれた。白いご飯や梅干しは尚也にとっては久しぶりだ。ふと尚也が視線を上げると、戸棚の上には幼いルナと母親、そして父親の3人が映った写真が飾られている。
昔、詠動師が村を訪れた時に撮ってくれたものだという。写真の中の父親は優しそうな笑顔を浮かべ、幼いルナを抱き上げている。しかし、ルナには今は父親がおらず、まだ幼い頃に病気で他界したのだと母親から聞いた。
それ以来、母親は女手一つでルナを育て上げてきた。朝食の準備をする母親の手際の良さや、ルナを見つめる時の優しくも強い眼差しから、その苦労と愛情の深さが伝わってくる。この写真は、いわばルナの父親の遺影ということになるのだろう。
朝食を終えて皆で話をしているうちに、ルナは自然と尚也の膝の上に座るようになった。時折尚也を見上げては、無邪気な笑顔を向ける。その仕草は、まるで本当の父親に甘えているかのようで、尚也の胸に温かいものが込み上げてくる。
やがて、尚也は今日村を出発する旨をルナと母親に伝えなければならない時が来た。
「ルナ、お母さん、僕たちは今日この村を出発します。本当にお世話になりました」
その言葉を聞いた瞬間、ルナの大きな瞳がウルウルし始めた。下唇を噛んで、今にも泣きそうな表情を浮かべる。膝の上で小さな体を震わせているルナを見て、尚也は胸が締め付けられるような思いに駆られた。
(この子は、亡くなった父親と自分を重ね合わせているのかもしれない)
尚也はそう考えると、なんとも言えない切なさが心に広がった。父親を早くに失ったルナにとって、束の間でも父親のような存在に出会えたことが嬉しかったのかもしれない。そして今度はその人もまた去っていくことに、寂しさを感じているのだろう。
ふと、ルナは尚也の膝から飛び降りると、一言も言わずに自分の部屋に向かって駆け上がっていった。しばらくして戻ってきたルナの手には、2本の美しい革製の紐のブレスレットが握られていた。
「これ、昨日の夜にこっそり作ったの。おじちゃんとお姉ちゃんにお礼の気持ち!」
ルナは少し恥ずかしそうにしながらも、誇らしげに二人にブレスレットを手渡した。革の紐は丁寧に編まれており、小さなビーズのような綺麗な石で装飾されている。
「ルナ……ありがとう。大切にするよ」
尚也もグレイスも心から感謝の言葉を述べて、早速腕に着けた。ブレスレットは思いのほかしっくりと馴染み、ルナの温かい気持ちが込められているのが伝わってくる。
『とてもすばらしい報酬をいただきましたね♪』
サエコが思考で尚也に語りかける。当然この言葉は尚也以外には聞こえない。
「ああ」
尚也は短く答えた。
(どんな高額な報酬よりも大切で貴重なものだな)
『はい、まったくその通りです』
尚也とサエコは同じ思いを共有していた。金銭では決して買えない、純粋な感謝と愛情のこもった贈り物。それは最も価値のあるものだった。
やがて出発の時間が近づき、ルーチェの村と同様に、村人の皆が見送りに集まってくれた。村の入り口には老若男女問わず大勢の人々が並び、温かい笑顔で二人を送り出そうとしている。
「また、くるんだよね?絶対だよね?」
ルナが上目遣いで尚也を見上げながら確認するように尋ねる。その表情には不安と期待が入り混じっていた。
「もちろんだよ。こいつのメンテもお願いしたいしね」
そう言いながら、尚也はハンドガンタイプの詠光量筒を見つめる。すると、ルナが手を招くような仕草で、尚也に耳を貸すように合図を送る。尚也は膝をついてルナの高さに合わせ、耳を傾けた。
「おねえちゃんに嫌われちゃったら、あたしがお嫁さんになってあげるからね」
ルナは真剣な表情でそう囁くと、最後に無邪気な笑顔を浮かべた。
(ははは……マセやがって)
尚也は少し焦りつつも、ルナの純粋さに心を温められて微笑んだ。
一方、少し離れたところでは、グレイスとルナの母親、そして村の代表であるルイスが何やら重要そうな話をしている。
「この度は本当にありがとうございました、ステラ様。くれぐれも白石さんとの世継ぎは王都に戻られてからにしてくださいね♪」
ルナの母親がいたずらっぽい笑顔でそう言うと、グレイスは真っ赤になって慌てて否定した。
「違います!!そんなことは全然……!」
その様子を見て、村人たちからくすくすと笑い声が上がる。
やがてルイスが改まった表情で報酬と食料の入った袋を手渡しながら、グレイスに重要な情報を伝えた。
「王配には既に報告が入っているかと思いますが、セレルティアの動向にはくれぐれもご注意ください」
その言葉を聞いたグレイスは、はっとした表情を浮かべた。
「やはり、あなた方は!」
「このような形で事情をお話しできず、申し訳ございませんでした」
ルイスは深々と頭を下げて素直に謝罪した。
グレイスは辺りを見回し、改めて状況を整理し始めた。古代遺跡を利用しているとはいえ、鍛冶屋の設備は決して古いものではない。最新とは言えないが、十分に実用的で高度な技術が使われている。
詠動基盤の不具合は本当の事実だろう。しかし、鍛冶屋の火が灯り、適切な設備さえあればメンテナンスは十分可能だ。
つまり、ここはアリエンティア王国が密かに設置した詠光量筒メンテナンス工場だったのだ。表向きは小さな放棄された鍛冶屋の村だが、実際は国の重要な戦略拠点の一つということになる。
(でも……だとしたら、なぜこんな回りくどい方法を?)
グレイスの頭には新たな疑問が浮かんだ。詠動基盤の修復だけが目的ではないはず。きっと何か別の、より重要な理由があるに違いない。
(やはり……一度王都に戻って、全てを確認しなければ)
グレイスの決心はより固くなった。
二人が村を後にしていく姿を見送りながら、ルナは最後まで走って追いかけた。小さな足で必死に駆けながら、何度も手を振る。その大きな瞳には、ついに堪えきれなくなった涙が光っていた。
「いつか……かならず、おじちゃんを守るんだ」
ルナの幼い心に宿った決意は、大人にも負けないほど強く、その澄んだ瞳には揺るぎない意志の光が宿っていた。