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量産勇者、自由を掲げよ。  作者: 陶花ゆうの
5 黄金竜の心臓
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08 救援要請

〈鉱路洪水〉の被害を受けたフロレアの復興作業は進み、瓦礫の撤去は完了、今は新たな町並みの骨組みが造られている最中だった。


 重労働の最中とあって、作業に従事する人々の額には汗が浮かぶ。



 ――件(くだん)の〈鉱路洪水〉の感染源となったメメット隊――旧ヴィレイア隊の一員である一等勇者にして法術師、ケルクもそれは例外ではなかった。



 メメット隊の面々には、未だに厳しい目を向ける者が多い。

 とはいえそれは、防ぎようもない〈鉱路洪水〉という大災害が招いた八つ当たりに過ぎず、悪意ではなくどうしようもない苦しみの発露であって、メメットたちもそれを受け容れている。



 ケルクは額の汗を拭う。

 彼の眼前には、コマドリに似た輪郭の銀の鳥――透過視精の影が浮かんで、無邪気に遊んでいる。


「――ヴィリーからだ」


 彼は言った。


 そばにいた、メメットをはじめとする他の三人が軽くどよめき、ケルクと透過視精の影を見比べる。


「あら、久しぶりね」


 メメットが呟く。

 気のない口調を装おうとはしているが、口許が堪え切れない懐かしそうな笑みに緩んでいる。


 短く整えた黒髪を掻き上げ、鮮やかな群青色の目を細めて、メメットは首を傾げる。

 ――四十代前半の彼女は、歴戦の猛者であると同時に隊の母親でもあった。


「元気そう?」


「へえ、俺らのこと思い出したってわけだ。我らが元筆頭」


 ぶすっとしてそう言ったのはアーヴェイ。


 まだ二十代の若さだが、一等勇者だ。

 亜麻色の癖っ毛に木屑がくっついたままになっているが、本人は気づいていない。

 鼈甲色の目を面白くなさそうに細めてはいるものの、強情になっているだけで悪意があるわけではない。


「アーヴェイ。ヴィリーがなかなか連絡してこなくて、寂しいのは分かるけれども。彼女はフロレアにはいられないんだから。ね?」


 と、宥めるような声を出したのはロイ。

 四十代も半ば、この隊の資源を見る目でもある熟練者だ。


 鋼色の髪は汗の湿気でくしゃりと乱れており、灰色の目が笑い皺に沈んで見えている。


「べっつに寂しくねーし!」


 アーヴェイが怒鳴ったところで、「黙って」とケルク。

 彼はおたついた黄緑色の瞳でメメットを見た。


「あのー、なんか、泣いてんだけど」


「え?」


 メメットはぱちりと瞳を瞬かせ、続いて、ぎゅっと眉を寄せた。


「まさか、悪い男に引っかかったとかじゃないでしょうね?」


「いやなんか、『助けて』って泣いてる……」


 ざわめく一同。


 メメットが身を乗り出した。


「どうしたのか訊いて! 今すぐ!」


「もちろん、もちろん」


 ケルクは頷き、銀のコマドリに指を差し出した。


 そこにちょこん、と止まったコマドリに、ケルクは穏やかに声を掛ける。


「ヴィリー、落ち着いて。何があったのか話して。力になれることだったらもちろん助けるよ。みんなここにいる」


 頷くと、コマドリが宙に身を翻して消えていく。


 アーヴェイがむっと頬を膨らませた。


「俺も強制動員なわけね」


「一人で放っておかれても、あんた、暇でしょ」


 と、メメットはにべもない。



 数分して、再びコマドリが舞い戻ってきた。

 差し出されたケルクの指に止まり、囀るように頭を上下させる。


 法術師であるケルクにしか聞こえない言葉だ。


 その話を聞いていくうちに、ケルクの表情が面白いくらいに変わっていく。

 困惑から驚きへ、驚きから困り顔へ。


「――なんだって?」


 焦れた様子でアーヴェイが尋ねる。

 なんだかんだで気にはしているのである。


 ケルクは顔を上げ、赤金色の前髪をいじった。

 困惑しているときの彼の癖だ。


 黄緑色の目を戸惑いに揺らしてから、彼は穏やかな語調で口を開いた。


「最初に言っとくと、ヴィリー、かつてなく動揺してる」


「なんで!?」


 ざっ、と距離を詰めてくる仲間たちを、「話すから」と手振りで牽制するケルク。



「――えーっと、ここに亜竜が出たときのことは、みんな覚えてるだろ? 〈鉱路洪水〉の二次災害の」



「もちろんよ」


「忘れる方法を教えてくれよ」



「そのとき、ヴィリーと一緒にいた、赤毛の勇者がいただろう?」



 全員が顔を見合わせる。


「あの、亜竜を単独討伐した、めちゃくちゃ強かった、あの男の子?」


「亜竜を討伐したあと、ばたっと気絶した、あいつ?」


「亜竜の前ではふてぶてしかったのに、目を覚ました途端に借りてきた猫みたいになっていた、あの子?」



「そう。――ヴィリー、今はその人と、もう一人と隊を組んでるらしい。

 で、あの赤毛の子――リベルっていうらしいんだが、その子が行方不明になったらしいんだよ」



 アーヴェイが呆れた様子でぐるりと瞳を回す。


「勇者の行方不明なんて、よくあることだろ」


「それが、様子が違う」


 ケルクが言って、指に止まったまま楽しげに頭を振る銀のコマドリを見つめた。

 運んできた伝言の内容如何は、精霊の関知するところではないのだ。


「ヴィリーが言うには、どうやら何かの厄介事に巻き込まれたらしい。

 具体的には、誘拐か、それに準ずる何かの事態に遭遇してる可能性があって、なんとしても行方を突き止めたいと」


 メメットたちは一様に目を瞬かせた。


「誘拐……?」


 ケルクは肩を竦める。


「あの子――リベルくんか。リベルくん、変わった武器を使ってただろう? ヴィリーの〈焔王牙〉みたいな業物だったやつ」


「覚えてる」


「その武器が、なぜか知らないけれども売りに出されていて、その情報があったから、ヴィリーも何かが起こったと分かったらしい。

 ヴィリーが言うには、リベルくんは、本人が無事なら武器が盗まれようが何をしようが、取り敢えず戻って来てくれるはずの人なんだってさ。

 ――それで、その武器を売ってる店が、ハイリにあるんだって」


「ハイリ?」


 きょとん、と目を見開くアーヴェイ。

 彼が素直な仕草でメメットを見上げると、メメットが溜息を零して応じた。


「ここよりちょっと北にある町よ」


「そう。――で、ヴィリーはヘルヴィリーに行かなきゃならないんだってさ」


「ごめん、話が見えないんだけど?」


 メメットが眉を顰めるのを見て、ごめんなさい、と手振りで示すケルク。


「つまり、リベルくんがいなくなったのはヘルヴィリーなんだよ。それで、ヘルヴィリーの方に手掛かりがあるはずなんだけど、その手掛かりに行き着くためには、まずはハイリでリベルくんの剣を売ってる奴を問い詰めて、誰から買ったのかを聞き出さなきゃならない」


「――なるほどね」


 呑み込んだ様子でメメットが呟く。


「ハイリとヘルヴィリーが遠すぎるってことね。往復していられないのね」


「そうそう、そういうこと。

 ――一応、どうしてだか分からないけど、ハイリに知り合いがいて、その知り合いが今、店を押さえてくれてるみたいなんだけど、ハイリを本拠地にしてる勇者隊なら、本拠地で大暴れも出来ないだろ?」


「なるほど」


 全員が揃って頷いた。


「俺たちがそこに行って、代わりに締め上げて来いってことね」


 アーヴェイがきらんっと目を輝かせてそう言って、こき、と手指の骨を鳴らす。


 ケルクは銀のコマドリを示した。


「ヴィリーが返事を待ってるけど、――どうする?」


 彼らは目を見交わした。


「そりゃあもちろん、可愛いヴィリーの救援要請だし、」


「まあ、何かあったら絶対に力になるって言ったの、あたしだし、」


「ちょうど、復興作業にも飽きてきたところだし、」


 ケルクが最後に、重々しく頷いた。


「亜竜の件では世話になったしね。

 ――よし」


 銀のコマドリに目を戻し、ケルクは微笑んで、明るく言った。



「ヴィリー、任せて。

 我々はこれよりハイリに突撃する」





 壊滅的な被害を受けたフロレアではあるが、保有していた陸艇や陸舟までが全壊したわけではない。

 勇者組合保有の陸艇には無事に残ったものもあり、そして今や使われていない。


 勇者組合の職員も、復興作業以外にすることもなく、じゃっかん神経症ぎみであった。



 そこに、顔馴染みの一等勇者隊から、「陸艇を出してくれれば謝礼を出す」と言われれば、断る組合ではない。


 たとえそれを申し入れてきた勇者隊が、〈鉱路洪水〉の感染源となった過去があろうと、〈鉱路洪水〉の原因が不明で、防ぎようがないということは勇者組合の者ならばよく知っている。



 ――かくして一日ののち、初春の月十八日に、メメット隊はハイリの町に降り立った。



 余談であるが、メメット隊の財政は――過去の筆頭勇者の金遣いの荒さがあって――決して楽なものではない。


 謝礼をどう捻出したものか、陸艇の中で熱い議論が交わされたことを述べておこう。





*◇*◇*





 初春の月十九日、バンクレットが乗った陸艇がエーデルの町に降り立った。


 ヴィレイアが彼のそばにいる法術師に連絡を取り、すぐさま軍の陸艇を出してヴィレイアとエルカを迎えに来たのである。



 ヴィレイアもエルカも張り詰めた表情で彼を待ち、陸艇が駅に着くや否や乗り込んだ。


 それを迎え入れたバンクレットも、初めて見る強張った表情。


 すぐにヘルヴィリーに引き返すよう乗員に指示を下して、居ても立ってもいられない様子でヴィレイアとエルカの手を握る。



「――私たちとしても、すぐに軍の中隊を動かしてリベルを捜索する準備は出来ている。

 ヴィレイア、きみが言うには、しばらくそれは待ってほしいということだが――」


 前置きを抜きにしてそう言ったバンクレットに、ヴィレイアとエルカが同時に頷いた。


 エルカが素早く言う。


「そう、待って。下手なことして逃げられる方がまずい」


「“逃げられる”?」


 その言い回しに引っかかりを覚えた様子で、バンクレットはじっとエルカを見つめた。


 そして、エルカが殆ど眠っておらず、今も緊張と焦燥で吐きそうになっていることを察したらしい。

 やんわりと彼の肩を押して、陸艇の座席に座らせる。


 そうしてから、バンクレットは慎重に尋ねた。


「どういうことかな、当たりがついている目算があるの?」


 エルカはぎゅっと唇を結んでから、ヴィレイアをちらりと見た。


 ヴィレイアも、崩れるように座席に座り込んだところだった。

 その可憐な目許に隈が浮いている。



 既に――透過視精と法術師を通じて――バンクレットとは、これまでの経緯は共有済みだった。


 リベルが戻らないこと、彼の〈氷王牢〉がハイリで売りに出されていること、リベルがまずい事態に陥っているだろうこと。



「ハイリに、フロレアにいるヴィリーの元仲間に向かってもらったんだよ。フロレアからならハイリも近いっていうんで。

 で、ヴィリーの元仲間が、〈氷王牢〉を売りに出した奴を締め上げて、そいつが誰(・)か(・)ら(・)〈氷王牢〉を仕入れたのか吐かせてくれた」


「その下衆がヘルヴィリーにいるんだね?」


 バンクレットが口走った。

 恐らく、滅多に使わない悪態を使ったことすら無意識だった。


 エルカとヴィレイアがこくりと頷き、バンクレットは深く息を吐く。


 エルカは言葉を続けた。


「売人を当たればリベルがどういう目に遭ってるのか分かる。

 軍に出番をお願いするとしたら、その後。人海戦術が必要になってから」


 バンクレットは小さく何度か頷き、顔を上げてヴィレイアを見た。


「きみの、フロレアの仲間は――?」


「ヘルヴィリーに向かってくれています。出発したのが昨日ですから、明後日には到着するはずです。

 ――ハイリにいる私たちの知人の隊も一緒ですし、〈氷王牢〉ももちろん取り返してもらって、〈氷王牢〉を売りに出していた店主さんも、何かあったときのために連れて来てもらっています」



 平たく言ってしまえば、“二つの勇者隊がとある武器店を強襲し、店主を尋問した挙句に誘拐している”という報告なのだが、バンクレットは欠片も動じず頷いた。



「良かった、ありがとう。軍から迎えを遣ってしまうと、どうしても事が大きくなるからね。

 ――きみの隊への謝礼もこちらがもつ。何も気にしなくていい」


 ヴィレイアがこくりと頷く。


 エルカが手を伸ばして、バンクレットの腕を掴んだ。

 見下ろしたバンクレットの金褐色の瞳を見据えて、エルカは確認するように。


「――リベルの行方を捜すために、多少手荒な手段を採っても、軍が揉み消してくれるっていうことでいいんですよね?」


「揉(・)み(・)消(・)す(・)?」


 バンクレットが鼻で笑った。



「揉み消す必要などない。

 ――リベルはれっきとした市民だ。彼の身の安全のために、事態を伏せるべきときには伏せておくが、それが終わればこの件に関わった犯罪者ども、まとめて私が牢獄にぶち込む。

 ――きみの行為は全て正当なものだと私が太鼓判を押そう、エルカ」



 エルカの表情が、ほんの僅かに緩んだ。


 ゆっくりと息を吐いて、彼が呟く。



「――心強いよ」





*◇*◇*





 リベルは面喰らって、身の丈二フィート少々と大きな岩魚を見つめた。


 岩魚と見つめ合っているというこの状況が、そもそも常軌を逸してシュールだが、どうやら鉱路生物の言葉が聞こえてくるという現象が、幻覚であるのか現実なのか、そろそろ見極めねばならないらしい。


「……あー」


 リベルは呟く。

 果てしなく自分を間抜けに感じつつも、リベルはゆっくりと言った。


「えーっと、俺(・)の(・)言(・)葉(・)が(・)、分(・)か(・)る(・)の(・)?」


〔馬鹿にしてんのか、おまえ?〕


 岩魚が言った。

 同時にエイの頭を傾げて、露骨にこちらを胡乱に見遣る。


 ――リベルは眉間を押さえた。


(これは……もしかして、マジで……現実?)


〔おまえ、なんだ? 二本足の竜に似てるが、違(・)う(・)な。

 ――おーい〕


 岩魚が振り返り、別の岩魚を呼ぶ。


 それに応じて、岩の中に潜り、頭だけを出して、すいすいとこちらへ泳いでくる、こちらは体長一フィートほどの岩魚。


 そばまで近付いてくると、こちらの岩魚はリベルに怯えた目を向けつつ、水から上がるようにして岩の中から上がり、身震いする。


〔はい?〕


〔これ。こいつ。何か分かる? 食えるかな?〕


〔生きてるじゃないですか、食えませんよ〕


〔どこかに閉じ込めておけば、そのうち食えるようになるだろ〕


〔そもそもこいつ、何ですか〕


〔さっき俺が訊いたじゃないか。

 こいつ、何か分かる?〕



 リベルは顔を押さえて悶絶した。


 岩(・)魚(・)が(・)二(・)匹(・)、目(・)の(・)前(・)で(・)話(・)し(・)て(・)い(・)る(・)。


(これを現実だと認めるよりは、気が狂ったと認める方が楽な気がする……)


 絶望的な心地でそう考えるリベルを前に、二匹の岩魚は議論を進めていた。



〔見たところ、二本足の竜ですけど〕


〔見た目はそうだが、匂いも違う、言葉も違うぞ。竜は俺たちとは言葉が通じんだろ。

 こ(・)れ(・)はむしろ、どっちかっていうと、あ(・)の(・)――〕


〔あー、で(・)す(・)ね(・)。

 でもそれにしては目(・)が(・)悪(・)そ(・)う(・)〕



 リベルは控えめに咳払いして、呟いた。


「……鉱路の外に出たいだけなんだけど……」


 二匹の岩魚がリベルを見て、エイそっくりの胸鰭を揺らした。


〔なに言ってんだ、こいつ?〕


〔何(・)の(・)外って言いました?〕


 リベルは絶望に呻いた。


(あー、そっか。こいつら鉱路の中しか知らないから、鉱路の外があるっていうことが分からないのか。

 ――違う、そっちじゃない。やばいのは、マジで言葉が通じちゃってるっぽいっていうことだろうが……)


 自分の中の良識が凄まじい勢いで毀損されていくのを感じつつも、リベルは声を押し出す。


「……その、えっと……上の方に行きたいだけで……俺は道に迷っただけで……」


 二匹の岩魚が顔を見合わせる。

 そして唐突に、左の胸鰭と右手を打ち合わせる仕草を見せた。


〔姫(・)さ(・)ま(・)に見ていただくか。なんか、見た目も似てるし〕


〔そうです、それがいい。食べられるかどうか、姫さまなら分かる〕


〔万が一何かあったとしても、他にも姫さまの蛹はあるしな〕


〔そうしましょう、そうしましょう〕


 何やら話が纏まったらしい。


 図体の大きな方が、胸鰭をぱたぱたとリベルに向かって動かした。

 どうやら手招きに準ずる仕草であるらしい。


〔ほら来い、けったいな奴〕





 人生において、岩魚の案内で鉱路を歩くことがあろうとは思わなかった。


 リベルが心的な衝撃と疲労によろめきながらも、招かれるがままに岩魚の後をついて歩き出した理由は、万が一何かがあったとしても、岩魚程度であれば問題なく制圧できると判断したためだ。



 事実、リベルがその岩窟の広間を進んでいくだけで、小さな岩魚たちは悲鳴を上げて逃げていった。


 置き去りにされた鉱路生物の死骸が醜怪である。



(ここは――あれかな、岩魚の巣穴の、餌を持ち込む場所なのかな……)


 そう当たりをつける。



 リベルがこれまでの人生で目にした岩魚、その総数よりなお多い岩魚が、きゃあきゃあと悲鳴を上げたり、うわっと驚きの声を上げながら逃げ惑っていく。


 逃げずに踏み留まった岩魚の中には、リベルを先導する図体の大きな岩魚と同程度の大きさの個体もおり、彼らがキイキイ声で叫ぶ声も聞こえてくる。


〔何のつもりだね! それは何だね!?〕


 リベルを先導する岩魚――リベルは内心で「先導役」と呼び始めていた――が、大声で応じる。


〔これが何か分かるかって訊きに、姫さまのところに行くんだよ!〕


〔蛹には近付けるんじゃないぞ! いいね!〕


〔分かってらあ、馬鹿にしてんのか!〕


 リベルはきつく目を閉じて、眉間を押さえた。


(俺の精神衛生のために、しばらく黙っててもらいたい……)


 とはいえ、話し掛けて応答される方が精神的に厳しいものがあり、リベルは黙っていた。



 広々とした広間を横断する。


 鉱路生物の死骸を引き摺る岩魚たちが、怯えた様子で岩の中に隠れていき、あるいは頭だけを岩から出して、歩いていくリベルをじろじろと見ている。


 一度はリベルが無頓着に死骸を踏み付けそうになり(何しろ、鉱路といえば鉱路生物の死骸である。これに怯んでいるようでは勇者はやっていられない)、小さな岩魚が悲鳴を上げる一幕があった。


〔何するんだ! 何するんだ!〕


 と、目の前に躍り出し、懸命に胸鰭と両腕を精いっぱい広げて立ち塞がる岩魚に、どうやら泣いているらしき震え声で怒鳴られ、リベルはたじたじと後退る。


「ごめん……ごめんって」


 先導役も、胡乱げにリベルを見ている。

 眼がどこにあるかも判然としないのだが、その視線の色は感じた。


〔おかしな奴だな、どうして下(・)か(・)ら(・)行かない〕


「俺は岩には潜れない……」


〔不便な奴だな!〕


 うっかり会話が成立してしまい、リベルは顔を覆う。


(エルカなら大丈夫だろうし面白がるだろうけど、俺は無理!)


 ヴィレイアなら、と考える。


(意外と面白がるかも……いやでもあいつ、手に負えない事態になったら俺に泣きついてくることもあるしな……)


 知り合って間もない頃、文字通り鉱路生物の尻尾を踏んだヴィレイアが、「リベルぅ――っ!」と叫びながら突進して来たことを思い出して、こんな場合ではあったがこっそりと微笑むリベル。

 当時のリベルは、ヴィレイアの怠惰さと奔放さにうんざりしていたこともあり、「影兵霊を呼べよ!」と絶叫で返したのだが。


(いや、思い返せば可愛げがあった……)



 そんなことを思い出しているうちに、リベルは広間から伸びる通路の一つの入口に案内されていた。


 相も変わらず光源はないが、様子ははっきりと見える。

 通路が枝分かれしながら続いているようだ。


「――岩魚は完全に岩の中に棲んでるんだと思ってた」


 ぼそり、と零した言葉は完全に独り言だったが、先導役はどうやら質問だと思ったらしかった。

 彼が答えた。


〔そんなことをすれば食糧が喰えたものじゃなくなるだろうが。姫さまも、生まれたては潜伏が苦手だしな。――おまえは本当にものを知らんな。

 生まれたてなのか、それともご同類じゃないのかね〕


「……はあ」


 呟くリベル。

 岩魚に応答されることに慣れそうになっている自分が、今のところは最も怖かった。



 そう思っているうちに、後ろから、切り刻まれた鉱路生物の死骸の――恐らくはその生物の胸肉に当たるのだろう――部位が滑ってきた。


 真下から、岩に潜った岩魚がそれを支えて泳いでいるらしい。


 肋骨が剥き出しになった胸肉が、凄まじい勢いで通路の奥へ滑走していくのを見送りつつ、〔行くぞ〕と促されて、リベルはよろよろと進み始めた。



 通路を歩き、幾つかの分岐を先導役に促されるままに通過し、もしも逃げ出さねばならなくなったときを考え、こっそりと目印を記憶して進む。



 その果て、螺旋状に下る坂道を降りていく最中から、別の声が聞こえ始めた。


 ――リベルは眉を寄せる。



 その声は、場違いな歌声に聞こえた。

 素朴に澄んだ声が、歌詞のない歌を口ずさんでいる声。



 困惑するリベルを連れて、先導役が螺旋状の坂道を下り切る。


 そのまま、ちゃぽん、と音がしそうな動きで岩場の中に潜り、頭だけを出してすいすいと泳ぎ始めた。


〔――姫さま、姫さま、ご覧いただきたいものが〕



 リベルも坂道を下り切った。



 ――そこには、平坦に均して磨き上げたような、凹凸のない岩場が広がっていた。


 天井は然程高くない――せいぜいが七フィートほど。

 壁のところどころに光晶が露出しており、その光で朧に照らされている天然の広間だ。


 奥に、更に他の空間に通じるのだろう洞穴が開いているのが見える。


 向かって左側には段差があった――これも凹凸一つない。

 段差があるというよりは、左側の岩場が何かの要因で削り落とされ、直角を描いて一段低くなって広間を成している、という方が近いかも知れない。



 その切り立った段差は、高さにして一フィート半程度。



 ――そこに、一人の鉱路生物が腰掛けていた。

 歌っているのは彼(・)女(・)だ。



 彼(・)女(・)――そう、リベルの目から見ても、それは女性に見えた。



〔姫さまぁー〕


 先導役が、彼女の足許に泳いでいく。


 歌声が途切れ、彼女が俯いて身を乗り出し、足許に近付く岩魚に手を伸ばす。



 その拍子に彼女は、はたとリベルに気づいた様子で、ぱっ、と顔を上げた。


 そのまま、目を見開いて凍りつく彼女。



 リベルもまじまじとそれを見ていた。



 ――彼女は、簡単に言ってしまえば、人間に非常に近い姿かたちをしていた。

 少なくとも上半身は。



 岩でレースを象ることがあれば、それはこれほど繊細になるかも知れないと思える、岩と綾羅の間を取ったかのような、曖昧な質感の肌と髪。


 髪は玄武岩の色で、豊かに背中に打ち広がって流れ落ちている様は、しなやかに見えても硬質な印象も受け、目に見える質感どうしで硬軟の矛盾があって、リベルがもう少し好奇心旺盛な性質であれば、迷わず歩み寄って手に取っていただろう奇妙なもの。


 肌は明るい灰色で、岩と綾羅の間を透かしたかの如き、これも奇妙な紗(うすぎぬ)の質感の印象を受ける。


  顔貌は人間のものとほぼ同じ、しかも見たところ十四、五歳の年頃の少女のものにそっくりだった。とはいえ、大きく見開かれた双眸は、人のものよりやや丸い。

 ただし睫毛までが長く緻密に揃っており、リベルとしては困惑を禁じ得ない。


 虹彩は黒雲母の色合いと質感で、光晶の明かりにきらきらと輝いて、今は驚きに見開かれてリベルを凝視している。


 小さな整った形の頭部、流れ落ちる髪に卵型の顔、ほっそりとした頸に華奢な肩。

 浮いた鎖骨までが人間と同じ位置にある。


 すらりと伸びた両腕に、その先端の五指を備えた手も同じ。


 小さく膨らんだ胸に、きゅっと締まった細い腰――ここまでが全て露わで、それは彼女が一糸纏わぬ姿をしていたためだ。



 ――そして、その下半身。


 今は、まるで岩場が凪いだ水面であるかのように、半ばをその中に浸している、人ならば脚があるべき部分。



 そこには優美な魚の尾鰭があって、その姿は、まさに半人半魚というべき、御伽噺によく聞くものだったのである。





















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