07 彼女の事情
「――えーっと、素性とか訊いても大丈夫?」
リベルがそう尋ねたのは、アッシュビット地方の鉱路から戻ってきたその日の昼下がり。
場所はエーデルの町でリベルが借りている集合住宅の一室。
まだ生活感も薄く、調度品も満足に揃っていないその部屋の真ん中で、床に座り込んで項垂れているのは、言うまでもなくヴィレイアである。
――初対面に近い女性を部屋に招くなど言語道断。
そう断言できる程度には人見知りのリベルだが、もうそうも言っていられなかった。
そんなことを言っているには、復路が余りにも気まず過ぎた。
*◇*◇*
儀式を省略して精霊と契約するという離れ業を披露したヴィレイアだったが、あからさまにそこに触れられることを恐れていた。
本当にヴィレイアが金に困っているならば、この離れ業を組合職員の前で披露するだけで、とんとん拍子に特等勇者までの道が開けそうなものだが――預託金には困るだろうけれども――、それを誇る様子もない。
もはやリベルと目を合わせることすら避けようとする有様で、それでもなんとか採掘は終えて地上に帰還し(なお、鉱路探索が最も過酷な局面を迎えると言われているのは復路だ。勇者の多くがここで力尽きる。鉱路生物と遭遇したときには協力し合う勇者隊どうしであっても、ただ復路で行き倒れている他の勇者隊を助けようとする勇者隊などない)、エーデルの組合の陸艇に乗り込んだのだが、そこでもなおもリベルを避ける。
「四等勇者は単独での換金は受け付けてもらえないよ」とリベルが思い出させなければ、陸艇の中に隠れてしまってリベルから逃走した可能性すらある。
リベルとしても、それは困る――一度はヴィレイアと共に組合に帰還し、エーデルの組合での探索の実績ありとしてもらわなければ困るのだ。
そして、いざエーデルに帰還したのが、出発した翌日――つまり今日。
本来ならば、その足で勇者組合に向かい、持ち帰った資源を換金するところだが、今日は。
――鉱路で披露されたとんでもない離れ業、そしてその後の異様に気まずそうな態度。
それを見てなお、何事もなかったかのように「じゃあ換金に行こうか」と言えるほどの人間性は、リベルの中では育っていなかった。
彼はヴィレイアを見下ろして、提案した。
「俺の部屋に来てほしいんだけど。訊きたいことが、色々と」
「一一七一」という数字の浮かぶ時精時計をいじいじと弄っていたヴィレイアは、うっと小さく呻いたものの、頷いた。
そして冒頭に戻るのである。
*◇*◇*
「素性――」
呟いたヴィレイアが、息を吸い込んでがばと顔を上げる。
前髪を上げていたリボンは既に首許に下ろされており、暑さに汗の滲む額に、白百合の色の髪が張りついている。
「あなたも」
「え?」
「あなたも、四等というには不自然に手慣れていましたけど、素性は?」
リベルは顔を顰め、少し考えた。
――ここでヴィレイアに素性を話したとしても、それが伝わってはいけない連中に伝わることはまずないだろう。
「俺は――」
口籠り、それから大きく息を吐いて、リベルは両手で顔をこすった。
ちなみに、ヴィレイアは床の真ん中に座り、リベルは寝台に腰かけている。
この寝台は備えつけのものだった。
「――俺は、他所で勇者の経験がある」
ヴィレイアがなおも、可憐な顔を問うように顰めている。
探索直後とあって薄汚れてはいるものの、濃緑の瞳の美しさは健在だ。
「――あなたの武器は、とても三等や二等が持てるものではありませんよね」
「それはこっちの科白でもあるけど」
そう応じてから、リベルははあっと息を吐く。
「元の階級は特等だった」
ヴィレイアの大きな双眸が、更に大きく見開かれた。
彼女が膝立ちになり、両手で口許を覆う。
「特等!」
「そう」
「何をやって降格になったんですかっ?」
その訊き方が、なんというべきか――如何にもわくわくしたような訊き方だったので、リベルはかちんときた。
とはいえ不器用な彼の顔面は、その苛立ちを露わにするには鈍すぎた。
「別に何もやってないよ。――報酬から高い税金を引かれるのが嫌だから、他所の町で心機一転やり直そうと思っただけ」
ぶっきらぼうにそう応じると、ヴィレイアががくっと項垂れる。
「ああ、そうですか……」
「そうです」
応じて、立ち上がる。
この部屋を契約したときに、調度品のように大きなものは買い揃えられなかったにせよ、生活に必要な一通りのものは買い込んでいた。
それを思い出して、窓があるのとは反対側の壁のアルコーヴ――そこが簡易なキッチンになっている――に歩み寄ったのだ。
「ええと、お茶でも飲む?」
ヴィレイアが瞬きして、少しはにかんだ様子で躊躇って、それからこくんと頷いた。
リベルはそれを受けて、棚から不溶石を取り出し、鉄製の薬缶の中で割り砕いた。
ぱしゃん、と勢いよく水が弾ける。
「リベル」
「なに」
「どこの町で勇者を?」
「あー……」
焜炉の中の不傷石をつついて火を熾すと、薬缶をかけて湯を沸かす。
待つのが億劫だったので、魔法で時間を早回しにしているような具合にする。
途端、ぼこぼこと沸くお湯。
「ダイアニって町」
「ああ、あの大きい……」
呟いたヴィレイアが、「はっ!」と、少々大仰すぎるくらいに息を吸い込んだ。
「もしかして、〈錆びた氷〉――」
「正面切って言わないでくれ、恥ずかしいから」
薬缶に適当な茶葉を放り込み、蒸す過程も全て自分の心袋に放り込む。
「ごめんなさい……」
カップを二つ用意して、そこに茶を注ぐと、リベルは両手にカップを持ってヴィレイアのそばに戻り、右手に持っていたカップを彼女に手渡した。
ヴィレイアは熱さを警戒するような顔でそれを受け取り、ほのかに微笑んで礼を言った。
「わあ、あの〈錆びた氷〉さんに、お茶を淹れてもらっちゃいました」
「だから、呼ぶなって……」
「ごめんなさい」
ふうふう、とお茶を吹いて冷ましてから一口啜り、ヴィレイアが「美味しいです」と呟いたが、これは恐らく礼儀だろう。
リベルは寝台に座り直し、左手のカップからお茶を啜る。
「こっちの素性は話したよ。きみのは?」
途端、分かりやすいほどに怯むヴィレイア。
リベルは小さく息を吐いて、言った。
「儀式を省略して契約するなんて、聞いたこともないんだけど」
「あれは……」
ヴィレイアが呟き、右手をひらひらさせる。
「私、契約している精霊は一体だけって言ったでしょう? その精霊が、割と法気を喰うんです。だから、日頃から他の精霊に法気を食べさせる余裕はなくて――」
お茶を一口。
「――だからああやって、都度契約することにしているんです。
儀式を省略できるのは……」
ヴィレイアが肩を竦める。
「私の法気は極上等です。滅多にいません。法気の呈示の手順を省略しても、精霊の側で私の法気を察してくれる程度には。だからです」
「――――」
リベルは無言で、ぱちぱちと瞬きする。
――珍しいなどというものではない、前代未聞に近いはずだ。
「――そんな……そんなことあるの?」
「実際にあるので、信じてもらうしか」
神妙にヴィレイアが言って、確かに今のヴィレイアの言葉を嘘だろうと責め立てたところで何も益はない。
「……すげぇな……」
驚きをなんとか呑み込んで、彼は続いて、ヴィレイアの得物に目を向けた。
「それは?」
ヴィレイアは右手で両手剣を押さえた。
「銘は〈焔王牙〉です」
儀礼的というよりも反射的に、リベルは己の得物も紹介した。
「俺のは〈氷王牢〉」
「かっこいいですね。
――鉱路で、すごく大きな火を吐く獅子を仕留めたときに、その牙から打ち出してもらいました。頑丈ですし、振り回すだけでいいですし、周りが明るくなりますし、気に入ってます」
「いや、剣術は勉強した方がいいと思う――」
そう言いつつも、リベルもお茶を一口。
そして咳払いして、言った。
「――それだけの才能と武器なら、四等勇者っていうのはおかしい話だよな。
俺と同じで、他所で勇者をやってた?」
ヴィレイアがしゅんと項垂れる。
しおしおと肩を落とす様は、萎れる花を思わせる。
「はい……」
「階級は?」
ヴィレイアが大きな溜息を吐く。
「特等……でした……」
リベルは朱色の目を瞠った。
「――まじ?」
元特等勇者二人が、生活感のない集合住宅の一室で顔を見合わせている。
なんとも奇特な光景だったが、リベルはそこに拘泥してはいられなかった。
「特等勇者なのに、きみ、ケルンの作り方も知らなかったの?」
「仲間がやってくれてましたもん……」
「採掘道具もなし?」
「仲間がやってくれてましたもん……」
「マジかよ」
大きく息を吐き、リベルは空いている手でがしがしと赤錆色の髪を掻き回す。
探索直後で埃臭く、汗臭い。
「なんて懐の広い勇者隊だったんだ」
「私はとにかく防衛線を張る係で……それだけやっていればいいと……拾ってもらったときからそういう取り決めで」
「…………」
懐が広いというより、これはヴィレイアが体よく使われていた可能性もある――とは思ったものの、リベルはそれを口には出さなかった。
「で、その懐の広い勇者隊は、今どこに?」
「…………」
黙り込み、項垂れるヴィレイア。
表情が哀切と苦悶の間で行ったり来たりしており、リベルは驚いた。
これは相当なわけありだ。
「きみ、何やって特等勇者から降ろされたんだ?」
「――――」
ヴィレイアはしばらく黙っていたが、やがてことりとカップを床に置くと、膝にきちんと揃えた手を置いた。
――その指先が僅かに震えており、思わずリベルもカップを寝台の枕許に置く。
「――何があった?」
尋ねたリベルに、ヴィレイアはひたと濃緑の瞳を向ける。
そして、慎重に言った。
「〈鉱路洪水〉です」
リベルはかくんと顎を落とした。
思わず、咄嗟に立ち上がってヴィレイアから距離を置いてしまう。
ヴィレイアは慙愧に耐えないという顔でそれを見ており、ややあって、リベルははっとして閃いた。
――ダイアニの勇者として、最後にこなした鉱路探索。
あのとき、往路の陸艇の〈フィード〉で展開されていた情報。
ダイアニより北方に位置する勇者組合の拠点の一つ、フロレアにおいて、〈鉱路洪水〉を発生させた勇者隊があると――
もしや――
「きみ、もしかして……」
顔が強張るのを堪えられない。
「――フロレアで〈鉱路洪水〉を発生させたの、きみの隊だったの?」
ヴィレイアは項垂れて、頷いた。




