04 隔絶
「普段はもうちょっと綺麗に片づくんだよ。ごめん。いつも使ってる武器なら、こんなの本当、何秒も掛からなかったんだけど」
四人の、棒を呑んだような表情の所以をその場の惨状に見つけて、リベルは言い訳の口調でそう言った。
事実、〈氷王牢〉があれば、即座にこの群れを凍結させていたことに疑いはない。
「ごめん、えーっと、ここは越えていかなきゃいけないんだけど――いいかな?」
気まずい思いでそう呟き、リベルは勇気を出してベンノに手を差し伸べた。
それは不器用ながらもエルカの真似事で、リベルが不安なときにエルカがよく見せる仕草の模倣だ。
が、ベンノは一歩下がった。
四人の中で最も年長のドグが、代わってその手を握ってやる。
人見知りながらも勇気を振り絞った掌を無視されて、リベルはぽかんとしていた。
――その掌は、本人も気づいていないが、返り血で真っ赤に濡れている。
血の臭いの充満する坑道を進み、ようやく水鳥もどきの化け物たちの死骸を乗り越える。
足許は大雨が降った後の地面のよう――だが、水溜まりは毒々しい赤色を呈して、しかも粘つく。
靴裏でびしゃびしゃと跳ねる血の海に、ドグは吐き気を堪えるように片手で鼻と口を覆っている。
ベンノは真っ青だ。
血で滑りやすくなった足許で、セオンとリオが何度か転んだ。
それが痛いやらべっとりと付着した血が怖いやらで、二人は啜り泣き始めたが、リベルが振り返って手を貸してやろうとすると、これは怯えた様子で拒絶した。
リベルはこっそり落ち込んだが、そのうちようやく、自分の姿が返り血に染まっていることを意識した。
(あー、そっか、勇者でも軍人でもなきゃ、そりゃあ怖いか……)
気まずい思いで頭を掻きつつ、そう結論する。
ともあれ、生き残るためには歩いてもらわなければならない。
水鳥もどきの化け物たちの死骸を越えた先、坑道の岩壁の一部が崩れ、その奥に微かに光る金色の岩が垣間見えている。
純度は保証できないが、光晶だ。
採掘具を手に狼狽えるばかりの四人から、リベルは無言で鶴嘴を受け取った。
不傷石を用いた爆破道具があれば話は早かったが、さすがにあの陸艇の連中はそこまで太っ腹ではなかった。
(アーディスなら上手いんだけどな……)
そんなことを思いながら力任せに岩を砕く。
アーディスたちと行動するようになった直後、同じ振る舞いを見せたところ、アーディスにこっぴどく怒られたことがあるのをふと思い出した――「おまえ、そんな真似して、すげぇ価値のある資源に傷がついたらどうすんだよ!」。
アーディスのそばには三年いたが、彼の技術は一切真似ぶことが出来ず、現在に至る。
(まあ、俺なんかまだマシな方だよな……)
そう思って脳裏に描いてしまったのは、やはりヴィレイアの顔だった。
「出来ない」「知らない」「やったことない」「メメットたちがやってくれてたもの」で押し切って、リベルは未だに彼女が採掘具を手に持ったところすら見たことがない。
付き合い始めた頃はその態度に呆れ、呆れを通り越して怒りを覚えたことすらあったが、今のリベルは、ヴィレイアが鶴嘴などを手に取ったが最後、彼女が怪我をしないか、採掘具を取り落としはしないかと、瞬きの余裕もなく彼女を見守ることになりそうだった。
力任せに鶴嘴で砕いた岩の欠片が飛び散り、それで頬が切れた。
リベルは気にせず、岩壁の奥に見えていた光晶を削り出し、その表面に亀裂やら罅やらが走っているのは見なかったことにして、連れの四人が抱える麻袋に均等に光晶の欠片を放り込んでいく。
さすがにこれだけでは戦果としては不十分だが、嗚咽を漏らすセオンとリオを見て、特に幼いこの二人は、もう来た道を戻らせた方がいいのではないかと一考する。
これは憐れを催したわけではなく、単純にこの二人の泣き声で鉱路生物が寄って来ると困るなと、そう考えただけだった。
だが、その考えを口に出すよりも早く、リベルが駆逐した水鳥もどきの化け物たちの死骸が動いた。
これにはセオンとリオのみならず、ベンノとドグも驚愕と恐怖に跳び上がる。
ひゅっと息を呑む音がして、ベンノの喉に絡んだ声。
「い――生きてる!?」
が、リベルは苛立たしげに息を吐いただけだった。
「岩魚だ」
滅多に他の生き物の前に姿を現さない、臆病な小型の鉱路生物――大型の鉱路生物の、文字通りおこぼれに与って生きている種だ。
岩の中を泳ぎ、他の生物の死骸を岩の中に持ち帰る。
その岩魚が湧いてきて、散らばった水鳥もどきの化け物たちの死骸を砕いて持ち去ろうとしているだけのこと。
「生きて動いてる俺たちに害はない。
――行こう、引き返すにせよ、岩魚がこいつらを片付けてからの方がいい」
リベルが促して、怯え切った四人がよろよろと進み始める。
鉱路を行軍するとき、実をいうと全くの無言で足を進めることは、そう多くない。
気心の知れた隊であれば雑談が入るし、そうでなくとも探索後の評価会議を意識して、あれこれと自分の働きを言い立てる会話が繰り広げられるのが通常だ。
リベルも、アーディスやアガサたちと行動を共にしていたときは、評価会議を意識した面々が「俺のお蔭でいい資源が採れたな」だの、「誰のお蔭であの獅鷲を仕留められたと思ってんのよ」だの、好き勝手に話しているのを聞いていることが多かった。
ヴィレイアと組み始めた頃は、当初こそリベルが小言じみて「もうちょっと剣術でも勉強したら」だの「たまにはそっちが採掘しろよ」だのと言い、それに対してヴィレイアが「絶対嫌だ、楽しくないもの」だの「やったことないもん」だのと応じる声がしていたものだ。
エルカが合流してからは、とにかく冗談や笑い声が絶えなかった。
たとえ鉱路生物を呼び寄せてしまっても圧勝できる自信があって、リベルが経験した中では最たる騒がしさで鉱路を邁進したものだ。
――既に懐かしい。
比して、今のこの、欠け人の中で行進しているような陰鬱な沈黙は。
(つ――つらい)
思わず眉間を押さえるリベル。
人見知りな彼のことだから、見ず知らずの他人と楽しく会話など出来ようはずもなく、どちらかといえば沈黙を心地よく感じる部類ではあったが、それでもこの、得体の知れない圧迫感を覚える沈黙はつらい。
単独探索をしていた頃の、気楽な静けさの方がどれだけ良いか。
ケルンを築きながら更に進む。
明りクラゲが少なくなり、視界はいっそう利き難い。
やむなく先程採取した光晶の原石の欠片を掌に載せて、甚だ光量に乏しいながらもランタンの代わりに使う。
だが、これでは蝋燭程度の明かりしか得られない。
(ヴィリーがいたらな……)
惨めな気持ちでリベルは考えた。
ヴィレイアならば、陽精と契約して視界を確保してくれただろう。
足許が湿り始めた。
あちこちで、光晶の明かりを捉えて反射する水滴の煌めきが目につくようになった。
靴底が僅かに滑る。
気温が明らかに低くなっている――行く手から、微かに水音が聞こえる。
地下水の流れが近い。
坑道は枝分かれしながら続いている。
どこからか微風のような空気の流れが吹き込んでいるから、開けた空間へ通じる分岐もあるのかも知れない。
だが今は、最も広い坑道を選んで進んでいく。
視界の端で何かが煌めき、リベルは後続に声を掛けてから足を止める。
光晶を掲げて近付いてみると、運のいいことに不溶石の一部が露出していた。
「――よし」
もはや愛想の欠片もない声で呟いて、リベルは後続から鶴嘴を再度受け取り、力任せに岩を叩く。
坑道に反響する大音響ののち、傷がついたものの無事に刈り取ることが出来た不溶石を、それらが癒着している岩ごと持ち上げて、ドグの麻袋に放り込む。
その重さにドグがよろめき、ついで足を滑らせ掛ける。
リベルが手を伸ばして彼を支えると、ドグはぎょっとした様子でリベルから離れた。
これにはさすがのリベルもかちんときた。
が、すんでのところで彼らへの憐れみが勝ち、ぎゅっと唇を引き結ぶだけで堪える。
(まあ――俺が本当に自由の身だってことも、この人たちには分かんないわけだし、特段俺に感謝する理由もないしな……)
更に言えば、
(俺がエルカに掛けてきた迷惑の方がでかいな……)
出会った当初は十歳にもなっていなかったこともあり、リベルはパニックを起こした挙句に自分を宥めようとしてくれたエルカを殴ってしまったこともある。
そのときのエルカが堪えてくれたのだから、
(俺だってこれくらいは……)
そう思いつつも、我知らず溜息を吐いてしまうリベル。
(――帰りたい……)
*◇*◇*
仲介人と呼ばれることが多いその男は、よく使う名をローリーという。
本名は本人ですら忘れてしまった。
後ろ暗い商売を続けているとこうなるものだ。
ローリーはヘルヴィリーの片隅の酒場の、宿として貸し出されている上階の部屋にいた。
ここの店主とは古馴染みで、ローリーが多少身許の怪しい連中と密会していたとしても見逃してくれる。
勿論、その分の駄賃は掛かるが、衛卒に押し入られることを思えば安いものだ。
ローリーの他には、その場には三人の男がいた。
行儀悪く寝台に足を上げて座っている一人は小柄でずんぐりしており、目付きが悪い。
前後を逆さまにした椅子に跨り、背凭れに肘を載せている一人は反対に長身ですらりとした印象、如何にも好男子といった格好。
もう一人、扉のそばの壁に寄り掛かって立っている男は取り立てて特徴のない、寡黙な職人といった印象。
部屋の床には、それぞれ使い古された様子の装身具や小物、少ないが武器などが無頓着に広げられていた。
ローリーが買い取った人々の、その持ち物である。
雑多ながらくたはヘルヴィリーの闇市に既に売り払ったが、少しばかり価値の高そうなものは手許に残し、こうして馴染みの商人たちに直接売り渡すのがローリーの習慣になっていた。
入札の真似事のようなささやかなやり取りが行われ、大多数の品物が三人の商人たちの手許に渡り、現金がローリーに受け渡されていく。
そして、最後に残ったのは。
「――こりゃあ、業物だぜ」
と、小柄で目付きの悪い男。
皆が呼び習わす名前はジューマ。
彼がパイプに煙草の葉を詰めて火を点け、ゆっくりと煙を吸い込む。
それからそのパイプを口許から離し、唯一残った商品を示す。
――柄頭から切先までが見事に黒い、鞘まで美しい漆黒の、機能美に凛とした佇まいの片手剣。
「上手く売り捌けば五百オレガは下らないだろうね。だけど――」
そう言い差すのはすらりとした長身の好男子。
好んで名乗っている名はティム。
彼は腕を組み、パイプを吸うジューマを煙たがるように見遣る。
余談だが彼はなかなかの読書家で推理小説を好み、小説中の探偵役が、着衣の臭いから犯人と共にいた共犯者を暴くという筋書きを読んでいたく感心したことがあり、それからというもの、こういった場での喫煙や匂いのきつい料理などを毛嫌いするようになったのだ。
「――上手く売るのが難しいね」
「だな」
と、短く同意するのは職人といった風情の男。
ザリと呼ばれることが多い。
「まず間違いなく、こいつぁ勇者の持ち物だろ」
ジューマが言って、パイプを吸ってからローリーに目を向けた。
ローリーは悠然と椅子に腰掛けて、手許に集まった金額を集計している。
「あんた、勇者なんぞを捕まえたのか」
ローリーが目を上げ、つまらなさそうに呟く。
「違うね。取引に鉢合わせた若者について、下げ渡してやろうとお得意さまに言っていただいたまでだ」
「ほおん」
そんな声を漏らすジューマを後目に、ティムが考え深げに。
「その若者、まあ勇者だと思うけど、どんな背格好だった?」
ローリーは肩を竦める。
「よく覚えちゃいないが、赤毛だったな」
「一人だった?」
「そりゃあな」
ティムは顎を撫でる。
そして、独り言めいて呟いた。
「勇者については詳しくないけど、鉱路に潜るような蛮人とはいえ、一人で常に行動するなんて変人は多くないはずだ。今頃、そいつの仲間が血眼になって捜しているかも知れないな」
「――仲間の得物が売られているのを見たら、そいつら、黙ってないんじゃないか」
扉のそばからザリが言う。
ジューマは物欲しげな目を黒い剣に向けつつ、喉の奥で唸った。
「確かにな……。上手く売れば儲けはでかいが、リスクもでかいな」
ザリが頷く。
それを見て、ティムが立ち上がった。
「じゃあこれ、僕が貰っていいかな」
ジューマがティムを見上げて、皮肉っぽく唇を曲げた。
「おまえが自信家なのはいつものことだが、足がつかないように売り捌く自信もあんのか?」
「ふふん。僕はきみたちと違って頭を使うことを知ってるからね」
ティムがわざとらしく気取って鼻を鳴らし、しかしすぐに肩を竦め、普段の無造作な口調に戻った。
「言っても勇者だろ。仲間のために血眼になるとは言っても、本拠地以外には行けないだろうし、そのうち仲間のために血道を挙げることにも飽きるさ。こいつの――」
そう言いながら、ティムは黒い片手剣に歩み寄り、それを持ち上げた。
柄ではなく鞘に収まったそれの中央を掴んで持ち上げようとし、少しばかり眉を寄せて、両手で持ち上げ直す。
「こいつの持ち主がヘルヴィリーにいたってことは、持ち主はまず間違いなくヘルヴィリーの組合所属の勇者でしょ。万が一を考えたとしてもアインヴェルだ。じゃあそこを避けて――」
持ち上げた片手剣が予想よりも重かったのか、ティムは座っていた椅子まで戻り、その座面に片手剣を立て掛けるようにする。
「かつ、ヘルヴィリーやらアインヴェルやらの組合の勇者と、近所の鉱路でかち合うこともあるかも知れないダイアニくらいも避けて、まあ念のため勇者組合の力が強い都市も避けて売りに出せば、大丈夫だろ」
ティムが鞄から札束を取り出し、慣れた仕草で弾いて数え始める。
小切手を使おうものなら銀行経由で足がつく、こういった取引では現金が便利だ。
そして掘り出し物を期待して、彼らは多めに現金を持参している。
「ローリー、取り敢えず三百オレガで買い取るよ」
ローリーが顔を顰める。
「買い叩かれたものだな」
「とはいっても、そっちもこれは持て余すでしょ? 今のうちに僕に売っておかないと、誰も買い取らないよ?」
ローリーがちらりとジューマとザリを見遣る。
二人が揃って両手を挙げて、買い取る気がないことを示した。
ローリーは溜息を吐く。
「……仕方がないな。
――ティム、扱いが難しいようだが、その剣、万が一足がついても、いいか――おまえは誰からそれを買ったか、綺麗さっぱり忘れるということでいいんだな?」
ティムはにこりと笑う。
「足なんてつかないさ。北の方に懇意にしている売人がいるからね、そいつを使う。
コリルトかハイリででも売り捌いてもらうよ」
北、と聞いて、ローリーは僅かに表情を緩める。
共和国には、明確に線を引けるものではないものの、南北で断絶がある。
――具体的には、北方の各都市は閉鎖的な風習を持つ。
これは二百年前、共和国建国の際に、いち早く革命に参加し革命軍に門戸を開いた南部の都市に比べ、最後まで旧王朝側として抵抗した都市が北部に多かったという歴史に根差すものだ。
つまるところ、北部で売り捌かれたものの情報が、ヘルヴィリーにまで伝わるとは考え難いのだ。
「――なら良い」
そう言って、ローリーは皺くちゃになっている札が重なった、分厚い札束を受け取った。




