04 今度の御用は
リベルたちがヘルヴィリーに到着したのは、翌日、とっぷりと日が暮れた時間だった。
その日の昼には、ダイアニのリガーからヴィレイアに宛てて、透過視精を通じた伝言が飛んできていた。
曰く、「軍人と何かあったのか、大丈夫か」。
彼らからすれば、唐突に軍人に連行されたように見えたリベルたちを案じてくれたのだろう。
ヴィレイアが「なんて答える?」と首を傾げ、リベルが、「適当に、大丈夫だって言っておいて」とだけ応じると、「もうちょっと愛想よくした方がいいと思うなぁ」と呟いてから、ヴィレイアが適度に愛想を加えた返答を生み出して、透過視精の影にそれを伝えていた。
ヘルヴィリー到着前に、陸艇の中から、ヴィレイアがバンクレットの近くにいる法術師に向かって、透過視精で「そろそろ着きますよ」と予告していたためだろう、駅ではいつものように黒塗りの馬車が一同を待っていた。
軍人は、儀式もなしに透過視精と契約してのけたヴィレイアに、詐欺を疑うような胡乱な目を向けていたが、それを口に出すことはなかった。
雨は上がっていたが、ヘルヴィリーの広い主要道の、滑らかな敷石には雨の名残があり、等間隔に並ぶ明るい街灯を、濡れた路面が鏡のように反射している。
暗くなった時間であっても人通りは絶えておらず、瀟洒な町並みを着飾った人々が出歩き、馬車も多く行き交っている。
どこかに〈言聞き〉がいるのだろう、夜空に煌めく大きな彗星のように、黄金竜が遥かな高処を飛翔しているのが見える。
一方の議事堂周辺には馬車も少なく、衛卒を除いては人影も見られず、共和国の心臓部は静まり返っていた。
ヴァフェルムの邸宅の車寄せで馬車の扉が開かれ、まずは軍人が、それに続いてリベル、それからヴィレイア、最後にエルカが馬車の外に足を下ろす。
邸宅の中には煌々と灯が入れられていることが分かる――夥しい数の窓の帳の僅かな隙間からも、きらきらと光が零れ落ちていた。
柱廊玄関にも光晶のランタンが幾つも吊り下げられて、夜陰に慣れた目を突き刺していた。
柱廊玄関を厳めしく守る軍人――これは衛卒ではなかった――に、リベルたちをここまで連れてきた軍人が何かを囁きかけると、扉を守っていた軍人が顎を引くようにして頷いて、大き過ぎるように見える玄関扉の隅の小窓を開けて中の者と遣り取りし、間もなくして扉が内側から開かれた。
邸宅の玄関ホールは眩いばかりに照らされているが、人気はない。
軍人が先に立ってリベルたちを奥へ通していくと、あちらこちらに質素な軍服を着た見張り番が立っているのが見えた。
ある角を曲がった途端、エルカが目を見開いて足を止め、口を開けて何かを言おうとしたあと、はっとしたようにその口を噤み、素早く数歩を戻って、たった今出たばかりの廊下から隠れた。
リベルが驚いて振り返って呼びかけようとすると、慌てた手振りでそれを制する。
ヴィレイアと軍人が、エルカが足を止めたことに気づかず数歩進んで、それから振り返った。
軍人が眉を寄せ、息を吸い込んで口を開いた。
リベルはもはや本能の域で、彼が怒鳴ろうとしていることを察知したが、実際に彼が怒声を上げることはなかった。
唐突にはっと息を呑み、言葉を呑み込んだのだ。
軍人の視線を追って、リベルは振り返った。
そして、軍帽を脱いで刈り上げた金髪を露わにした、目許に傷痕のある鷹に似た風貌の軍人、ジョーゼル・バンクレットが、足早に廊下を進んで来るのを認めた。
彼の厳しい顔貌が、しかし今は歓迎に緩んでいる。
光晶の灯器が点々と明かりを落とす廊下を大股に歩いてリベルたちのそばまで進み、バンクレットはまず、親しげにヴィレイアを抱擁した。
ぽんぽん、と彼女の頭を撫でてから、バンクレットはリベルとエルカに笑顔を向ける。
「やあ、着いたんだね。玄関ホールで待っていようと思ったのだが、少し遅かったようだ」
彼がちらりと、ここまでリベルたちを連れて来た軍人に目を遣る。
軍人は踵を揃えて直立不動の姿勢を取っていた。
バンクレットがぞんざいに告げる。
「ご苦労。もうよい」
「はっ」
折り目正しく答えて、軍人が敬礼し、素早く踵を返す。
バンクレットは困惑した様子のエルカに目を向け、軽く眉を寄せた。
「どうした?」
エルカは更に一歩下がって、先程覗いた廊下に指を向け、小声で。
「――なんであいつがここにいるんですか?」
バンクレットが当惑した様子で振り返ってから、息を吸い込んだ。
「ああ――」
リベルとヴィレイアは顔を見合わせた。
それからエルカを見た。
エルカは困惑と、それ以上に思わぬ幸運に出会ったような喜びが覗く表情。
彼は遠慮するようにリベルを見てから、押し殺した声で言った。
「――あっちの廊下。
見張りに、トート――俺の仲間が立ってる」
「仲間?」
ヴィレイアが驚いた様子で復唱し、ちょこちょこと歩いてそちらの廊下を覗き込んだ。
目を見開いてエルカを振り返り、ヴィレイアは瞬きする。
「仲間って……えーっと……」
「ラディスの」
エルカが静かに言って、「生きてたんだ」と呟いた。
独り言だったが嬉しそうだった。
リベルは息を吸い込む。
エルカが仲間と呼んだということは、五年前まではリベルも同じ場所にいたはずだ。
だが恐ろしいことに、トートという名前に覚えはなかった。
――傭兵団では毎日を必死になって生きていた。
思えば覚えている名前も顔も、然程はない。
記憶にあるのは、どうか禁則に負けて仲間を手に掛けるようなことになりませんよう、と祈りながらいつも目覚めていたことと、全ての仕事で感じていた苦痛ばかりだ。
「――俺、分からなかった」
押し出すように呟くと、エルカは苦笑した。
「五年も経ってりゃ分かんないよ。暗いし」
エルカは宥めるようにそう言って、バンクレットに視線を戻す。
バンクレットは気まずそうだった。
「リエラの件があって――ヴィレイアが、捕えられた傭兵団の者のために報酬を使うよう言っただろう――そのために保釈された者の多くが、ここで衛兵として働いていて」
エルカが思わずといったようにヴィレイアに手を伸ばして、彼女を抱き締めた。
「ヴィリー、ありがとう」
「エルカ、せっかくだから会って来れば?」
ヴィレイアが微笑んでそう言ったが、すぐにさっとその顔が曇った。
「あ――そっか」
「そう」
エルカも眦を下げて肩を竦める。
「俺が小隊長だったことを、あいつも知ってるからな。俺が禁則怖さに小銃ぶん回して追い立ててた張本人の一人だし。
――顔を見られたら、俺は〈言聞き〉に誓約を立ててるはずなのに、なんでぴんぴんしてここにいるんだって話になっちまう」
「機転に感謝する」
バンクレットが短く言った。
「知られていたら面倒なことになっていた。
――すまないが、別の廊下を使おう」
バンクレットが、角を曲がるのではなく真っ直ぐに進む方向を示す。
エルカはすぐに頷いたが、ヴィレイアがその場で渋った。
「会えないかな。――たとえば、私がショーズ商会の人の振りをしたらどうだろう。そうしたら、エルカは今も誓約に従ってるように見えるわ」
「それはヴィリーがあいつに殴られちゃうから駄目」
エルカがそう言って、ヴィレイアの腕を引きながら、努めて軽い口調で言った。
「いいよいいよ、生きてることが分かっただけで嬉しい」
「ごめん……」
ヴィレイアは本気で悔やむ口調だった。
「頭が回らなかった。あなたが仲間と会えなくなるっていうのは考えてなかった」
「あの場でそこまで考えが回ってたらばけもんだよ」
エルカが言って、リベルにも目を向ける。
「リベル、あいつに気づかなかったのは不義理じゃないよ」
リベルは無理やり微笑んだ。
「寂しくないか」
「おまえがいるから大丈夫」
エルカは冗談めかせて言って、「行こう」と言って歩き出したバンクレットに続きつつ、わざとらしく安堵を滲ませて額を拭った。
「いやあ、咄嗟に頭が回って良かった。『ようトート! 無事だったのか!』とか言って走って行ってたら、今ごろ大騒ぎだったな」
潜めた声でそう言って、エルカはバンクレットをちらりと見上げる。
「あいつ、家族のところに戻れないんすか。あいつは家族に売られたわけじゃないですよ。
他の連中が自分のところの家族を売った振りしてあいつを捕まえて、売り飛ばしただけだ」
「その裁量は私にはないのだ。すまない」
バンクレットが押し殺した声で言って、エルカはぎゅっと眉を寄せたものの、不満を息にして吐き出すに留めた。
そして、ぶっきらぼうに言った。
「こないだこっちに来たときに鉢合わせしなくて、運が良かったですね」
「――まあ……」
バンクレットは言葉を濁した。
「彼らは夜間の、人に見られない場所の警護を任されているから……」
そこまで言ったバンクレットは視線を感じた様子で振り返り、渋面を作った。
「ヴィレイア、頼むよ、そんな目で見ないでくれ」
*◇*◇*
バンクレットが言うには、彼らを呼んだのはもちろんヴァフェルムではあるが、今夜のヴァフェルムは予定があり動けないという。
つまり、
「今夜はもう休んでいいんだよ」
三人にはそれぞれに客間が宛がわれており、この邸宅の規模からすればそれは客間といっても小さな部屋なのだろうが、それでも先日と同様、リベルもエルカも上等の部屋に居心地の悪さすら感じた。
後から女中が夜食を持ってくるから、と告げられるとその居心地の悪さは加速したが、ヴィレイアは素直に喜んでいた。
バンクレットに、「きみの部屋には小さいけれども浴室もあるから、使いなさい」と告げられて、万歳する勢いを見せるヴィレイアに微笑んで、リベルとエルカは早々に休むことにした。
リエラがどこかにいるはずだったが、姿は見えなかった。
広い屋敷であり、都合よくは会えないものである。
翌朝、三人はまとめてヴァフェルムの朝餐に呼ばれた。
リベルにもエルカにも、ヴァフェルムと共に朝食を摂るという認識以外は生じなかったが、ヴィレイアはかなり驚いたようだった。
「本当に朝食に呼ばれてるんですか?」と、何度かバンクレットに尋ねさえしていたので、リベルは怪訝に思った。
「そんなにびっくりすること?」
ヴィレイアはぼんやりした口調で返した。
「身分の高い人の朝ごはんって、特に親しい人しかご一緒いない印象なんだけどな」
リベルは瞬きして、頭ひとつ分低い位置にあるヴィレイアの顔を覗き込んだ。
「おまえ、どこでそういう常識を身に着けたの?」
ヴィレイアははっとした様子で息を吸い込み、「一〇〇一」の数字が浮かぶ青い時精時計を両手で握り締めて、貝のように口を閉ざした。
ヴァフェルムは広々とした居間の一つにいた。
その部屋のマントルピースを背にして既に寛いでおり、彼のそばに膝を突いた壮年の男性から、何かの報告を聞いているところだった。
ドアが押し開けられ、リベルたちが居間に足を踏み入れると、壮年の男性はぴたりと口を閉じ、ヴァフェルムの指先の合図に従って、リベルたちと擦れ違う形で居間を退出した。
ヴァフェルムは笑顔で、リベルと、ヴィレイアと、エルカを見渡した。
バンクレットが素早く部屋を回り込んで、ヴァフェルムの背後を守るように立つ。
ヴァフェルムは大きなテーブルに着いている。
そのテーブルには四人分の朝食が整えられており、それぞれに銀の覆いを被せられていたが、勿論のことリベルもエルカも、食事に銀の覆いを被せるような文化にはお目に掛かったことがなく、これは一体なんだろう、という目で銀の覆いを見てしまった。
「掛けなさい」
促されて、テーブルの各辺に一つずつ用意されている席に全員が座る。
ヴァフェルムから見て右側にリベル、正面にヴィレイア、左側にエルカ。
途端、それを見ていたかのように居間の奥にある小さな扉から給仕が登場し、ぎょっとするリベルとエルカには一瞥もくれず、淡々とした動きで銀の覆いを手際よく回収し、また小さな扉から出て行った。
扉が閉まるかちゃりという音を聞いてから、ヴァフェルムは口を開いた。
「まずは食べて」
銀の覆いに隠されていたのは、黄金色のバターが溶けたクランペットと、湯気を立てるカボチャのスープ、そして皮が剥かれて煌めく果肉を見せる甘橙だった。
ナイフとフォークが控えているが、リベルからすれば突き刺して食べる以外に選択肢はない。
ヴァフェルムが少し笑った。
「好きに食べて構わない」
あ、どうも、と、左側に置いてあったフォークを右手で取り上げて、容赦なくクランペットをぐさりと刺すリベルとエルカ。
一方のヴィレイアもカトラリーの左右を入れ替えたが、これは単純に利き手の問題だった。
彼女が問題なくナイフとフォークを使うので、ヴァフェルムは満足したようだった。
しばらく無言で食事をしたあとで、ヴァフェルムはふと身を乗り出して、ヴィレイアを見つめた。
「――さて、ヴィレイア。つい先日のことで、私に腹を立てていると思うのだが」
ヴィレイアが顔を上げて、本気できょとんとした顔をする。
リベルとエルカが、「ほんとにそうだよ」という目でヴァフェルムを睨んでようやく、「ああ!」と声を上げた。
ヴィレイアは朗らかに濃緑の瞳を細め、明るく言った。
「私、終わったことはあんまり気にしないんですよ。
でも、今回またお呼ばれしたということは、別のお話を持ってきてくださったんじゃないんですか?」
ヴィレイアは、礼儀に適った仕草を見せながらも、議員に対しては余りにも砕けたいつもの口調でそう言って、首を傾げた。
そして、横目でちらっとリベルを見て、付け加えた。
「今度は何があっても精霊を盗んだりしませんよ」
「だといいのだが。きみが精霊を盗んでしまうと、リエラであっても取り返せない。複数の人間の法気を一纏めに出来ればいいのだが」
「二人の人間の心臓を一つの身体に纏めるようなものですよ、それは」
「善良な法術師に命を投げ出せとは言えないね、私も」
ヴァフェルムは上品に笑ってそう言って、ナプキンで唇を拭うと、椅子の背凭れに権力者独特の仕草で体重を預けた。
そして、明らかに時刻を気にする目付きでマントルピースを振り返った。
マントルピースの上に、重々しい真鍮の置時計があり、物静かに時を刻んでいるのだった。
ヴァフェルムはヴィレイアに、そしてリベルとエルカにも向き直った。
「――のちほどジョーゼルから詳しく話させるが、今は少し困った問題に行き当たっていてね。とはいえ行き当たることは前々から分かっていた問題だ。
そこで、」
議員はにこりと笑った。
彼は優雅な仕草で三人を示した。
「きみたちにはお行儀よくして、ぜひ私とゲッセンタルクのあいだの橋渡しを願いたいのだ」
三人が三人とも、それぞれに顔を顰めた。
声は完全に重なったが、異口同音とはいかなかった。
「――なんですって?」
「――誰ですって?」
「――どうしろって?」
ヴァフェルムは肩を竦めて、立ち上がった。
「ジョーゼル、説明して差し上げろ」
「仰せのままに」
バンクレットが頭を下げ、ヴァフェルムはそのまま、唖然とするリベルたちを置いて居間から出ていった。
彼が前にしていた皿の上には、まだクランペットが三分の一ほどと、甘橙が寂しげに残っていた。
「つまるところね、」
と、バンクレットが寛いだ声音で言った。
彼はテーブルの、リベルと同じ辺の端の方に、ヴァフェルムがいるときは決してしなかっただろうことに、軽く腰を下ろしている。
「我々の目的は知っての通り――」
「死霊を取り返す……?」
「その通り。以前から協力をありがとう。
そこで、今の我々の障害を考えてほしい」
三人は少し考えた。
「――鉱路を奥まで進まなきゃいけない」
リベルが言った。
「――あの欠け人が腰抜かすほど強い」
エルカが言った。
「アンリは、たぶん王女さまから契約が奪われるのを黙って見ていてはくれなさそう」
ヴィレイアが言った。
リベルはふと興味を惹かれてヴィレイアを見た。
「欠け人が持ってる精霊との契約ってどうなんの?」
ヴィレイアは一瞬、むしろ戸惑ったような顔をした。
法術について尋ねられたときに、法術師が咄嗟に浮かべがちな表情である。
法気が知識を含有するがゆえに、法術師にとって法術に纏わる事柄は常識であり、尋ねられると戸惑ってしまうらしい。
更に言えば法術には、それを体系立てて記した教本や研究書の類も一切ないという。
「――そのままだ。法気は身体にあるものだから」
そう答えたのはエルカだった。
リベルははたと思い出したが、エルカにも法気は備わっている――ただし、法術師として精霊と契約できる規模のものではないが。
法術への知識は含有する法気の量に比例する。
ゆえにエルカも、薄らとではあっても法術の輪郭は知っているのだ。
「そうよ、そのまま」
ヴィレイアが軽やかに言って、得意そうに指を立てた。
「欠け人から契約を奪うには、基本的には諭示行為は要らない」
「諭示行為って――ああ、おまえが怪我したやつね」
「あれは相手が治癒精だったからよ。
――欠け人から契約を奪うには諭示行為じゃなくて、ものすごく面倒なんだけど、欠け人をばらばらにして、その人の翼骨で心臓を突き刺さないといけないのよ」
ヴィレイアはふと考えて、明るい笑顔を見せた。
「私がいて良かったよね。私がいなかったら、リエラがそんな目に遭ってたかも」
バンクレットが目を細めて頷いた。
「……そうだ。きみがいて良かった。きみはリエラにとっても幸運だった」
リベルは眉を寄せる。
「その欠け人に翼骨がなかったら? 二本とも折れたり砕けたりして」
「諦めるしかなくなるよ。確かそれで使えなくなった精霊がいた気がする」
ヴィレイアはあっさりと答えてから、甘橙を上品な仕草で口に入れた。
とはいえ、続ける言葉には上品さとは程遠い嫌悪が滲んでいた。
「まあ、仮に王女さまの翼骨と心臓が無事だったとして、契約を奪うに当たって、王女さまの手足を切って胴体を二つにして、首を落としてその上で、胸を開いて心臓を突き刺さないといけないわけ」
リベルは顎を撫でた。
「あの欠け人が暴れてる横で、それはちょっと無理かもな」
「絶対無理よ」
バンクレットが咳払いして、三人の注目を自分に集めた。
そして、生真面目に指を立てた。
「さて、今、ヴァフェルムさまが――我々が直面している問題は、きみたちが言った通りだ。
《死霊の姫君》から契約を奪おうにも、きみたちが遭遇したという欠け人が障害となる。その欠け人を排除する――人数で掛かれば不可能ではあるまいが、人数で掛かるには問題がある。《死霊の姫君》が鉱路の奥の、どことも知れない深みにいるということだ」
「もう一回あの鉱路に潜るんですか?」
エルカが尋ねたが、気は進まないようだった。
バンクレットはその口調には気づかなかったのか、朴訥に頷く。
「いずれは。出来れば、偵察を重ねたあとに《死霊の姫君》に掛かりたい。偵察の過程で欠け人を排除できていれば言うことはない。
――だが、問題がある」
バンクレットは三人に目配せした。
最もバンクレットに近い位置にいるという義務感で、リベルが口を開いた。
「――場所が鉱路ですからね。軍人では勝手が分からなくて、入って十秒で全滅するでしょうし、第一、鉱路は勇者の領域だ」
全ての勇者は、旅券がなくとも彼らを受け容れ、人間らしい生活を営む手助けをする勇者組合を、文句を言うことはあれ嫌ってはいない。
家のように思っている者が大半だ。
そして同時に、鉱路で鍛え上げられた自分たちの探索の能力に誇りを持っている。
たとえばアーディスであっても、分を知らずに鉱路に踏み込もうとする軍人と他人のケルンを蹴散らす悪徳勇者、どちらの肩を持つかと迫れば、彼は恐らく悪徳勇者の肩を持つだろう。
「その通り」
我が意を得たりとバンクレットが頷き、リベルが内心で意外に思ったことに、行儀悪くもヴァフェルムが残した甘橙を摘まんで口に入れた。
そして、リベルが目を瞠ったことに気づいたのか、それを飲み込んでから、気まずそうに呟いた。
「……朝食がまだだったのだ」
そして咳払いして言葉を続ける。
「そうすると、死霊を取り戻すに当たってヴァフェルムさまに必要となることは、勇者組合の協力を得られる体勢を整えることだ。さすがのきみたちも、三人で全てをこなすことは出来ない」
「あの、もしかして」
ヴィレイアが割って入った。
「ヴァフェルムさん、私たちに、あの方と勇者組合推挙の議員の間を取り持てと言っているんですか?」
リベルとエルカはぽかんとして口を開けた。
バンクレットはにっこり笑った。
「ダイアニもエーデルも、選挙では重要な票を持つ組合だからね。
ゲッセンタルクも、そこの勇者には興味があるだろう」
「票を持っているのは勇者ではなくて、組合首長ですよ」
そうなの? と顔を見合わせるリベルとエルカ。
生憎と彼らは選挙に興味を持てる環境で育っていなかった。
そんな二人に気づいて気の毒そうに顔を顰めつつ、バンクレットは淡々と答える。
「勇者組合の首長は変わり者が多くてね。現場主義というのかなんなのか……。五年前の選挙のときにもゲッセンタルクは苦労していた。ゲッセンタルク本人も変わり者なのだが」
ヴィレイアは呆れた顔を隠さず、両手をテーブルの端に突いて軽く押すようにして、椅子の背凭れに背中の上の部分をつけた。
「さすがに、いいお考えですとは言えませんね」
リベルもエルカも茫然としていたが、ここでやっと言った。
「えっ、他の議員に会うの?」
「無理だって、無理だって、また鉱路探索の方を頼んでくれ」
バンクレットは頓着せず、「まあまあ」と宥めるように掌をひらひらと動かす。
そして、なんでもないことのように言った。
「過大な期待はしていない。きみたちが、勇者組合の首長の何人かにでも顔を覚えられて、ヴァフェルムさまが多少でもゲッセンタルクと話がしやすくなれば、それで十分なんだ」
バンクレットはヴィレイアの方を見た。
「商人組合の首長連中と話せとは言わないよ」
ヴィレイアは目に見えてほっとした顔をした。
リベルは胸が痛むほどそれを嬉しく思った。
――商人組合といえば、所属している商会の筆頭はショーズ商会だ。
ショーズ商会は、リベルとエルカの元所有者に当たる。
断固として関わり合いになることを避けるべき相手だ。
ヴィレイアは僅かな安堵を頬に昇らせたものの、警戒と困惑の入り混じった表情のままでバンクレットを見つめる。
「私たちを、共和国中の勇者組合を行脚させるおつもりですか? 絶対に嫌ですよ、そんな時間の無駄」
「もちろん、違うよ」
バンクレットは素早く言った。
「再来月になるが――初春の月の十日に、共和国議長の誕生逆日の祝宴がある。
議事堂で、それは盛大に祝われる」
エルカがリベルに向かって、馬鹿にしたように顔を顰めてみせた。
リベルは表情のみで、「下手なことは言うなよ」と合図。
バンクレットは幸いにも、エルカの表情には気づかなかった。彼はヴィレイアの方を見ていた。
「そこに、ゲッセンタルクはもちろん、幾つかの組合の首長も一部は出席する」
ヴィレイアは信じられないという顔をした。
「まさか、そこに出るようにっていうお話ですか? 違いますよね?」
バンクレットは微笑んだ。
「察しが良くて助かるよ、ヴィレイア」
リベルは恐怖に駆られてバンクレットを凝視した。
エルカは冗談だと思ったらしく、「で、この話の本題はなんだろう」という顔で、堂々とテーブルに肘を突いている。
ヴィレイアは息を吸い込んだ。
「無理ですよ。私たち、勇者ですよ。作法も知らない――」
「大丈夫だ。議長の誕生逆日祝いは格式ばった晩餐もあるにはあるが、きみたちにはそれ以外の、無礼講の祝宴に顔を出してほしいだけだから」
「それにしても――」
「これはヴァフェルムさまからのご依頼だよ」
バンクレットが目配せしたので、我に返ったリベルは息を吸い込み、尋ねた。
「ということは、報酬が」
バンクレットは肩を竦めた。
初対面のときよりも遥かに砕けた仕草だった。
「今回は、ない」
一拍置いて、がくっとヴィレイアが肩を落とした。
彼女が探るようにバンクレットを見ている。
「――ジョーゼル小父さま?」
更に一拍を置いて、リベルは抗議の声を上げた。
「ちょっとそれは!」
抗議の声を上げながらも、これはわざとらしく聞こえただろうかと思って、彼はこっそり赤面する。
エルカが静かに笑いながらリベルを見た。
その顔つきを見て、リベルはますます赤くなった。
「――けれども、」
バンクレットは抗議にも挫けず言葉を続けた。
「もちろん祝宴に出る格好はこちらで整えさせてもらう。
ヴィレイア、繻子と綾絹のドレスを仕立てられる準備が整っている。そのドレスと、もちろん宝飾品も贈呈しよう」
「あ、やります」
ヴィレイアが挙手して元気よく宣言し、リベルとエルカは耳を疑って絶句した。




