06 探索方針
「別に難しいことを頼むつもりはなくて、ただ鉱路に潜ってほしいんだよ」
リベルがそう切り出したのは、夕食の席でのことだった。
そのときには、エルカはヴィレイアによる治癒精の恩恵を受けて回復していた。
今はたいへん元気にテーブルの上の料理を片付けることに精を出しており、およそ行儀がいいとは言えない彼に、アガサが椅子ごと後退っているような状態になっているが、それに頓着する様子もない。
処は、ダイアニの大衆食堂の一つ。
テーブルと椅子が犇めく一階、その一階から階段が通じている中二階まで人でいっぱいになっており、騒がしい。
一階と中二階を結ぶ階段にまで酔客が屯している状況で、階段で座り込む酔いどれについては、忙しく立ち働く給仕に蹴り飛ばされる運命を辿っていた。
一方リベルたちは、一階の、深い造りのアルコーヴが個室風の雰囲気を醸し出している席でテーブルを囲んでいる。
入口をくぐるや否や、リベルをリベルと見分けた給仕が案内した席だ。
エルカが面白がって、「え、おまえ重鎮なの? この町の重鎮?」と尋ねてきたので、リベルは恥ずかしさで顔を覆うことになったのだが。
天井からは洒落た細工のカンテラがぶら下がり、そのカンテラの中では光晶が輝いている。
ヴィレイアはその隠れ家めいた雰囲気が気に入ったらしく満足そうで、そのご満悦な微笑みが、顔を覆って悶絶していたリベルを立ち直らせた。
運ばれてきた料理――今はエルカがテーブルの上を総浚いするかの如く腹の中に収めている料理――は豪勢なものだった。
たっぷりとソースの掛かったダミドリの丸焼き、蕃茄で煮込んだ肉団子、炙り焼きにして橄欖油を掛けた白身魚を切れ目いっぱいに詰め込んだバゲット、炒めたじゃがいもとベーコン、リオラ貝のスープ、フルイドリと茸のクリーム煮。
それらを、熱さをものともせずに嬉しそうに口に運ぶエルカに、行儀は良くないとはいえ、リベルは微笑んだ。
つい最近まで、豚の餌と紛うような食事を摂らされていたエルカである。
せめて美味しいものを食べてくれ、と寛大な気持ちのリベルだったが、エルカが給仕を捕まえて酒を頼もうとするのは断固として食い止め、果実水を頼むに留めさせた。
その様子を面妖なものを見る目で眺めつつ、アーディスはクリーム煮をひとくち呑み込んでから、肩を竦める。
「鉱路? なんでまた? 自分たちだけで潜ればいいだろ?」
「それが出来ないんだ。潜りたい鉱路が甲種なんだよ」
なるほど、とアーディスが含み笑って、エルカ、ヴィレイア、リベルの順に指差しながら、「三等、四等、四等」と言う。
リベルは頷いた。
「そういうこと」
「自分たちだけで鉱路に潜ろうとした日には、陸艇から叩き出されるってことか」
「そう。こっそり鉱路に忍び込んで組合に睨まれてもいいことないし」
「で、俺たちに誤魔化してほしいってわけね。――どこの鉱路だ?」
リベルは即答した。
「レキルト地方、ハイリの近く」
「ずいぶん北だな?」
眉を上げるアーディスに、リベルは肩を竦めてみせる。
「まあね。俺、今じゃ北の方のエーデルの勇者なもんで」
「寂しいこと言うねぇ」
そう言いながら、アーディスが他の仲間たちに視線を向ける。
リガーがエルカと競ってダミドリの丸焼きをナイフでこそげ取りながら、「急ぎの探索の予定は今のところないぜ」と、言葉を放り投げるようにして言った。
彼の目の前の大きなジョッキでは、ビールが残り僅かとなりつつある。
更にリガーはアガサに目を向けて、「時期的に大丈夫だろ?」と確認する。
アガサはこくりと頷きつつも、面白くはない様子だった。
彼女はカトラリーで苛立たしげに皿を叩いてから、ぼそりと尋ねる。
「その鉱路、私は知らないんだけど、いつから甲種評価なの?」
「十年くらい前からずーっと。規模は第一類」
リベルがしおらしく答え、アガサはぎゅっと眉を寄せた。
そして、食欲が失せた様子で皿をぐいっと押し遣る。
その皿に押されて、リオラ貝のスープがなみなみと盛られたスープ皿が揺れて、テーブルにスープが零れた。
「十年前から評価が動かず甲種なの? そんな危ない鉱路、私たちだって好き好んでは潜らないわよ」
「そんなことないだろ。潜ってたよな?」
「特等の誰かさんがいましたからね」
腕を組んで眉間に皺を寄せるアガサ。
リベルは喉の奥で微妙な声を出し、ちらっとアーディスを窺った。
アーディスが苦笑する。
「まあ、そうだな。おまえが抜けてからは、俺たちも用心するようになってな」
「じゃあ、問題ないんじゃないですか?」
ヴィレイアがのんびりと口を挟んだ。
彼女もまだまだ食べてはいたが、如何せん他と比べてゆっくりした調子だ。
先ほど、見かねてリベルがダミドリの丸焼きを切り分けて彼女の皿に取ってやったのだが(そうしなければ他の連中が食べ尽くす勢いだった)、ヴィレイアはそれをダイアニ特有の礼儀作法とでも勘違いしたのか、お返しのように肉団子を幾つかリベルのためによそっていた。
ヴィレイアが首を傾げ、その鳩尾で「一〇三五」の数字が浮かぶ青い時精時計が揺れる。
頭上のカンテラの明かりで、白百合の色合いの髪が小さな光輪を作っている。
「今回もリベルはいるわけですよね? じゃあ大丈夫なんじゃないですか?」
アーディスがぱちぱちと瞬きし、食卓の争奪戦にまるで加われていないラティと、ビールのおかわりを要求しようとしているリガーと、顰め面のアガサを一巡するように眺めてから、リベルに視線を戻した。
「えっ、おまえ、鉱路の中でも俺たちと一緒にいんの? 他にやりたいことがあるから、鉱路に入るときだけの連れを捜してたんじゃねえの?」
リベルは顔を顰めた。
とはいえ機嫌が悪いわけではなく、不器用な彼の顔面が、複雑な感情を表現し切れなかっただけである。
「――いや、まあ……鉱路の奥の方まで行ければ、それでいいんだ。一緒に行っていいなら、行く」
アーディスの視線が、今度はヴィレイアに移った。
「あんた――法術師だっけ?」
「はい」
「治癒精との契約は結んでる――ってことでいいんだよな? あと、透過視精と」
「あー――」
馬鹿正直に話そうとしたヴィレイアを遮って、リベルが言い切った。
「もちろん。治癒精も透過視精も使えるよな、な? ヴィリー」
その口調に只ならぬものを感じたのか、ぱちくりと大きな濃緑の瞳を瞬かせてから、こくりと頷くヴィレイア。
「……もちろんですよ」
「ちょっとなんか怪しいところはあるけど、良しとしよう。大抵のことはこっちで引き受けられるし」
アーディスが言って、リガーが訝しそうにする。
彼がヴィレイアに向かって何か言おうとしたのを察して、リベルはそれを叩き折るように。
「ありがとう、アーディス」
思えば、リエラは一目でヴィレイアの法術師としての格を察していた。
腕利きの法術師どうしには、何か通じ合うところがあるのかも知れない。
リガーがヴィレイアの実力を察していたとすると、彼に素直に喋らせれば、引き抜きの話が出かねない。
(駄目だ、それは駄目だ……)
もはや返礼の気持ちというより利己心十割のような気がしてきたが、リベルはそんな己の良識の声に蓋をする。
続いて、アーディスは如何にも嫌そうにエルカに目を向けた。
エルカの方は、塵を見るような眼差しに長年耐えてきた男である、汚れた口許を手の甲で拭いながら、しれっとしてその目を見返している。
リベルとしては、「おまえが初対面の連中がいる前で、俺に呑み代をつけたとか言うからだぞ……」という気持ちを籠めて兄貴分を眺めるより他なかった。
「確認なんだけど、」
と、アーディス。
タコの出来た指がエルカを示す。
彼も熟練の勇者である、エルカの手指のタコや身ごなしから、エルカがいわゆる素人ではないことは十分に察しているだろうが――
「そいつ、酒は飲んでこないってことでいいな?」
「――――」
リベルは思わずテーブルに額を打ちつけそうになった。
エルカは肩を竦め、「悪いな、なんか俺の印象が最悪になってるみたいで」と。
「まったくだよ」
呻くようにそう応じてから、リベルはアーディスの目を見た。
「――そりゃもちろん、素面で連れて行く」
「じゃあ」
アーディスは仲間たちを見渡して、アガサの仏頂面に苦笑してから、リベルを見ておおらかに微笑んだ。
「一緒に行こうか、リベル」
*◇*◇*
「あんたのことを心配してるって思われるのは、ほんっとうに心外なんだけど」
と、アガサが言った。
顔合わせの夕食から一夜明けた昼前である。
探索に行くとなれば当然ながら準備が必要で、その準備の買い出しために駆り出されているのがリベルとアガサ、としてリガーだった。
アーディスとラティは別の用事に動いているはずで、「おまえらはふらふらしてていいよ」と言われたヴィレイアとエルカは、共に万歳していた。
そのため、リベルは二人を横に引っ張っていって、「違うって、遊んでろってことじゃなくて、バンクレットさんに首尾を報告しろってことだって」と言い聞かせることとなった。
リベルにとっては慣れたダイアニの町並み、勇者御用達の店が軒を連ねる一画。
雑踏の中に、他から頭ひとつ抜きん出た身の丈の〈言聞き〉がいるのも見えた――誰かに誓約のために呼ばれているのか、あるいはただ逍遥しているだけなのか。
目を上げれば、その巨躯が豆粒ほどに見えるほどの高度を、〈言聞き〉の黄金竜が飛翔しているのも目に入る。
「あんなのと一緒にいて大丈夫?」
本気で心配そうにアガサから尋ねられ、リベルは苦笑。
「大丈夫だよ」
「女の子の方――」
「ヴィレイア」
「そう、ヴィレイアはまだいいとして、男の人――」
「エルカ」
「そう、そのエルカっていう人、明らかに酒癖も悪そうだったし、自分が飲んだ分のお金を他人につけるなんて」
「まあ、ちょっとはしゃぎ過ぎてはいるけど」
「――ほんとに仲間?」
目を細めて尋ねられ、リベルはリガーを振り返って、「リガーさん、これはどういう意図の尋問でしょうか」と、棒読みで尋ねる。
リガーは笑い出した。
「答えてやれよ、アガサも心配してるんだ」
リベルは溜息を吐いて、右側を歩くアガサに目を戻した。
「仲間だよ。なんで?」
「指輪。一人だけしてなかったから」
アガサが、彼女自身の左手の親指を示しながら言う。
アガサの指には、当然だがリガーたちと揃いの青い指輪が嵌められている。
リベルは自分の指に視線を落とした。
「そういうことか。――これ、俺が斃した亜竜の鱗で作ってもらった指輪なんだよ。
で、そのときはまだエルカは……」
リベルは言葉に詰まった。
――あのとき、エルカはどうしていただろう。
〈言聞き〉の誓約に縛られて、どうか仲間を手に掛けることになりませんよう、と祈りながら毎日目を覚ましていたことを、リベルはまだ覚えている。
エルカもそうだったはずだ。
不意に、以前にエルカに言われたことを思い出した。
――リベルが小隊長として〈言聞き〉への誓約をさせられた後のことだ。
――『なんであいつら、天命契約じゃなくて禁則契約を結ばせるか、分かる?』
分かんない、と答えたリベルに、エルカは心底くだらなさそうに。
――『天命契約って、契約通りに自然となっていくものじゃん。それだったら面白くないんだって。禁則が発動した連中には見世物としての価値がある、って、そういうことらしいよ。だから、』
エルカの掌が頭に置かれた感触は覚えている。
――『だからおまえ、禁則に違反するくらいだったら、ちゃんと躊躇わずに俺のことだって撃つんだぞ。のたうち回るところを見物されたくはねぇだろ』
「――――」
リベルは軽く息を吸い込んだ。
彼が言葉を失ったのはほんの一瞬だったが、アガサは怪訝そうにしている。
リベルは苦労して微笑んだ。
「――あいつは、そのときはまだ俺とは一緒にいなかったから」
アガサの猫目が瞬いた。
「……そうなんだ」
じゃあ、女の子との方が長いんだ――と呟いて、アガサが首を傾げる。
「ヴィレイア――だっけ、女の子の方とはもうどのくらいになるの?」
「半年くらい。おまえらと離れてすぐ組み始めたから」
「仲間が女の子だけだと大変でしょ。鉱路に行けない時期もあるし」
リベルは本気で困惑して瞬きした。
「――なんで?」
背後でリガーが爆笑する。
「マジか、おまえ、曲がりなりにも三年はアガサと一緒にいたのに」
「は?」
当惑し続けるリベルに、アガサは驚いたらしい。紫色の目を瞠る。
「えっ、じゃあヴィレイアって、『鉱路に行こうぜ』って誘ったらいつでも来てくれるわけ?」
リベルは、アガサが何に驚いているのか分からず、戸惑いながら応じた。
「まあ、そうだな。組み始めてしばらくは、あいつに貯金作らせようとして結構なペースで探索にも行ってたけど」
「……そうなんだ」
アガサは首を捻り、「我慢強いのか、軽いのか」と、リベルには一向に意味の分からないことを呟くと、それきり黙り込んだ。
買い出しを終えて勇者組合に戻る頃には、既に夕方近くになっていた。
リベルが最も苦労したのは費用負担の割合を決めることで、「それぞれの隊で人数が違うんだから、頭数で割った分を負担すべきだろ」と言うリベルと、「そっちが頼んできたことだろうが、折半だ折半」と言って譲らないリガーの間で、アガサはうんざりした顔をしていた。
最後にはリガーが押し切ったが、渋い顔をするリベルに、アガサは心底からの口調で、「あんた、相変わらずすっごくけちね……」と。
勇者組合に入るときには、またもリベルはじろじろと見られることになり、それを躱すためにリガーのそばに張りついたが、リベルが有名であるのと同様、リガーも顔は知られている。
結局集まる視線の量は変わらず、リベルは赤くなりながらも耐えた。
組合に戻ってみれば、ホールでエルカが手持ち無沙汰そうに待っていた。
リベルに気づくと片手を挙げて立ち上がる。
そして、ポケットに両手を突っ込んだ姿勢でリベルたちの接近を待って、言った。
「おかえり」
「ヴィリーは?」
「他の人たちと一緒に、上にいる。俺はそのことを伝えるために志願して、ここにいた。暇だったぜ、偉いだろ」
上、と言ったとき、エルカは右手をポケットから出して階上を指差した。
「陸舟の手続き、まだ終わらないのか」
リベルも少々驚いた。
――今回、リベルたちが潜る鉱路はダイアニからは離れ過ぎている。
そのため、ダイアニの勇者組合はその鉱路へ飛ぶ陸艇を持たない。
その場合、勇者たちは次のいずれかの手段を採る。
一つに、その鉱路の近くまで自力で移動し、その町の勇者組合の陸艇を使う。
他方に、己が所属する勇者組合に掛け合って、陸舟を借りる。
それぞれに利点と欠点があり、まず、自力で移動する方法の利点――手続きに時間が掛からないこと、陸舟の貸し出し代を資源換金の際に差し引かれないこと。
欠点――見ず知らずの勇者組合で探索から換金までをこなすのは、なかなか骨が折れること。
他方、己が所属する勇者組合の陸舟を借りる方法の利点――慣れ親しんだ勇者組合で換金が出来ること、何より移動が楽であること。いちいち、陸艇の待合で苛立つ必要はないのだ。
欠点――勇者組合に、陸舟の貸し出し代を資源換金の際に差し引かれること、手続きに時間が掛かること、勇者組合から陸舟の貸し出しを断られる可能性があること。
勇者組合側からすれば、どこの馬の骨とも分からぬ連中に、決して安価ではない陸舟を貸し出した結果、その陸舟を失うことになっては目も当てられない。
ゆえに、陸舟を貸し出す勇者隊には一定の実績が求められる。
またこれは、勇者組合側から見たときの、勇者隊が他の勇者組合で資源を換金してしまうときの欠点にも繋がる――つまるところが勇者組合は、勇者が採掘してきた資源を買い取り、その資源を商人組合に属する商会に商うことによって利益を得ているのだ。
腕利きの勇者が探索するならば、その探索の成果を他の勇者組合にくれてやるには惜しいという心理も働く。
さて、今回の探索について、アーディスは可能な限りダイアニの勇者組合から陸舟を借りたいという方針だった。
その手続きに今日は当たっていたはずだが――
「結構時間かかるんだな」
意外な気持ちでリベルは呟き、エルカを伴い、アガサとリガーと共に、組合の上階へ続く階段へ足を向けた。
ホールの奥にあるその階段は、灰色の石造りで、踊り場で折れて上に続き、踊り場に開いた窓から明かりが差し込む設計になってはいたが、今の時間は陽射しも差し込まず、光晶の灯器が点されている。
階段には、組合の職員の他にも、資源の換金のために階段を昇る勇者たちと、換金を終えて足取りも軽く段を降りてくる勇者たちの姿もある。
そのほぼ全員に振り返ってまじまじと顔を見られ、リベルはエルカの陰で小さくなることを選んだ。
エルカが、ヴィレイアがいるのは三階だという。
三階まで階段を昇り、左右を見渡す。
夥しい数の扉が並び、開いた扉から落ちる明かりが廊下に点々と模様を描いて奥まで続いているのを見て取って、リガーが「めんどくせぇ」と呟いた。
彼がさっと手を振る――その指先で空気がさざめき、銀色の小さなウサギが、さっと空中を走った。
ややあってそのウサギが戻ってきて、リガーの肩の上に乗って何かを囁く。
リガーが頷き、ウサギの姿が薄れて消えると同時に言った。
「こっちだ」
リガーは階段から左側に進み、資源の換金――資源にどれだけの値がつくかで盛り上がりを見せる部屋を幾つか通り過ぎた。
勇者たちの野太い、「ぼったくりだろそれは!!」という魂の籠もった絶叫が聞こえてきたとき、リガーがとある部屋の両開きの扉の片側を押し開く。
「おらよ、ここだ」
その部屋は広いが殺風景で、テーブル二つが、距離を置いて対面で置かれ、他には椅子が幾つか置かれているだけだった。
扉を押し開け、リガーを先頭にリベルたちがその部屋に入る。
二つのテーブルのうち、奥側のものには組合の職員三名が着いており、如何にもやる気がなさそうに、書類をつついて眺めていた。
対するこちら側のテーブルにはアーディスとラティが着いている。
ラティは筋骨隆々の身体を小さくして居心地悪そうにしているが、アーディスは明らかに苛立っていた。
ヴィレイアは、と見渡したリベルは、扉のすぐそばに置かれた椅子の上で、退屈そうに白百合色の髪を弄んでいる彼女を発見した。
彼女は長い髪を一本の三つ編みにしており、今はその毛先をつついていたようだった。
扉が開いたことに気づき、ヴィレイアがぱっと顔を上げる。
その濃緑の大きな双眸がリベルを見てぱっと輝き、表情が綻んだことに、リベルは心底温かい気持ちになった。
よう、と言おうとして口を開く――リベルを待たず、ヴィレイアはぴょんっ、と椅子から立ち上がると、リベルに駆け寄って彼の腕を取った。
そして、まさに鬼の首を獲ったような顔をして、組合職員たちを振り返る。
「――ほらっ、ほら、彼です。これで納得でしょう?」
腕を取られるがままになったリベルは唖然。
「――え? なに? なに?」
組合職員たちが、俄かに慌ただしく書類を整理し始めた。
アーディスが鼻から息を抜き、どっかりと椅子の背凭れに身体を預けながら、「だから最初っからそうだって言ってんだろ」と剣呑に呟く。
リベルは説明を求めてヴィレイアを見つめた。
ヴィレイアは呆れ果てた顔をしていた。
「もう、この組合の人たち、アーディスさんの隊は最近になって特等勇者を失ってるから、その事情が何かあったんじゃないかって勘繰って、なかなか陸舟を貸してくれなかったんだよ。今回はその特等勇者が一緒ですって言ってるのに。
――もう退屈で退屈で、時間の無駄ばっかりで気が狂いそうだったわ。リベル、来てくれてありがとう」
リベルは迷いなくヴィレイアから離れ、アーディスに歩み寄って後ろから彼の肩を叩いた。
振り返ったアーディスに頭を下げる。
「本当にごめん、アーディス」
「マジでなんか奢れよ、おまえ」
そう言いながらアーディスは立ち上がり、組合職員に歩み寄って、最後の調整のために幾つかの質問に答え、また幾つかの要望を出し始めた。
リベルは溜息を吐いてヴィレイアのそばに戻った。
片手で顔を拭って、独り言ちる。
「……最初から俺がこっちに来ておけばよかった」
「まあまあ」
ヴィレイアが、「気が狂いそうだった」と言っていた割には機嫌よくそう言って、慰めるようにリベルの腕を叩く。
――そのとき、ふとリベルは気づいた。
「ヴィリー……?」
呟き、ヴィレイアに顔を近づける。
「わ、なに!?」
ヴィレイアが目を見開き、赤くなって仰け反る一方、確信を持った彼は呆れて息を吸い込んで、言っていた。
「――おまえ、どっかで香水でも買った?」
「…………」
す、と目を逸らすヴィレイア。
エルカが爆笑する。
「おまえ、よく気づくな。俺、目の前でヴィリーが香水買ってんの見てたのに、匂い変わったのに気づかなかったもん」
リベルは盛大に溜息を吐いた。
――ヴィレイアが浪費を続けて貯金を作れずにいれば、彼女はリベルから離れてはいかない。
それは分かっているが、しかしそれでも、リベルは浪費を許容できる性質ではなかった。
(それに、ちゃんと礼がしたいのであって、何が何でも一緒にいたいわけじゃない……)
「目の前で見てたなら止めろよ! こいつの貯金の惨状は知ってんだろ!」
「恥ずかしいから大きな声で言わないでよ!」
「恥ずかしいと思う良識はあったのか……」
「これで最後にする、最後にするから!
でもとってもいい香りで瓶も可愛かったの。見る?」
「……うん、後でな……」
リベルがげっそりと肩を落としたとき、アーディスが一同を振り返った。
「――ようしおまえら、出発は明日の昼だ。
誰とは言わんが、ちゃんと断酒して来てくれよ」




