05 顔合わせ
エルカは夕方になっても真っ青な顔をしていた。
リベルは同情の欠片もなくそれを見ている。
これが純粋な体調不良であれば、リベルはエルカ以上に真っ青になって彼を心配し、彼のために出来ることは何でもしてやっただろう。
だが、これは違う。
「飲み過ぎるからだ、馬鹿」
「いやだっておまえ、綺麗なお姉さんに『飲んでいきなよ』って言われたら飲むだろ……」
呻くようにそう言って、エルカは気持ち悪そうに胸を押さえる。
リベルは眉間を押さえた。
「おまえ、遊びに来たんじゃないっていうのに……」
――エーデルを出発し、ダイアニに到着した翌日である。
ダイアニに到着したのは昨日の深夜に近い時間帯で、ヴィレイアは陸艇で眠れなかったのか、欠伸を連発していた。
とはいえ主張ははっきりしており、「泊まるなら綺麗でお洒落なホテルがいい!」と駄々をこねる彼女を黙らせるに当たり、こいつちょっと寝ててくれねぇかなとリベルが考えたのはここだけの話。
結局、泊まったのはリベルが押し切った形となった安宿である。
宿代をリベルが持つのだから宿を決めるのは当然の権利だった。
バンクレットはもう少し等級の高いホテルを取ったようで、「私も小父さまと泊まる!」と主張し始めたヴィレイアを、リベルはもう少しで殴りそうになったのだが。
バンクレットの方は微笑ましそうに、「仲のいい様子で何より」と言っていた。
そこで、リベルはエルカと同室、ヴィレイアには一部屋を借りて、一晩を過ごした――はずだったのだが。
「初めての町だし、ちょっとあちこち見てくるわ」と言って、エルカが深夜にも関わらず外出。
戻って来ないな――と思いつつ、リベルが眠り込み、朝になって目を覚ましてもまだ戻って来ない。
ホテルで朝食を摂りながらもさすがに心配になり、同じく心配そうにするヴィレイアと、透過視精で彼がどこにいるか探るべきか、とまで話し合いがら待っていると、昼前になってエルカはやっと部屋に戻って来た。
とはいうものの、明らかに二日酔いと分かる顔色と酒の匂い、這うような足取り。
割れんばかりの頭痛に苛まれているのだろう、エルカがかぼそい声で「助けて……」とヴィレイアに助けを求めたが、さすがのヴィレイアも苦笑いを返した。
リベルが苦々しい声で、「どうもしなくていい」と言い渡すと、ヴィレイアは噴き出し、エルカは呻いた。
昼食は町に出て摂ったが、エルカは頭を押さえて呻くばかりで、水以外のものは口にしなかった。
ヴィレイアは気の毒そうにし始めたが、リベルは厳しい声で。
「これに懲りて、ちょっとは酒を控えるようになればいい」
「この鬼……」
と、エルカが呻いた。
かくして、リガーやアガサたちとの合流のためにダイアニの勇者組合に足を向けたときも、エルカはまだ真っ青な顔でよろめいていたわけである。
勇者組合の建物は、エーデルのものよりなお大きい。
ヴィレイアがそれを見上げ、目を瞠る一方で、リベルは俯いていた。
勇者組合から足を踏み出してきた、あるいは勇者組合を目指して歩を進めていて彼を追い抜いていく人々が、ほぼ例外なくリベルを振り返り、ちらちらと盗み見ている。
エルカはそれに気づくどころではなかったが、ヴィレイアは気づいた。
彼女が大きな双眸を瞬かせて、首を傾げてリベルの顔を覗き込む。
「――リベル? とってもしげしげと見られてる気がするんだけど」
ひそひそと囁かれ、リベルは両手で顔を覆う。
「おまえ、俺がなんで尻尾巻いてダイアニから逃げ出したか覚えてる?」
「えーっと、私の先天の加護に引っ張られてのことね。私に出会ってくれるため」
ヴィレイアが頤に指を当て、躊躇いなくそう言ったので、リベルはびっくりして顔を上げた。
ヴィレイアは悪戯が成功したように微笑んだ。
「まあ、それは置いておいて。
――すごく有名になってたって言ってたね、この町では」
「……おう」
気が抜けたような気分でリベルは呟いた。
「まあ……そういうこと。結構顔は知られてる……」
今しも、勇者組合の入口のすぐ内側で、数名の若い勇者たちがこそこそと何かを言い合いながら、リベルの方を窺い見ているところだった。
そのうちに意を決したように中の一人がリベルを目指して進み出てきて、人見知りする性質のリベルは腰が引けた。
「――あのっ」
と、雀斑の散った顔をした若者。
リベルはじりじりと後退り、彼の足許を見た。
「特等勇者の〈錆びた氷〉ですよね? 本物ですよね?」
「ごめん、なんて?」
エルカが顔を上げた。
真っ青な顔をしているにも関わらず、とんでもなく面白い玩具を見つけたような表情になっている。
「誰がなんだって?」
「黙れよ」
リベルは呟き、気まずそうに若い勇者をちらっと見た。
「人違い……」
「え、でも……」
若者の視線が、リベルの髪の色と、腰の〈氷王牢〉の間を往復する。
彼が当惑したように瞬きし、そのとき見かねたヴィレイアが割って入った。
「ごめんなさい、約束があるので。もうよろしい?」
ひょこ、と、自分とリベルの間に割り込んできたヴィレイアを、若い勇者がちらっと見た――そしてもう一度見た。
ヴィレイアの、百フィート先からでも目を惹くほどに可憐な容貌に驚いたのだと分かった。
彼が目を見開いてぽかんと口を開ける。
リベルは咄嗟にヴィレイアの肩を押していた。
「もういいと思うよ、行こう」
そのとき、エルカが切羽詰まった声で宣言した。
「ごめん、吐きそう。後で追い掛けるから入ってて。俺が分かるところにいてくれよ」
口許に手を当てたエルカを振り返り、リベルは彼の状態の緊急度合いがかなり高いことを、顔色と仕草と声音から察した。
慌てて彼の背中を押して送り出す。
「分かった、分かったからすっきりして来い」
「ありがと」
呻いて、エルカがよろよろと方向転換して歩き出す。
それを見送り、リベルは呆れて首を振った。
ヴィレイアが心配そうに濃緑の瞳を瞬かせている。
「さすがに、治癒精でもなんでも使ってあげるべきかな?」
「いや、晩メシの前でいいよ。――あいつ、さすがにはっちゃけ過ぎだろ……」
嘆息するリベルが、ヴィレイアと並んで――というより、周囲の視線に対してヴィレイアを盾にするようにして――勇者組合に足を踏み入れる。
エーデルの勇者組合は、旧王朝時代の建物が利用されており、広大な玄関ホールに窓口となるカウンターと、勇者たちを待たせるためのベンチが置かれている。
一方このダイアニの勇者組合には、共和国初期の軍用施設――恐らくは兵士の宿舎だったのだろう――が利用されている。
入口を潜った先のホールは広々としていて、幾つか柱が立ち並び、物寂しい風情の中庭に向かって開いている。
かつては無骨な調度で埋め尽くされていたのだろうそのホールには、今はあちこちに低い円卓を囲む円を描くようにして擦り切れたソファが配置されており、観葉植物まで配置されていた。
そして奥に、マホガニーのカウンターが広がり、その幾つかの窓口で、勇者たちが用を済ませていた。
リベルが最後にそのカウンターに立ったとき、彼は強い口調で「脱退を」と言っていたのだが。
リベルがホールに足を踏み入れ、顔馴染みを捜してそこを見渡すと、比喩でも自意識過剰でもなく、そこにいた数十人の勇者が黙り込み、互いに肘でつつき合い、次々にリベルを指差していった。
無数の視線に串刺しにされ、ひそひそと囁き交わされ、リベルは自分の顔が赤くなるのを感じていた。
カウンターの向こうから、女性の高い声が聞こえる。
「あらっ、あらあら、リベルくんじゃない? 戻って来てくれたのかしら?」
リベルが回れ右しようとする気配を察して、ヴィレイアがその肘の辺りを掴んだ。
「ちょっとリベル、リベルがいなくなっちゃったら、私、会いに来た人たちの顔も分からないんだって」
ちょうどホールに入って来た、草臥れた風情ながら目を輝かせた勇者の一団が、リベルに気づくや、「〈錆びた氷〉だっ!」と叫んで、数人で力を合わせて持ち上げていた資源袋を落とした。
がらんごろんと派手な音がして、資源袋から光晶やら不傷石やらの原石が転がり落ちる。
その騒音に、リベルが眩暈を覚え始めたとき。
「――よう、半年程度じゃ忘れられたりしないっていう現実と戦ってるか?」
リベルは振り返り、見慣れた顔を見つけてほっとした息を漏らした。
後ろに撫でつけられた褐色の髪、細い灰色の目。
「リガー」
か細い身体つきながら、皮肉っぽく人の悪そうな顔立ちをしたリガーが、リベルの隣のヴィレイアに目を向けた。
ひゅう、と彼が口笛を吹く。
「こりゃすごい美人さんだ。リベル、いくら払ってついて来てもらったんだ?」
リベルはヴィレイアの表情を確認し、彼女が純粋に面白がっていることを察してほっとした。
リガーがリベルに歩み寄り、がばっと彼を抱擁しようとして、元仲間が相手であっても人見知りを発揮して後退ったリベルに肩を竦め、今度はリベルの左側に立つヴィレイアに手を伸ばす。
ヴィレイアは愛想よくその手を握った。
リガーが瞬きし、ヴィレイアの顔を覗き込んで、微笑んだ。
「あんたが伝言を送ってきた法術師だな。ともあれリベルが仲間を見つけられたんなら良かったよ。
――さてさて、お二人さん、俺の仲間はこっちだ。約一名、かなり面白くなさそうな奴がいるから気をつけてな」
*◇*◇*
「この裏切り者」
「ごめん」
「あっさり私たちを捨てたくせに、のうのうと頼みがあるなんてよく言えたわね」
「本当にごめん」
「何か私たちにもいいことがあるお話なんでしょうね? なかったらぶっ飛ばすわよ」
「ぶっ飛ばすって言っても。俺の話を受けるかどうかは筆頭が決めることだろ。今の筆頭は誰だよ」
「……アーディスよ」
「おまえじゃないじゃん」
「アーディスはちゃんと話を聞いてくれる筆頭ですからね。誰かさんと違って、けちでもなければ突然私たちを見捨てたりもしないわよ」
擦り切れたソファに腰掛けたアガサに鋭い語調でそう言われ、リベルはアガサの隣のラティに気の毒そうな視線を送った。
筋骨隆々、禿頭の見た目にそぐわず気弱な彼は、アガサが何か言う度に竦み上がり、「落ち着いて」と言おうとしては失敗している。
アーディスとリガーは膝を叩いて笑いながらアガサとリベルを見比べており、それがますますアガサの気が立つ要因となっているようだった。
処は、勇者組合のホールの一角――観葉植物と柱の陰になっている、低い円卓を囲むソファ。
黒い髪を耳の上で切り揃え、勇者らしい短髪にしたアガサは、腕を組んで顔を顰めている。
無駄のない身体つきも、気の強そうな顔立ちも、何も変わっていない。
彼女は鮮やかな紫色の猫目でリベルを睨みつけていた。
褐色の肌をして体格のいいアーディスは、刈り上げた銀髪に青い目をしており、今は笑い過ぎて滲む涙を頻りに拭っていた。
同じく爆笑しながらも、リガーは同じ法術師であるがゆえか、話し掛けたい気持ちがある様子でヴィレイアをちらちらを窺っている。
が、これはリベルが断固として両者の間に入り、許していなかった。
理由は単純、このアガサたちの隊の財政事情だ。
ヴィレイアを彼らに紹介するに当たり、リベルははたと気づいたのである――ヴィレイアが元特等勇者であることが知られれば、引き抜かれてしまうのでは? と。
何しろ目の前にいるのは一等勇者隊、戦力の増強には日々余念なく、そしてアガサが同年代の仲間を欲しがっていたとして不思議はない。
ゆえに、ヴィレイアについてあるがままに紹介してしまえば、そのまま彼女が引き抜かれていきかねない。
彼らには――主にリベルが筆頭だったときの、吝嗇に過ぎる采配があって――四等勇者であっても引き受ける財務基盤がある。
そしてヴィレイアはヴィレイアで、「一等勇者隊にいた方が稼げて、贅沢が出来るかも」という、至極真っ当な判断でそれを受けかねない。
それは駄目だ、まだヴィレイアに商会のことでの礼もしていないのに――という、リベルの十割が自分本位な動機により、彼はヴィレイアのことを紹介しようとした言葉をものすごい勢いで回れ右させ喉に仕舞い込み、こう言った。
「――こいつはヴィレイア。俺が今一緒にいる四等勇者の法術師」
控えめに過ぎる表現だったが嘘は言っていないため、ヴィレイアも特に訂正せずに会釈した。
それからアガサたちの一通りの自己紹介があり、リベルが、「もう一人来るはずなんだけど」と言ったところで、アガサの堪忍袋が限界を迎え、鋭い語調でリベルを責め始めるに至ったのである。
文句を言いつつも、アガサは目敏く〈焔王牙〉には気づいているようだった。
彼女が何度か、どう見ても鉱路の業物に違いない薄紅色の長剣と、その持ち主であるヴィレイアの、のほほんとした顔を見比べていた。
アガサの語調がどんどん剣呑になっていくのを見かねて、アーディスが「まあ、それはさておき」と割って入ったとき、弱々しい声が聞こえてきた。
「――リベルぅ……」
「あの馬鹿……」
リベルが舌打ちして立ち上がる。
アガサが毒気を抜かれた顔でそれを見守り、彼女の隊の面々が、それぞれ首を伸ばしてリベルを視線で追う。
そして、よろよろとホールを歩くエルカを捕獲するリベルを見守った。
「あ、いた。どこ行ったのかと思ったぜ」
「見えないところにいたのは悪かった。――気分は?」
「まだ気持ち悪い……」
「マジで自業自得だからな……」
ふらつくエルカの腕を掴み、肩を貸すようにして戻ってくるリベルに、アガサたちは目を見開いた。
「――こりゃ珍しい」
と、アーディス。
「人見知りばっかりで、俺たちとも殆ど肩なんて組まなかった奴なのに」
リベルが元いた場所に戻り、エルカを自分の右側に座らせる。
リベルの左側から、ちょこん、とヴィレイアが顔を覗かせた。
「エルカ、晩ごはんまでにはなんとかしてあげるからね」
「今すぐなんとかしてくれ、ヴィリー……」
「それはまあ、教訓と思って」
そのやり取りを後目に、リベルはアガサたちを見渡す。
「こいつが、さっき言ってたもう一人。エルカ。エーデルでは三等勇者」
アガサが、すっかり気勢を削がれた様子で、ぱちくりと目を瞬かせる。
そして、首を傾げた。
「えーっと、今にも死にそうに見えるんだけど……?」
「これは、まあ、」
リベルは溜息を吐いてエルカを見下ろした。
エルカはソファの上で身体を折って苦しげにしている。
「その、二日酔いで」
「二日酔い」
真顔で復唱するアガサ。
リベルは我が事のように恥ずかしくなってきた。
そこに加えて、エルカが死にそうな声で呟いた。
「……言うの忘れるとこだった――リベル。昨日の飲み代……、おまえにつけてる。よろしくな……」
「――……えーっと、うん」
殊勝に頷くリベル。
リガーが目を見開き、リベルとエルカを見比べて、ぼろっと本音が漏れたような声を出した。
「――おまえ、一緒にいるのがそんなんで大丈夫?」
ご尤もな心配であった。




