03 古巣の勇者隊
バンクレットは軍人であり、勇者ではない。
ゆえに、地図上で「ここに口を開いている鉱路」と示すことは出来ても、その鉱路がどういった性質なのか――規模は、危険度は――といったことは、まるで分からない。
勇者組合まで戻って来た四人がすべきことは、まずは問題の鉱路の性質を知ることだった。
バンクレットに件の鉱路に印がつけられた地図を渡されたエルカが、それを勇者組合の〈フィード〉担当の法術師である職員に手渡す。
リベルはその後ろで、人見知りを発揮して小さくなっていた。
〈フィード〉担当の、三十歳程度と見える女性は、手渡された地図をじっと見つめて、さらさらと頬に落ちかかる栗色の髪を掻き上げた。
それを見て、エルカが若干うっとりした顔になってきたので、リベルは思わず、彼の膝に後ろから蹴りを入れる。
「――いって! なんだよ」
ひそひそと囁いてくるエルカに、重々しく。
「マジで組合の人はやめとけって、不義理して嫌われたら生活できなくなるぞ」
エルカの表情も正気に戻った。
「――確かに、そうだな」
「だろ?」
そうやってひそひそと囁き交わすリベルは、別の組合職員がぶらぶらと歩いて来るのを視界の端に捉えた。
彼が勢いよく振り返ってしまったのは、その四十絡みの髭面の職員が、明らかにヴィレイアを目指していたからだった。
ヴィレイアはバンクレットと並んで、リベルより後ろで手持ち無沙汰そうに背伸びしたり身体を揺らしたりしていたが、とんとん、と職員に後ろから肩を叩かれて、「わ」と小さく声を上げて振り返った。
「わっ――びっくりした、なんです?」
「なんでもないよ、はいこれ」
職員がそう言って、砂糖菓子の包みをヴィレイアに差し出した。
ヴィレイアが濃緑の瞳をぱちくりと瞬かせてそれを受け取り、数秒ののち、「あぁ……」と呟く。
そして、明らかにリベルの方を気にしてから、声を潜めた。
「――大丈夫ですって、こういうの」
「いや、見掛けたから」
職員が衒いなくそう言って、「じゃ」と手を振ると、ポケットに手を突っ込んで離れていく。
リベルが、「今の、個人的な知り合い?」と尋ねる前に、バンクレットが目を見開いてヴィレイアの肩を掴んでいた。
「ヴィレイア?」
「いや、あの、ここの勇者組合に入るときに窓口にいたんですよ……今の人……」
ヴィレイアが、ちらちらとリベルを気にしながら口早にそう答えて、受け取った砂糖菓子を見下ろして溜息を吐く。
「どういう……?」
と、バンクレット。
リベルも全く同感である。
とはいえヴィレイアのこの可憐な美貌、窓口で出会って一目惚れ、ということも有り得なくはないが、
(娘みたいな年齢だぞ……?)
目をいっぱいに見開くリベルが自分を見つめていることを気まずそうに認めて、ヴィレイアは背伸びしてバンクレットの耳許に素早く囁いた。
「――保険の」
バンクレットはそれで納得した。
リベルにはその声は届いておらず、彼が「今の人って」と言い出そうとしたとき、〈フィード〉担当の職員が顔を上げた。
「あらぁ、これ、大変よ」
「そうなの?」
と、エルカ。
〈フィード〉担当の職員がまた髪を掻き上げて、肩を竦める。
「レキルト地方の――ハイリの近くの鉱路でしょ? 規模は第一類、危険度は十年前からずーっと甲種の評価。
――ねえお兄さん、あなた、その徽章は三等のものよね? 駄目よ、三等じゃ甲種の鉱路には入れないわ。二等以上の勇者隊に入ってるなら別だけど」
エルカは瞬きし、片手を差し出して、女性から地図を返されるのを受け取った。
そして、くるっとバンクレットを振り返った。
バンクレットは怪訝そうにしている。
エルカは〈フィード〉担当の職員を振り返り、笑顔を見せた。
「えーっと、取り敢えずありがと、お姉さん」
そう言って、エルカがリベルの腕を引いて、バンクレットとヴィレイアに歩み寄る。
そして肩を竦めた。
「どうします? この鉱路、正規の方法じゃ俺たち、入ることも出来ゃしない」
バンクレットが申し訳なさそうに首を傾げる。
「すまない、鉱路の評価がよく分からないのだが……?」
「あーね」
エルカが唇を曲げ、ひらっと手を動かした。
そして、後は頼むとばかりにリベルに目配せ。
リベルは、掌の上の砂糖菓子を持て余すように眺めるヴィレイアの方を見ていたが、目配せに気づいてはっとし、卒なく受けた。
「第一種ってのが一番でかくて深いやつです。小さくて浅いやつほど第十種に近付く。
で、危険度評価ってのが別にあって、これはその時々で動くんです。中で見つかった鉱路生物の種類とか、どこまで勇者が探索したかとかで。
一番安全なのが癸種ですけど、探索する価値があるのは丁種以上の評価を受ける鉱路ですね」
〈フィード〉を示す。
そこに張り出されている鉱路の情報は、全て丁種以上の鉱路のものだった。
「で、一番危険なのが甲種。――四等勇者は丙種までの鉱路しか入れませんし、三等勇者は乙種まで。
甲種の鉱路は二等以上の勇者しか入れないことになっていて、」
かつて二等勇者だった頃、甲種の鉱路で氷王に遭遇したことを思い出しつつそう言って、リベルは肩を竦める。
「甲種指定を受ける鉱路は大抵、獅鷲より怖い鉱路生物が複数発見されてるところですね。それこそ亜竜とか――こいつの原材料になった氷王とか、ヴィリーの〈焔王牙〉の原材料になったやつとか」
リベルはヴィレイアに視線を向け、その右の腰の〈焔王牙〉を示した。
「ヴィリー、そいつの原材料は甲種の鉱路で仕留めたんだろ?」
「そうだよ」
ヴィレイアが応じて、リベルを見て頭を傾けた。
「じゃあ、どうするの? こっそりその鉱路行きの陸艇に忍び込む?」
「ちょーっと、お嬢さん」
〈フィード〉担当の職員が、彼女のデスクの後ろから声を上げた。
「聞こえてるわよ。悪だくみはせめて聞こえないところでしてちょうだい」
ヴィレイアが小さく舌を出す。
バンクレットが「冗談だ」と真面目に女性に向かって告げてから、顎を撫でた。
「ちょっとこの場から離れよう」と彼に合図され、三人の勇者は軍人に連れられて、〈フィード〉の前を離れ、勇者組合のホールを抜け、外へ出た。
午後の鋭利な陽光が燦々と降り注いでいるが、既に肌寒い。
道行く人々を鋭い眼差しで追い、歩き出しながら、バンクレットは呟いた。
「――規則に反することは避けたい。治癒精のときのような緊急事態ならともかく、今はきみたちはヴァフェルムさまの要請で動いているわけだから。後から追及されて面倒なことになるのは避けたい」
「なら、ぱっと思いつく方法は二つですね」
リベルが言って、小走りで左側に並んできたヴィレイアをちらっと見下ろす。
「一つめ。バンクレットさん――あるいはヴァフェルムさまの方で陸艇を手配してもらって、その鉱路まで連れて行ってもらう。
二つめ、どっかの、特等か、一等か、二等の勇者隊に頼み込んで、一時的に仲間に入れてもらう」
「一つめの方法は避けたいな」
バンクレットはゆったりと足を進めているが、如何せん歩幅が大きいので、ヴィレイアは小走りになっている。
「軍が鉱路に人を送り込んだって言われるとまずいから?」
と、エルカ。
バンクレットが顎を引くようにして頷くと、得意げなどや顔でリベルに目配せしてくる。
リベルは苦笑した。
バンクレットはそこからしばらく無言で歩き、やがて駅の近くの緑豊かな噴水広場に行き着いた。
広場の奥には小さな木立が影を落とし、その影の中にベンチが設けられている。
ざあざあと音を立てて銀色の水の流れを生む噴水のそばにも、今は誰もいなかった。
ただ、木立の梢が風にざわざわと揺れている。
リベルは若干の懐かしさを覚えて、隣のヴィレイアを見下ろした。
今はもう木々の葉が落ちかけているが、遡ること四箇月ほど前の夏、彼とヴィレイアはこの広場で正式に勇者隊を組んだのだ。
二人の揃いの亜竜の指輪は、ここのベンチでリベルから手渡したものだった。
ヴィレイアも同じことを考えていたのか、不意にリベルの方へ視線を向けた。
リベルの朱色の瞳と、ヴィレイアの濃緑の瞳がかち合った。
リベルは思わず微笑んだが、ヴィレイアはいっそ気まずそうに目を逸らした。
バンクレットは周囲に人影がないことを確認してから、低い声で言った。
「――先刻のエルカが言った通りだ。軍部が勇者組合の領分を侵したと謗られるのはまずい。
ならば、リベルの言った第二案が有力となるが、」
バンクレットが苦笑と共に首を傾げる。
「すまない、等級の高い勇者に頼めば、三等や四等の勇者でも、甲種といったか、その危険な鉱路に入ることの出来るからくりが分からないのだが」
「――ああ」
ヴィレイアの反応に内心で小さな衝撃を受けていたリベルが、上の空で応じた。
「勇者隊にも等級がつくんです。筆頭勇者――隊の中でいちばん等級の高い勇者の等級が、その勇者隊の等級になるわけですけど。等級の高い勇者隊であれば、危険な鉱路にも入れるんですよ」
「つまり、きみたちの中の誰かが二等以上の勇者になれば、問題なくあの鉱路には入ることが出来る、と?」
バンクレットの念押しに、はっとして瞬きしたリベルが、歯切れ悪く応じる。
「そう、ですね……」
バンクレットは怪訝そうだった。
「――きみは、元は特等勇者だったと記憶しているが?」
「そうなの!?」
と、エルカ。
今さらながら、ダイアニでの経歴はエルカに話していなかったことに気づくリベル。
ヴィレイアは何かの折に、〈鉱路洪水〉に遭遇した経緯も合わせて、フロレアでの経歴もエルカに話していたようだったが。
「ああ、まあ、うん……」
「なんで四等になってんの!?」
「いや、俺が特等だったの、ダイアニの組合なんだけど……くそったれ商会が北まで来るかも知れないって〈フィード〉で見掛けて、俺、結構な有名人だったから、見つかって連れ戻されたら困るなって、びびって尻尾巻いて逃げてた……」
目を伏せながら答えるリベルに、エルカは衝撃を受けた様子。
「有名だったの、おまえ……?」
「そっち? ――まあ、うん」
てっきり商会絡みの一言があるかと思っていたリベルが脱力する一方、エルカは本気で羨ましそうにしていた。
「マジか……。いいな、モテた?」
リベルは赤錆色の頭を抱えた。
「いいや、まったく」
「え、意外……」
ヴィレイアがぼそっと呟き、リベルは溜息を吐いた。
「あのさ、俺が人見知りするって知ってんだろ? 仲間以外とは目も合わせない男が、何をどうやれば人から好かれるんだよ」
「仲間以外とは目も合わせないから、モテてることに気づかなかったとか」
「――いいかな?」
と、露骨に苛ついた風情のバンクレットが口を挟み、リベルたちは口を閉じて不毛な会話から後退った。
「はい、すみません」
「私が訊きたかったのは、元は特等勇者だったきみが、なぜその階級に戻れないのかということだ」
リベルは即答した。
「階級を上がるには、預託金を納める必要がありまして」
「預託金」
「ここに、二等にまで上がれるほどの貯金がある奴はいません」
正確にいえばリベルにはあったが、リベルには今すぐに二等に上がる気はさらさらなかった。
アガサたちの隊を抜けるときに捲し立てたことは、大半はその場を誤魔化すための方便ではあったが、採掘してきた資源の換金の際の徴税の、階級傾斜が厳しいのは真実なのだ。
バンクレットはしばらく黙った。
それから、真顔で言った。
「こちらで立て替えられないほどの金額かな?」
ヴィレイアががばっと顔を上げる。
その顔が輝いているのを見て、リベルの頭の奥で警鐘が轟いた。
「やばい、このままだと碌な礼もしないまま、ヴィリーとさよならすることになるぞ」。
いや、ここで黙ってヴィレイアが二等に上がるのを見守るのが礼になるのでは……? と思いもしたが、リベルはぶんぶん首を振った。
ヴィレイアの目標はあくまで、フロレアの勇者隊と合流すること――つまり、合流した後で昇格するための預託金に充てる貯金だ。
エーデルでの昇格は重要ではないのだ。
気づくと、リベルは素早く言っていた。
「どのみち、預託金を納めた上で試験があるんですよ」
「きみたちなら問題にならないのでは……?」
「試験の日程の問題が。すぐに試験されるとは限りませんし」
苦しいがこれも嘘ではない。
事実、エルカは試験を希望してから六日間待たされた。
「なるほど」
バンクレットは顎を撫でた。
風が吹き、ざわざわと木立の葉が擦れる。
ヴィレイアの長い髪が靡いて、同時に彼女が小さくくしゃみをした。
地面に落ちた葉が、乾いた音を立てて敷石の上を滑る。
バンクレットが、考えあぐねるような目で三人を見渡した。
「――きみたち、しばらく仲間に入れてくれるほど親しい、二等以上の勇者の友人はいるだろうか」
「――――」
「――――」
「――――」
三人分の沈黙がそれに応じ、バンクレットは妙に気を遣った声音で、慌てたように。
「いや、きみたちに友人が少ないことは分かっているんだ」
「それ、慰めてるつもりっすか?」
エルカが呟き、「もういっそ、こっそり軍の陸艇で鉱路まで送ってもらうのが早いんじゃないですか」とバンクレットに向かってぞんざいに言った。
バンクレットは首を振る。
「そうかも知れないが、治癒精の一件でヴァフェルムさまが商人組合を議会で論ってからというもの、フィアオーゼ議員の手の者がますます我々の周辺を嗅ぎ回っていてね……」
「それ、お互いさまなんでしょ、どうせ。おたくらもその……フィア――なんとか議員を嗅ぎ回ってんでしょ」
「それは、そうだが。だが、勇者を組合を通さずに鉱路に下ろしたことが露見する可能性が大きいのだ。
鉱路に関して、勇者組合は敏感だからね。フィアオーゼから耳打ちされたゲッセンタルク議員がいきり立つ様が目に浮かぶ」
バンクレットのそんな言葉を聞きつつ、リベルはヴィレイアに目を遣った。
「…………?」
こてん、と首を傾げるヴィレイア。
そんな彼女に、リベルは半分以上は嫌々ながら、指摘した。
「――別の組合の勇者でも良くねぇ?」
ヴィレイアが真っ白な長い睫毛を上下させる。
そして、「あ」と小さく呟いた。
「そっか。陸艇に乗せてもらえさえすればいいわけだから――」
「そうそう。だから、別の組合の勇者にくっ付いていっても別に問題はないだろ?
出発間際の保険加入の問題があるけど、別に他の組合の勇者と隊を組んじゃいけないっていう規則があるわけじゃないし、保険組合からすりゃ、金が入ることに違いはないだろ。だから向こうの勇者組合だってうるさいことは言わないだろうし」
実際、〈鉱路洪水〉を起こし、筆頭勇者を失った勇者隊は、籍は元の組合に置いたまま、他の町に拠点を移すことが多い。
そう言ったリベルは、バンクレットが期待を籠めて自分を見ていることに気づいた。
「――――」
顎を撫でて、ヴィレイアを見下ろす。
――ヴィレイアがこの案に飛びついて、「今すぐフロレアに行こう!」と言うようなら、リベルは悲しい思いをすることになっただろうが――
――意外にも、ヴィレイアは気まずそうな顔をしていた。
そして、つんつん、とリベルの袖を引き、彼女に頭を傾けたリベルの耳許で、小さく囁く。
「ちょっと、メメットたちには会いづらいかな――〈鉱路洪水〉のことで迷惑かけたばっかりだし、それで頼み事をするのは、ちょっと」
「おまえな……!」
リベルは思わず声を荒らげた。
「あれはおまえのせいって決まったわけじゃないだろ!」
突然声を荒らげたリベルに、「どうした?」と目を丸くしたエルカが問い掛ける。
リベルは「ごめん、なんでもない」とエルカに向かって手を振り、息を吐いた。
時精時計をいじいじと弄り、ごにょごにょと口の中で何事かを呟くヴィレイアを見下ろし、ちょっと顔を顰めながら、リベルは考えた。
――唐突に捨てたような格好になっているアガサたちに会いに行き、「よう、一回だけ仲間に入れてくれない?」と頼む――
かなり気まずい。
更にその上、
(ダイアニでは結構顔が知れてる……俺が生きてることが商会にばれたら困る……)
そこまで考え、リベルは我知らず指を鳴らした。
「違う、もうダイアニに戻ってもいいんじゃないか、俺は!」
「えっ」
ヴィレイアが面喰らったような声を出した。
リベルは目を瞠って彼女を見下ろす。
「だってそうだろ? おまえが、俺が尻尾巻いてダイアニから逃げ出した問題に片をつけてくれたんだから!」
ダイアニに戻って、そこでリベルの目撃情報が生まれ、それが北方まで勢力を伸ばしつつあるショーズ商会の耳に入ったところで、もはや恐れるものはない。
人生の重石が外れた解放感を噛み締めるリベル。
バンクレットが期待を籠めて尋ねた。
「心当たりがあるのだな?」
「えーっと、まあ、はい」
人生の重石が外れた嬉しさ余って、気まずさを一時的に埋葬してしまったリベルはそう応じた。
「ダイアニの、俺の元いた隊なら頼れるかも」




