02 任務探索
ぴょん、と、ヴィレイアがベンチから立ち上がった。
勇者組合で軍人を見かけることは殆どない――そのために、バンクレットは周囲の勇者たちからじろじろと見られていた。
ヴィレイアはそんな彼の腕に手を掛けて、情熱を籠めて言っている。
「お久しぶりです。ここじゃじろじろ見られて居心地悪いでしょう、小父さま?
外に出ましょう、あと、私はお腹が空いているんですよ」
バンクレットが喉の奥で笑って、鷹を思わせる風貌の、金褐色の瞳でヴィレイアを見下ろした。
彼が衒いなく彼女の頭を撫でて、途端に咳払いしたリベルに向かって、「おっと」と言わんばかりに手を挙げてみせる。
そして、またヴィレイアを見下ろして微笑んだ。
「では、どこかで昼にしようか。
――念のために訊いておきたいんだが、」
バンクレットの瞳が、ヴィレイア、リベル、エルカへと動いた。
「明日、探索に出かける予定だとか、そういったことはあるだろうか」
三人が一斉に首を振った。
エルカは既に立ち上がっている。
バンクレットはほっとしたようだった。
「それは良かった。
――実は頼みたいことがあってね」
*◇*◇*
「リエラは元気ですか?」
ヴィレイアがそう尋ねたのは、エーデルの駅の程近くにある小食堂に腰を落ち着けたときだった。
エーデルはフロレアやダイアニ、ポスワルナと同じく、勇者組合の力が強い大都市だ。
つまり、勇者が寛ぐための都市として発展してきた。
そのため首都ヘルヴィリーに比べて、典雅な華やかさに欠け、享楽的な華やかさと剛健さにおいて勝る。
食事処も例に漏れず、官能的な美女が客のグラスに酒を注いでいく酒場か、あるいは客たちが声を限りにだみ声で何かを怒鳴るような酒場、あるいは探索の合間に休息を求める勇者たち向けの質素ながら落ち着いた食堂、これらが最も多く見かける形態だ。
だが、バンクレットが選んだ小食堂は、小さいながらも上品な佇まいで、テーブルが並ぶホールを抜けた奥には、アーチ型の出入口で仕切られた個室があった。
壁は清掃が行き届いた白漆喰、個室の窓辺には一輪挿しの花が飾られている。
バンクレットが顔を出すや、当然の如く個室へと案内されたために、これはあらかじめバンクレットか――あるいはその麾下が、この小食堂に話を通していたのではないか、更に言えばバンクレットは最初からリベルたちに昼餐を提供するつもりだったのではないか、とリベルは勘繰った。
リエラの近況を尋ねたヴィレイアが、バンクレットが当然のようにエルカに差し出す品書きを横からひょいっと取り上げる。
我が物顔で品書きを眺めるヴィレイアに、バンクレットは苦笑――
――だが、リベルには分かる。
リベルは文字を読むことこそ出来るものの、書くことは出来ない。
エルカに至っては文字が読めない。
ヴィレイアはそれを知っている――鉱路に挑むに当たって、〈フィード〉を前にまごつくエルカを見て察したのだ。
ゆえに、品書きを横取りしたのは彼女の我侭でもなんでもなく、我侭に見せかけた気遣い、文字を読めないエルカがバンクレットを前に気まずい思いをすることのないように、という心遣いだ。
ありがと、という意味を籠めて、リベルはテーブルの下でヴィレイアの膝を叩く。
ヴィレイアは鼻唄を歌いながら品書きを眺めていて、膝を揺らしてそれに応じた。
「リエラは――」
と、バンクレットがゆったりと応じた。
リエラ――つい二箇月前までは、「治癒精を盗んだ法術師」であった少女。
彼女はエルカ同様に自由を得たが、完璧な自由というわけにはいかなかった――稼ぐ手段がなかったためだ。
彼女は加護持ちではなく、勇者にはなれない。
人工の加護を得てまで勇者になりたいかと訊かれれば、彼女はぶんぶん首を振った。
彼女が鉱路に怯えているということもあり、人工的に加護を付与することは高くつくということもあった――リベルは、かつて商会の金で勇者組合に赴かされ、ぞんざいに加護を与えられていたのだから、その点は運が良かった。
そんなわけでリエラは、ヴァフェルムの邸宅で、食客と使用人見習いの間のような、極めて曖昧な立場を与えられて生活している。
ヴァフェルムの側近であるバンクレットとは、日常的に顔を合わせているはずだった。
「リエラは、そうだな、元気だ。
ただ身近に慣れ親しんだ人がいないので寂しがっている」
「彼女、おうちに帰れないんですか?」
「帰れないし、帰せないな」
バンクレットは認めた。
「あの子は――言い難いことだが、家族が将来の欠落税を嫌ったがために売られた身分だ。今さら戻っても、家族も手放しには喜べまい。
それに、彼女は――」
バンクレットがリベルを見て、意味深に微笑む。
「例のあのことを知っているわけだからな。我々としても目は離せない」
ヴィレイアがむっとしたように可憐な眉を寄せた。
「目を離せないというのは、お話ししてたことと違うんじゃないですか?」と彼女が言おうとしていることを察知して、慌ててリベルが彼女の脚を蹴って黙らせる。
いざ法務官の前に連れ出されたときに、ヴァフェルムが彼らの味方になること――これこそ重要なのだ。
多少の監視は問題にならない。
ヴィレイアは不満そうに眉間に皺を刻んだまま、しばらく品書きを見下ろし、やがて顔を上げた。
「私、フルイドリのソテーとミエ貝のスープで。もちろんバゲットも。
リベルもエルカもそれでいいよね?」
「ヴィレイア、自由に選ばせてあげなさい」
「だって、そばで違うものを食べられたら羨ましくなっちゃうじゃないですか」
真顔で応じたヴィレイアに笑って、リベルとエルカが「じゃあそれで」と応じる。
ヴィレイアはまた品書きに目を落とした。
「食後にはクリームたっぷりの珈琲がいいな。リベルとエルカは珈琲と紅茶ならどっち?」
「俺は珈琲」
「俺は紅茶」
「じゃ、そういうことで」
ヴィレイアが品書きをぱたんと伏せて、バンクレットに手渡す。
バンクレットが個室のアーチ型の入口を振り返ると、心得た様子で給仕が進み出てきた。
バンクレットが彼に注文を告げると、給仕は四人に恭しく頭を下げて去っていく。
丁寧な仕草を向けられることのなかった人生を歩んできたリベルとしては、どうにも背筋のぞわつきを抑えられない。
それを拭うため、リベルは控えめに咳払いした。
「――で、俺たちに頼みたいことって何ですか?」
バンクレットは微笑んだ。
「まあ、まずは落ち着いて食事をしないか」
四人が各々のペースで、湯気を立てるフルイドリのソテーを平らげ、白磁の皿にこぼれた枸櫞とバターのソースをバゲットで拭って食べ、深みのある味わいのミエ貝のスープを飲み干す。
最も早く食べ終わったのはリベルで、最後まで食べていたのはヴィレイアだった。
ヴィレイアが慌てた様子でバゲットを口に詰め込むのを、「喉に詰めるよ」と、リベルが苦笑して窘める。
ヴィレイアが食べ終わり、満足した様子で息を吐き、腹部を撫でていると、給仕が音もなく個室に足を踏み入れ、テーブルの上を手早く片付けていった。
間もなくして珈琲と紅茶が運ばれ、クリームの壺が各々の前に、そしてテーブルの中央に砂糖壺が置かれた。
早速、とばかりに、ヴィレイアが珈琲に角砂糖をぽとぽとと入れ、クリームを注ぐ。
彼女はシュガートングで角砂糖を摘まんで構えるような仕草で、右隣のリベルを見上げた。
「お砂糖は?」
「俺はいい、ありがとう」
ことっ、と、砂糖壺の中にシュガートングを入れて蓋をして、ヴィレイアが恭しい手つきで砂糖壺をテーブルの中央に戻す。
そして、左手を使ってカップを持ち上げたリベルの肘を、ちょっかいを掛けるようにして軽く叩いた。
日頃、勇者組合の食堂のベンチで食事を摂るときには、ヴィレイアがリベルの左側に座ることが多く、リベルが右利きながらもカップは左手で扱う癖がついているために、ほぼ毎回、肘でどつかれる憂き目に遭っていることを思い出したのかも知れない。
不意打ちでリベルは紅茶を零しかけ、「おい」とヴィレイアを睨む。
ヴィレイアは口笛を吹くふりをして、素早く視線を逸らしていた。
バンクレットは微笑ましそうにそれを見ていたが、我に返った様子で真面目に咳払いした。
そしてちらりと個室の入口を振り返り、そこに誰もいないことを確認する。
それから彼は、かちり、とソーサーにカップを戻した。
「――さて、私がきみたちに頼みたいことというのは、」
そこまで言って、バンクレットはリベルとエルカに目を向ける。
エルカは珈琲にふぅふぅと息を吹きかけて冷ましているところだったが、ばつが悪そうにカップを下ろした。
「リベルとエルカには言ったことがあるが、覚えているかな」
リベルは瞬きして、反射的にヴィレイアを見ていた。
「ヴィレイアに良くしてやってくれ」というのが、真っ先に思い出したバンクレットの科白だったからである。
当のヴィレイアはきょとんとしていた。
エルカの方が察しが良かった。
彼が、警戒ぎみの口調で探るように言っていた。
「あれっすか、死霊がどうこう……」
ヴィレイアがエルカを見て、目を丸くする。
「死霊?」
リベルも、バンクレットが以前言ったことを思い出していた。
同時に、あのときヴィレイアは治癒精を取り戻す準備のためにそばにはいなかったな、と思い出していた。
ヴィレイアがエルカからリベルに視線を移し、最後にバンクレットを見て、懐疑的に眉を寄せた。
「死霊って、あれですか。昔は竜を死なせてくれてたっていう、あれですか」
「まさに」
バンクレットが頷く。
「二百年以上前には、死霊が竜の眷属の肩を叩いて、死ぬべき時を教えていたという、強大な霊だ」
「まあ、どこに行っちゃったか分からないんですけどね」
ヴィレイアが、法術師としての確信を籠めて言った。
「でも、強い霊をお望みなら、私の影兵霊がいますよ」
「違うんだ」
バンクレットが笑って否定して、再び個室の入口を振り返る。
そして、居住まいを正した。
「――死霊は確かに存在していた。だが、二百年前のある日、唐突に失せた。我々は死を失った。――以前の、治癒精の件とよく似ているだろう?」
ヴィレイアが瞬きし、バンクレットを見つめた。
そして弾けるように笑い出した。
「どこかの法術師が死霊と真契約を交わしてしまったって、そう仰ろうとしてます、小父さま? ――あのですねぇ、私でさえ影兵霊との契約が精いっぱいですよ。どこの誰が死霊なんかと契約できるって言うんです」
「私ではなく、ヴァフェルムさまのお考えだ」
バンクレットは素っ気なく言った。
「二百年前、ある法術師が死霊と真契約を交わしたと。そして我々から死を奪ったと。――その法術師自身もまた死を失い、今は欠落して、どこかの鉱路の奥にいるのではないかと。我々は仮に、その法術師のことを、《死霊の姫君》と呼んでいる」
「素敵なお名前」
ヴィレイアが無感動に呟き、珈琲を口に運んだ。
それからカップを下ろして、首を傾げる。
彼女がまた何か言おうとするのを察して、バンクレットは片手を挙げてそれを制した。
「竜が死ななくなった蓋然性のある理由を、それ以外に考えつくなら教えてほしい」
「別に考えつきませんけど」
ヴィレイアが片頬を膨らませ、そこからぷくっと空気を抜いて、応じた。
「でも、仮にそれが本当なら、そもそも二百年前に、全ての法術師を血祭に上げてでも問題の法術師を捜し出して、契約を解かせていたと思いません?」
「なぜ?」
バンクレットが首を傾げる。
「まず第一に、〝死が失せた〟という事実を我々の祖先が認識するまでに、どれだけ時間が掛かったと思う。新手の病気が流行っているのだとしばらく考えていたとして不思議はない。
それに、ヴァフェルムさまが史学を学ばれた上で仰っているのだが、当時の人間にとっては、死こそが〝最果ての敵〟とも呼ばれていたのだよ。欠落がどういった状態なのか――親しい人の肉体の尊厳を奪われることがどれだけ耐え難いのか、それを人々が時間をかけて納得するまでは、死が我々の上から去ったことに、万歳の声が上がっていても不思議ではない」
ヴィレイアは不満そうに眉を寄せた。
――死霊という霊が“いる”、あるいは“いた”ことは、広く知られている。
だが、死霊というものは法術師との契約の範疇に収まる精霊ではない。
ゆえに、誰も、死霊が失せた原因をそこに求めない。
ふと思いついたとしても、周囲の法術師に笑われるだけだ。
とはいえ、目の前にいるのは親しげにしていても共和国議会の議員の側近である。
だからこそ、ヴィレイアも言下に笑い飛ばすことは避けた。
だが、口調には相当あからさまに、「そんなわけありませんけど」という本音が透けていた。
「えーっと、はい、分かりました。誰かが死霊と契約しているとしましょう。
――で、どうしてそれが、私たちが美味しいお昼を奢っていただけることに繋がるんです?」
バンクレットは微笑んだ。
傷痕の走る鷹に似た顔立ちにあって、その微笑みはむしろ獰猛だった。
「先ほど言っただろう。《死霊の姫君》はどこかの鉱路の奥にいるとヴァフェルムさまが考えておられると。
――これまでは、我々は鉱路に踏み込む手段を持たなかった。鉱路は勇者の管轄だ。勇者組合に睨まれてしまえば、勇者組合出身の議員とも揉めることになる――賢明とは言えない。
だが、今は、」
バンクレットは三人を示した。
「優秀な勇者が三人も、私と昼食を共にしてくれている」
ヴィレイアは天井を仰いだ。
リベルとエルカも、あの激動の夜に聞かされていた話であったとはいえ、かなり居心地が悪くなってきていた。
「えっと、待ってください」
ヴィレイアが顔を正面に戻してそう言いつつ、思わずといった様子で眉間を揉んだ。
「まさか、その……《死霊の姫君》? それがいるかも知れない鉱路に潜れって、そういう用件だったりします?」
「察しが良くて助かる」
「馬鹿馬鹿しい」
ヴィレイアが遂に言った。
リベルは頭を抱えた。
「おまえ、言い方ってものを……」
「リベル、あなたは法術師じゃないから実感できないかも知れないけど、これってほんとに馬鹿馬鹿しい話だよ。死霊と? 契約? 出来るわけがない」
ヴィレイアは険しい顔でバンクレットを睨んだ。
「そんな時間の無駄で私を呼びつけるなんて。――時間の無駄は嫌いなんです、大っ嫌い。お分かりでしょう?」
「ヴィレイア」
バンクレットは穏やかに呼ばわった。
その穏やかさに、リベルもエルカも胸を撫で下ろした。
「時間の無駄ではない。考え方を変えてくれ。
確かに私たちには、《死霊の姫君》を念頭に置いた考えがある。
だが、きみにとってそれは関係がない――いや、厳密に言えばそうではないが」
「――っ」
ヴィレイアが息を吸い込んで何か言おうとする。
それを制して、バンクレットは続ける。
「何しろ、《死霊の姫君》が死霊を解放した折には、きみも、リベルも、エルカも、人間は皆、再び死ぬことになるわけだから」
「――――」
「だから、きみはただ、勇者として鉱路を探索するだけだよ。
資源も持ち帰ればいい――それに、」
バンクレットは確信を籠めて続けた。
「資源を持ち帰れなかったとしても心配はない。
――我々の依頼で探索をこなすとあらば、もちろん、謝礼は弾もう」
「あ、やります」
ヴィレイアが光の速さで翻意して手を挙げ、リベルは「だと思ったよ」と呻いた。




