プロローグ
昼下がりの陽光は万物に降り注ぎ、平等に影を落としている。
遠慮がちに開けられた窓の隙間から、春のほのかに暖かい風が吹き込んでくる。
室内は、この時刻のことだから――そして、最近は夜になってなお――明かりが落とされていた。
臙脂を基調とした重厚な内装、一つ一つが芸術品と見紛うばかりの調度品に、薄く埃が積もろうとしていた。
彼女は窓のそば、臙脂の天鵞絨張りの足置きに腰掛けて、熱心に窓の外を見つめている。
立ち上がって窓の外に手を伸ばせば届くほどに間近で、巴旦杏の花が可憐に咲き誇っている。
彼女はその花のそばに顔を寄せて、思い切り息を吸い込んだらどんな気分か――そう思いを馳せているようだった。
夜闇の漆黒を呈す長い髪を艶やかに背中に下ろし、青と金とが織り合わされた、裾を引きずる重厚なドレスを身に纏った彼女。
肌は陽光を知らぬ真珠の白さ、象牙色の頬に影を落とす長い睫毛の奥に匿われているのは、古木の葉を思わせる焦げたような深い緑色の双眸。
ドレスの裾と肩には、独特の刺繍があしらわれていた――獅鷲と竜をそれぞれの皿に載せる天秤の図柄。
このヴィルノルト朝ケセルク王国における、ヴィルノルト家の紋章である。
彼は、そんな彼女を見つめていた――立ち位置はいつも同じ、この部屋の入口の扉の前。
彼の風貌は極めて凡庸なものだったが、彼が腰から提げる、持ち主が近衛として最高の栄誉を賜っていることを示す、鞘から柄までが滑らかな黄金色に煌めく大剣は、鉱路の逸品を名のある刀匠が鍛え上げたものであり、優美かつ荘厳で、凡庸とは対極にあった。
古くから離宮としてヴィルノルト家が使ってきたこの屋敷に追い詰められてから、ここに佇むことが彼の毎日の儀式となりつつあった。
どうか悪い知らせが入りませんよう、と祈りながら、万が一のことがあれば彼女をすぐに守ることの出来る立ち位置を保つ――
――戦線は後退しつつある。
既に、反乱軍は宮殿を押さえ、王家の忠義の軍勢を北へ北へと圧迫しようとしていた。
ここを守るべく、王都からここへ至るまでの五つの町を中心として展開されている戦線が破られれば、彼女にはまた長旅の労に耐えてもらわなければならなくなる――
奢侈享楽に耽った罰、所有と平等を抑圧する暴政の当然の帰結、――そう、奴らは言う。
だがそうだろうか、と彼は考えている。
生まれたときからそうあるべきだと与えられ、砂糖とワルツと絹の褥しか教えられなかった彼女に、その籠から抜け出す術などあったのだろうか、目を覚まし、宮殿の外を見て、道行く人々と己が、全く同じ人間であるということに気づける機会が、果たして存在していたのだろうか――
「――あら」
と、彼女が声を上げた。
嬉しそうな、朗らかな、珠を転がすような可憐な声音。
「どうされました」
彼が応じる。
彼女がこちらを振り返る。
傷ひとつない、ほっそりとした白い手指が彼を招き、窓の外を示す。
「御覧なさいな、アンリ」
ヴィルノルト王朝の、もはやただ三人となった生き残りの一人。
正当王位継承者としての順位が、ギロチンの歯が鳴り続けたこの一月で、十二番目から三番目まで繰り上げられた王女。
精霊を崇拝する一派からは今もなお、神の化身とすら呼ばれる少女。
ヴェストラーチェ・ハイリ・ケイゼ=ヴィルノルトは、今まさに足許までひたひたと寄せてきている血の海に、まるで気づいていないかのように無邪気な、しかしそれでも透明な哀感が氷のように凝った表情で、彼女の騎士に向かって微笑む。
「ヒバリがいるの。驚かさないように、静かに御覧なさいな。とっても可愛らしいから」
本日は作者の誕生日ですので、
何か作品へのコメント等ございましたらぜひお願いいたします。




