19 俺の幸運の勇者さま
続き部屋へ繋がる扉が開き、そこからバンクレットとヴィレイアが戻ってきたとき、リベルは相当に安堵した。
思わずヴィレイアに歩み寄りそうになったのを、隣からエルカに腕を掴まれて堪える。
だがそれでも、声を掛けずにはいられなかった。
「――ヴィリー、大丈夫か?」
ヴィレイアがリベルを向いた。
シャンデリアの明かりに映える濃緑の瞳、いつも通りの、お気楽なまでの微笑を浮かべる整った可憐な顔貌。
「大丈夫大丈夫、この通り」
軽やかに両手を挙げてそう応じ、ヴィレイアがバンクレットを見上げた。
バンクレットは何やら難しい顔をしていたが、問うように彼を見たヴァフェルムに応じて、姿勢を正して答える。
「見届けました。〈言聞き〉への誓約が終わりました」
「けっこう」
ヴァフェルムが、ほっとした様子で肩の力を抜く。
彼は、堪えかねた様子でソファに座り込んだ。
――そのとき、続き部屋から〈言聞き〉が現れた。
リベルとエルカが、無意識に大きく息を呑む。
〈言聞き〉は、頭を打たないように気をつけているかの如き、慎重な仕草で続き部屋から応接室に現れた。
そして戸枠を潜ったところで、再び腰を伸ばして、フードに包まれた頭で室内を見渡す。
「――ああ」
ヴァフェルムが、ソファの上から言った。
「〈言聞き〉。誓約の有無を尋ねたいのだが」
長身痩躯の〈言聞き〉が、ゆっくりと身体の向きを変えて、ヴァフェルムに向き直った。
そして、静かな仕草で首を傾げる。
そのとき、窓の外を、ぬっ、と、巨大な黄金竜の顔が覆った。
どうやら邸宅の壁に沿って、ここまで入り込んできたらしい――〈言聞き〉の無事を確かめるように、巨大な琥珀色の瞳が窓の大部分を塞いで、室内の様子を窺っている。
その吐息で壁が震えそうだ。
人間たちは軒並みぎょっとして窓を注視したが、〈言聞き〉は別だった。
彼は――あるいはそれは――ぞんざいな仕草で窓の外に向かって右手を振り、なおヴァフェルムに注目し続けている。
ヴァフェルムは気を取り直した様子で息を吸った。
そして、慎重にエルカを示した。
エルカも、このときは自ら進んで手を挙げて、己を示した。
「その青年が、〈言聞き〉を介して誓約を立てているかどうかを知りたい。――契約主はショーズ商会あるいはラディス傭兵団」
〈言聞き〉は、フードに包まれた顔を、数秒間エルカに向けた。
そして、左手に抱えた象牙色の本を、右手でぱらりと開いて、捲り始めた――その仕草はいっそう奇妙だった。
頁に触れることなく、本の上でひらひらと手を動かすと、象牙色の頁がぱらぱらと捲れていくのだ。
そしてやがて、〈言聞き〉は特定の頁を押さえた。
そして、ゆっくりと頷いた。
エルカに顔を向けて、軽く会釈に似た動作をとってみせる。
「――なるほど。誓約しているというのは本当か」
ヴァフェルムが呟いた。
「まだ疑ってたのかよ」というエルカの呟きは、幸運にも彼の耳には届かなかったようである。
苛立った様子のエルカに、リベルは小さく囁く。
「――自由な人生にようこそ」
エルカがにやっと笑った。
「お互いに」
そのとき、〈言聞き〉がリベルの方へフードの奥の顔を向けた。
そしてまた、ぱらぱらと象牙色の本を捲る。
しばらくそうして頁を行ったり来たりしたあとで、再び〈言聞き〉は頷いた。
「――――」
リベルはどきりとする。
――エルカ同様、リベルにも、ショーズ商会への誓約は残っている、ただ対抗できているというだけで。
だが、それを目の当たりにすると穏やかならぬものがあった。
エルカが、「大丈夫」と言うようにリベルの手を握る。
リベル以上に彼の方が不安だっただろうに、リベルの動揺については慰めることが習慣となっていた――十四歳までの頃に戻ったかのように。
〈言聞き〉は、リベルの動揺には勿論のこと無頓着だった。
またもぱらぱらと頁を捲り、先程とは別の頁で指を止めて、リベルに顔を向けて会釈している。
バンクレットがヴァフェルムを窺う。
ヴァフェルムが首肯した。
「もう良い」
バンクレットが頷きを返し、大股に応接室を横切って、〈言聞き〉のために応接室の扉を開けてやる。
〈言聞き〉はするすると扉に向かい、最後に振り返って、フード越しであっても明らかに分かる――ヴィレイアに視線を向けて、慇懃無礼に会釈した。
そして、足音もなく応接室の外へ出ていく。
それと同時に、窓越しの景色を占拠していた黄金竜も窓から離れた。
見えるのはただ、夜陰に包まれ、時おり雨粒が鈍色に煌めく光景だけとなる。
覚えず安堵の息を吐いたのはリベルとエルカが同時。
思わず目の前のソファの背に手を突いて、二人が同時に肺の奥から息を吐き出す。
対照的に、いよいよ命綱である治癒精との契約を剥がされるリエラが、動揺と恐怖に細かく震え始めた。
リベルは思わず彼女の肩を叩いて、「大丈夫だから」と。
「大丈夫、客観的に見てきみを逃がさないように見張ってたエルカの方が悪者だから。エルカがどんと構えてるのに、なんできみが怯えてるんだよ」
「ほんとだよ、俺たちの方がよっぽど……」
そこまで言い差し、ふとエルカが口を噤む。
待てよ、とばかりに片手で口許を覆い、彼がリベルを見てから、バンクレットに視線を移した。
「――俺の仲間……ラディスのみんなはどうなってんすか」
バンクレットがヴァフェルムを窺い、主の首肯を見てから、端的に応じた。
「大多数は逃がしたが、数十人はこちらに対する暴行および欠落容疑で拘留しているが」
「そいつら、どうなんの」
「傭兵団側が身柄の返還を求めて訴訟を起こすかどうかによる。訴訟を起こされれば裁判となるが、そうならなければ、本件は戦闘行為ではなかった――宣戦布告を行わない、単発の事件でしかないからね、単一の暴行および欠落事件に準拠して裁かれる。
法に従えば、それなりの罰を受けるだろうが」
「――――」
エルカは小さく、声だけで笑った。
「――まあ、傭兵団は訴訟なんてしねぇけどな」
「――ヴァフェルムさん」
ヴィレイアが唐突に呼んだ。
ヴァフェルムが、やや疲れた様子で彼女の方へ首を向ける。
「なにかな、ヴィレイア」
「私が今回のことで受け取るはずだった報酬って、いくらでしたっけ?」
ヴァフェルムは瞬きした。
「七十オレガだ。だが、実際に治癒精を取り戻してくれたとなれば、幾らでも上乗せ出来ようが」
「だったら、」
ヴィレイアが、少しばかりの沈黙の後で言った。
彼女が葛藤していることは明らかで、何なら少し涙ぐんでいた。
「くううっ」と言わんばかりにぎゅっと目を瞑ったあと、ヴィレイアは早口で――自分が後悔することを恐れるかのように――言った。
「その報酬、別のものに充てられませんか?
たとえば――捕まってる傭兵団の人たちを減刑する、袖の下とか保釈金とかに」
「――は?」
リベルが思わず声を上げ、またもヴィレイアに歩み寄りそうになったのを、エルカに止められた。
「いやいやいや、ヴィリー。おまえがそこまですることじゃない……」
「実際にお金を受け取った後だったらつらいけど、今ならぎりぎり諦められるかなって」
「いや、諦める必要ないって。おまえの正当な報酬なんだから――」
「――でも、半分以上はリベルの功績だもん」
ヴィレイアが、涙ぐみながらもそう言った。
「それに、不運だから傭兵団に入れられちゃったのに、最後まで誰も助けないなんてあんまりだよ」
「――――」
リベルとエルカがぱくぱくと口を動かしているうちに、ヴァフェルムは疲労の窺える声で、物憂げに応じた。
「――きみがそれでいいと言うなら、然るべく取り計らおう」
「くう……っ!」
堪えかねた様子でヴィレイアがその場で頽れ、己の膝を掴んで涙を堪える。
「ヴィリー……っ!」
エルカがとうとうリベルの膝を蹴り、低く囁いた。
「おまえがあの子に駆け寄りたいのはめちゃくちゃ分かったから、もうちょっとだけ我慢してくれねぇ? なあ?」
「…………」
言葉に詰まるリベル。
ヴィレイアがよろよろと立ち上がり、リエラを手招きしている。
「じゃあリエラ、そろそろ覚悟を決めてもらって……」
「うう……」
呻いたリエラが、ぎくしゃくとした動きでヴィレイアに近付いていく。
それを後目に、いつの間にかリベルのそばにいたバンクレットが、物静かに彼に囁いていた。
「――ヴィレイアに……彼女に優しくしてやってくれ。良くしてやってくれ」
「…………?」
瞬きし、ぽかんとしてリベルはバンクレットを振り仰ぐ。
バンクレットの、古傷の走った鷹を思わせる顔貌には、苦い表情が浮かんでいた。
「――言われるまでもありませんけど……あいつ、今んところは俺の相棒ですし」
怪訝に思って応じると、バンクレットは唇を引き結んで、いっそうの小声で言った。
「あの子が報酬を諦めたのは、きみが思うより価値のあることなんだよ」
リベルは眉を顰めた。
「――あいつ、俺が知らないだけで、借金まみれだったりするんですか?」
「いや……」
バンクレットが言葉を濁す。
その様子にどことなく不吉なものを感じ、そして同時に、この数日で何度か聞いた名前を思い出して、リベルは尋ねた。
「――そういえば、あいつは俺に氏名を名乗ってくれたことすらないんですけど、あいつの姓、ラテンザっていいましたっけ? なんか曰くつきだったりするんですか?」
「……――いや」
バンクレットが呟いた。
一拍を置いて、強い口調になって、彼が囁く。
「いや、勘違いだった」
「え?」
「彼女はラテンザ姓ではない。ラテンザ家とは関わりのない子だった」
リベルは瞬きし、首を傾げたものの、喰い下がる理由もなかった。
「はあ……」と呟く。
そんなリベルをしばし見遣って、唐突にバンクレットは呟いた。
「――今回の件は、かなり不審な点も多い」
リベルは眉を寄せる。
人生においても五本の指に入る程度には激動の夜だったこともあり、その夜が終わりつつあって気が抜けて、頭がまるで回っていなかった。
「はあ……」
「商会が、どうして突然治癒精の独占を企んだのかも分からなければ、これほど壮大な過激行為に踏み込んだにしては計画が杜撰だった。
むしろヴァフェルムさまは、これを以て商人組合を議会で攻撃することが出来るようになっただろう――」
「あ、いや、結構大変だったんですよ、こいつを捕まえるの」
リベルは言って、エルカを示した。
「一応言っておきますけど、ヴィリーがいなけりゃ詰んでたし、俺がいなくても困ってたでしょ。
それにエルカが俺のことを忘れてたらもう駄目だった」
「忘れるわけねぇだろ」
エルカがぼそりと言ったが、バンクレットはそれには微笑んだのみだった。
ただ、もの思わしげに呟く。
「……だが、入念に計画したならば、そもそも我々に商会の関与を疑わせるような失態は犯さなかったはずだ……」
「――――」
リベルはエルカと顔を見合わせた。
エルカが「分かんない」と言わんばかりに肩を竦め、それに応じてリベルも肩を竦める。
その様子に苦笑して、バンクレットは訥々と呟いた。
「ヴァフェルムさまは以前から、商人組合の権力の所以である、潤沢な資金の確保の方法には疑問を持たれていて……」
「はあ……」
ぱちぱちと瞬きし、気のない相槌を打つリベルを見下ろして、出し抜けにバンクレットが言った。
「――どうして竜が死ななくなったか、妙に思ったことはないか?」
リベルは困惑して、エルカと目を合わせてから肩を竦める。
「さあ。妙に思うも何も、俺が生まれたときには人は死なないもんだったんで」
バンクレットはリベルを見下ろしたままだった。
彼が呟いたが、独り言かと紛うほどの小声であり、ぼんやりとした口調だった。
「竜が死ななくなったから――欠けるようになったから、今の我々は、生でも死でもない、第三の停滞に向かって歩んでいる。そして、その命の終着点も売り買いされる世界にいる。
人の命の終着に課す莫大な税と、――その税を厭う者を喰いものにする強欲の化け物が跋扈する世界になった」
「――――」
バンクレットが口許だけで微笑み、囁く。
「面白い伝説があってね。――以前は、竜の肉体に死を教える精霊がいたと」
「〝死霊〟ですね」
リベルはぞんざいに応じた。
「それくらいは知ってます。
――影兵霊と一緒によく知られてる霊だ」
「そうだ。その霊が、二百年前のある日、唐突に失せた。我々は死を失った。
――今回の、治癒精の件とよく似ていると思わないか」
「……――え?」
リベルは目を上げた。
バンクレットは、疲れた様子でソファに身体を伸ばすヴァフェルムに目を向けていた。
「ヴァフェルムさまはそう考えておられる。
――二百年前、ある法術師が死霊と真契約を交わしたと。そして我々から死を奪ったと。――その法術師自身もまた死を失い、今は欠落して、どこかの鉱路の奥にいるのではないかと」
予想外に過ぎる言葉の羅列に、リベルは言葉を失う。
「我々は仮に、その法術師のことを、〝死霊の姫君〟と呼んでいるが――」
再びリベルに目を向け、バンクレットは微笑んだ。
「きみは勇者だろう? 勇者と渡りがついたのは、今回の件における予定外の収穫だ。
――我々は死霊の姫君を捜そうとしている。ずっとそうしている。
だが鉱路は勇者の管轄だ。なかなか踏み込める領域ではなかったが――」
バンクレットが、リベルの肩に掌を置いた。
「――今後とも、よろしく頼む」
「――え、あの、」
リベルが返答をし損ねているうちに、ヴィレイアの元気な声が聞こえてきた。
「ねえ、誰か、刃物を持ってる人いません? 諭示行為に必要なんですけど――」
「ああ、俺、持ってるよ」
エルカが短刀を鞘ごと革帯から外し、バンクレットが素早くそれを受け取る。
「ありがとう。私が届けよう。魔法使い諸君は、引き続きここに」
バンクレットがソファの後ろから続き部屋に向かう。
「これで構わないかな?」と尋ねるバンクレットに、「切れればなんでもいいですよ」と応じるヴィレイアの声――
「――おまえ、今の話、どう思った?」
エルカがそっと尋ねてきて、リベルは当惑して肩を竦める。
「いや、いきなり言われても。なんであんな壮大な話を振られたのかも分かんねぇし。
――まあ、欠落がなくなれば欠落税もなくなるし、そうなりゃちょっとはマシな世の中になるのかな、とは思うけどさ」
呟いて、両手で顔を拭う。
「〝死霊の姫君〟、ね……」
*◇*◇*
リベルは「諭示行為」というものが何を指すのか知らなかったが、それが終われば、もうヴィレイアが魔法使いに頼ってまで治癒精を窃取する危険性はないと判断されたらしい。
「もう様子を見て構わない」とバンクレットに合図され、リベルはエルカと並んで、続き部屋に通じる扉の方へ足を向けた。
続き部屋を覗き込む。
今はその部屋の灯器にも明かりが入れられ、光晶が暗がりを払っていた。
部屋の中央に広げられた繻子布の上では、香炉が香草を燻している。
燻された香草からは、独特の苦みのある、吸い込むと頭の芯を刺激するような匂いのする煙が漂っていた。
リベルにも嗅いだ覚えのある、以前の勇者隊でリガーが儀式を執り行うときには使っていた香りだ。
その香炉の後ろに、脚を揃えてリエラが座っている。
悄然としているようではあったが、もう事態を受け容れる覚悟は決めたらしい。
リベルが彼女の顔を見てから初めて、彼女の表情から泣き出しそうな色が失せていた。
そして、ヴィレイアは――
「おい!」
思わずリベルは大声を上げていた。
「ヴィリー、おまえ、それ――」
「わあ、びっくりした」
ヴィレイアが平和に応じて、リベルににこっと微笑んだ。
とはいえ、その唇は震えて、笑みも不自然だ――痛みのために。
ヴィレイアの左手にはエルカの短剣が握られていて、リベルが大声を上げた原因――その右腕は袖が捲られ、腕の内側の柔らかい皮膚が切り裂かれて、真っ赤な血を零していた。
「痛いんだから、大声出さないでよ。響くでしょ。
――諭示行為だって言ったじゃない」
押し殺したような声でそう言われ、リベルは訊き返すわけにもいかずに口を半開きにする。
そんなリベルを見かねたのか、バンクレットが横から囁いた。
「諭示行為は、他の法術師の契約下にある精霊を奪うときに特有の行為だ。――その精霊が恵むことの出来る事象を、その精霊に喰わせるに足る法気の持ち主が必要としていることを示す。
――この場合は、治癒精だ。だから、治癒を必要としていることを示さなければならない。
諭示行為に踏み切ったとして、現在、その精霊を占有している法術師が法気で勝っていれば精霊は見向きもしないが――どうやらヴィレイアの法気はあの少女の法気に勝るらしい。
心配しなくとも、契約と同時にあの傷は癒えるよ」
「――なるほど」
呻くようにそう応じて、リベルは唇を噛んだ。
――心臓が破裂したように呼吸が苦しかった。
その所以は、負の感情では断じてなかった――純粋な感謝と、それ以外の温かい何かの感情のために。
それらがどっと溢れ出してきて、リベルはいっそう強く唇を噛む。
(……おまえは、俺がおまえを助けたって言うけど、ヴィリー、)
今回のこの件、遂にヴィレイアには一つの得もなかったこの件において、ヴィレイアが尽くした厚意はどれほどのものだったか。
最後にはこうして痛みも押して。
(おまえの方がよっぽど俺を助けてるんだ)
右手で、左手の親指の黒い指輪を撫でる。
大金を得る機会を失った以上、ヴィレイアはしばらくはリベルと共にいるだろう、そのあいだに、どういう形ではあれ感謝を伝え、何かの形で返す機会はあるだろう。
部屋の中央で、ヴィレイアがゆっくりと、法術師にしか分からない言葉で請願を始めた。
リエラの身の内に宿る治癒精に、ヴィレイアとの契約を望む言葉だ。
そしてゆっくりと、踊るように身体を動かし始める。
傷が痛むのだろう、顔は盛大に顰めていたが、それでも優美な身のこなしで。
治癒精を魅了し誘うような可憐さで。
白百合の色の長い髪が靡いて、灯器の明かりに照り映える。
ヴィレイアの影が壁で踊る。
窓を叩く雨音と、ヴィレイアが口ずさむ請願の言葉――
――それに紛れて、リベルは呟いていた。
「……おまえは本当に、俺の幸運の勇者さまになってくれたんだ」
その夜が更けていく。
ヴィレイアが治癒精と契約し、そして丁重にその契約を解除する頃には、雨は止んでいた。
――雨の名残の水溜まりが街灯の明かりを宝石のように弾く町並みのそこここで、治癒精が影契約に応じたことへの安堵の声、療院の動きが復活していく歓声が、控えめに上がり始めようとしていた。
*◇*◇*
「アーガーサ、機嫌悪い?」
アーディスに顔を覗き込まれ、ダイアニの勇者組合の食堂で、アガサははっと顔を上げた。
時刻は早朝、食堂には朝食を詰め込み、朝方に出発する陸艇に乗り込もうとする勇者たちが詰めかけている。
「別に……」
応じて、アガサは短い黒髪を掻き上げ、手櫛で整えた。
無意識のうちに、左手のそばに置いていた愛用の武器〈流閃花〉を引き寄せる。
「あー、まあ」
と、アーディス。なんだか申し訳なさそうである。
「リベルがいなくなっちゃったら、おまえ、俺たちおじさんの間に一人だけいる若いもんだもんな……そりゃつまんないよな……」
ごつい肩を落とし、アーディスはもごもごと続ける。
「それに、最近はリガーの調子も悪くて、なかなか探索も出来なかったもんな」
「調子が悪かったのは俺じゃなくて、治癒精。なんか知らんが治癒精との契約が切れただけ。もう戻ったし、もういいだろ」
リガーが横から割り込んで、「なあ?」と、筋骨隆々かつ気弱な大男、ラティに話を振る。
ラティは身を竦めた。
「いや……僕からはなんとも……」
「俺らがおじさんばっかりなのは事実だろ!」
アーディスが言って、「若い奴、どっかで勧誘する?」と言い出す。
だが、ここにいるのは全員が一等勇者であり、若くして一等に昇り詰めるものは少なく、等級が落ちる勇者を隊に迎えては、保険にかかる費用は増えていく。
アガサは半笑いで溜息を吐いた。
「もう、そんなんじゃないって」
笑って呟き、伸びをする。
「リベルがいないとつまんないのは事実だけど、」
二箇月ほど前に〈フィード〉で見掛けた情報を脳裏に浮かべて、彼女は自分に言い聞かせるように。
「あいつ、最近はフロレアにいたみたいだし――亜竜を一人でやっちゃうなんてさすがだけど、まあ、勇者は続けてるみたいだしね」
アガサはテーブルの下で拳を握った。
「どこかの鉱路でばったり会うなんてことも、そのうち、きっとあるでしょ」




