12 五年越し
勇者組合は、小切手に書かれた金額を前にして、他の町の勇者を乗せて陸艇を出すことを了承した。
早朝に叩き起こされることとなり、あからさまにバンクレットを邪険にしていた勇者組合の職員が、目を疑う桁の数字が記された小切手を見て、ついで少なくない金額が記された小切手を別で己の懐に押し込まれて、当初の機嫌の悪さはどこへやら、勇者でさえあれば誰でもどこへでも乗せて陸艇を出させてみせましょうと断言するのを見るのは、リベルにとっては乾いた笑いを誘う一場面だった。
その彼の隣でヴィレイアは、バンクレットが勇者組合に対して切った小切手が、いわば予算を圧迫する形となって、彼女への報酬を目減りさせることにならないかを心配していた。
だが、如何に大金を積もうが、勇者組合は保険組合の意に反することは出来ない。
そして保険組合は、彼らの保険を購った勇者以外が鉱路に降りることを容認しない。
ゆえに、どう言葉を尽くそうが、陸艇に乗り込んで良いと許可を得られたのは、徽章を見せたリベルとヴィレイアだけだった。
バンクレットは細々とした指示や忠告をリベルとヴィレイアに与えようとしたが、ヴィレイアは苛立たしげに、
「治癒精を自分でかっぱらってしまうよりも、あなた方から正規の報酬を頂く方がずっと私の得になるので! ご心配なく、ジョーゼル小父さま!」
と叫んで陸艇に乗り込んだ。
すんでのところでリベルが、「万事が上手くいった場合は、可能ならばヘルヴィリーのヴァフェルム邸へ直行すること」という指示を聞き取ったとき、陸艇の昇降口がものものしい轟音とともに閉じられた。
普段は、人工加護の開発とともに量産されるようになった勇者でいっぱいになるはずの陸艇は、今はがらんとしている。
造りは、エーデルの勇者組合所有の陸艇と変わりない。
光晶の灯器が淡い金色の光を陸艇のホールに投げかけ、浮揚璧の色合いの上に、何十年分もの汗や血やその他の汚れが染みついた床が、無人を強調するように広く続いている様を照らしていた。
リベルは、心臓が圧迫されるような緊張を覚え始めていた。
――件の法術師を連れているのが本当に彼の元相棒であるとすれば、実に五年ぶりの再会だ。
もちろん、実際に面と向かってみれば、見たこともない傭兵が件の法術師を連れていた――という可能性もある。
だが、元相棒が目指す先にいる可能性はゼロではない。
元相棒は、間違いなくリベルを恨んで憎んでいることだろう。
それは全く正当なことだ。
リベルは多くのものを彼から受け取って、返すことなく一人で逃げ出したのだから。
――リベルが逃げ出してからというもの、二人の人生は離れていた。
だが、今日だけは、再び二人の人生が重なる可能性がある。
――五年前に告げるべきだった言葉を口に出来るとすれば、それは今日しかなかった。
リベルは、大恩があるというべき彼を見捨てるという罪を犯した。
――その罪を改めるか、あるいは罪を罪のまま、いっそう深いものとするか。
それを選ぶ自由が今のリベルにはある。
――そう、自由が。
不義理をした相手に会いに行くために覚悟が必要か。
――否。
「そんなものは弱者の胸にあるものだ。――強者には常に自由がある」
ヴィレイアは、無人の陸艇というもの珍しい状況に、周囲をきょろきょろと見て回っている。
そのうちに、普段ならば他の勇者隊と争奪戦になる――かつ、その争奪戦に勝ったとて他の勇者隊と長椅子を分け合わねばならない――陸艇の小部屋の一つに、伸び伸びと落ち着くことに決めたらしい。
己の緊張に気を取られ、目を離した隙にヴィレイアの姿が消えたため、彼女を捜してがらんとした陸艇の通路をうろついたリベルは、「着いたら起こしてねー」という、暢気な声で彼女を捜し当てることとなった。
覗き込んだ小部屋では、ヴィレイアが靴も脱いで長椅子の上に寝そべり、すっかり落ち着いた様子を見せており、鼻唄を歌いながら両脚の爪先を揺らし、「一一〇二」という数字が浮かんだ時精時計を胸の上に持ち上げて、それをじっと見つめていた。
リベルに気づくと、彼女はにこっと微笑んで、時精時計を胸の上に落とすと、跳ねるように元気よく立ち上がった。
黒いリボンで上げたままになっている白百合の色の髪が、寝そべった拍子にだろうが少し乱れていた。
リベルはてっきり、ヴィレイアが一人になりたがっているものと思って小部屋から遠ざかりかけたのだが、案に相違して、ヴィレイアは嬉しそうにリベルに近付いてくると、ヴァフェルムの邸宅で過ごした一夜が、贅沢という意味でいかに素晴らしかったかを、囀るように話し始めた。
話している間ずっと、光晶の灯器の明かりを映して、ヴィレイアの大きな濃緑の瞳が、長い睫毛の奥できらきらと輝いていた。
リベルはいつもの癖で彼女の話を聞き、彼女の話が途切れたときに、ふと――全く衝動的に、元相棒の話をしていた。
――傭兵団に入れられたときには既にいたこと、リベルが熱を出したときに彼の分の食事を確保しておいてくれたこと、リベルの失敗について、幾つか彼が肩代わりしてくれたこと、鉱路で守ってくれたこと。
リベルと話すとき、妙に嬉しそうにリベルの顔をじっと見つめる癖があったこと――そしてあるときから、その顔が悲しそうに歪むようになったこと。
生家のことを話すときには、投げ遣りな口調になって遠くを見る癖があったこと。
リベルが罰を受けるべきとき、彼が代わって進み出るのが、耐え難いほど見ていられず、そのうちにまともに顔を見ることさえ難しくなったこと。
ヴィレイアはリベルの顔ではなく、正面を見てその話を聞いていた。
もし仮に、彼女がまじまじとリベルを見ていたら、リベルは早々に黙り込んでいたことだろう。
リベルの言葉が途切れると、ヴィレイアは短く、しかし確かに、リベルの右手の親指を握った。
そして、彼とは目を合わせないままに、きっぱりと言った。
「――会えると思うわ。話せると思うわ。
あなたは人工とはいえ加護持ちだもの。運はいいに決まってるのよ」
いつかの意趣返しのようなその言葉に、リベルはヴィレイアを見下ろして、思わず微笑んでいた。
*◇*◇*
明りクラゲのランタンを手にした少女は、恐怖に竦んで震えている。
坑道には血が溢れていた。
力任せに翼を裂かれた化けコウモリの死体が転がり、傷口から今もどくどくと血を流し続ける。
無数の大きなネズミが踏み潰されたかのようにあちこちで転がり、寸刻みに切り刻まれた巨大な百足が、肉片を岩壁にまで撒き散らして断末魔を迎えている。
背後にその惨状が延々と続き、そして今もまさに、エルカが新たな惨状を作り出している最中。
エルカの髪は滴るばかりの返り血に濡れ、シャツにも元の色が残らないほどの血を浴びている。
とはいえ全てが返り血であって、エルカは傷一つ負ってはいなかった。
「どこまで行くの?」
少女が喘ぎながら尋ねてくる。
懸命にエルカの後ろをついて来てはいるものの、幾度も血で足許が滑り、転倒していた。
そのため、彼女の衣服も、膝から下は真っ赤に汚れている。
転んだ拍子にすり傷も拵えたはずだが、少女は今や彼女ただ一人だけが使うことの出来る、治癒精の力を使おうとはしていなかった。
「まだ奥まで」
エルカは少女を振り返りもせずに応じた。
――行く手に、別の勇者隊だろう一団が手に持つ明りクラゲのランタンの光が見えた。
舌打ちして脇の坑道へ入る。
勇者隊に姿を見られれば、禍根を絶つためにも皆殺しになければならないが――そしてエルカの技量からすれば十分にそれも可能だろうが――、その惨状を見た少女を宥めて同行させる労力を思えば、避けられるうちは避けた方が良いだろうと判断してのことだった。
一回りほど狭い坑道を進みながら、エルカは落ち着いた口調で続ける。
「追手が掛かってるかはまだ分からないけど、掛かってる場合、追い着かれるのは避けたいんだよね。主に、俺のご主人がそれを許さないって理由で。
追手が法術師だったときのことも考えて、出来ればでかい鉱路生物のそばで待ち構えたいんだよね」
少女は啜り泣いた。
――大型の鉱路生物の前では、影契約の多くが正常に機能しなくなることは知られている。
それゆえのエルカの言葉だと分かってはいるだろうが、
「追手が来るまで、どこかに隠れていればいいじゃない」
ふらつきながら訴えられ、エルカは鼻で笑った。
「願い下げ。――どのみち、この血の匂いで他の鉱路生物も寄ってくるよ。
追手が掛かってるとして、そいつらは苦労するだろうな」
「でも、大型の鉱路生物のそばで待つなんて、無理よ。食べられちゃうわ」
エルカは衒いなく応じた。
「大丈夫だよ、俺がいる」
エルカは、この少女が法術師――それも、相当に上等な部類の法術師――だということしか教えられていない。
彼女の法気は潤沢で、ゆえに商会が彼女の身分を買い取ることを決めたのだと。
彼女に心袋があるのかどうか、加護があるのかどうかすら、エルカは知らない。
翻ってエルカ自身は加護持ちだ。
人工の加護ではない――先天的な加護持ちで、にも関わらず欠落税逃れのために売り飛ばされたという不運に、人生の比較的始点に近い位置で、エルカは加護を有難がる気持ちを失っていた。
エルカは法気に恵まれていない――正確には、法気を備えてはいるものの、役に立つ精霊と契約を結べるほどではない。
心袋には恵まれた――これは平均よりも大きな心袋に恵まれたが、それでも相棒だった少年に比べれば、彼の心袋はないも同然だった。
そんなエルカが、かつて相棒を守る余力すらあった理由、鉱路を我が物顔で闊歩できる理由は一つ。
――圧倒的なまでの戦闘センスに恵まれたがゆえ、それに尽きる。
だからこそ、鉱路を進んだ先で営巣している獅鷲を見つけたときであっても、エルカは微塵も怯まなかった。
「――おお、亜竜じゃないなら余裕だな」
アーチ型の高い岩壁が天井を成す、天然の大広間じみたその一画を、影に身を潜めながら覗き込んで、エルカはそう呟いていた。
一方、少女は色を失って小刻みに震えている。
耳を澄ませば、彼女の激しい心音まで聞こえてきそうだった。
獅鷲は、獅子の下半身と大鷲の上半身を持つ鉱路生物だ。
四肢を持ち、背中には巨大な翼が生える。
鳶色の毛並みのものが多く、牝には羽毛に斑模様が入る。
獅鷲が営巣するその一画には、カガヨゴケが群生していた。
明るい青色に輝く苔が、地面のかなりの部分と、エルカから見て左側の壁に群生し、辺りを照らし出している。
アーチ型の高い天井からは、硝子を編んだような質感の蔦が幾重にも垂れていた。
獅鷲はカガヨゴケの上で、その透明な蔦をふんだんに使った巣を築いて、悠々と寛いでいる。
見たところ、子供はいない――番が棲んでいるだけのようだ。
(良かった――子供がいたら、一気に狂暴になるからな……)
エルカは掠めるように考え、獅鷲に見つからないよう、岩壁の蔭に身を潜める少女から、ランタンを取り上げて、ついでに少女に上着を脱ぐよう合図した。
訳が分からない様子ながらもそれに従った少女の上着で、地面の上に置いたランタンを覆う。
辺りが暗くなり、少女が悲鳴を上げようとしたが、それを予期していたエルカはうんざりしてその唇を塞いでいた。
「――黙れって」
囁く。
「明かりに気づいた獅鷲がこっちに来るのと、ちょっとのあいだ暗いのを我慢するの、どっちがいい」
「…………」
少女の返答は聞くまでもないようだった。
エルカは少女の顔面から手を離し、小さく息を吐く。
少女はエルカのそばに身を寄せて、哀れなまでに震えている。
とはいえそれを憐れむ心は、エルカにはなかった。
「そこで愛玩犬みたいに震えてるなんて無駄だから、追手が来ないか見張っててくれ。獅鷲の見張りはしたくないだろ」
少女は薄く口を開け、それから唇を引き結ぶと、目の前の現実から目を逸らせるのであればなんでもすると言わんばかりに後ろを振り返り、暗い坑道に誰かが掲げる明かりがぽつんと見えることがないか、忠実に見張り始めた。
彼女が手にしたランタンは、手指の震えを受けて滑稽なまでにがたがたと揺れている。
淡い影がランタンの動揺に合わせて岩壁で揺れるのを目の端に見ながら、エルカは聴覚を背後に、視覚を獅鷲に向けるような具合で、静かに神経を張り詰めた。
獅鷲の番は、巣で寛いでいるようだった。
透明な蔦とカガヨゴケ、そして他の鉱路生物と――恐らくは勇者たちの――骨で築かれた巨大な巣の向こうで、彼らがごそごそと身じろぎする音がして、気配があって、時おり大きな鷲の翼が巣から覗く。
低い、笛を鳴らすような微かな声も聞こえていて、それは獅鷲が警戒を解いていることの証左になる声だった。
カガヨゴケの青白い明かりだけが光源となる天然の大広間で、どうやら番は微睡んでいるところらしかった。
――と、少女がはっと息を呑んだ。
同瞬、エルカも異変に気がついた――微かな足音、潜める気もないだろう、足早に進む靴音が、坑道に反響する音だ。
まだ遠いが、エルカはその人数を多くて三人と見積もった。
振り返り、それこそ仔犬のように不安そうにする少女の手首を掴み、震えて頻りに首を振る彼女の無言の抗議を黙殺して、彼女を天然の大広間に引きずり込む。
――獅鷲にはまだ気づかれていない。
少女を、坑道からは見えにくい奥へ押し込む。
エルカ自身は、坑道が辛うじて見える位置に身を潜め、いつでも戦闘に移ることが出来るよう身構える。
そのとき、少女が悲鳴を押し殺す様子で口許に手を当てた。
彼女がじりじりとエルカの背中に近付き、彼のシャツをつまんで、精いっぱいに抑えた声を出した。
「――駄目です、まずいです……!」
それと、ほぼ同時だった。
エルカの世界から、一切の音が消え去るのは。
*◇*◇*
――坑道を急ぎ足で進んで来る人影。それは二人連れだった。
ここに来るまでに激しく鉱路生物と戦ったことが分かる、それぞれが血に塗れた格好。
背の高い方が明りクラゲのランタンを掲げ持っており、その光で落ちる影が坑道に踊っている。
そして、その顔貌。
――赤錆色の髪と、内気そうながら意思の強さを感じさせる目鼻立ちと、――朱色の瞳。
その姿。
最後に会ってから互いに成長期を迎え、背が伸び、顔立ちから幼さが削ぎ落され、大人らしさが増したにせよ、見間違えることなど有り得ないと断言できる――
エルカにとっては一度も忘れたことはない、
「――リベル……?」
かつて彼を見捨てた相棒。
*◇*◇*
その少女が見たのは、明りクラゲのランタンの光を右側から受け、光り輝く白百合の色の長い髪を額から上に留め、一つに結って堂々と歩いてくる、もう一人の法術師の姿だけだった。
――見れば分かる、見ただけで分かる、その白百合の髪の娘の異様さ。
少女自身も法術師、それも尋常ならざる量の法気を報酬として要求する治癒精と真契約を結ぶことが出来るほどの、潤沢な法気に恵まれた法術師だ。
――その彼女をして戦慄せしめる、圧倒的なまでに上質な法気。
(まずい、本当にまずい――)
白百合の髪の娘が、少女を見た。
目が合った。
白百合の髪の娘が面白がるように唇を曲げる――気づいたのだ、ここにいるのが治癒精を盗むという不遜を働いた法術師だと。
「し――」
思わず、彼女は噎せるようにして言い差していた。
――仕方なかったの、自分で選んだのではないの、私は、――
しかし、白百合の髪の娘にそれを聞く気は毛頭なかった。
彼女が、ぴん、と、左手の人差し指を立てる。
明りクラゲの光を受けて、壁面に踊る彼女の影。
己の身の内で、治癒精が蠢いて白百合の髪の娘を見た。
それをはっきりと感じた。
――儀式もなく、然らば法気の呈示もないままに、治癒精が白百合の髪の娘の法気を察知している。
(有り得ない……)
戦慄する少女の愕然とした眼差しの先で、白百合の髪の娘の指が振られる。
――まるで、その指先から少女の身の内に宿る治癒精に、真っ直ぐに糸が張られたよう。
光り輝くその糸が、彼女の指の動きに従って、耐え難いほどに強く振動し、惹かれ、手繰られるかのよう。
精霊にしか分からない魅惑の仕草で指を振り、白百合の髪の娘が小さく囁く――小さく、しかし、精霊には雷よりも大きく轟いて聞こえるだろう、花の蜜のような声で。
「――契約、真、治癒精」
「――――!」
ただ、その一言。
少女は目を見開いている。
――言葉のみで精霊と契約を結ぶ法術師など聞いたことがない――彼女自身にも不可能なことだ。
だが、白百合の髪の娘の言葉、ただの言葉に、少女の身の内に宿る治癒精は、確かに反応していた。
――治癒精は力の強い精霊だ。
儀式も諭示行為もないただの言葉で、さすがに契約が奪われることはないが、
「なに……?」
囁くことしか出来ない。
――治癒精が、すっかり魅了された様子で白百合の髪の娘の法気の匂いを嗅いでいることが分かる。
身体を持たない精霊が、実体のない法気の馥郁たる香りに陶然としている。
治癒精と契約を結んでいる少女の法気もまた、千人に一人と言われる水準のもの――それがゆえに治癒精は、辛うじて少女との契約を維持しているに過ぎない。
まるで美酒に酔ったかの如く、煙のようにたなびいて、白百合の髪の娘へと揺れ動こうとする治癒精――
それほどの法気。
まさに万に一つの法気。
「ち、さすがに」
白百合の髪の娘が呟く。
悪戯っぽくさえある、余裕綽々といわんばかりの、精霊に愛されることに慣れているがゆえの傲慢さで。
「さすがに駄目か」
治癒精ほどの精霊を、言葉のみで動かそうとする法術師。
(――なに、この……化け物は)
「ち、さすがに駄目か」
ヴィレイアは呟き、左手を下ろした。
ちら、と、隣を歩くリベルを見上げる――リベルはヴィレイアのことは一瞥もしなかった。
彼はただ一心に、食い入るように、行く手の暗闇に見える青年を見据えている。
行く手に見える青年。
砂色の髪、リベルよりはやや身長は低いか――しかしリベルよりも鍛えられていることが分かる、がっしりとした身体つき。
粗末な傭兵らしい服装が、今はべっとりと血に塗れている。
青年の、どことなく怜悧な雰囲気の顔貌は間違いなく明りクラゲの光を頼りにこちらを見ており――リベルを見てこそ、切れ長の薄青い瞳が見開かれている。
――リベルが大きく息を吸い込んだのが、ヴィレイアには分かった。
では、彼が、彼こそが、リベルがずっと罪悪感を抱えてきた、彼の相棒その人なのだ。
まさか本当に相棒と再会することになるとは、予測はしていても半信半疑だったのだろう――リベルの全身が驚きで強張っているのが分かる。
片や、行く手の青年もまた、数秒のあいだは完全に自失したようだった。
――これも当然といえば当然、彼からすれば、リベルはとうにどこかで欠けたと思っていても不思議ではなかったはずだ。
まさに、欠け人が再び意思を持ったところを目の当たりにしたように、愕然とした、血の気すら引いた顔貌でリベルを凝視している。
「挨拶の邪魔はしないよ、リベル」
リベルの世界は、その瞬間に無音になっていた。
視界がぐるぐると回り、近くにいるだろう鉱路生物の脅威すら、このときばかりは頭の中から吹き飛んだ。
唯一正しい場所にいるもの、ぐるぐると回る世界の中心になっているのは、行く手に凝然と立つ相棒で――
――まさか本当に会えるとは。まさか本当にこの一件に関わっていたとは。
――本当に、今日まで互いに生き延びられたとは。
感情というより、心臓がただひたすらに存在を訴え、激しく肋骨を叩いたその瞬間。
頭がかッと熱くなり、思考が全て千々に乱れて錯綜しようとする、その瞬間。
言葉などとても作ることは出来ない、胸が詰まって前に進むことすら覚束なくなろうとした、その瞬間。
「挨拶の邪魔はしないよ、リベル」
隣から聞こえた声にはっとする。
衝撃余ってがんがんと耳鳴りがしていたが、その声ははっきりと聞こえていた。
半ば振り返る。
明りクラゲの光を受けて、彼の左側を歩くヴィレイアが、励ます気持ちをからかいの蔭に隠したような表情でリベルを見ていて、軽く首を傾げていた。
「――――」
リベルは息を吸い込んだ。
目の奥が熱くなった。
「――うん」
そして振り向く。
まだ距離のある暗闇の先。
こちらを茫然と見つめている相棒。
――足を止め、五年ぶりに呼び掛ける。
「――エルカ」
声が震えたので息を吸い込む。
そして、ますます目を見開く相棒に向かって、意識して表情を作ることも出来ず、告げる。
「本当なら、五年前に言うべきだったことを言いに来た」
彼の人生最大の過ちを、今こそ取り返すことが出来るはずの、その言葉を。
「――助けに来たぞ」




