03 状況説明
ヴィレイアは瞬間、茫然と立ち竦み――
「――いいえ」
はっきりと答えた。
「いいえ、決して」
「精霊との契約は確固たるものだが、第三者から見れば曖昧なものだ――証明する手段がない」
ヴァフェルムがそう言って、バンクレットに目配せする。
バンクレットが短銃を抜き、その銃口を真っ直ぐにリベルに向けた。
――その瞬間、リベルは腑に落ちた。
議員ともあろうヴァフェルムが、なぜ彼が会うことを望んだヴィレイアの他の人間――リベルを、外で待機させておかなかったのか。
それはこのためだ。
リベルが重傷を負いさえすれば、仮にヴィレイアが治癒精と真契約を結んだ犯人だった場合、彼女がリベルを助けると踏んでのことだ。
ヴィレイアが無実だった場合には取り返しがつかなくなるわけだが、そこはさすが議員というべきか、勇者の一人や二人、人とも思っていないのかも知れない。
一瞬のうちに、目まぐるしく室内の様子が変わった。
リベルは殆ど反射的に、相手に反応の隙を与えぬ速度で短銃の銃身を握り、力づくで銃口を下げさせ、バンクレットの腕の然るべき部分を強く押した。
途端に力が抜けるバンクレットの手から短銃を捥ぎ取り、右手に構えてバンクレットの眉間にぴたりと銃口を向ける。
同瞬、ヴィレイアが寸分の躊躇もなく〈焔王牙〉を抜いていた。
薔薇色の刀身を陽炎が覆う、鉱路の化け物の牙から打ち出した一振り。
躊躇も逡巡もなく、人間など一撃で灰にするだけの威力を持ったその武器を、ヴィレイアが執務机の向こうのヴァフェルムに向ける。
ここまでが、バンクレットがリベルに銃を向けてから一秒の間に起きたこと。
バンクレットの眉間に向けた銃口は十分の一インチも動かさず、リベルは思わず叫んだ。
「ヴィリー、やり過ぎだ!」
「やり過ぎ? どこが?」
恐ろしいことに心底不思議に思っている声音でそう返し、ヴィレイアは激しいばかりの口調をヴァフェルムに向け、断言した。
「あなたたちは私から人生を奪うことも出来るけど、この瞬間は奪えない!」
こいつ、以前に権力者と揉めたことでもあるのか――と訝ったのも一瞬、バンクレットと目配せを交わし、短銃を放り投げて彼に返すと、リベルは脱兎の勢いで数歩を詰めて、〈焔王牙〉を構えるヴィレイアの左手を抑え込んだ。
「ヴィリー、落ち着け。大丈夫だ」
ちらりと視線を向けた先で、ヴァフェルムは落ち着いた様子で両手を挙げている。
所謂「降参」の仕草だが、眼差しは完全にヴィレイアを品定めしていた。
そして咳払いして、迷惑そうに呟く。
「ヴィレイア、その剣を仕舞ってくれ。書類が焦げる」
ヴィレイアは頑として引かない様子を見せたが、溜息を吐いたリベルが重ねて促してようやく、〈焔王牙〉を鞘に収めた。
本当に申し訳ありません、と頭を下げるリベルに、ヴィレイアは完全に拗ねた顔。
「全然申し訳なくないよ。私、無実だもの。
私に銃を向けるならともかく、リベルに向けたんだよ」
「無実だとしても、暴力でそれを訴えてどうするんだよ」
「鉱路で狂気的に笑いながら鉱路生物を撃退していく人に言われても……」
「それとこれとは全く別だろ。
――それに、撃つ気はなかっただろうし――ですよね?」
視線を向けたバンクレットは、先ほどリベルに強く押された腕の一点を無表情に撫でながらも、小さく頷いた。
なおも不機嫌に可憐な顔を顰めるヴィレイアに、ヴァフェルムが溜息を吐き、再び椅子に腰掛ける。
「きみの反応を見るためだけのことだった。
――仮にきみに心当たりがあれば、喧嘩っ早い真似はせず、平身低頭無罪を訴えるのが定石だ」
「ご期待に副えず」
「きみがそこまで見越して、敢えて暴力的な手段に出たという可能性も、通常ならば疑って然るべきだが、――今回はそれはないだろう」
息を吐き、ヴァフェルムはバンクレットに眼差しを向ける。
「そもそも私は、きみに会う前から、きみへの疑いは薄いという結論に至っていたんだ。
――挑発して悪かったが、暴力的な人間と同室にいるのは、私の立場が許さない。どうしてきみにここまで来てほしかったのかは、バンクレットから説明させよう。
――退出したまえ」
「申し訳ない、ヴァフェルムさまも悪気があるわけではないのだ」
と、折り目正しくバンクレットは言った。
ヴァフェルムの執務室と思しき部屋から退出したあと、二人は書斎に連れられた。
暖色系で纏められた調度品、上から下まで壁を埋め尽くす書架。
窓は一箇所、入口から見て右の壁に、書架と書架の間を切り開くようにして擦り硝子と色付き硝子の嵌め殺しのものがあり、その窓を横に見て差し向かう形で、深紅のソファが二脚ずつ置かれている。
室内には他にも鋲を打った革張りの安楽椅子もあり、如何にも居心地の良さを追求したといった書斎だ。
「ただ、あの方はお立場ゆえに、ああいったもの言いしか許されないもので」
「それはどうでもいいんですけど、言っていた謝礼は?」
窓際のソファで首を傾げるヴィレイア。
退屈そうに彼女が弄ぶ時精時計には「一一〇四」の数字が浮かぶ。
「まずは話を聞いてくれ」
ヴィレイアが隣にいるリベルを窺った。
リベルは「呼ばれたのはおまえだろう」という意味を籠めて肩を竦める。
それを、「聞いてやればいいんじゃない?」という意味にとったのか、ヴィレイアは生真面目にこくりと頷くと、バンクレットに向き直った。
「どうぞ?」
バンクレットはヴィレイアの対面のソファに深く腰掛けて、その膝に肘を突いている。
両手を軽く組み合わせた彼は軍帽を脱いでおり、刈り込まれた金髪が露わになっていた。
「――治癒精との影契約が破棄されたのは、先ほど聞いた通りだ。
勇者たちにも徐々に混乱が広がっているし――顕著にまずいのは療院だな。診ていた患者が欠落したという報告は既に多い」
反応に困った様子でヴィレイアは肩を竦めた。
リベルは顔を顰めている。
――ふと、元いた勇者隊のことを考えた。
アガサ、アーディス、ラティ、リガー。
治癒精との影契約が効力を失ったならば、当然ながらそれは、あの隊の法術師であるリガーの契約にも及んだはずだ。
(無事かな――……まあ、心配ないか)
何しろ、全員が一等勇者である。
異常に気づいたならば探索を控える良識もあろうし、探索自体を無傷で乗り切ることも多かった腕利きたちだ。
ちらりとヴィレイアを見遣る。
彼女も元いた勇者隊――それどころか、貯金さえ出来れば再び合流しようとしている勇者隊でさえある――のことを案じているかと思いきや、ヴィレイアは謝礼のことしか考えていなさそうだった。
思わず、リベルは自分のことを棚に上げ、ヴィレイアを小突いていた。
「……――おまえ、元いた隊のこと気にならねぇの……メメットさん、だっけ。あの人たち」
「ああ」
と、ヴィレイアはいっそつまらなさそうに。
「大丈夫よ。第一に、あの隊にいた法術師は私だけじゃないから、異常があればすぐに気づくでしょうし、第二に、あの人たちは私がいてもいなくても困らない素敵な人たちなの」
リベルは瞬きした。
「そ――そう?」
バンクレットが控えめに咳払いし、二人の注目を自分に戻した。
そうして話を続ける。
「議会としても問題視せざるを得ない事態だ。詳しい経緯は省くが、責任者として選ばれた――全ての責任を擦り付ける先にされたのが、ヴァフェルムさまだ。
ヴァフェルムさまは今、最も蓋然性のある説を調べておられる。つまり、誰かが治癒精と真契約を結んだ可能性だ」
「私じゃないですよ」
警戒ぎみにヴィレイアが呟き、バンクレットは「分かっている」と片手を振る。
そして真面目に言った。
「きみは気が立っているようだから、正直に言うのも憚られるのだが、――実をいうと治癒精の独占を図る勢力にはもう見当がついているのだ」
「誰のせいで気が立っていると思ってるんでしょう。
――それで、その大馬鹿者の心当たりは誰なんですか?」
呆れたようにそう言いながら、ヴィレイアは白百合の色の髪を肩に滑らせて首を傾げる。
バンクレットは少しだけ身を乗り出した。
「――ショーズ商会を知っているかな」
その瞬間、リベルが僅かに息を詰めた。
隣で息を詰めた風情のリベルを、ヴィレイアは瞬いて見上げる。
しかし、見てみればリベルの表情は平生となんら変わりない。
気のせいか、と思いながら、濃緑の瞳をバンクレットに再び向ける。
「もちろん知ってます。お得意さまですもの」
共和国南に本拠を置くショーズ商会は、万物商賈の名も高い名門商会だ。
お得意さま、とヴィレイアが言ったのは比喩ではなく、実際に勇者組合が勇者から買い上げる資源を商うに当たり、ショーズ商会を介することは多い。
「そうだ。――商人組合の中でも随一の発言権を持っている。
議会にいる商人組合の代表はフィアオーゼという。この件についての責任者として、ヴァフェルムさまを推挙した主犯だな」
ヴィレイアが瞬きして、「どう思う?」と言わんばかりにリベルを見上げたが、リベルはバンクレットの方を見ていた。
空ぶった視線に咳払いしてから、ヴィレイアは先ほどとは反対側に首を傾げる。
「その商会に、治癒精と真契約を結べるくらいに腕のいい法術師がいるんですか?」
「いや、そのような事実は把握していない。だが最近、腕のいいという噂の法術師を、彼らが買い取ったという話があった」
「商会が?」
「商会が――というよりは、商会お抱えの傭兵団が、かな」
「お抱えの傭兵団?」
「商会の発展途上から、商品流通過程での危険に対処するために傭兵を雇っていたらしく、今ではすっかりお抱えになった傭兵団があるのだ。まったく質の悪いことに」
なるほど、と頷くヴィレイアに、バンクレットは膝から肘を離し、背筋を正す。
「――つまり。ヴァフェルムさまがきみを呼んだ真意としては、こう尋ねるためだ」
膝の上で手指を組んで、バンクレットは素朴に尋ねる。
「ヴィレイア、きみは、現在治癒精を分不相応にも独占している者が特定できれば、その真契約を上書きすることが出来るだろうか?」
ゆっくりと瞬きして、ヴィレイアは肩を竦めた。
日頃からリベルに鍛錬しろと言われては面倒だと躱し、剣術を勉強しろと言われてはつまらないと返す彼女が、なぜ法術においては群を抜いた才能を発揮するのか。
理由は二つある。
一に、ヴィレイアの桁外れの法気の質。
二に、法気が知識を含有するということ。
法気を宿す者は大抵が、精霊法術の基礎を備えて生まれてきている。
さながら第二の本能のように。
ゆえに、法術は勉学と鍛錬ではなく、ひたすらに才覚の世界。
「どうでしょう」
そう言って、ヴィレイアは右手をひらひらさせる。
「出来ないとは言いませんが、出来ると断言もできません。
――そもそも他の法術師と真契約を結んでいる精霊を横取りするのは難しいんです。こちらの法気があちらの法気に勝らないといけないし、『諭示行為』に入らないといけませんし。まあ、相手が欠けていれば別ですが」
知ってた? とばかりに得意げにリベルを窺い、しかしリベルが無反応なので、ヴィレイアは少しばかりつまらなそうな顔をした。
「出来るにせよ出来ないにせよ、取り組んでくれさえすれば報酬は弾むと、ヴァフェルムさまは仰っている」
至極真面目にバンクレットはそう言った。
「七十オレガは確実と」
「なっ――!」
絶句するヴィレイア。
――共和国の通貨は、共和国が認めてこそ価値を発揮する紙幣と硬貨から成っている。
一オレガは百二十ペオド、一月の暮らしは三千ペオド――即ちおよそ二十五オレガで成り立つと言われており、ちなみにいえば昇格に当たり勇者組合が求める預託金は、四等勇者から三等勇者に上がる際に五十オレガだ。
即座に身を乗り出して頷こうとするヴィレイアをちらりと見て、リベルは人知れず詰めていた息を吐き出した。
「――いいんじゃない。ヴィリー、頑張れ」
ヴィレイアがぱちりと濃緑の瞳を瞬かせ、リベルを見つめる。
「リベル?」
「依頼が探索じゃないなら、俺がくっ付いて行く意味はないだろ。
今回俺は門外漢だし、先にエーデルに戻っておく」
ヴィレイアはますます目を見開いた。
「戻っても、あなたも探索は出来ないよ?」
「だから、おまえは俺を探索狂いか何かだと思ってるの? ――普通にのんびりしておくから」
ヴィレイアが何か言おうとして言葉に詰まるのを後目に、バンクレットが口を挟む。
「いや、ヴァフェルムさまにも、自由に動かせる戦力がそう多くあるわけではないのだ。せいぜいが一個中隊程度の規模だ。きみにも出来れば同道願いたいが」
「無理です」
ヴィレイアが内心で意外に思ったほどにきっぱりと、リベルは応じた。
「俺は関わりません」
朱色の瞳がバンクレットを見る。
バンクレットは金褐色の瞳を瞬かせた。
「然様か。勇者は常に隊で行動するものと思っていたのだが、例外もあるのだな。何か事情が?」
リベルは全く表情を動かさなかった。
「別に。気が乗らないだけです」
「然様か」
繰り返して頷き、バンクレットは淡々と案内した。
「エーデル行きの陸艇は数日に一回しか出ない。ホテルにでも泊まっていくといい――小切手を渡そう――」
「いや」
リベルは硬い口調でそれを遮った。
「俺は金には困ってないんで。
――それじゃあ」




