6:これからもこの先も
「シャーロット、怪我はないか?」
ローレンス皇太子から私を任された護衛騎士のレイモンドが私を見た。
「私は大丈夫です。私より、皇太子さまが……」
まだ私が11歳だからだろうか。涙腺が弱くて、私の勝手な行動のせいで怪我をしてしまったローレンス皇太子に対し、申し訳ない気持ちになり、涙がボロボロこぼれていた。
「シャーロット、可愛いなぁ」
レイモンドはそう言うと、ハンカチを取り出し、私の涙を拭う。
「ローレンス皇太子さまが言っていただろう? かすり傷だって。剣術の訓練の時なんて、こんな青あざを作るなんて日常茶飯事なんだぜ」
突然レイモンドが自身の上衣をめくり、綺麗に割れた腹筋が目に飛び込んできて、ドキッとしてしまう。だが脇腹の青あざに息を飲む。
確かにその青あざは先程の傷に比べると重傷に思える。
「その痣は……痛くないの? 大丈夫なの?」
「痛いさ」
「!」
「でも、こんな痣を負うってことは、俺がまだまだってことだから。こんな痣作らないよう、精進あるのみだよ。ローレンス皇太子も同じ。シャーロットを守りたいと思うなら、これぐらいで怪我をしている場合じゃない」
そこに子猫と親猫を抱えた警備の騎士が戻って来て、レイモンドと私も馬車に向かい、歩き出す。
「ローレンス皇太子はかすり傷を負ったけど、俺は無傷だからな。だからちゃんと鍛えていれば、ローレンス皇太子だって無傷で済んだはずなんだから。シャーロットが泣く必要はない」
「でも……」
レイモンドはベンチの時と同じ。指でぷにっと私の頬を押すと「シャーロット、可愛い。皇太子さまのために泣くなんて。シャーロットが泣いていたって知ったら……。皇太子さま、大変なことになるぞ」と言って笑う。
……。どうしてなのだろう。
どうしてローレンス皇太子は……。
湖で溺死しそうになった時も、彼に助けてもらった。
乗馬している時も、散々守ると言われていた。
そして今回も実際に守ってもらえたのだが……。
「どうした、シャーロット?」
レイモンドの黒い瞳が私に向けられている。
乙女ゲーム『ハピラブ』では、市中引き回しの上、国外追放で断罪をする攻略対象の一人なのに。この優しい眼差しを見ていると、それを忘れそうになる。
「……皇太子さまは、なんで私をあんなに必死に守ってくれるのかしら? 私が年下で、か弱い女の子だから?」
「それは勿論、そうだろう。そうすることが正義って、皇太子さまも、騎士道精神については学んでいるし。でもそれ以前にシャーロットは皇太子さまの特別だから」
「……特別?」
するとレイモンドはまるで「しまった!」というような表情になった。だが口ではなんだか違うことを言っている。
「ほら、シャーロットは、すごく可愛いだろう。だから特別なんだよ」
「レイモンドは嘘をついています!」
「う、嘘はついていないよ、本当だよ、本当!」
そうこう話していると、パン屋のある広場に戻ってきた。
そこにはチェリーパイを手に入れたグレアムとデュークが待っている。後ろには警備の騎士も待機していた。
ローレンス皇太子は一足先に、行きにみんなで乗ってきた馬車で、王宮へ戻っていた。怪我の治療のためだ。残った私達は、警備の騎士が手配した馬車に乗り込み、王宮へ戻った。
王宮に戻ると、一時、「皇太子さまが怪我をした!」と騒然とした。でも、それがかすり傷と分かると、騒ぎはすぐに収まった。その間、私達は街で何が起きたのか、王宮の役人たちに聞かれることになった。それが終わると、ローレンス皇太子と会うことができた。
ローレンス皇太子は寝間着を着せられ、ベッドで休んでいたが、私達が来るとすぐに起き上がった。
「たかがかすり傷なのに、みんな大騒ぎし過ぎだよ。父上にも……皇帝陛下にもちゃんと会って、問題ないって言ったら、ようやく騒ぎは収まったけれど……」
そこでローレンス皇太子は私の両手をとり、「ごめんね、シャーロット」と深々と頭を下げる。
なぜ謝るの? 謝るなら、私なのに。
そう思っていたら。
「大切なシャーロットを置いて、わたしだけあの場を離れるなんて。しかもかすり傷なのに。本当にごめんね、シャーロット」
ローレンス皇太子がふわりと私を抱きしめた。
これにはもう、驚き、心臓がドキドキして大変だ。
「そもそもわたしが怪我をしなければ、シャーロットをあの場に置いていくことにはならなかったはずだ」
そこで言葉を切ったローレンス皇太子は。
「レイモンド、明日から剣術訓練の後に、石投げを指導してくれ」
「仰せのままに、皇太子さま」
レイモンドは大人の騎士みたいに優雅に右手を左胸に添える。それを見て頷いたローレンス皇太子は、こんな提案をみんなにした。
「遅くなってしまったけど、許可はとってあるから、今日はみんなで夕食をここで食べよう。デザートで、グレアムとデュークが手に入れてくれたチェリーパイを出してもらうから」
これにはみんな大喜びになる。
だってローレンス皇太子と夕食を共にするということは。
皇族が口にする宮殿の一流の調理人が作った料理を食べられるのだから。
みんなが大喜びする中、私はローレンス皇太子に向き合う。攻略対象で近寄りたくないと敬遠しているのに、ローレンス皇太子は怪我を負ってまで私を守ろうとしてくれたのだ。その勇気ある行動に対しては、きちんと感謝の気持ちを伝えなければならない。
「ローレンス皇太子さま」
「どうしたの、シャーロット?」
「……守ってくださり、ありがとうございます。大人でもひるむことがあるカラスの群れなのに。立ち向かってくださり、心から感謝しています」
そこでペコリと頭を下げると。
すぐに両腕を優しく掴まれた。
「顔をあげて、シャーロット」
ゆっくり顔を上げると。
ローレンス皇太子は碧眼の瞳を細め、笑顔で私を見ている。
「シャーロット。君は11歳なのに。大人みたいな御礼が言えるのだね。すごいな。君の感謝の気持ち。ちゃんと伝わってきたよ。わたしは……君を助けることができて良かったと思っている。これからも、この先も、シャーロットのことを守るから」
これからも? この先も?
それは大いに引っ掛かる言葉であったが。
この流れで「いえ、それは結構です」なんて言えるわけがない。
「ありがとうございます」
そう、こう言うしかない。
私の返事を聞いたローレンス皇太子はとても満足そうだ。
「では一旦、みんな隣室の応接室へ移ってくれるか? わたしはこれから着替えるから」
この言葉に皆、隣室へと移動した。
◇
「シャーロット、今日は皇太子さまのところで、夕食をご馳走になったのだろう? 美味しかったかい?」
夕食を終えた私を迎えに来た父親……スウィーニー公爵はニコニコ笑顔で私に尋ねる。それに対する答えは……。
「はい。お父様、とても……とても美味しゅうございました……」
本当に、本当に、美味しかった。
もちろん私も公爵家の令嬢。屋敷ではとても美味しい食事をいただいている。それをもってしても今日の夕食は……。肉一つとっても最高級のランクのものが使われていた。口の中で噛む間もなくとろける。それにキャビアやトリュフもふんだんに使われていた。
何より、肉料理にも魚料理にも使われていたソースが、ソースが絶品!
複雑な味が混ざり合い、それが素材の味を見事に引き立てて、口の中で完成品となる。飲み込むのが惜しくなる程の味が、口腔内を満たすのだ。そしてその香りは豊かに鼻へと抜けていく……。
でも一番感動したのは、デザートで出てきたチェリーパイだ。
グレアムとデュークが行列に並んで手に入れてくれたということもあるし、何より今日の一番の思い出の味になった。