31:風の中に水の気配を感じる
ツリーハウスでローレンス皇太子と過ごした時間は……。
なんだか穏やかで甘くて幸せなひと時だった。
もっとここに二人きりで一緒にいたいなぁと思っているうちに集合時間になってしまう。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうって本当だな。でもローレンス皇太子と二人きりになるのはこれが初めてというわけではない。それなのに……いつも違う場所だったから? ツリーハウスという非日常な空間だったから?
恋愛の不思議に思い馳せている間にも、集合場所に戻ってきてしまった。ローレンス皇太子がつないでいた手をゆっくり離し、「馬の準備をするから、待っていてね、シャーロット」と碧い瞳を細めて笑顔になる。こくりと頷いた私は、その美しい姿に見惚れてしまう。
やっぱりローレンス皇太子は……ハンサムだ。彼のことを全力で避けたいと思っていた自分が信じられなく思う。
出発の準備が進められている最中。
「風向きが変わった。それに風の中に水の気配を感じる」
突然、アルトがそんなことを言い出し、最初は皆、「?」と思っていた。だが彼の言葉の意味を数分後に理解することになる。
あんなに晴れていたのに、空にはいつの間にか一面に分厚い雲が広がっていたのだ。しかもこの雲は……いわゆる入道雲。ということは、間もなく激しい雨が降ってくる!
アルトがこの天気の変化を察知できた理由。
それは彼の暮らす国が、砂漠が大半を占めているからだ。
砂漠の多いアルトの国では、雨はとても貴重。
貴重な雨水をなるべく逃さないようにするため、天気の変化には敏感なのだという。
「みんな、急いで戻ろう」
ローレンス皇太子の言葉に従い、馬に乗った全員がすぐに出発する。
だが。
ボタボタと大きな雨粒が勢いよく降ってきた。
「シャーロット、大丈夫かい?」
「はい」
「雨で滑るから、気を付けるんだよ」
ローレンス皇太子はなるべく雨が私に当たらないようにしてくれるけど。そんなことではどうにもならない程、雨が降ってきている。雨もスゴイのだが。
「きゃっ」
「大丈夫、落ち着いて、シャーロット」
雷が。雷の音がすごいのだ。
それに夕方のような暗さで、風も冷たい。
綿モスリンのワンピースは、既にびしょ濡れで体に張り付いている。
カッ。ゴロゴロゴロ、ドーン。
バリバリバリバリ
その後はミキッ、とかミシッ、とか馬のいななく声、悲鳴が起こり……。
何が起きたのかと思ったら、すぐ近くの木に雷が落ち、幹が裂け、木が倒れていたのだ。裂け目は黒こげで、煙が立ち込めていた。雨の勢いがすごいので、落雷による火災の心配はなさそうだ。
「皆、大丈夫か? 怪我はないか?」
ローレンス皇太子の声に、皆、大丈夫だと手を振り合図を送る。
「橋がもう見えている。橋を渡れば、狩りのための休憩所がある。そこで休もう」
あらん限りの声でローレンス皇太子は叫んでいるが、もはや激しい雨音と雷、吹きすさぶ風でその声はどこまで聞こえているかは不明だ。とにかく先頭を行くローレンス皇太子の後を、皆が必死に追っている状態だ。
橋を渡る時は、とても怖かった。
何せ川の水が増水していた。
茶色に濁った川の水が、濁流となりものすごい勢いで流れている。橋の下に折れた木の枝が、いくつも引っ掛かっていた。
だが橋を渡るとすぐ、狩りのための休憩所が見えてきた。
辿り着くとローレンス皇太子は私をおろし、すぐに入口の扉の鍵を開けてくれる。中は吹き抜けになっており、とても広い。山小屋みたいで木のぬくもりに、安心感を覚える。
ローレンス皇太子は、護衛の騎士にタオルを取りに行かせたり、お湯を用意するようにと指示を出している。レイモンドはすぐに暖炉に火をつけ始めた。初夏の陽気から一転、皆、雨に濡れ、唇が青くなっている。
「シャーロット、この奥にバスルームがある。今、騎士にお湯を用意させているから、準備が整ったらすぐに湯船で体をあたためてね。わたしはみんなの様子を確認するから。本当はそばにいてあげたいけど……ごめんね、シャーロット」
「大丈夫です、ローレンス。私のことは気にせず」
ここには大人の騎士もいるが、基本、皇太子である彼の指示に従い、皆動いている。ローレンス皇太子は私にとっては婚約者だが、ここにいるみんなのリーダーでもあるのだ。私だけを構っているわけにはいかない。
「ありがとう、シャーロット」
ローレンス皇太子は私の頭を撫でると、そのまますぐ、外へと向かう。
私は騎士からタオルを受け取り、入口から中へ入ってきたデュークやグレアムにタオルを渡した。暖炉の火もついたので、ローレンス皇太子を追い、外へ向かうレイモンドにタオルと雨外套を渡す。ローレンス皇太子の分も含めて。
「シャーロット、気が利くな! 可愛い」
久しぶりにグレアムからこの言葉を聞いた。
外では馬を厩舎へ移動させたり、まだ到着していないメンバーの確認を進めている。
そういえば、まだアルトとその従者、リンの姿がない。大丈夫なのかしら……?
「シャーロット様、お湯の準備ができました。良かったら、おはいりください」
まだ戻っていないメンバーのことも気になるが、リンが戻ったらすぐに湯船を使えるよう、私の入浴は先にすませておいた方がいいだろう。
そう考え、すぐにバスルームへと向かった。