29:食べたい物は自分で作る!
馬の世話をするリンのそばに行き、声をかけると。
「皇太子妃さま!」
リンがブラッシングする手を止め、私を見た。
私のことをリンは皇太子妃さまと呼ぶけど。まだ妃ではないんだよね。でもお茶会の席でもそう呼んだけど、誰も否定しなかった。ローレンス皇太子に至っては、とても嬉しそうに微笑んでいた。だから私も訂正せずにそのままにしている。ちょっぴり大人気分でくすぐったい感じがしていた。
そんな気持ちを微塵も見せずに私は声をかける。
「コルビー男爵令嬢、手を止めずで大丈夫ですよ」
頷いたリンはブラッシングを再開し、私は話を続ける。
「手紙でも伝えましたが、直接お伝えしたくて。パウンドケーキ、本当に美味しいかったです。外はしっかり、でも中はしっとり。砕いたピスタチオの歯ごたえがよかったし、ドライストロベリーの甘酸っぱさもよくアクセントになって……。本当にお菓子作りがお上手なんですね」
手を動かすのを止めず、でもリンは頬を赤くし、とても嬉しそうにしている。
「そう言っていただけると、本当に嬉しいです。祖母が海外旅行をして、そこで食べて気に入ったお菓子があったそうなんです。でもそれはこの国にないもので。しかもその場で食べないとその美味しさを味わえない。どうしてももう一度食べたかった祖母は、自身でそのお菓子を作ることにしたのです。私も子供の頃、それをよく食べさせてもらい……。自分でも作りたい、そう思い、祖母のお菓子作りを手伝うようになりました。今では私の趣味の一つになっています」
そうなんだ。乙女ゲーム『ハピラブ』のヒロインにそんな設定、あったんだ。
「とても素敵な趣味だと思います。何より食べたい物は自分で作る!という発想に共感できました」
馬の世話が終わったリンは、頬は赤くしながら、湖の方へと歩き出す。私も横に並び、一緒に湖へ向かう。
「実は今回もクッキーを持ってきました。このワンピースのポケットに入っているのです」
「まあ、そうなのですね。それは……いただいてもいいのかしら?」
「勿論です。皇太子妃さま」
湖で手を洗っていたリンがさらに頬を赤くしながら、私を見た。
「そちらの木陰で休憩しませんか?」
「ええ、そうしましょう」
道が整備されていたように。この辺りも人の手がはいっている。というのもリンが提案した木陰には、木製のベンチが設置されていた。そこにリンと並んで座り、おしゃべりを再開する。
「まずはクッキーをどうぞ。……食後でまだお腹はすいていないと思いますが」
「あら、そんなことはないですわ。甘い物は別腹といいますから」
リンが焼いたクッキーは絶品だった。外はサクッとしているが、中が柔らかい。そしてレーズンが入っている。いわゆるソフトクッキーで、私が大好きなタイプだった。さらに別腹説の通り、パクパクと食べられる。
「リン、シャーロットちゃん。女子二人で何をしているんだい? って、シャーロットちゃん、クッキー食べているの? 持ってきたの?」
馬の世話を終えたデュークがやってきた。リンの手作りクッキーを食べていると答えると、とても欲しそうな顔をしている。食べるかどうか尋ねると、「食べたい!」と即答。デュークが嬉しそうにクッキーを食べているのに気が付いたグレアムはツンとした口調で「味見して欲しいのか?」と言っているが、顔は笑っている。つまりは食べたいということだ。
グレアムと一緒に行動していたアルトは、美味しそうにクッキーを食べるグレアムを見ると。「私も食べてみたい」と言い出した。アルトもローレンス皇太子と変わらない、王族という国で重要な地位にあると思うのだが……。毒見なしで普通にリンの手作りクッキーを食べている。
驚いたが、その後の会話で、謎が判明する。リンは学校の昼食に自身の手作りお菓子を持参しているらしく、アルトはあのお茶会以降、リンからそのお菓子をちょいちょいもらっているらしいのだ。勿論、最初は毒見があったが、問題ないと分かり、今は普通にリンからお菓子をもらっているのだという。
そうなると残りはレイモンドとローレンス皇太子だが……。
レイモンドがこちらへやって来て、入れ替わりでクッキーを食べ終えたグレアムが、ローレンス皇太子のそばへ行った。レイモンドは私と同じように「甘い物は別腹だろう?」と言い、笑顔でクッキーを齧っている。
やっぱりローレンス皇太子は無理だよね。レイモンドは今食べたけど。
そうこうしているうちに、男子陣は石を湖に投げる水切りを始めた。リンと私はベンチに座ったまま、そんな彼らの様子を見守る。
「私の家は男兄弟ばかりなんです。兄三人に弟が一人。私が狩りができるのも、男兄弟ばかりだったからで。子供の頃も男子がするような遊びばかりしていました」
そう言われるとヒロインはそう言う設定だった。だって乙女ゲームだから。攻略対象は勿論、素敵なイケメンに囲まれている方が、プレイヤーのやる気が上がるものね。
「そのため、ずっと姉妹が欲しいと思っていました」
なるほど。素敵な男兄弟に囲まれていると、それでウハウハとはいかないわけね、現実では。乙女ゲームでは成立していても、ここは現実だから……。
「……実は我が家も同じような感じです。二人の兄と弟がいて。私も木登りをしますし、湖に落ちたことも」
「えええええ、聞かなかったことにさせてください、皇太子妃さま!」
「!?」
リンは両手でそれぞれの耳を塞ぎ、首をブンブン振っていた。
一体どうしたかと思ったが。
その後はなぜか私がビスクドールみたいで可愛らしいとか、お茶会の時の制服がとても素敵だったとか、とにかく私を褒めまくってくれる。
ヒロインだからなのか。リンはやっぱり超イイ人に思えた。