23:シャーロット、違うだろう?
ローレンス皇太子の私の紹介は15分近く続き、その結果、なぜか彼は普段人に見せることのない脚のほくろについて知っていたり、愛読している騎士の恋愛物語を把握していたり、昨晩苺タルトを2個食べたことまで掴んでいた。
一体いつどうやってその情報を入手したのかと驚いたが、あまりにも私の紹介に時間がかかり、残りのメンバーの紹介は名前とあと一言と実に簡素なもの。
それが終わるとようやく各自のカップに紅茶が注がれ、お茶会スタートとなった。そのお茶会の最中の会話の主役はアルトだった。
アルトが暮らすミナル国は国土の大半が砂漠で、西洋風文化のディナール皇国とは一味違う。つまりオリエンタルな文化の国なので、今着ている服装もみんなと異なるのだ。独自の文化があるので、彼の語る内容はどれも興味深い。ディナール皇国にはいないラクダの乗り物文化、朝と夜との激しい気温差、灼熱の太陽を避けるため男性でもアイメイクをしているなど、聞いているだけで「へぇ~」と脳が刺激される。
ちなみにミナル国の国土の多くを占めるのは砂漠だが、その砂漠には金が混ざっていた。つまりミナル国は金の算出国であり、小国ながら世界から注目されており、経済は潤っている。よく見るとアルトは腕輪をつけているが、それは勿論純金ゴールドだ。
そんな感じでアルトの話で花が咲き、肝心のヒロインであるリンは……。完全に聞き役に徹している。だが嫌な顔一つしていない。
不思議なのは、ここにヒロインがいるのに。ヒロインであるリンがいるのに。リンから皆に話しかけないのは勿論、皆もリンに話しかけようとはしない。でもそれで問題なく今日のお茶会は終わった。
これでいいのだろうか? これが正しいのだろうか? 大いに疑問が残りながらも、お茶会は終わったので、ひとまず席を立とうとすると。
「シャーロット、君のことはわたしがエントランスまでエスコートするから」
そう言ったローレンス皇太子に手首を優しく掴まれ、私は浮かしかけた腰を椅子に戻す。そうしている間にも、デュークはリンをエスコートし、グレアムはアルトと並んで去って行く。
レイモンドは当然、ローレンス皇太子の護衛につくのだから、このまま着席していればいいのに、なぜか席を立ち宮殿の中へと入って行ってしまう。
気づけば、テラスにはローレンス皇太子と私の二人きりになっていた。
給仕のため、近くにいたはずのメイドの姿もない。護衛と警備の騎士は随分と離れた場所にいた。
「皇太子さま」
ローレンス皇太子の方へ体を向け、声をかけた瞬間。
「シャーロット、違うだろう?」
すっと伸ばされたローレンス皇太子の手が私の頬に触れ、心臓がドクンと大きく脈打つ。頬に触れる手に神経が集中してしまい、何が違うのか考えられない。
「シャーロット、わたしのことは名前で呼ぶと、約束しただろう?」
何も答えない私の代わりに、ローレンス皇太子が答えていた。その答えを聞いて「そうだった!」と私は思い出す。
ローレンス皇太子がドゥニエ高等学園へ入学し、私が中等部へ進学したタイミングで提案されたのだ。
「皇太子さま――ではなんだか余所余所しいよ、シャーロット。わたし達は婚約しているのだから。名前で呼んで」
「な、名前ですか!?」
「そう名前で」
それは……とても甘美な提案だった。恋人同士……婚約者同士なら名前で呼び合い、愛を語らう。とても自然なことに思えた。頭ではそう理解しているが。いざ、名前で呼ぶとなると……。
とんでもない緊張感を伴う。それでもなけなしの勇気をかきあつめ、私は彼の名を呼んだ。
「ロ、ローレンスさま!」
「違うよ、シャーロット」
その時ばかりは思わず、「えええ」と盛大に抗議の声をだしてしまい、ローレンス皇太子は楽しそうにクスクスと笑った。天使みたいに無邪気に笑った後、私の手を取ると、彼は碧い瞳を私に向ける。手を取られることでドキッとし、さらにその美しい瞳に見つめられ、鼓動が速くなった。
「ローレンスと呼んで」
甘い囁きに瞬殺された。な、名前を呼び捨て……。それは喪女の私にはとてもハードルが高いのですが……! クラクラする私を見て、ローレンス皇太子は、名前で呼び捨て案を引っ込めてくれるかと思ったが。しばらくして私が落ち着くと。
「では練習だよ、シャーロット」
そう無垢な笑みを私に向ける。私は心の中で「え」と固まり、でもその瞳を見ると、絶対に自分のことを名前で呼び捨てにさせる気満々なのだと理解した。
こうして私は……。ローレンス皇太子に解放されるまで、何度も練習をすることになる。その時間は緊張と恥ずかしさと……でもとびっきり甘く、幸せな時間だった。
しまった! 勝手に一人回想してしまったが。
ローレンス皇太子はニコニコと私を見ている。
「それではシャーロット。準備はいい? 名前で、呼んで」
……! 待っていた。名前で呼ぶのを待っていた!
「ロ、ローレンス」
「よくできたね。シャーロット。ではエントランスまで送ろう」
ようやく立ち上がったローレンス皇太子が私の手をとり、ゆったりエスコートして歩き出す。するとどこかにいたはずのレイモンドが戻って来て、距離を置いて護衛を始める。他の護衛の騎士も後に続いていた。
「シャーロット、明後日は、二人きりで会おう。その時も制服で来て」
「あ、はい。分かりました」
正直。
ドレスに着替えるのはめんどくさい。対して制服は楽。まず着替えないでいいという楽さ。加えて着るのも脱ぐのも楽なのだ。屋敷に戻っても宿題をして、夕食をとり、寝るだけだ。このまま制服で押し通すこともできるだろう。
もしかして制服を帰宅後も着続けるって、ズボラ令嬢にはおススメかも。
そんなことを思っているうちに、エントランスに着いた。そこにはニコニコ笑顔の父親が待っていた。